2004年10月例会

10月17日(日) 都心の静寂「梅田・太融寺 写仏の会」
■大阪さくら会10月例会は、久々に定例会場の「蕎麦や・本店やなぎ」を離れて、しかも日曜午後の開催であった。梅田地下街「泉の広場」右奥の出口を上がり、扇町通りを東に少し歩くと右手に白い門塀が見える。本日の例会会場「太融寺」である。
 右に折れて西門前に出る。西門右の『源融公乃旧跡』と刻まれた石碑が、この地の歴史と格式を偲ばせる。一歩境内に踏み込むと、無機質な高層ビル群の一角に、忽然と現出する和の世界と向き合うことになる。よくぞこの梅田の中心街にかくも贅沢な空間が残されたものだ。
 本坊の前に、数人の会員とともに本日の講師でありさくら会メンバーでもある麻生さんの衣姿が見える。太融寺住職の子息にして副住職である。9月例会の際の幹事からの次回例会の突然の依頼を、快く引き受けて頂いた。
■定刻の2時過ぎ、予定の参加者11名がそろった所で例会スタート。最初に麻生さんの案内で山内の各施設を見学。
 「大悲殿」の扁額を掲げた本堂から参拝。ご本尊を前に、麻生さんから太融寺の縁起などを伺った。ちなみに頂いた資料による高野山真言宗・準別格本山である「佳木山・宝樹院・太融寺」の縁起は次のとおり。尚、このお寺は新西国三十三ヶ所霊場第二番札所でもある。
 「当寺は、弘仁十二年(西暦821年)にこの地に弘法大師が、嵯峨天皇の勅願により創建されました。ご本尊の千手観世音菩薩は、嵯峨天皇の念持仏を下賜され、天皇の皇子河原左大臣源融公が、この地に八町四面を画して、七堂伽藍を建立され、浪華の名刹として参詣者で賑わいました。」
■この後、通常の参詣では適わない内陣に案内される。須美壇には、ご本尊の先手観世音菩薩と左右の脇仏である地蔵菩薩、毘沙門天王が安置されている。須美壇の両脇には胎蔵界、金剛界の二幅の曼荼羅絵図が飾られ、麻生さんの曼荼羅解説のさわりに触れる。圧巻は、須美壇裏側の千躰観音だった。実際には千躰以上になるという20cm程の観音像に埋め尽くされた金色に輝く空間は、観る者を厳粛な異次元の世界に誘う。
■本堂を出て境内各所の名勝見学に向かう。本堂左手の西門横に鐘楼がある。「当寺では大晦日の夜12時迄に参拝された方は全員、鐘を突いて頂けます。このことが関西ウォーカーなどで紹介されてから、最近は2時、3時迄、私も横でお勤めをする羽目になりました。」とは麻生さんの弁。
 この他、本堂左の境内には「淀の方(豊臣秀吉の側室)の墓」「水掛け水子地蔵尊」「白龍神社と観音像」「第51代横綱・玉の海記念碑」等が次々と展開される。
 本堂奥の床下をトンネルのようにしてくぐった先に不動堂がある。戦後再刻された石仏の一願不動明王が祭られている。参拝客が次々訪れ、線香の煙と蝋燭の灯りが絶えることがない。その奥には「お滝の洞窟」があり、戦前から続く先代の不動明王像が安置されているという。不動堂自体は、朱塗りの三層の宝塔の一層部分となっている。不動堂に隣接して、護摩堂、大師堂が続く。大師堂の向いには弘法大師像が建ち、更に進むと「マニ車」や「松尾芭蕉の句碑」が待ち受ける。本坊玄関の左手に建つ「国会期成同盟発祥之地」と刻まれた石碑には、明治初期の民権運動の重要な大会がこの寺で開催されたと記されている。
■大都会の中の贅沢な空間に囲まれた伽藍とはいえ、その敷地面積は、地方の名刹とは比べるべくもなく限られている。限られた空間を最大限に活用して精一杯、信仰の具現化をはかろうとする旺盛なサービス精神を随所に垣間見る。開け放たれた山門を自由にくぐり、境内で弁当を開けている家族連れを見かけた。市民と見事に共存しながら、大都会のしかも繁華街のど真ん中で、信仰の拠点を維持してきた知恵がここに凝縮されている。
■本坊の二階の大広間に移り、今回の例会のメインテーマである写仏を体験した。大広間には既に参加者の数だけ小机が用意され、必要な用具一式と資料が準備されていた。
 麻生さんからのレクチャーを受ける。「写仏の対象となる仏は、各自の生まれ年の干支に対応した守り本尊にして下さい」とのこと。配られた「開運暦」を見ながらそれぞれの仏の解説をしてもらう。

 いよいよ写仏である。各自の守り本尊の見本図を頂き、その上に、同じサイズの薄い半紙を重ねる。見本図の墨絵の輪郭が浮かび上がる。小皿に滴らせた墨汁を小筆の先に浸し、やおら輪郭をなぞっていく。「大きな輪郭から進め、細部に向けて描くのが基本です」。麻生さんのアドバイスが何やら哲学的な響きを帯びる。
 次第に、ひたすら描くという行為に夢中になる。忘我の世界がやってくる。気がつけば大都会の喧騒が嘘のような静寂に包まれている。描く対象の仏の姿の複雑さの度合いは様々である。写仏に要する時間にも差が生じることになる。それでも1時間30分程の時が流れ、全員の写仏が完成した。描き上げられた絵姿を見比べる。各々の個性が滲み出ている。麻生さんの好意で、各自の作品ばかりか見本図まで戴けることになった。自宅でも家族ともども楽しめそうだ。
 自ら描き上げた仏を前に、しばしの合掌と瞑想の時を過ごし、写仏を終えた。
■最後に麻生さんから、法話を伺った。要約すれば次のようなお話だったと思う。
 「願い事をかなえるためには三つの力が必要です。一つは努力すること。一つは仏に祈ること。そして最後に周囲の人の力に助けられることです。」
 思いがけない体験と安らぎのひと時を得たかってない貴重な例会だった。言うまでもなく、そのほとんどが麻生さんの尽力によるものだった。感謝の気持ちをどう表現すればよいのだろうか。
■尚、今回の参加者は、川島、井上、日高、竹内(佳)、森、麻生、盛田、吉川、福井、上林、浦濱の皆さんと竹内さん紹介の初参加の小林一清さんの12名だった。
太融寺から歩いて数分の所に「お初天神」がある。歌舞伎や文楽で有名な「曽根崎心中」ゆかりの場所である。
 となればここは川島さんの出番である。正式名称「露天神」に移動した一同を前に川島さんの案内。今年四月に境内の一角に「曽根崎心中」の主人公「お初・徳兵衛のブロンズ像」が、お目見えした。除幕式には、歌舞伎役者の中村鴈治郎さんの列席もあったとのこと。

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