2000年8月例会

8月18日(木) 復活!藤十郎さんを囲む会
あれから20年近く経つのだろうか。今はもうなくなってしまった道頓堀「中座」の楽屋に澤村藤十郎さんを訪ねる機会を得た。当時労組役員だった私は、「大阪中立労協」の副議長として事務局長だった川島さんと格別の親交があった。「関西で歌舞伎を育てる会」の中心メンバーでもあった川島さんの計らいだった。妻と母を伴っての楽屋での藤十郎さんとの束の間の歓談だった。初めての歌舞伎を目の当たりにした直後の主役の本物の役者さんとの歓談は母にとっても夢のような出来事だったと筈だ。その母も今年2月に他界した。今となっては母にしてあげられた貴重な孝行のひとつだったと思う。
その藤十郎さんが昨年8月、脳梗塞という突然の大病に見舞われた。意識不明の重体だった藤十郎さんが死の淵から懸命のリハビリで見事に復活した。今日はその藤十郎さんを囲んでのトークショーである。
大阪さくら会の8月例会を兼ねている。3年前の大阪さくら会の7月例会は「藤十郎さんを囲んでの懇談会」だった。難波・宗右衛門町の小料理屋で10人ほどのメンバー相手の藤十郎さんの歌舞伎談義は、おおいに盛り上がったものだ。
定刻の6時半、会場の梅田・大阪全日空ホテルの宴会場を100名以上の参加者が埋めていた。歌舞伎俳優が主役とあって綺麗どころの出席者がひときわ華やかさを添えている。川島さんの司会で開会が告げられ、ほどなく藤十郎さんが入場。お弟子さんたちに付き添われ、まだ不自由さの残る右足をそれとは見せないかのような足運びだ。
世話人代表の「関西で歌舞伎を育てる会」の発起人だった高畑敬一元松下電器労組委員長の挨拶。「関西で歌舞伎を育てる会」発足に至るエピソードに始まり今日の関西での歌舞伎の復活振りが紹介される。大阪での歌舞伎復興の井戸を掘り続けた藤十郎さんへの中村勘九郎さんの感謝のメッセージの披露が印象的だった。続いて世話人代表の1人として作家の小松左京さんが挨拶。「作家のアイデアを上回るアイデアマン藤十郎さん」の一面が披露される。
いよいよ藤十郎さんの登場。突然の病に襲われてから今日に至るまでの経過が淡々と語られる。・・・意識が戻っても言葉の出ない闘病生活。意識がないと誤解した見舞い客の本人を前にしてのホンネの言動から思い知らされる人間模様。「もう舞台に立てるほどには治らない」と医師から宣告された後の復活に向けた決意。右手右足の痺れとの闘いの日々・・・・。最後は、年内のリハビリ専念と来年早々の舞台復帰の決意表明で締めくくられた。3年前のいかにも女形俳優を思わせる美男子の顔に、死の淵をさ迷い、乗り越えた男の、厳しさと逞しさが加わった。
主役挨拶の後の懇親。藤十郎さんを囲む主賓席に懐かしい顔が見える。連合大阪の前議長で大阪中立労協時代の議長だった前川さんだ。中立労協役員時代の数年間のお付合いが蘇る。名刺交換としばしの歓談。現在は大阪労働者福祉協議会会長とのこと。
ところで我が大阪さくら会である。今回の出席は岸さん、森さん、池田さん(三菱地所住宅販売)と小生の4人だった。(コクヨの筧田さんも別のグループから出席)。出席予定の井上さん、竹内さんは急な所用で欠席とのこと。Gテーブルを囲むメンバーは以上に加えて岸さんの知人の中村さん、上村さんに関西電力の藤牧さん、小門さんの8人だった。宴席の終盤は、藤十郎さん、高畑さん、小松さんを囲んでのテーブルごとの記念写真である。我がGテーブルのカメラは小生のデジカメだけ。カメラマンを筧田さんに依頼しての記念写真が無事終了。
退席の藤十郎さんに出席者の万雷の拍手と励ましのエールが贈られる。2時間余りの宴が終わった。

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