'09年4月例会 お花見「ノダフジ知ってますか?」
■プロローグ
 大阪さくら会の4月例会は通常「お花見会」となる。ところが第2火曜の定例会は4月14日で桜の花見には遅すぎる。井上代表幹事が見事にこの難問をクリアした。ネット検索の果てに、「ノダフジ」のお花見と相なった。大阪市福島区の下福島公園内の藤の花(ノダフジ)を愛でるという企画である。昔から「吉野の桜、野田の藤、高雄の紅葉」と並び称された知る人ぞ知る藤の名所だったそうだ。知らんかったな〜ッ。
■集合!下福島公園
 18時30分集合の案内である。JR東西線の新福島駅から徒歩数分の下福島公園に到着した。生憎の小雨混じりの中を、公園のぬかるみを伝って南側の藤棚に出た。公園南側すぐの京阪・中之島駅からのアクセスルートもあるようだ。
 春の夕暮れは尚明るい。公園内には見事な藤棚が左右に設けられている。とはいえ藤の開花にはまだ尚早。白い花弁がちらほら見えるだけである。
■ノダフジ発祥の地・春日神社
 18時半頃には今回講師の藤 三郎さんがお見えになった。野田藤発祥の地で代々庄屋を務め野田藤を守り伝えてきた藤家の18代目当主である。19時頃、集合した会員9名が藤さんの案内で300mほど西のノダフジ発祥の地・春日神社に向う。道中のあちこちに藤棚や藤の鉢植えが目につく。さすがに発祥の地である。
 藤家所有のマンションの建つ一角に朱塗りの鳥居と垣根に囲まれたこじんまりした社があった。境内を覆う藤棚には薄紫の藤の花が満開前の控え目な姿を見せていた。境内には「野田の藤跡」の石碑が建っている。藤さんに案内されてすぐ南にある竹矢来で覆われた小さな社に立ち寄る。鳥居前の広場にも藤棚がある。社をバックに集合写真を撮影した。
 小雨の中のノダフジ見学を終え、藤さんを囲む例会会場に移動する。途中下福島公園を経由した際、藤棚横の和風庭園の石碑に案内された。「野田ふじと藤邸の庭」にまつわる碑文で、この庭が藤さん宅から移築されたものと知った。
■藤家18代目当主の野田ふじ解説
 JR新福島駅近くの四川料理の店・醤じゃん(じゃんじゃん)が予約の会場である。ここから合流したメンバーも含め総勢14名の例会が始まった。乾杯の後、藤さんから持参のレジュメとラミネート加工の大判資料をもとに野田藤にまつわる多面的で興味深い以下のようなお話しを伺った。
 ・野田の藤を詠んだ三首の中世・藤の和歌が残されている。鎌倉時代初期の太政大臣・西園寺公経の歌、室町幕府2代将軍・足利義詮(よしあき・尊氏の子)の歌、南北朝時代の後醍醐天皇第5皇子・宗良親王の歌である。
 ・足利義詮が1364年に住吉詣での途中、野田玉川に立ち寄り藤見物をしたことが野田藤の始まりとされる。
 ・太閤秀吉が文禄3年(1595年)に藤見物に遊覧した際、藤の庵で御茶を催した。秀吉の死の1年後に春日神社(藤家)に豊臣家から豊公画像が下賜された。
 ・江戸時代には野田村は藤の名所として知られ、「摂津名所図会」「浪花百景」「藤伝記(野田藤の歴史や伝承の記録)」に記録が残されている。 
■懇親会と初参加者紹介
 講師のスピーチが終わり、四川料理が次々と出され懇親会となる。しばらく懇談の後、今回の初参加者が紹介される。木下幹事紹介の潟Rスモメディア代表の中野さんと、井上代表幹事紹介のAT&Tジャパン鰍フ味村さんだ。いかにも誠実そうな中野さんと、ご主人も地元で飲食店をされていると言う元気いっぱいの味村さんの挨拶だった。
 最後に藤さんから思いがけないプレゼントを頂いた。赤と白の野田ふじワインだ。一同あらためてグラスでワインの乾杯を重ねたのはいうまでもない。玉川春日神社総代にして福島区歴史研究会理事でもある地元名士の藤さんに最後までお世話になった4月例会だった。
 最後に川島代表幹事の締めで閉会となった。ちなみに今回の参加者は、川島、井上、日高、森、木下(康)、府録、福井、北村、浦濱、岡山、奥野、中野、味村の13名の皆さんだった。
■エピローグ(藤さんからのメール)
 例会報告HPの会員案内に先立って、講師の藤さんに点検を依頼した。藤さんからは以下の画像と新聞記事切り抜きを貼付して返信を頂いた。ありがたい情報だったのでエピローグとして掲載させて頂いた。
大阪さくら会の皆様へ
 先日は、雨の中をよくお出でくださいました。またおいしい中華料理をごちそうになり深謝します。
 今日あたりが春日神社の藤が満開でした。例会当時はまだ7分咲きの上、日が暮れ雨という最悪の状況でしたので
あらためて現状の写真を送付します。パソコン上でお花見をしてください。あわせて毎日新聞4月18日朝刊の記事を添付します。朝日放送でも春日神社の藤が放送され、毎日見学者が多く、何となく落ち着かない日が続きます。