2005年6月例会 |
「虎スーツを売った男」の物語 | |||
![]() 7時10分前、会場に着くと左右のテーブルの全席にビアグラスとお手元が並べられている。左側のテーブルは既に満席で、いつになく出足も早い。 ■司会の岡さんの指名を受けて、いつになく謙虚な川村さんから、控えめな講師の紹介があった。 ![]() ■学生時代はアメリカンフットボールの選手だったという大柄な体を地味なスーツに包んだ清水さんの登場である。「日本総研の調査によると阪神ファンは1200万人いるそうです。どうして調べたかは分りませんが・・・。私の会社はその内の熱烈なファンだけを顧客にして黒字経営を続けています」。 そして着用のスーツを、やおら脱いで裏返して再び着用。阪神のユニフォーム姿にアッと驚く変身。しかも3種類のデザインで構成されたユニフォームである。この意表をついた展開に聴衆は一気に引き込まれてしまう。講演は、「実は私、浪速のボンボンですねん」という切出しで、今日の成功に至る苦難の道のりが語られる。 ■大手背広メーカーに同族経営者の一員として19年間勤務。常務まで勤め上げたものの同族経営に飽き足らず退職。2年間のプータロー生活と、同じ失業者であった元同僚との出会い。2000年1月に元同僚と二人で資本金1000万でスポーツ・アパレル企画の会社設立。売上ゼロが続き赤字600万の崖っぷちを迎える。 切羽詰った末のアイディアが旧会社時代にボツになった「裏地にロゴをあしらった阪神タイガースの背広を売る」という企画。巨人ファンの相棒に相談。他に選択の余地はない、ダメモトで阪神球団を訪問。阪神どん底のチーム状況が幸いして話を聞いて貰えた。「阪神スーツのアイディアは初めて」ということでライセンスを取得。 熱烈ファンに向けたロゴ入り裏地で勝負。裏地の最低ロットは500枚で3種類1500着を準備し、2001年1月販売開始。熱烈なファンを訪問し、本人を上回る虎キチを紹介してもらう芋づる方式でルート開発。買ってもらったお客様は、バーやクラブでさりげなく裏地を見せるのが自慢の種。問われるままにどこで買ったのかの口コミをしてもらい、無報酬の営業マンを買って出てもらえる。 2001年の星野監督就任が追い風に。NHKの取材申込みと女性アナウンサーによる着用紹介。5-6月に売れまくり、その年の阪神は4位で会社は黒字に。翌年の阪神は優勝に向けて突っ走り、新たに作製した「六甲おろしブレザー」は、3週間で300着を販売(上の画像は、六甲おろしブレザーを紹介する清水社長)。今年4月には、熱烈阪神タイガース・ファン専用の洋服屋「テーラー虎」を大阪・中央区谷町にオープン。 ■まとめのメッセージは以下のようなことだった。 「熱烈な阪神ファンだった親爺の命日に墓に六甲おろしブレザーを掛けてやりたい」という顧客の声に涙し、戒名入りのブレザーを納めた。あらためて自分の仕事が「タイガースを愛する心を売るビジネス」だと噛み締めた。「巨人スーツを売ればマーケットはもっと広い」という友人もいるが、心が違う、お客様は裏切れない。 ■飄々とした語り口で、虎スーツに込めた想いをユーモアタップリに熱っぽく語ってもらった。1時間近くに渡る「虎スーツを売った男の物語」が終了した。そしてさくら会メンバーたちは元気をもらった。 |
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■講演後の会食が始まる。今回のお品書きのテーマは「旬の鱧と夏野菜」。お酒は京都の銘酒「吟醸・玉乃光@」。お造り盛り合わせ「鱧・まぐろA」、「鱧押し寿司B」、「焼き地鶏・焼き万願寺唐辛子C、「夏野菜と冷豚しゃぶサラダD」、「鱧入り茶碗蒸しE」、「水茄子と漬物の盛り合わせF」、「じゅんさい豆腐G」「フルーツトマトH」と続き、仕上げは例によって「大皿蕎麦I」。 | |||
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![]() ![]() 5年前の例会で講師をお願いした鞄d通の田村さんは、久々の参加だった。ストレス・マネジメントのコンサルタントとしても多忙な近況を報告してもらった。 ■川島代表幹事からは、琵琶語り、映像、芝居語りで構成される「平家物語』の夕べ」の案内や自身が講師でもある歌舞伎入門講座の案内があった。 最後に井上代表幹事の挨拶で閉会。いつもより早い9時30分解散で中味の濃い例会が終了した。 ■尚、今回の参加者は、事前案内の講師やテーマに対する関心の高さなのか27名というかってない多さだった。参加者は、川島、井上、岸、岡、日高、竹内(佳)、森、生原、麻生、田村、川村、高橋、福井、菅、谷山、三浦(義)、木下(雅)、東、浦濱、高見、小林、那須、木下(康)、岡山、家入、新屋、野口の皆さんだった。 |