1996年

岡山大学弁論部機関紙「カオス」掲載

我々にとって政治とは何か 誰もが変わるとき


プロローグ
 「我々にとって政治とは何か」。このテーマ自体、ひとつの選択ではなかったのか。
 ”自分にとって”という形で、個人の資格で、個人の責任において、自分に対しての政治のもつ意味を問おうと言うのだ。政治の持つ意味を問うとき、すでに政治を自己に還元されるべきものとして、そしてその限りにおける政治として選び取っている。僕はこのテーマに忠実であろうとすれば、僕自信で選び取った形で政治を考えなければならない。即ちこのテーマ自体、政治は、単に個人にとっての意味を持つ範囲内においてのみ語られることを期待しているのではないか。その限りでは、政治は、丸山真男のいうように「人間の組織化行為である」というような、積極的に人間に対して働きかけるものとしては捉えられない。むしろ逆に、個人によって政治を限定し、そして政治自体を個人に意味づけようとする。そこでの主体は、あくまで個人であり、政治はその対象としてしか捉えられない。
 僕は、多分に主観的であるに違いないこのテーマの、こうした捉えかたを、僕個人の責任において承認する。そしてこの承認こそ、僕のこのテーマに対する結論である。

学生運動・・・存在の正当性の検証形態
 ところで、現実に政治が僕にとって意味を持つようになったのは、大学に入って間もない頃だった。学生運動を支えていたマルキシズムの「否定と破壊のイメージ」は、それまで思想という言葉にロマンチックな夢を託していた18歳の少年にとって、あまりにも強烈だった。
 にもかかわらず、僕を学生運動に参加させることに躊躇させなかったのは、中学・高校時代を通して持ち続けていた「社会への働きかけ」、つまり「社会のために」という命題だった。その命題の具体的な実現を通してこそ、僕は自分の正当性を信じられると思った。そのため「真に社会のためにする行為とは、反体制の側に立った行為である」と理解した時、僕にとって学生運動に参加することは不可欠だった。
 こうして僕と政治との現実的なかかわりは、僕が学生運動に参加することで、自分のうちに政治を抱え込むことから始まった。そして政治は、僕にとって存在の正当性の検証形態としての意味を持っていた。いや持ちうると思えたのだ。僕のこの個人的な政治への期待にもかかわらず、現実の僕と政治との関わりはどうだったのだろうか。

政治・・・横たわる距離感
 「憲法改悪阻止!!」 この初めてのデモで口にしたシュプレヒコールのなんと空々しかったことか。自分のデモの最中における無意味なおしゃべりは、まったく嫌悪すべきものだった。デモとは、参加者の政治性のもっとも集約された表現形態であろう。そこでは、腹の底からの怒りがなければならない。訴える真摯さがなければならない。僕は自分の行為の神聖さを信じたかった。
 問題の解決を、僕自身の資質に求められるべきではないと思う。「人間は社会的な存在である」ということをもって、政治の個々人に及ぼす影響をリアルに実感できない僕を笑ってみても、問題の解決にはならない。すでに僕の前には、政治とのどうしようもない距離が、厳として横たわっている。「原潜は、佐世保にはやってきても、私の心の中にまではやってこない・・」。このロマンチックな表現で語られた言葉こそ、政治との間に横たわる苛立たしいばかりの距離感の赤裸々な告白ではなかったのか。
 政治の効果が、日常生活の隅々にまで及び、政治的イデオロギーが、個人の内面性の奥深くまで浸透している今日であるが故に、僕らと本来的な政治との距離感は、それだけ一層拡大されている。氾濫した政治の無数の不協和音の中で、個人の声は掻き消され、めまぐるしく展開する政治状況に麻痺させられる。僕らの曖昧な、無気力な日常性ゆえに、僕らの怒りは、うわずった、うつろな叫びとなり、僕らの真摯さは、お喋りをも許容する。彼らの曖昧な日常性ゆえに、彼らにとって、僕らの怒りは、トラブルメーカーの叫びとなり、僕らの真摯さは、道化となる。
 なまぬるい今日の状況に生きる限り、避けうべくもないこの距離感を、否定したり、その事自体を無意味だときめつけたりしても、何ら問題の解決にはならない。むしろそうした問題の回避こそが、政治的麻痺現象の中で着々と進められつつある反動化の過程に対し、決定的に無力たらしめているのではないか。僕らは、自分の内にある政治との絶対的な距離感を、率直に承認しなければならない。問題は意識化されることによって克服される。

自己・・・変革の出発点
では、いかにしてこの距離感を克服すべきだろうか。この距離感を生み出したところの状況に、その克服を求めても的外れである。確かに状況の変革は必要であるにしても、今は、その変革のエネルギー自体、どうしようもない距離感の内にこもってしまうのだ。
状況の変革を口にすることで、自己の日常性をごまかしてはならない。状況はすでに在るものとして認識し、その状況の曖昧性、無気力さをどこまでも個人の責任において、実感し、受け止めなければならない。そうしてこそ、今日の状況の内にあって不可避的な距離感を、自己の内に意識しながら、荒々しくも着実に引き起こされつつある歴史の痙攣を、個人として受け止め、反応すべき自己の意思を知ることが可能になる。そうしたたゆみない営みを通して、行為することのあらゆる契機を、自己の内に見出さなければならない。

「社会のために?」・・・留保の限界
 僕は、自分と政治とを関わらせるに当たり、当初その契機を自己の社会性に求めた。「社会のためにする行為」に絶対的な価値を信じた僕にとっては、自己はすでに強力な規制の内に存在したといわねばならない。そこでの行為の神聖さとは、自己犠牲の代償の結果としてのヒロイズムの別名ではなかったのか。あるいはその行為自体、義務感に発するところの単なる自慰手段ではなかったのか。
 支払うべき犠牲の価値が、受け取るべきヒロイズムの価値に優るとき、行為は停止する。それゆえ社会のためにすることに絶対的価値を見出した者の、必然的な限界がある。この限界は、「社会のために」という形で、行為者の自己の一部を放棄することによって、全体としてではない、一部としての自己を、行為することに駆り立てたところから生じている。逆にいえば、行為しないこともまた、放棄した自己によって正当化されるという「留保の姿勢」を内に含みつつ行為しているのである。

問いかけ・・・個人にとっての「政治」の意味
 僕らは行為することに、真の神聖さを信じるなら、行為するに当たって、何らの留保も設けてはならない。あらゆる規制を取り払った完全な形としての自己を認め、全体的な自己として行為しなければならない。
 即ち、僕らの行為は、社会のためにするのでもなければ、人民のためにするのでもない。他ならぬ自分自身のためにする行為でなければならない。自分のためにする行為こそが、行為の神聖さを信じさせる。そして行為の神聖さを信じられることこそ、行為者にとって、継続的な行為のエネルギーとなる。自分でない、誰かのためにする行為は、必然的に留保の姿勢でなされるが故に、神聖さを失う。神聖さのない行為は茶番であり、お芝居である。お芝居は、舞台が回ってきたときのみ演技がなされ、幕が下りれば演技も終わる。
 かくして僕らは、自分のためにする行為を、常に政治との関わりの中でなさねばならない。いいかえれば、個人にとって意味を持つ限りにおいての政治と、個人である自己とを関わらせるということである。そのためには、自分にとって政治とは何かという問いを、その時々の政治問題に関して、絶えず問い続けなければならないだろう。つまり『我々にとって政治とは何か』というテーマ自体、一つの問題提起であると同時に、結論でもあるのだ。
エピローグ
 かつて、ナチ革命の過程で、何ら有効に対処しえなかったドイツにおける一市民の次の告白を、今日のマス化された政治的麻痺現象を前にして、僕らはあらためて噛みしめなければならない。
 『気がついてみると、自分の住んでいる世界は、かつて自分が生まれた世界とは似ても似つかぬものになっている。・・・(中略)・・・今や自分のすんでいるのは、憎悪と恐怖の世界だ。しかも憎悪し恐怖する国民は、自分では憎悪し恐怖することさえ知らないのです。誰も彼もが変わっていく場合には、誰も変わっていないのです。』(丸山真男「現代政治の思想と行動」引用)

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