第1話 そしてゲームは終わった・・・完敗


果物ナイフを振りかざしたアンモさんのひきつった薄笑いが迫ってきた。私の身体を恐怖がつらぬく。(殺られる!) 「このゲーム、降りたッ!」 思わず私は叫んでいた。

21才の岡山の夏だった。4畳半ひと間の私の下宿にはいつもの連中がたむろしていた。サークルの先輩たちと「大阪流れ組」の面々である。
学生生活3年目の私の生活は荒れていた。学生運動の虚しさと退廃が無為の生活の口実になっていた。多かれ少なかれ全国の大学に蔓延していた当時の気分でもあった。そんな気分を引きずって大阪学芸大学の連中がサークルの誰かのツテを頼って岡山に流れてきた。
「岡山大学弁論部」が私の所属したサークルだった。マルキシズムの幻想から覚めた後の虚しさを「実存の世界」が埋めていた。サルトル、ニーチェ、キルケゴ−ル、ドストエフスキーの「存在の追求の様々の形」が多くの学生たちを魅了していた。
「大阪流れ組」が、『ハイミナール(通称ミナハイ)』という睡眠薬を持ち込んだ。『先進的な退廃』は、またたくまに地方都市の学生たちを虜にした。

ミナハイをボリボリ噛り、熱いコーヒーや味噌汁で流し込む。苦辛い、舌を刺す刺激。薬物がもたらす効果は絶大だった。数分後には酒の酔いとは異質の酩酊と覚醒が支配する。抑制機能が麻痺し欲望が解き放たれる。呂律がまわらなくなる。三半規管の麻痺がバランスを失わせ、ところ構わず転倒する。いわゆるラリッている状態である。
行きつけのサテン(茶店)から、そして食堂から締め出される。友人たちが次々と去って行く。サークルは実質的に崩壊していた。覚めた精神のひととき。不安が募る。不安を呑み込むように更にのめり込む。実存を求めて自己否定を気取った愚かな安っぽい理屈だった。

連中との下宿でのたむろは、そんな荒んだ生活のヒトコマであった。酒を飲み、ミナハイを噛りあい、タワゴトをほざきあう。喧燥と乱雑と煙草の煙が充満する世界・・・。
誰かが呟いた。「こんなかで誰が一番喧嘩が弱い?」「そら亮やろ」応じたのは大阪組のアンモさんだ。薬物常用者特有の凄みと酷薄さが漂う。「なら試してみるか」私が応じる。「ヤレ!ヤレ!」 ゲームの始まりだった。なりゆきだった。
下宿前の空地に移動。ラリリ切れない状態の私とすでにどっぷりラリッているアンモさん。闘う前から勝負は明らかだった。むなしく空を切るアンモさんのパンチ。私のそれほど強くもないパンチが彼の左口元にヒット。もんどりうった口元から血が流れる。
ポケットをさぐったアンモさんの手に果物ナイフが握り締められていた。すでに彼にとってはゲームではない。過剰な精神の昂揚がゲームを超えた新たな獲物を求めていた。

「このゲーム、降りたッ!俺の負けヤッ!」 叫びながら自分の不甲斐なさに打ちのめされていた。完敗だった。ラリルこととは煎じ詰めれば理性を超えてのめりこむことだ。所詮私のラリリは、徹しきれない薄っぺらなものだった。浸りきれるアンモさんの凄みには到底及ばない。
その時だった。もうミナハイはやめよう。この連中からも逃げる他ない。恐怖とともに握り締めた断固たる決意だった。


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