第2話 「クラブ環」の人間模様


大学サークル・弁論部同窓会の懇親会を終えた翌朝である。岡山駅前のビジネスホテルを後にし、旅先での早朝散策を愉しんだ。この町随一の花街だった一角に向った。学生時代の一時期を通ったバイト先のあったところだ。
 駅前の大通りに出た。日の出前の人気のない薄明りの街並みをライトを点けた路面電車が発車時間を待っていた。東にしばらく歩くと西川に出る。繁華街の中心部を流れる掘割である。右に折れて西川沿いの整備された並木の続く遊歩道を進む。500mばかり南に行った所の左手一帯が「田町」と呼ばれる花街だ。

バイトをしていた当時、格式のある一流クラブと言われた「クラブ烏城」の跡地らしき所にやってきた。そのすぐ南の角を右に折れた先に「クラブ環」があった。そこには今は水商売の店が各フロアを埋める雑居ビルが建ち、辛うじて当時の面影を残していた。突然、背後で男女のかん高い嬌声が聞こえた。クラブ烏城の跡地らしきビルから出てきた若いイケメン二人が、ふらついた足取りのアラフォー世代の女性をタクシーに乗せようとしていた。かっての名門クラブは今やホストクラブにその席を明け渡していた。玄関先の若者たちの嬌声が、40数年前のバイト生活で初めて知った水商売の実態と人間模様を思い起こさせた。

『大学の出身高校同窓会で知り合った1年先輩からの助っ人依頼がきっかけだった。彼のバイト先の田町のクラブでどうしても人手が足りないので二三日でいいから臨時バイトをしてくれないかとのことだった。小説の世界でしか知らない水商売というものへの興味がなかったわけではない。実際にその世界を垣間見てみるのも悪くない。そんな軽い気持ちで引き受けた。
 二三日の筈の水商売のバイトは、かれこれ2年近くに及んだ。夕方から深夜12時まで、銀盆片手に客席の間を飲み物や料理を運び灰皿を交換し入店客を案内するというボーイの仕事だった。こわごわ半身で浸かった水は意外と心地良いものだった。ある種の恐怖の予感は皆無だった。同時にチョッピリ期待したおねえさんたちとの甘い関係もまた皆無だった。

ママの弟だという気弱で気の良いマネージャー、口数少なくしっかりと店を仕切って誰からも一目置かれていたチーフバーテンダーのヤマちゃん、一見やくざ風ながら根は優しかったバーテンのオオスミさん、イケメン気どりの軽薄さが持ち味のフロア主任のニシオカくんなど、いつの間にか気心知れた仲間意識が芽生えていた。休日のある日、オオスミさんの自宅に遊びに行ったこともある。在日韓国人の何世かだった彼の奥さんから美味しい焼き肉をご馳走になった。ホステスのおねえさんたちの何人かとも親しくなって軽口を叩きあったり、ラーメンをご馳走になったりした。華やかな客席での彼女たちとは裏腹に子供を抱えて必死に生きている素顔が覗けるのもそんな時だった。ある日のショータイムにデビュー直後の「ヒデとロザンナ」がどさ回りの営業にやってきた。2階の客席に向うロザンナのミニスカートからはみ出した逞しい両足に息を呑んだ記憶が今も残っている。
 私にとっての異色の世界だった筈の水商売のバイト先は、ごく普通の人たちが織りなす人間模様で彩られた異色でも何でもない世界だった。』

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