明日香亮のつぶやき日記

1998年5月
5月31日(日) 上山病院・306号病室
最初に目に飛び込んだのは、Yさんのぞっとするほどの無表情な視線だった。いつもの明るい笑顔との落差が、Yさんを襲った病魔の残酷さを物語っている。
寝屋川市の「上山病院」の306号病室に旧友を見舞った。20代後半の5年間を同じ職場で過ごした仲間である。生死を分ける大手術から2ヶ月以上が経過していた。手術で取り外された右頭蓋が元に戻されたのは2ヶ月後だったとのこと。ようやく面会可能な状態になったとの連絡だった。
Yさんを襲った脳内出血は、今尚、彼の右半身を麻痺させ、過去の記憶を奪っている。坊主頭の左側面の手術跡が痛々しい。病は記憶ばかりでなく、「言葉」と「喜怒哀楽の表情」をも奪っている。いや正確には喜と楽だけを奪っている。思うにまかせない苛立ちからくる怒りと哀しみだけが彼を支配しているかのようだ。
奥さんは、昼食前から夜の7時半頃までを病室で付き添う毎日だという。とはいえ妻という認識もまだないらしい。「これからは、いろんな刺激を与えて記憶を取り戻すしかないし、根気よくリハビリするしかないといわれている。だからできるだけ長く付き添ってやりたいし、見舞ってもらった人にもできるだけ話し掛けてもらうようにお願いしている。かまってやる人が少ないほど回復しない病気だということだから。」奥さんの開き直った果ての気丈さと優しさが伝わる。同時に自分が同じような状態になった時の備えを、妻に対して、周囲の知人たちに対してできているか?を問い直させる言葉でもある。
ゴールの見えないマラソンである。どんなゴールかも分からないマラソンである。Yさん自身が最も苦しい闘いを強いられていることは間違いない。同時に奥さんの闘いでもあり、夫婦の闘いでもある。
呼びかけにときおり視線を合わしてくれるものの、覚めた冷たい表情は変わらない。「頑張ってナッ!」麻痺していない左手を握って、そう繰り返すのが精一杯であった。こみあげる哀しさ、やりきれない憂鬱、力になれないむなしさを引きずりながら帰路についた。
5月21日(木) うたかたのホールインワン
「あれ〜ッ!ボールが見えなくなった!」30代後半のベテランキャディーの呟きからドラマは始まった。
舞台は、大社
カントリークラブ美久我コ−ス6番ホールのティーグランドである。クラブハウスのロビーには県別NO1ゴルフコースの紹介がある。島根県の欄には「小金井」「習志野」「広野」の名門クラブと並んで「大社カントリー」のネームが燦然と(?)輝く。確かに手入れの行き届いた素晴らしいコースである。
大仕事を終えた後の慰労を兼ねたプライベートなラウンド。アウトの国引コースを終えて昼食後のインの6ホール目。161ヤードのショートホールである。
オナーであった上司のN取締役の打球はハタ目にも「ナイスショット!」。ピンに向かって一直線に弧を描いた打球は雲ひとつない晴れ渡った空に飲み込まれたかのようだ。ベテランキャディーの目をも眩ませたその1打がまさかの奇跡を予感させる。確かにティーグランドから打ち下ろし気味に見えるグリーンにナイスオンした筈の白球は見当たらない。
パートナーたちのざわめきをよそに、ヒーローは茶店のトイレに。心の動揺を隠すためであったのか?「ひょっとして・・・」の期待感をパートナーたちに悟られないためか?単に尿意に耐えられなかっただけなのか?
ミラクルショットの後に続くパートナーたちのショットは気が抜けたビールのようなものだ。90台前半の実力の二人のティーショットは見事にグリーンを外している。最後はスタート以来、4番打者の座を死守している小生のショット。同伴者の奇跡に敬意を表している前二者を尻目に、こんな時に限っての「ナイスショット」。「のりました!」キャディーの声が続く。確かにグリーン奥に見えている。とはいえ素直に喜べる状況にないことは確かである。(^^;)
カートに乗込むメンバーたち。まさかの時の善後策。「ホールインワン保険は?」「いくらの保険?」誰もが気になる質問を恥知らずな小生が代弁する。「30万の保険」とのこと。(ヨカッタ〜ッ 少しはおこぼれがあるかも・・・。セコイ計算がよぎる。) 続くキャディーの一言。「もし入っていたら、私このホールで4回目です。」(ア〜ァ 余計なことを!『それほどたいしたことじゃないですョッ』ていってるようなもんだ。)
で、カートを真っ先に飛び降りてグリーンを目指す小生。「あわよくば奇跡の第一発見者に」の魂胆。・・・と思いきや。アッタ!!ボールが二つ。しかも二つともグリーン奥のラフ。ホールインワンはうたかたの夢であった。
この後のサエナイ会話は省略。このホールの結果だけを記録に留めよう。『夢の提供者』はさすがにパーセーブ。それ以上にピンそばにつけた小生は他の同伴者共々、結局ボギー。ヤッタ!このホールも4番打者をキープ。(;_;)
5月14日(木) はりつけ・串刺しの刑
それは昨日の昼食から始まった。10年ほど前、人間ドッグで大腸ポリープが見つかった。以来、年に1度の大腸検診。その残酷さは歯医者での歯石撤去工事どころでない。(3月25日の日記
前日昼食からの検査食を皮切りに当日13:30頃
の検査終了に至る25時間余りの苦行である。サラリーマンにとって昼食の楽しみはひとしお。その昼食が何とも味気ない検査食と称するお粥なのだ。こんな日には決まって社員食堂の献立はほんとにおいしそうなメニューなのだ。今回も然り。恨めしさに打ちひしがれた昼食。
検査食夕食版はポタージュスープ。これは許せる。その後が最大の難関”マグコロール 250ml”。要するに下剤飲料なのだ。あの変に甘みをつけたスポーツドリンク風の飲料ほどオドロオドロシイものはない。目をつむって一気に飲み干すつもりが半分ほどで限界。涙が滲み体がわななく。顔を洗い口をゆすぎ体勢を整えて、残った透明液をにらみつける。決意を固めて一気に勝負に出る。ヤッタ、終わった。ドンナモンダ。(これは決して誇張じゃない。体験した者の偽らざる心情。)
さらに「注腸検査の前処置について」は下剤5錠の服用を指示。この後の行動パターンは明白である。トイレの往復。「大便=小便」の方程式。「大は小を兼ねる」の諺。明け方3時の熟睡中の突然の便意。反射的に飛び起きる。”肉体の生理の不思議”に思わず感動。
でもって以降眠れず。当日朝用検査食は再びお粥。せっかくおなかを空っぽにしたのにイイノカナ〜。ここで昨日からの努力の成果を確認。体重計は何と通常値の5kgマイナス。ダイエットはマグコロールに限る
寝不足と空腹の最悪のコンディションに鞭打って診療所に。12:00の予約時間ピッタリ。(この生真面目さが中間管理職を自殺に追いやる・・・とは「日経ビジネス」の最近の記事である。)
まず血圧チェック。「116−60。少し低めも異常なし」。次は点滴、約30分。脱水症状回避の水分補給との解説。ここで脱衣。「下半身は検査用トランクスに穿き替えて下さい。」の指示。というわけで次は・・・ナント「カンチョ〜ッ(浣腸)」なのだ。浣腸と聞いて良い思い出などあるわけがない。『そんな悪いことばっかししてたらカンチョウするヨッ!』幼い頃の親の小言がよみがえる。「穴の空いた方がお尻に来るように。」40才前後の看護婦サンに50才を超えたオジサンがカンチョウしてもらうのだ。SMの世界以外には想像できない現実がここにある。カンチョウ済んだらやることはひとつ。その効用に鞭打たれるばかりである。トイレに駆け込み駄目押しの『止め焼香』。
ようやく本番。看護婦さんから医者にバトンタッチ。「筋肉注射をします。腸の動きを押さえるためです。」最近は個々に解説をしてもらえるようだ。これは納得。注射後、処刑台に。筋肉注射の効果を見計らって「では、管を入れます。」どこに・・・とは言わない。
「バリュームを入れます。」「腸を膨らませるため空気を入れます。」淡々と医者は告げる。再び幼い日の思い出。殿様蛙を処刑した。麦わら棒をお尻から突っ込んでお腹を膨らませるのである。当然ながら極限を超えた時、殿様は処刑される。「膨らみが足りませんのでもう少し空気を入れます。」の医者の声に我に返る。思い出にひたってるバヤイではない。『ナニッ!もっと膨らませる?極限超えたらどうするんだッ。』
この時の受刑者のポーズ。両手で頭上のニギリを掴み、うつ伏せになってお尻に管を突き刺されているというどこかでみたような図柄である。そうだッ!江戸時代の「磔・串刺しの刑」なのだ。
処刑台をゴロゴロ転がりその都度レントゲンのシャッター音。受刑者は一刻も早くこの処刑台から降りることをひたすら願う。執行人の指示に積極的に協力する忠実な子羊となる。本番20分ほどでようやく完了。『終わった〜ッ』「ひとまずトイレにどうぞ。バリュームが出る筈です。」『ハイハイ』
10日余りのブランク後の日記。大作である。やけに力が入ってしまった。決して上品とはいえないテーマであった。これも日常生活の『日記につけとこう』ヒトコマなのだ。ジャンジャン。
5月03日(日) 母の世話焼き・・・怒涛の愛
ゴールデンウィークである。外資系製薬会社の広島支店勤務の息子が帰ってきた。
2ヶ月ほど前、退職をほのめかして両親をうろたえさせた息子である。波乱の幕開けか。父、ことさらさりげなく「会社・・・どうするって?」。息子、「当分続ける」。そばで聞き耳を立てていた筈の母親共々「ホッ」。ひとまず波乱は回避。
でもって本日は息子のパソコン購入につきあうことに。すかさず母親、「私もついて行く」と断固たる口調。息子の車で親子3人神戸ハーバーランド迄の1時間ほどのドライブ。助手席に陣取った父と息子の新旧サラリーマンの会話。母は後部座席から無謀にも割り込みを試みるが、住む世界の違いはいかんともしがたい。あえなく撃沈。
到着後、父と息子はパソコン専門店に。全く興味のない母親
はひとりで百貨店に。息子は大胆にも話題のソニーのバイオノートを。合流後、母は下見しておいた息子のゴルフ用パンツとドレスシャツを惜しげもなく買ってやる。(確か夫のカジュアルシャツは、近くのコープの見切り後プライスで買っていた。)
帰路につく車に。再び母親の断固たる宣言。「帰りは私が助手席に」。狭い車中での息子と並んだポジション。たまに帰郷しても家に居つくことのない息子である。母親にとって久々に息子と会話できる絶好の環境。(息子にとっては逃げも隠れもできない絶体絶命のピンチ。)発車と同時に母親の息もつかせぬおしゃべり攻撃。近所に住む息子の学生時代の友人の話、独身生活の心得、近所の世間話等々とどまるところを知らない。
後部座席の父も時々相づち程度に参加するも、襲ってくる眠気には勝てず。もうろうとした意識のなかで、父親はなぜか「横綱・曙の一気の突き押し」のシーンを思い浮かべながら呟いていた。『母の世話焼き・・・怒涛の愛』
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