明日香亮のつぶやき日記 2004年5月

5月6日(木)かんざき・あさごの小旅行
■ゴールデンウイーク明けの木曜日の休日である。帰省していた息子夫婦は、昨日Uターンしたが、我が家には妻の義父が滞在中である。義母は養護施設に入院中で、義父は岡山の自宅で一人暮らしをしている。そんなことから、盆、正月、ゴールデンウイークの義父の我が家での滞在がここのところ恒例となっている。 妻ともども3人で小旅行に出かけることにした。
 かって上司だった沖さんから、「早期退職後、兵庫県神崎町でエリンギ栽培事業を引継いだ」という連絡をもらってから4年ほどになる。お誘いもあり、ぜひ一度訪ねたいと思いながら、今日に至っている。今回の小旅行は、沖さんの会社を中心にその周辺の探訪とすることにした。
■中国自動車道の福崎インターを降りて国道312号線沿いに10km程北上。播但連絡道路「市川北IC」を超えて2kmほどを右折し、1kmほど行くと右手にそれらしき山小屋風の建物が見えた。自宅を出て1時間余り、株式会社カンザキマッシュに到着した。
 車を降りたゆく手に、久々に見る沖さんの姿があった。エリンギ産直販売所を兼ねた事務所に案内される。奥さんのコーヒーサービスを受けながら、近況を聞く。様々な苦労はあったようだが、地域のスーパーマーケットチェーン数社との取引もあり、20数名の従業員を抱え、ようやく軌道に乗ったとのこと。
 この後、エリンギの栽培、加工の現場を見学。3棟の建物内で培養、芽だし、育成、商品加工の順に商品化されていく。ボトル容器から丸々太ったエリンギが育成室一杯に顔を出している様は圧巻である。お土産用にエリンギの佃煮を購入したところ、これに倍する生のエリンギの袋詰めを頂いた。
 沖さんの、大自然に包まれた播磨の山中での家族ぐるみでの新たな生活の一端を垣間見た。表面的には窺い知れない苦労もあると思うが、自分なりの納得の中で、自然とともに過ごせる第二の人生を少なからず羨望の思いで眺めた。
11時過ぎ、沖さんに別れを告げ、国道312号線を北上。昼食を、近頃人気の出てきた「道の駅」のレストランでとる予定だ
 途中、播但連絡道路「生野北第2IC」を過ぎた右手に、茅葺屋根の風情のある民家風の建物がある。おかきの老舗「播磨屋本店」である。早速、寄り道。囲炉裏端で軽食が味わえる母屋に隣接して水車小屋があり、更に隣の民家ではお土産用のおかきの販売もしている。焼きおにぎり風のおこげおかきに、思わず手が出る。
■播磨屋本店を更に北上すること約5Kmの右手に「道の駅・あさご」がある。
 地元の特産品の販売をメインに、郷土料理を味わえるレストランを併設するなど、「道の駅」は、手軽に楽しめるドライブコースになっている。

 ここ「あさご」でも、鹿肉料理が味わえるとのこと。注文して登場した「鹿づくし定食(1680円)」が右下の料理である。鹿肉の焼肉と刺身が付いている。淡白で臭みのない味わいである。
■「あさご」の駐車場に観光案内看板があった。南方5Kmの帰路途中に「岩屋観音」がある。 鎌倉時代の石仏16体を有しているという。 案内看板に従って国道を左折し、一車線の田舎道をしばらく走るがそれらしき看板が見当たらない。不安になって道端のおばさんに尋ねる。「舗装道路の途切れたところまで車で行って、そこから800m程の山道を歩いたところにある」とのこと。
 辿り着いた山門下の空き地に駐車。見るからに歴史を感じさせる山門には、参拝者用の杖が用意されている。元気ではあるが満90歳の義父には格好の支えになる。山門の先には珍しい屋根付き橋があった。気楽な観光気分で石畳の参道を進む。ところが行けども行けども参道である。800mのなんと長いことか。道端のおばさんの最後の一言の正体を理解した。「お気をつけて」。遂に、義父は途中の岩に腰かけて参拝を断念。かくなる上はせめて一人でもと、遅れがちな妻を後にして進む。
 ようやく境内に辿り着く。ところがここでも最後の難関が待ち受ける。見上げるばかりの急階段が天に向かっている。一瞬あきらめの気分がよぎるが、最後の意地が階段に向かわせる。そして息も絶え絶えにくぐったお堂の回廊の先に見たものは観音堂の額と背後の大岩だった。どこにもご本尊ともいうべき石仏16体は見当たらない。そんなはずはない。これでは何のためのここまでの辛苦か。最後のエネルギーをはたいてお堂周辺を探索。やっぱりない。その時、境内から妻の不安にかられたような呼声が聞こえた。撤収やむなし。そして下山。

■参拝できなかった石仏の不思議を尋ねて、帰宅後、インターネットで「岩屋観音」を検索した。そして朝来町のHPにある岩屋観音の案内サイトで発見した。「毎月18日の例祭には午前中のみ開扉されています。」

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