明日香亮のつぶやき日記 2000年3月
3月5日(日) 本徳寺永代供養
母の死からあっという間に1週間が過ぎた。亀山・本徳寺に母の永代供養のお参りに行った。本徳寺のある「亀山」は、私の郷里「三宅」に隣接している。生家から歩いて数分のところに本徳寺がある。亀山「ご坊」と地元で呼ばれていた本徳寺は、幼い頃の私たちの良き遊び場でもあった。弟夫婦との待合わせの時間に30分ばかり早く着いた。私は、妻と娘と一緒に久々の「ご坊」と対面した。
本徳寺では、平成10年に「蓮如上人500回遠忌法要」が営まれた。大法要に向けて大規模な修復工事を済ませた「ご坊」は見違えるような外観であった。とはいえ、正面玄関にどっしり構えた大手門から本堂を望む風景は、幼い頃の懐かしい面影をとどめている。
境内からの全貌である。左から「茶所」「経堂」「本堂」「大広間」と続く。大広間を囲む内塀の塗り終えたばかりの白さが眩しい。大広間の玄関門は今尚、修復工事中。青い工事用シートが残されている。
本堂正面。左に「蓮如堂」が見える。大広間から本堂に続く回廊である。右に経堂、左に茶所。茶所は両親の仲人だった「茶所のオジイチャン、オバアチャン」の住まいでもあった。子供の頃、弟と二人でしばしば茶所に遊びに行き、時に泊ったりもした記憶が蘇る。鐘付堂である。ここで付かれる大晦日の除夜の鐘は私の住いにも響いていた。鐘付堂脇の池には当時も今も蛙の石造が鎮座している。現在、池の水は干上がっていたが・・・。
10時30分。事務所に来訪を告げ、庫裏の応接に案内される。ほどなく弟夫婦も合流。御連枝(本徳寺の前住職)の応接。母の通夜の席へのお参りのお礼。ひとしきり母の思い出話に花が咲く。母がお世話になり思い出深い本徳寺での永代供養の来意を告げる。先客のお参りがあるとのこと。大広間上段の間の格天井画の見学を薦められる。
大広間。正面が上段の間。この上段の間の天井に85の格子にくぎられた四季折々の花を中心とした画がえがかれている。上左の画像は格天井画の中心をなす蓮の花の部分。右は上段の間の正面左に配された書院である。
大広間から本堂へと回廊が続く。私が幼い頃、子供たちが幼い頃、大法要の度に「お稚児さん」として練り歩いた回廊だ。稚児姿の孫を抱いた母の元気だった頃の写真が残る。本堂で供養を待つ。正面右手にご連枝が着座。読経と焼香。永代供養のお参りを済ませ頂いたのが供養の間、仏前に供えられていたのが上の証書。いわば領収書である。

2月に戻る

4月に進む

ホームページへ