1983.07.07
労組機関紙・挨拶
オジン世代のメッセージ 独断的「胸キュン」考

▼未知との遭遇
新入社員たちを前にして、いつのまにか自分が、彼女たちの倍以上の年齢になっていることを思い知らされて、愕然としてしまいます。
私たちから見れば「宇宙人」のように見える彼女たちにとって、いくら若づくりを気取ってみても、私はまぎれもなく「オジン」にちがいありません。
世の中の変化のスピードは、時として世代間のコミュニケーションを一層困難なものにしてしまいます。
アチコチのBGMから「YMO」なるグループが、「胸キュン、キュン」と繰り返し語りかけるに及んで、私の「宇宙人」たちへの理解の限界を痛感させられたりします。
▼ 「胸キュン」は感動?女の子アニメ
それでも気を取り直して若者たちの気持ちについて考えてみました。
オジンくさいとバカにされそうな気持ちにくじけず、あえて「胸キュン」を解釈しました。
それは(私のカンでは)若者たちが何かに感動したり、感動を求めたりする気持の表われにちがいありません。
▼ 感動提案の不在
結成14年目を迎えて、労働組合の結成当初の感動は、年々風化しています。
とりわけ若い世代のシラケは、無視できないまでに深まっていると思います。
感動を求めているにちがいない若者たちに、感動を提案できない組合の現状こそ問題なのでしょう。
▼ 労組の多品種少量販売
「単品量販」のチェーンストアが、消費者ニーズの多様化の前にっ転換を余儀なくされたように、多数決原理の故に、画一性を基本とする組合運営さえも、根本的な見直しが求められています。
チェーンストアが「多品種少量販売」「生活提案」に新たな活路を見出そうとしているように、
幅広い世代と多様な層から成る労働組合も、それぞれの意識やニーズに沿った様々の活動提案が必要です。
▼ 「宇宙人」たちの提案は?
労働条件の改善という共通の目的はあったとしても、労働組合はもともと多様な個性の集合体です。
基礎的な労働条件が一応整備された今、組合員全員に共通した要求やニーズ、あるいは感動を求めること自体が無理な話なのでしょう
新たな方針づくりが始まりました。
独断的「胸キュン」解釈にこだわれば、若い世代の感動をどのように織り込めるかが問われています。
「宇宙人」たちの大胆で斬新な活動提案が、「オジン」たちの画一的で固定的な組合イメージを、どこまで打ち破ってくれるでしょうか。

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