1984.01.24
労組機関紙・新年挨拶

「矢切りの渡し」の船着場
「おしん、家康、隆の里」に代表された昭和58年「我慢の年」がようやく幕を閉じました。思えば暗い1年だったという気がします。
国際的には、緊張が高まった年でした。各国でタカ派政権が誕生し、旅客機撃墜事件があったり、各地で政治テロが横行しました。
国内でも不況が続き、史上最低の賃上げ率で春闘は終わりました。街を歩くと、期待された(?)ミニスカートは影をひそめ、若者たちは黒ねずみルックで決めてしまい、街を一層暗くさせていました。
チェーンストア業界では、ちょうど1年前、ニチイ・ユニー合併のニュースが駆け巡り、どこを向いても冬景色という最悪のスタートでした。
大晦日の『国民的行事』を、めでたく「矢切りの渡し」で締めくくった日本の新年は、一体どこの船着場に向かっているのでしょうか。

我慢の土から覗かせた芽
開けて元旦。一週間分ほどの分厚い朝刊を埋め尽くしたのは、ニューメディア時代の国民生活のバラ色の未来でした。エコノミストたちの昭和59年の経済予測も、概して良好なものです。
チェーンストア業界の永かった”冬の時代”にも薄日がさしてきた観があります。各社それぞれに「我慢の哲学」による体質改善がようやく実を結びつつある一方、新たな時代への対応に向けて、様々な試みが始まりました。

労組はジリ貧?
ところでこうした「行く年、来る年」の流れの中で、労働組合には何が求められているのでしょうか。
一月初めの朝日新聞は、次のような見出しで労働組合の状況を指摘しています。『赤旗、労働歌はネクラの象徴か』『企業意識の高まりのなかで労組はジリ貧』
確かに、時代の変化や、組合員意識の変化に対応しきれないでいる労働組合の現状は否定できません。

「猫型社会」への移行か
昨年暮にミュージカル「キャッツ」が大ヒットしました。アノ中曽根さんまで若者受けを狙って?鑑賞したほどです。このヒットは、「日本人が、犬のように群れをなして忠実に働く”犬型”を脱して、お互いつかず離れず、やんわりと個を主張する”猫型”社会に移行する前兆」ともいわれているそうです。
「キャッツ」たちは、「我慢の哲学」のもとで、その限界と飛躍を、覚めた眼差しで見つめているのでしょうか。
労働組合も、ネアカの組合をめざして様々の試みが必要です。同時に、明るさの見えてきた経営環境のもとで、確かな未来と納得できる現在についての労使の突っ込んだ論議が必要です。

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