ツワモノたちの夕べ
1998年6月  リタイヤを迎えた寅年生まれの親分衆
■年に1度この時期に大手チェーンストア労組の元委員長たちの集いがある。概ね箱根界隈のホテルが会場となる。今年も16日の夕食懇親を中心とした湯元温泉での案内。午前中の会議を終えて新幹線経由で会場に。
■午後6時、懇親会が始まった。今年も30名のOBたちが集まった。乾杯の音頭を指名されたのはJ労組の元委員長のK氏。冗談好きの快活ないつもの調子と様子が違う。「昨年10月にこの会のメンバーだったOさんが肺癌で亡くなりました。乾杯でなくOさんへの献杯と1分間の黙祷で開会したいと思います。」 Oさんは、ずっと以前にD社に合併されたS社の初代委員長である。まだ60才前後だったはず。黙祷のあとK氏から亡くなる前後の経過報告。K氏とOさんの単なる友人の枠を超えた結びつきの深さがいくつかのエピソードを通して伝わる。
■献杯の後の懇親、そして出席OBたちの近況報告と続く。とはいえ時間の経過とともにアルコール度数は高まる一方。報告者は、自由懇親というざわめきがメインとなった会場に立ち向かうことになる。結果はよほどのインパクトがない限り、概ね手応えのないむなしさとともに報告終了。
■今年のトピックスは何と言っても、昭和13年寅年生れの親分衆たちが定年退職を迎えたことだ。その数ざっと5〜6人。一大勢力である。チェーンストア労組の創業期を20代、30代の若さで支えたツワモノたちである。彼らの多くは、委員長退任後の企業社会でも活躍めざましい。そんな彼らが第一線を退く時期を迎えようとしている。他人事ではない。
■宴席のピークを過ぎた頃「中締め」と称するお開きの儀式となる。「イヨーッ」「シャン」の一本締め。
そして恒例の記念写真。頭の輝きとフラッシュの輝きの相関がひとしきり大騒ぎのネタになるのも恒例行事である。記念写真に写された顔ぶれが少しずつ変わっていき、静かに着実に世代交代は進んでいく。
2002年10月  二枚の写真が写す9年の星霜
■年に1度、大手チェーンストア労組の元委員長たちと現役の懇談会「チェーン労組(OB・現役)懇談会」がある。いつから始まったのかは定かでない。17年前の1985年の開催が私が確認できる最初の記録である。かれこれ20年前後の歴史を重ねていると思われる。そして今年もその季節が訪れ、50名前後のオヤジ達が伊東温泉「ホテル・サンハトヤ」に群れあった。
■18:00、懇親会が始まった。幹事労組の委員長が開会挨拶。ちなみに幹事は、参加労組の2労組による持ち回りである。参加は約20労組だが、企業の清算、再編、統合で年々減少しているというのが現実である。
今年も29名のOB達が集まった。最長老はD労組初代委員長M氏である。なんと御年78歳とのこと。OB達の何人かは、労組OBどころかサラリーマンOBとなっている。そして私も含めて多くのOB達のサラリーマンOBへのカウントダウンも始まっている。
■乾杯の後のしばしの懇親。現役時代に親交の深かった仲間をはじめ、各自が思い思いに久々の邂逅を楽しむ。ひとしきりの懇親の後、各労組ごとのOB中心の近況報告が始まる。
私の今回の報告の中心は、フィリピンで新たな生活を開始したSさんの近況。親交のあったと思われるOBの皆さんにSさんへのメールを依頼した。
■「宴たけなわでありますがここで中締めと致します」の挨拶を合図に、恒例の記念写真となる。世話役の現役労組幹部を含め、40数名の酔っ払いたち相手の撮影である。我がまま放題の酔客の一向に納まらない喧騒を宥めながら一瞬の静止がシャッターチャンス。それでも満面の笑顔が、無事カメラにおさめられている。
■私の手元には今回分を含め6枚のオヤジ軍団の記念写真が残されている。毎回40名前後の赤ら顔が勢揃い
したその様は、なんとも圧巻であり、不気味ですらある。
最も古い1993年の写真と2002年の今年の写真を見比べてみた。くしくもこの9年間のチェーンストア業界は、逆風とリストラと再編が逆巻く環境だった。2枚の写真から窺える各自の風貌の変化は、オヤジ達が刻んだ決して平坦ではなかった筈の星霜の重みを、見事に写し出しているかのようだ。
2004年12月  会運営の構造改革?
■今年もチェーン労組のOB・現役懇談会がやってきた。今年は、Mユニオンと我がI労組が幹事組合とのこと。昨年は所用があって欠席したが、今回ばかりはなんとしても出席しよう。会場も京都の奥座敷・亀岡の湯の花温泉である。
■京都駅経由で山陰本線亀岡駅に降り立つ。改札口で合流したT労組の面々と旅館の送迎バスに乗り込む。10数分で会場の「松園荘」に到着。玄関前に整列した仲居さんたちの出迎えが老舗旅館の行き届いたサービスを期待させる。
■午後6時、懇親会が始まる。突然、司会者から従来にない意表を突いた案内がある。開宴に先立って記念写真を撮りたいということだ。従来の閉宴後の記念撮影時の混乱は誰しもが認めるところ。それを回避するための秘策の発動に、脛に傷持つ先輩諸氏に文句はない。
 記念写真を終え、幹事役のMユニオン委員長の開会挨拶。この間の過酷な環境からようやく脱した安堵の思いが吐露される。続いて、同じMユニオンOBで上部組織の大幹部でもあるO氏の音頭で乾杯。この会には初参加というO氏は、私にとっても同世代の同じ関西地区での共闘組織の仲間であり、懐かしい顔である。
■乾杯の後は、例のごとく無礼講。ひたすら飲み、食い、語り合う。席を移し、おもいおもいに旧交を温める。宴のピークを迎える頃、いつもならOBを中心に参加者の近況報告となる。ところが、今回はここでも異変が起こる。近況報告がないまま一気に中締めを迎えてしまったのだ。酔客相手の酔客による、近況報告という名の独白(ひとりごと)を回避しようという幹事の、大胆で思いやりのある構造改革に乾杯! 
■明けて二日目。参加者はゴルフ組と観光組に分かれての懇親会第二部に出発。
 朝の早いゴルフ組を見送り、観光組参加の12名は、9時過ぎに用意された観光バスで「松園荘」を出発。仲居さんたちが、玄関前で勢揃し、寒風の中での見送り。
最初のメニューは、同じ亀岡市内の酒蔵見学である。十数分で稗田野神社横の「大石酒造」に到着。
 丹波の地酒「翁鶴」の新酒の利き酒の後は、2階の展示館で酒造りのイロハを聞いたり、酒蔵を見学したり、お土産の地酒を求めたり。
■酒蔵を出発して嵯峨野トロッコ列車「亀岡駅」に向う。小さな「亀岡駅」は、老若男女のアジア系外国人で埋め尽くされていた。耳に入る中国語が団体の正体を教えてくれる。躍進する中国の影がこんなところにも及んでいる。
 ほどなくトロッコ列車が到着。全席座席指定である。嵐山駅までのわずか23分の乗車ではあるが、車窓に展開される初冬の保津峡の眺めは圧巻である。途中、保津川下りの二艘の船を遠望する。
■嵐山駅を下車するとそこはもう「嵯峨野」である。駅のそばの大河内伝次郎の別荘だった「大河内山荘」を過ぎると見事な竹林が広がる。散策用の小道の両脇を覆う柴垣が郷愁を誘う。
 寺院の伽藍や観光用の土産物店、飲食店が建ち並ぶ嵯峨野の風情を眺めながら渡月橋のたもとまで散策する。ここでいったん解散し、1時間ほどのフリータイムとなる。
■渡月橋を渡った後、引き返して保津川沿いに西に向う。突き当りを右に折れた所で「嵐山羅漢」を目にする。
更に進むと天竜寺の境内に至る。明治期に再建されたという七堂伽藍の威容が次々に目に飛び込む。本堂と庭園を参拝する。大方丈の縁側から夢窓国師の作と言われる庭園を眺める。日本人の心に響く絶景である。
 天竜寺の正門を南に下った所に「美空ひばり館」がある。ショッピングフロアには、いかにも「ひばりファン」好みと思われる商品が並べられ、中年のオバサンたちが目を輝かせている。
■集合場所に戻る。昨晩、記念写真を撮ったといえ、観光組の集合写真はない。幸い私の手元にデジカメがある。現役の幹事に提案して渡月橋を借景に12名の記念写真を撮った。(現像・郵送までは手が回らないのでメールアドレスをお聞きし、送信することにした)
■昼食は南禅寺門前の「ゆどうふ料理の順正」とのこと。
 京都の格式のある民家といった風情の「順正」の門をくぐると、見事な日本庭園が迎えてくれる。正面の書院を取り巻く玉砂利の小道を奥に進み、小さな石橋を渡った所に建てられた屋敷に入る。小部屋に区切られた座敷に寛ぐ。
■幹事組合のOBということで乾杯の挨拶を仰せつかった。とはいえ参加のOBの皆さんは全員私より年配である。飲むほどに、食べるほどにOB諸氏の口は滑らかになる。話題がいつか労組結成期の苦労話や武勇伝に及ぶ。OB仲間では語りつくされたネタかもしれないが、「現役メンバーには新鮮な内容だった」とはヨイショ半分の現役陣からの感想だった。
 それにしても美味しいゆどうふだった。かって味わったことのないまろやかな舌触りと薬味の利いたタレとの絶妙のコンビネーションが、何度もお代わりを促し、瞬く間に土鍋を空にする。
■年に1度の邂逅である。チェーンストア業界で、相次いで労組結成に関わり、手探りの中で相互に交流を深めあったかってのツワモノたちも現役を退き、多くはサラリーマン人生をも終えている。そして何人かの仲間は既に鬼籍に入っている。
 「この会での再会を、何よりも楽しみに健康に努めている。」 大病を患った後のあるOBのこの感想は、OBたちに共通の心境だろう。