<第3話> 文明と文化 (栄枯盛衰、生者必滅)
Return、Resistance、Regret、Restructuring、Reset、Resume
科学技術の急速な進歩により現代文明も加速的な発展をみた訳であるが、残念なことに
それをコントロールする文化(精神的基盤)の醸成が追いつかず、自然界からの反撃に遭い
今、当に衰亡の危機に瀕していると云えます。
これまでの環境破壊を悔い復古主義に走るのか、新たな文化の構築で乗り切るのか、
地球の治癒力に任せ、指を咥えたまま種(しゅ)のリセットを受けるのか!?はたまた・・・
美裏村では、文化に裏打ちされた確かな要素技術の積み上げによって「新技術」を
開発するようにして来た。現代文明を救う為に必要な「Reの文化」は「Reの心」の
伝承に他ならない。
文明とは何か、文化とは何か、についてはさまざまな定義がありま
す。
これらの概念の定義を統一しないことには、お互いに思ったこ
とが伝わらない、コミュニケーションが取れない
と思います。 また、現代の抱えるさまざまな問題を解決するための思考装置とし
て文化と文明を使おうという
のが私の意図です。 ですから、繰り返しになるかもしれませんが、文化は個々人の心
(意識と無意識)であり、
文明は人間を取り巻く環境(自然環境、 建築環境、社会環境)です。
ひとりひとりの人間は個別に意識形成
するのに、その集合体として 文明というものが、アイデンティティーをもったひとつの生命体の
ように存在して
いる。ここに文明というものの不思議さがあります。
文明と文化(個々人の心)の不思議な相互関係があります。
文化を民族のアイデンティティーだとする意見がありますが、ここ
のところは、Nation(国家であり国民である)
という概念の怪しさ をまず押さえておく必要があります。
文化的な一体性をもった人々が国民というものにまと
まったわけで はありません。 近代国家が生まれて、その領土内にいる人たちに運命共同体を意識
するため
に国民という概念が用いられた(「想像の共同体」)ので
す。言語だって、もともとばらばらだったのを、国語統
一運動によ って、無理やり統一したのです。
面白いのは、国家と生息環境がダブる国民のことはネイションと
呼 ぶのに、国内で少数民族が分離要求すると、彼らはエスニック・グ
ループと呼ばれ、けっしてナショナルム
ーブメントとは呼ばれませ ん。国家と表裏一体の場合にだけ国民(nation)となれるのです。
文化は、個人の心
に着床し根付かなければ文化たりえません。
文明は、衰亡すると文化創造力を失います。
「人類よ焦ることなかれ!・・しかし時間はもう余り無い!?」
司馬遼太郎という作家がいる。彼の「文明」と「文化」の定義は明確である。
「人間は群れてしか生存できない。その集団を支えているるものが,文化と文明である。いずれもくらしを
秩序づけ,かつ安らがせている。文明とは『たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの』
をさすのに対し,文化はむしろ不条理なものであり,特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊
なもので。他には及ぼしがたい。つまりは普遍的でない。」