目についたことば

岡島昭浩
97.8.1-12
 留守にしておりました。モデムを持っていったのですが、接続がどうもうまく行きませんでした。「浴客」のアンケートはまだ集計しておりませんが、いろんな方に答えていただき嬉しかったです。「浴場」というのも使えれば、琵琶湖でも「水泳場」ではなく「琵琶湖浴場」と呼べて便利そうですが、「琵琶湖温泉・ホテル某」が強烈なコマーシャルソングで名を売っているのでやっぱり駄目でしょうか。

【吹殻】
 つい先日までずっとこの「吹殻」というのは、「吸殻」の誤記だと思ってきた。これを目にしたのは、九州大学の生協購買部や農学部食堂の建物に有ったトイレに於いてである。もう十数年まえのことだ。〈吹殻を捨てるな〉というようなことが書いてあり、「吹」という文字の横には別の人のものと思われる筆跡で「? スイ?」というように書いてあった。
 「吸」と「吹」は形が何となく似ているし、「吹」は音が「スイ」なので(「吹聴」を「フイチョウ」と読むことについては今回は触れず)、スイガラを「吹殻」と誤記することは如何にもありそうなことだと思ったわけだ。
 ところが、落語「百年目」の中で「フキガラ」といっていたので我が不明を恥じた。『日本国語大辞典』で引くと、江戸時代の例が挙っている。考えてみれば、煙草は「すう」ものだが、「ふかす」ものでもある。でも「のみがら」といのはなさそうだ。(後日

 そういえば、九州から戻る道で見かけた看板に「アスファルトガラ買います」(「引き取ります」だったかも)というのがあった。「石炭ガラ」というのがあるから、アスファルトを燃やした後なのかな。それとも使用後なのか。

 しかし、運転する時はメモを取れないのがつらい。車窓に面白いものが書いてあるのを見付けたり、ラジオで面白いことをいっていたりするのだが、メモを取れないのですぐ忘れてしまう。車を止めた時に鉛筆と紙を取り出しても思い出せないことがある。思い出せても前後の細かい部分は思い出せることは少ない。デジタルカメラなどを当てずっぽうで向けてシャッターを押したりするが、思い出す為の手がかりとなるぐらいで、【空高注意】ほどきれいに写るのは稀である。あれは以前から気にしていて、いずれカメラに収めようと思っていたから出来たのであって、咄嗟では難しい。
 同乗者に話し掛けて記憶に留める、という手もあるが、話し掛けにくいこともある。なかなか難しいものである。


97.8.13
【法面】
 九州への帰省だが、行きは山陽道を使ってみた。加古川と姫路の間がまだ出来ていないので(今年度中に出来るらしいのだが)、途中まで中国道で行き、姫路から山陽道に入った。中国道に比べるとアップダウンが少ない。しかしどの道も帰省ラッシュの前ということで整備しているせいか、やたら工事中が目だった。
 「気になることば」の「道路がコミュニケーション?」にあった、「音のでる舗装」の三三七拍子は、中国道の終点付近、関門橋の直前にあった。説明書は見当らなかった。また、上りでも関門橋の直前にこれがあった。
 帰路は、高速道路を小郡で降り、一般道(「ジミチ」と呼んでいますが)を行くことにした。国道九号線。島根県では屋根が赤いのが目についた。鳥取県で一泊。古本屋に寄ったり、地方新聞を買ったりしたいのだが、妻子が居るので我慢。「道の駅」などというところの売店にはどうして新聞が売ってないんだろう。

 さて、九号線を外れてから兵庫か京都のどこかで目にしたのだと思うのだが、「法面」という表記があった。おやっと思ったが、それだけ。しかし、今日のニュースで「ノリメン」ということばが耳に飛込んできて「法面」を思い出した。これだ。ニュースでは高速道路の「ノリメン」に亀裂が入っているのが見つかったと行っていたが、山を切開いて作った道の縦の面を「ノリ」というのであろう。見かけた「法面」もそんな感じの使い方だった。

「ノリメン」知ってるよ。
「ジミチ」使ってるよ。

97.8.14
 甲子園。福岡工大附属のユニフォーム「Koudai」のようなローマ字は、何式と呼べばよいだろうか。「現代仮名遣い志向ローマ字」「現代仮名遣い対応ローマ字」? いや「ワープロ式」「FEP式」「IME式」?

【かみてぼ】
 先日、『クイズ赤恥青恥』という番組を見ていて、金魚すくいに使う道具を何と称するか、という問題を目にした時、「かみてぼ」という言葉が浮かんできた。正解は「ポイキャッチ」あるいは「ポイ」ということであったが、これは今まで聞いたことがなかった(「ポイ」は1997.8.12の20:00-のNHK総合TVでも出てきた。)。
 私自身は「てぼ」という言葉が何を意味するのか思い出せなかったけれども、「かみてぼ」が出てきたのだ。多分私の個人言語ではなく、これまでに耳にしたことがある言葉なのだろう。調べてみると「てぼ」は、ザルやビクの意味で九州など西日本に分布している。だれかの個人言語、あるいは臨時一語を受け継いでいるだけかも知れない。

 「かみたも」という言葉も後になって浮かんできたが、どうもこれはわざとらしい、というか人工語的な感じがする。「たも」は魚をすくう網である。


97.8.15-16
 この度の九州滞在で、平和台球場が取壊されるということを知った。鴻臚館の遺跡を本格的に発掘するのだろうか。それにしても福岡の町はどんどん変っている。「新しい」という印象だった西日本新聞の大丸ビル(西日本新聞ビルの大丸?)や天神地下街・天神コアが古びて見える。福ビル・岩田屋にいたってはセピア色だ。

【ふざけとう】
 福岡で「海の中道海浜公園」とかいう所に子供を連れて行った時、若者が「あいつ、ふざけとうけん」と言っているのが聞えた。この言い方はとても懐かしい思いがした。
 この「ふざけとう」は〈ふざけている〉というよりも〈生意気だ〉とかいう感じである。「ふざけんじゃねえよ」とか「ふざけた話だ」の「ふざける」と意味は近いのだが、「あいつ、ふざけてるから」とは言えないように思う。
 「横着」(オーチャッカ・オーチャクイ)というのも〈生意気〉というような意味だが、この「横着」も、〈怠け者だ・手抜きだ〉という意味で使うことが多い地方と、〈生意気だ〉という意味で使うことが多い地方がありそうである。


97.8.17-20
【個々】
 研究会の合宿が、「九州地区国立大学九重共同研修所」という所で毎夏開かれている。「クジュウ合宿」と呼んでいる。研修所は大分県玖珠郡九重町にあるのだが、町名は「ココノエ町」、「クジュウ町」は「久住町」である。しかし「九重」を「クジュウ」と読むことも勿論あって、このあたりの総称としては「九重」「久住」のいずれにも決められなかったから「くじう」というのが使われていたはずだ。しかし阿蘇国立公園が改称する際に、「阿蘇くじゅう国立公園」と現代仮名遣いになったのは、国立公園名も公用文だからか。官報にも載るだろうし。ちなみに歴史的仮名遣いではともに「くぢゆう」である。「玖珠」のクスは「くぢゅう」とは関係ない地名なのだろうか。

 この九重研修所はすぐ近くに地熱発電所がある。湯気モクモクであるが、原発とは違って近くにいても気にならない。もし何かあってもそれは火山のというか地球の所為なのだから仕方なかろう。こうした発電所がもっと沢山あってよさそうに思うのだが。佐藤さんの風力発電や太陽光発電、子供の頃に読んだ海水発電なんて今でも開発が進んでいるのだろうか。「文化生活を送る為には原子力発電が必要です」というような話を聞くと、九重の地熱発電所を思い出すのである。ついでに言えば「起るはずのない事故が起ってしまった」というようなコメントを聞くと「日本ではチェルノブイリの様な事故は起り得ません」という言い方を思い出す(逆もある)。

 さて、この九重合宿でのある人の配布資料に「個ゞ」という表記があった。「個々」の意味で「コゴ」と読むのであろう。私はこれを「ココ」と読むのであるが、以前からこれを「コゴ」と読む人がいるのが気になっていた。
 並列の場合、後が濁る理由ははっきりしないが、「人々(ヒトビト)」「端々(ハシバシ)」「先々(さきざき)」のように濁ることはある。
 「個々」と同じ様な意味をもつ「一つ一つ」「一人一人」も、私は「ひとつひとつ」「ひとりひとり」と読むが、これも「ひとつびとつ」「ひとりびとり」と読む人がある。gooなどで検索してもいくつかひっかかる。日本語学者の亀井孝氏などもそう書いていたと記憶する。「個々」は漢字に埋れてしまうだけに連濁するか否かは分りにくいわけだが。

みなさんはどうです?

ココしか知らない
自分はココだがコゴも知っている
自分はコゴだがココも知っている
コゴしか知らない

ご出身
北海道
東北
関東
中部
近畿
中国
四国
九州
これを読んで頂いていたら是非上のボタンを押してください。
張合いがでます。答えは二のつぎです。
(Netscape以外の方は済みません。)

97.8.21
 新聞を見ていると、手紙の公開って受取人がOKすれば掲載可、ということでやっているようだが、差出人の許可も必要なのではなかろうか。「公開謝罪状」ということではなかろうに。
 それと、手紙の公開で、怪我をした子供の姓が示された放送局も有ったのでちょっとびっくりした。

【古豪】
 新聞・放送で高校野球の京都の平安高校などは「古豪」と呼ばれるが、この「古豪」という言葉、高校野球界以外ではあまり見かけないような気がする。せいぜいアマチュアスポーツ、あるいはアマチュアのコンクール関係でも使われるかもしれないが、それ以外の世界では使われなさそうだ。例えば「古豪タイガース」とか「古豪パンナム」「古豪にしきのあきら」とかは言いそうにない。
 高校野球の場合を見ると、「古豪」は「伝統校」とは意味が違う。〈伝統がある〉という他に、「古豪」の場合は、〈最近は強くないが〉という意味があるようである。「古豪」といえば必ずといっていいほど「復活」という言葉があとに続く。

 語史的に見ると「古豪」は古くない。『日本国語大辞典』に用例はなく、ざっと見ると『明解国語辞典』の改訂版に立項されるのが古いところである。
 古い新聞のスポーツ欄を中心に見て行けば用例が見つかるのではないかと思って見てみると、福井大学図書館ではいちばん古い昭和13年8月の朝日新聞ですぐに見つかった。陸上競技の記事であった。〈ベテラン〉という感じの意味合いか。〈最近は弱い〉という意味はなさそうだ。


97.8.22-26
【地道・下道】
 一般道のことを「地道」と呼ぶのは、高い金を払わずに、また駆足で通り過ぎずに地道にやる、という感じが表われていて、結構すきなのですが、「下道」というのも「ひたみち」な感じがあっていいですね。「地道」は未舗装道の意味もあるようですが(『三省堂国語辞典』)、「下道」は多義ではなさそうですね。

【のみがら】
 先日、「吹殻」で触れて、「なさそうだ」と書いた「のみがら」であるが、あるというご教示を佐藤さんから頂いた。漱石の「一夜」である。CD-romの『新潮文庫 明治の文豪』に入っているのだが、この『明治の文豪』には、一部テキストファイルが入れられている。これは有り難かったが、『大正の文豪』ではそれはなかった。*.ebkファイルを無理やりエディタに放り込んで、前の方と後の方を消せば、テキストファイルもどきが作れるのだが、制御文字をちゃんと取除いておかないと検索をファイルの途中でやめることがあるし、取除きすぎるとJIS外の字を使っている所が分らなくなってしまうのである。『新潮の百冊』では、本文が別の所に収められていたのだが、これを解読するソフトがNIFTYのfbungakuにあった。(柴田さんのサイトにも置いてあります。
 しかしこれらのファイルの検索をちゃんと出来るように環境を整えたいのだが、現有のものでは難しそうだ。古い98ノートは拡張が困難だし、Macは便利なんだけど、Vz-editorを常駐させたMS-DOSが一番使い慣れている。DOSはgrep類が多彩だし。私もWindowsはいらない、DOSでよい、と思っているのだが、ディスク容量だけは沢山欲しい。だからINTERTOPとかでは駄目なのだ。


97.8.27-30
【せんぺい】
 財布の中を整理していたら、福岡で買ったおみやげのレシートに「ニワカセンベイ」と書いてあった。正しくは「ニワカセンペイ」と半濁音でないといけない。「二○加煎餅」なのだが、ルビが打ってある。
 早田輝洋『博多方言のアクセント・形態論』(九州大学出版会1985.4.25)の「福岡・博多地区名詞アクセント語彙表」p166で、古い世代はセンペ−だが、若い層は、商標名のみセンペーで、一般にはセンベーとしている。福岡県のあちこちで育った私もほぼ同様で、商品名としては、博多で売られている「にわかせんぺい」の他に、おそらく長崎佐世保の「九十九島(くじゅうくしま)せんぺい」などが思い出される。コマーシャルソングで覚えているのだ(どちらも「センペー」ではなく「センペイ」と歌っていた)。なおこれらは醤油味のもの(あられの巨大なもの)ではなく、甘い方の、いわゆる瓦煎餅である。
 なお、熊本出身の妻は「センペー」を使っている。
 江戸末期の九州方言(長崎が主)を記録したと思われる『筑紫方言』にも、
煎餅 せんぺい
とある。

 芳賀綏『失語の時代』教育出版(1976.1.20)p87「清濁日本地図」には、センペイではないが、

飛んで九州へ行くと、よそで濁るところを、清んで言う例が目立つ。「ナカシマさんがジンシャに行きよるごとあったが」は「中島さんが神社に……」の意味だ。「看板」がカンパンと半濁音になるのも、九州、とくにその北部に強い濁音回避傾向の現れだろう。
とある。

 ジャンパーのことをジャンバーという人は全国的に多いと思うが、これはオーバーからの連想か。
「おもんぱかる」を「おもんばかる」と言うことがあるが、これは「おもんぱかる」は口頭語ではないので、音声的変種ではなく誤読によるものとも考え得る。一方、パピプペポが〈俗な音〉〈外来的な音〉という意識もあるために、古語的で和語らしいな「おもんぱかる」にパピプペポが含まれることを避けたかとも考えられる。「何人」が「なんぴと」でなく「なんびと」と読まれるのも似たものだ。
 話を膨らまして行けば、「連濁」と「連半濁?」、「半濁」とは何ぞや、といった問題にまで発展する。これ、ずっと関心を持っていることなのだけども、ちょっと大変。


97.8.31
【拗音の小書き、その後】
【拗音促音の小さな字】【拗音「やゆよ」促音「つ」の小がきの仕方・その後】と気にしてきたこの問題であるが、『国語表記実務必携』(ぎょうせい)という本に「法令における拗音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について(通知)」というのが載っていた。昭和63年7月20日に内閣法制局長官総務室から内閣総理大臣官房総務課あてに出されたものである。法律の表記においても拗音を小書きにしようというもので、この頃になってやっとか、と思わせられる。さてその中に、
(4)小書きにした「や、ゆ、よ、つ」は、タイプ又は印刷の配字の上では一文字分として取り扱うものとし、(注)に示すように、上下の中心に置き、右端を上下の字の線にそろえる。拗音注(1935bytes)
とある。光村図書の国語教科書などに見える〈右上四分の一〉とは全く違うものだ。手書きと「タイプ又は印刷」という違いは有るが、どうも〈右上四分の一〉の根拠の無さが思われる。
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