当時の日本人にはソーホーシスコとしか聞えなかったので、桑方西斯哥港と六文字の漢字で発音どおりに音訳した。などと書いてある。
「悪魔ちゃん騒動」のさなか、あるテレビ番組で新島襄をとりあげていた。といい、それを元に書いているようで、ここからもいい加減な本であることが伺えるのだが、
新島の祖母が「しめた」といって、「四五三太」と名づけたのだという。……神前に掛ける「四五三縄(しめなわ)」にちなんでこの文字を使ったといういわれ……で、まず驚かせる。「七五三太」「七五三縄」の間違である。しかしここまでなら、誤植かな、で済む。次の行に行って読者の目を飛出させるのである。
「四五六太」は……「四五六太」は鍵括弧つきで計11回登場する。索引にもそう出ている。
「七五三」が何故「しめ」か、という熟字訓の問題は、今回はお預け。
「香具師」が「やし」なのは何故か、ということが火の車研究日記に書いてある。こういう、熟字訓で漢字の数より仮名の数が少ない、というのは確かに現在はあまり多くないようだ。万葉の頃なら「馬声」イ「蜂音」ブ「石花」セとかいろいろあるのだけれども。「五十嵐」が「イ[ガカ]ラシ」というのは知られていても、「五十」でイというのはあまり一般的ではないし。
(「西瓜」の)西は、麻雀の東南西北(トンナンシャーペイ)の“西”と同じで中国語音のシャーがスイと訛ったものとある。
ところが、「桑港」の『日本語の大疑問』にはもっとすごい説明があった。「唐音のスイ」としたのはご立派。しかし、
日本へは唐の時代に渡来したので唐音のスイカが正しい。などとある。唐音の「唐」は王朝の名ではなく、中国一般を指す名称なのであって、唐音とは、鎌倉時代に曹洞・臨濟によって渡来した中世唐音と、江戸時代に黄檗によって渡来した近世唐音があるのであって、唐の時代の唐音なんてあるものか。漢音も漢の時代ではなく、中国一般の呼び方。
しかし、麻雀で言う「西シャー」という読みも気には成る《出久根達郎『無明の蝶』講談社文庫p145に「西(シヤ)」という用例あり。》。中国でそんなふうに言う地方があるのか、はたまた日本人が勝手に中国語もどきを作ったのか。
実はそういうエセ中国語と言うのは江戸時代からあることはあるのだ。従来の漢字の読みから中国語を推定する訳だが、もちろん嘘も多い。東トウがトンだからというので、唐タンもトンにしてしまったりする。『和唐珍解』にホウトンチンケイなどという読みが付されるが、ちょっと怪しいのである。まぁエセ英語のチュートレールとか、スワルトバートルなんていうのよりはマシですが。
金沢大学の門は、前田家の門である。東京大学の門(赤門)は、前田家の江戸藩邸の門である。すると、東京大学は金沢大学の東京分校ではあるまいか。なかなか面白い話である。そういえば私の出身校は、高校も大学も分校としてスタートしたようである。京都大学の九州分校が出来るについては、福岡と熊本で綱引きがあったようで、『新聞集成明治編年史』の10巻から11巻などを見ても「多分熊本なるべし」とあったのが、「福岡か熊本」となり、結局福岡になったというのがわかる。
アカモン(赤門) 英国製の上等西洋紙、赤い門の商標があった処からいふとある。バリカンの語源がなかなか分らなかったのが、古いバリカンを見せて貰うと、そこに社名としてバリカン&マールという社名が書いてあって、語源がとけた、という話を思い出す。
いてて、指を切っちゃった。というのを聞いて、指が転がっている様子を想像する人は少なく、普通は指の皮に切れ目が入る程度を思い浮べるであろう。そういう意味で「原紙を切る」というのだろう。そこから印刷物をつくることを「切る」というようになったものか。
「レジメ・レジュメ」は〈要旨・summary〉の意味であって、〈プリント・刷物〉の意味ではない、と聞くので、自分の作る〈資料の羅列で全然纏まりがない〉ような印刷物をレジュメと呼ぶのが恥かしくて、何時もなんと呼ぶべきか迷う。プリントというのは小中学生に戻った感じがするし、刷り物では老人語だ。ハンドアウトっていうのはちょっと自分には似合わない。間違ってテイクアウトって言ってしまいそうだし……。まあ、お持ち帰り願う訳だが。
しかし英語・仏語でも刷り物の意味があるのだとも聞く。本当の所はどうなのだろうか。
江口さんの「ベルを打つ」という言い方も要チェック。
「DA・YO・NE」だったか、ラップの歌詞でこう言っているのを聞いて《字幕を読んで、だな》、なるほどね、と思ったのだが、もう定着しているのでしょうか。
電話をかける。
電報を打つ。
というのが伝統的にあるわけだが、ポケベルは電報に近いという訳なのだろう。ただ、方言では「電話を打つ」という所もあるらしい。中国語では「打電話」だが、ポケベルはなんていうのだろうか。
「かける」というのも多義だ。四年ほど前の朝の幼児番組(TBS系?)で「かけるの意味は」とかいう歌があった。
《ポケベルを「打つ」時に、プッシュフォンのボタンを叩いている、ということを忘れていました。1998.11追記》
「福井」も「福」と略される。「福井大学」は一般に「福大」と呼ばれ、福岡大学の略称と同じである。福島大学も多分「福大」なのであろう。
ところが、書類などを見ると、文部省では福井大学を「井大」と略すらしい。福岡大学は私立だから別口かもしれぬが、福島大学は「福大」にしなければ島根大と衝突してしまう。島根大を「根大」にするという逃げもありはするが。
それにしても同表記衝突から逃れられないのは東北大学であろう。東大も北大も別にある。まさか東北大が「北大」で北海道大が「海大」とか「道大」ってことはなかろう。東北大の地元仙台では「東大」と呼び、東京大学を「帝大」と呼んで区別する、ということを、柴田武氏がどこかに書いていたが、今でもそうなのか? 東北を一字で表わす「艮」を使う手もありそうだが、鬼門の様であまり良い字ではなかろう。
地元での呼び方はともかく文部省が何と略しているのか気にはなる。しかし全国立大が「〈漢字一字〉大」になる訳でもなかろう。「〜〜教育大」「〜〜医科大」などは、略しようがあるまい。
大学名はさておき、一字になった漢字をどう読むかも面白い。元の地名の読みに引きずられるか、別の読み方に変るか、である。例えば「博多チョンガー」の略称「博チョン」は「ハカチョン」か「ハクチョン」か、富山を「富」と略した場合、その読みはト? フ? トミ? (岐阜大は「岐大」と略すのでしょうか。その場合読み方はギダイ? キダイ?)《佐藤さんのコメント》
〈別の読み方〉というのも、その漢字の常用の音というわけではなく、地名用の音がある場合もあるようだ。「京」をケイと呼ぶなどそうだろう。東京も京都も「京」と略されるとケイと読まれることが多い。
「来〜」「訪〜」に入る文字も面白い。
《ことば会議室、大学名の略記へ》
山田氏は第一巻の冒頭で、〈「語誌」を標榜しているのに「語史」に過ぎない物が多い〉として、「語誌」たらんことを目指すとしている。この場合の「誌」は〈「史」に通ず〉、というようなものではなく、共時的に書き留めるわけだ。
語源を説くだけで意味が分ったような気になっている人々に対しては、現代での意味を突きつけて、どうだ、と言えるわけであるが、次に気になるのは〈いつごろから意味が変ったのか〉ということである。「語誌」と「語史」は別だといっても、江戸時代の用例が挙げてあればそれ以降の歴史を知りたくなるのが人情である。
意味変化に不快感を示したり、誤用であるといったりする人がいるということの跡づけが欲しい。何時ごろ〈プラスの意味〉が使われるようになったのか。何時ごろ(誰によって)〈おかしい〉と言われ始めたのか。これらが知りたい。こういった関心の持ち方は、新野直哉氏の諸論(“役不足”の「誤用」について『国語学』175など。「何が悲しくて」でも触れた。)に近い。新野氏は新聞・雑誌・漫画を漁り、日本語随筆書を博捜し、近過去のことばの動きを探っている。
山田氏の挙げる用例は殆どが1980年以降のものであるが、ただ一つ1967年の用例、『時代別国語辞典』の推薦文(竹内理三)、
資料の解釈につとめ、文字の解釈にこだわるを軽んずる風潮がというのは、いわゆるプラスの例であろう。結構古い。
芳賀綏『失語の時代』(1976.1.20教育出版)「こだわらぬ発言」は、意味の違いがあるのか、単なる態度の問題なのかわからない。
『月刊ことば』1979-10の「ことばのパトロール」▼カタログ世代の「モノに凝り、モノにこだわる世代」は、「こだわる」に着目したものか。出典は『朝日ジャーナル』8/3号での中部博の発言。
さて、そういった新語辞典のような通俗辞書までもが五十音順となってしまうと、いろは順などはせいぜい“紋様集”とか“町づくし”とかいった趣味的なものだけに見られるようになってしまったように見える。しかし、意外なところに〈いろは〉の残骸が残っているのである。それは〈いろは「順」〉とは呼べないものであるが、国語辞典の見返しなどに見られる〈いろは索引〉である。
い 47 ろ 1078 は 795 に 758 ほ 919 へ 910 と 703 ち 632 り 1066 ぬ 773 る 1073 を 1100 わ 1081 か 163 よ 1048 た 581 れ 1074 そ 565 つ 657 ね 778 な 735…… 《これは『言海』の「いろは索引」です。》 <といったようなもので、五十音順に並べられた項目を、いろはで捜す為の「索引」なのだろうが、これで捜せるわけが無い。一字目の索引は有っても二字目以降の索引などは無い、つまり「はと」を引こうと「は795頁」を開けたは良いが、「はと」を引く為には「は」の項を最初からずっと見て行くしかないのだから。
さて、本の帯のことを「腰巻」と呼ぶのは何時ごろから有るのだろう。私の感じとしては、昔「腰巻大賞」のようなことをやっていたのは『面白半分』か何か、ともかくそのころ(昭和50年代前半)からか、と思っていたのだが、『新明解』初版にあった。昭和47年である。さらに、『日国大』(昭和48年)にもあって、小回りのきかない大型辞書にも載っているのであるから、結構古い言い方なのだろうか。しかし旧『明解国語辞典』(S27)や『三省堂国語辞典』初版(S35)には無いし《2版も》、大型辞典でも戦前の平凡社『大辞典』(S10)に無い。
しかしそもそも本に帯を付けるのはいつから有るのだろう。近代の書誌学を書いた本を調べると載っているのだろうが、今手元にはない。起源的には、新聞などを郵送する際に真ん中あたりにちょいと紙を巻いてそこに住所などを書く、あれ(「帯紙」とか「帯封」というらしいが)であろう。また本を買った際に袋に入れたりカバーをしたりするのでなく、細い紙を巻きつけて輪ゴムで止めたりすることがあったが、そんな物が起源なのだろう。
今本棚を見渡してみると、昭和十年代の文庫本に帯付きの物があるようだ。あと、古本屋の目録などを見て行けばいろいろ分るかもしれないが大変だ。
ピチッと止めてあると「帯」と呼ぶにふさわしいが、挟み込んであるだけではどこか外れそうで不安感がある。また中央部にあるのであれば「帯」と呼ぶにふさわしいが、帯広告は本の下部にある。
こうした所から「腰巻」の名が出たのであろうか。この場合の「腰巻」は古語辞典などに載っているようなものではなく、婦人が着物の下に付けていたあれであろう。そうすると、パラフィン紙の下に巻いてある物が最も腰巻らしいと言えそうではある。透けて見えるのは違うが。
車が道を曲る時に突き出される矢印の形をしたアポロ方向指示器にも、豆電球が内部におさめられていて、夜間に赤く光る。現在のものとはどうやら形が違いそうだ。時代背景は昭和20年代。この小説が書かれたのは昭和55年頃のようだが。《カーナビの商品名としてアポロなんとかいうのがあるそうだ。1997.6.2追記》
うまい、おそろしい、すごい、すばらしい、ひどいという5語の中から、連用形が程度の甚だしさを意味しない、つまり「うまく大きい」と言えないことから、「うまい」を仲間外れとみなした。これは日本語教育関係の書に依るらしい。
まずは田野村さんのを読んでみないといけませんが。《いずみ・奈良大学紀要》
ともかく、子供の作文は方言研究の材料を提供してくれるものだと思う。『赤い鳥』や綴方の雑誌(タイトル失念『綴方学級』だったか。複刻版が出てる《『綴方生活』であった》)などざっと眺めたいな、と思いつつ、やっていない。
それにつけても惜しまれるのは、私の小学生の頃の日記が紛失したことである。8年ほど前までは有ったのである。京都への引越しの前後に消えてしまったようだ。
このへんではスケート乗りのことをツーツ‐取りというみたいです。《自転車に乗るときに左足をペダルにかけて数歩こいでから右足を浮かせて乗る乗り方を言っている。》なんていうことが書いてあったりして、私の方言への関心は小学生の頃、転校続きだったことと関係が有るのかな、などと思うなど、結構面白いものだった。そういう意識して書いた方言記事の他にも思わず出た方言などもあったと思うのだが。
山形 ニノシノロノヤノト/ニーシーローヤートー 埼玉 ニノシノロノヤノト 茨城 ニーシーローヤート 千葉 ニノシノロノヤノト/ニーシーローヤートー 石川 ニーシーロクヤノトオ/ニーシーローヤートオ 高知 ニノシノロノヤノト 不明 ニーシーローヤートー/ニノシノロノヤノト 《新潟 ニーシーローヤート/ニノシノロノヤノト》 京都 ニーシーローハート 福岡 ニーシーローハート 不明(kt.rim.or.jpの方) ニノシノロノハノト 《千葉の方でした》 <高知の方のヤが例外となるため、全くの東西対立にはなりませんが、九州で育った私にとって、特に東の方で、ヤの勢力がこんなに強いとは知りませんでした。福岡の回答者は私ではない別の人です。
あと、リズムやイントネーションについて言及して下さった方もありました。これも気になる問題ではあります。
ことば会議室
96.9.23
いけんのう。どうおしる『おみつさん』という作品の中で使われたものだそうである。
ただ一度だけ呂燕卿は、声をあらげた。「あらげる」は「あららげる」の間違いであるとよく言われる。『朝日新聞の用語の手びき』(1989.1.20の21刷による)にも、誤りとしてある。社外原稿だからそのまま出したのだろう。
音の面から、「らら」と二つ続いたから一方が落ちた、という説明が有る。國廣哲彌『日本語誤用・慣用小辞典』(講談社現代新書1991.3.20)でもhaplologyという術語を出して説明している。
語構成的に見た場合、「あららげる」は「荒い」の語幹「あら」が「らげる」についたものではなく、「あら」に「ら」のついた「あらら」に「げる」が付いたと考えられる。「やわい」の語感「やわ」+「ら」で「やわら」「やわらげる」、「たいらげる」「たいら」の場合は「たいい」という形容詞はないが、「たいらか」という形もある所から、おなじ「ら」であろうか。
「やわら」「たいら」という言葉は使うのに、「あらら」という言葉は殆ど使われない。一方、「ひろげる」という、形容詞語幹に直接「げる」のついた形がある。これに類推すれば「あらげる」はすぐに出来上がる。
表記の面からも説明可能である。送り仮名というものはもともと「捨て仮名」とも言い、漢字のオマケであった。つまり「荒」は「あらい」という意味なのであるが、音声化する際に「あら」「あらい」「あらく」「あらければ」「あらかったら」などなどさまざまな形をとる。一々の場合においてどういう音であるのかを示す働きを、傍訓《フリガナ》と共に果すのが「捨て仮名」である。この「捨て仮名」の捨て方はさまざまであって、「アラシ」を現わすのに、「荒」「荒シ」「荒ラシ」、さらに凄いのに「荒アラシ」(全訓捨て仮名)というものまである。
「荒らげる」とある場合、現在の様に送り仮名が規則化していれば〈「あららげる」と読まねばならぬ〉ということになるのだが、そうでなければ「あららげる」とも「あらげる」とも読めるのである。「あららげる」という言葉を知っている人は「あららげる」と読むであろうが、知らない人はどう読んで良いのか分らない。
愚按ずるに、「あららげる」に対する「あらげる」は、以上の要素がいろいろと絡まり合った、複合変化(あるいは複合誤用)ではなかろうか。『複合不況』という本がはやった時に、山崎豊子《有吉佐和子の間違い》『複合汚染』からの新造語であるといわれもしたが《『複合不況』の序文にそう取れるように書いていた》、「複合〜」という言い方は「複合脱線」など、原因が複数想定され、それらがあいまって起こった場合に使われる言葉であったと思う。
送り仮名を規則化すると、〈どう音声化するのか〉ということは示しやすくなるのだが、漢字の「訓」が〈意味〉であることが忘れられてしまいやすいようである。「働」は、「はたら」という字である、と主張する人も出てくる。「はたらく」という字でしょう、と言うと、〈「はたらく」の「はたら」だ〉と。漢字の表音文字化か。しかしこういう主張をする人に限って同訓異字の使い分けにはやかましかったりするから問題はややこしい。 《「あららげる」は『言葉に関する問答集』p618にあり》
ヨタレソツネ、ナラムウイノ、オクヤマケ、フコエテというのが、七つ区切りに次いで古いもの。
いろはに ほへと ちりぬる おわかこれが広く通じているもの、とのこと。
よたれ そつね ならむ ういの
おくやま けふ こえて
あさき ゆめみし えひも せす ん
仮名の音を説明するのには、いろは順で、たとへば、「を」なら「をわかのを」といふふうに説明するのがいい。というのが出てきたのである。
かういふ説明の際の「いろは」の区切り方は、つぎのとほりである。これも違う区切り方だ。
「いろはに」「ほへと」「ちりぬる」「をわか」「よたれ」「そつね」「ならむ」「うゐのおく」「やまけ」「ふこえて」「あさき」「ゆめみし」「ゑひも」「せすん」
オ列の仮名に「う」を添える。という本則があり、例外としてある、
次のような語は,オ列の仮名に「お」を添えて書く。の中に「うっとうしい」が入っていないから。これでも説明終りにはしたくない。
この「うっとうしい」、語源としては漢語の「鬱陶」に遡る。これを和化して形容詞にしたものである。歴史的仮名遣いでは「うつたうしい」となる。漢語が形容詞になるものとしては他に「執念」を「しふねし」としたものなどがあるが、外来語を形容詞化した「ナウい」などをも思い起す。「うっとうらしい」という形もあったようだ。ともあれ、歴史的仮名遣いで「たう」と書かれるものが、現代仮名遣いで「とう」と書かれるのは当たり前である。まだ続く。
普通、オ列の長音について仮名遣いを間違える場合、例外を忘れて本則につく、すなわち「とうり」「こうろぎ」「こうる」という間違いが殆どである。しかるに「うっとおしい」という間違いを頻繁に目にするのは何故だろう。
「類推」であろう。「いとおしい」「まちどおしい」からのと言ってもよいが、これでは「お」であることの積極的な支えにはならない。「くるおしい」などは、「お」であることの支えになるだろう。こういう語と関連のある言葉だと思えば、「うっとおしい」と書かれやすいのではなかろうか。
愚痴はこれぐらいにして言葉の話題。この広報の中で「レジ袋」という言い方が見える。スーパーやコンビニのレジで使われる袋を指して言っているのであろうが、この言い方は初めて気付いた。
私自身は「ポリ袋」と呼んでいた。時折「ビニール袋」といってしまうこともあったが、透明で軟らかい感じのがビニール袋で、白などの色付きで硬い感じのがポリ袋、と思っている。
関西に住んでいた時に「ナイロン袋」という言い方を知った。京都で聞いたものだが、どの程度の広がりを持つ言い方なのだろうか。《神戸小学生殺人事件の時に、「不審な男」が「ナイロン袋」を持っていたと言っている人がいた。》
シンナーを缶にとあり、
入れ吸いもつて町内を歩
若者がふえてゐます、
この「吸いもつて」っていうの方言か。とコメントしている。大阪の門真警察署の管内で貼られていたものの様であるが、確かに関西では「〜ながら」というのを「〜もって」と言うようである。
小便は水を流しわたしはこれを見たとき、
もってして下さい
貴殿のものは貴殿が思っているほどは長くないのでもう少し近付いて用を足されたし。というのを思い出した。つまり「持って」用を足しなさい、ということだと思ったのだ。そうしないとこぼれるよ。「もって」の前で改行しているのも罪である。
(公用文は)なるべく広い範囲にわたって左横書きとする。として、
句読点は、横書きでは、「,」および「。」を用いる。としている。
一、ピリオドは、ローマ字文では終止符として用ひるが、横書きの漢字交じりかな文では、普通には、ピリオドの代りにマルをうつ。としている。
二、テン又はナカテンの代りに、コンマ又はセミコロンを適当に用ひる。(原文縦書)
、。,.などの句讀點や%!?などの記號に至つては,右から書いたのでは,先づ絶望に近い。とするだけで何も触れない。で、実際にはご覧の通り「,。」である。論ずるまでもない事だったのだろうか。
私は横書きの本はあまり持っていないが、横書き雑誌の『日本音声学協会会報』を見ると、当初「、。」で筆者によって「,。」になることもあったのが、第39号(S10.12)から、「,。」になっているようである。編輯後記に、
表紙もつけ,組方も多少改めました。とあるのはそのことであろうか。
日本における句読法の歴史は大変なので省略。ただ、江戸時代に「.」や白抜きの「、」も有ったことは書いておこう。
日本語の横書きの歴史だが、昔のものに見える右横書きは、〈1字詰め縦書き〉と解されるもの。単に日本語を横にするのには困難だったらしく、英和対訳辞書などでも、英語は横書きなのに、日本語は縦書きというものもあった。日本語の縦書きに英語を交えるときに横に寝せるのと、同じといえば同じ。〈2字詰め縦書き〉というせまくるしいのもある。この辺については、惣郷正明『日本語開化物語』(朝日選書1988.8.20)のp163〜「横植、正植、誤植」「縦書き、横書き再説」「数学書の組み方」「傍聴筆記、記憶術、速記」(もと『言語生活』370,371,392,395)にも見える。文章だけで書いてあって分りにくいので、同氏『目で見る明治の辞書』(辞典協会1989.1.20)を眺めると、36頁あたりに記述がある。ただ残念ながら左縦書きなどの写真はない。いろは引きの『万国新語大辞典』のことが6頁に書いてあった。
右からの横書きについては、佐藤貴裕さんの気になる言葉参照。
車の右横に見える右横書きに関しては、見坊豪紀・稲垣吉彦・武藤康史『[89年版]ことばのくずかご』(筑摩書房1989.7.25)の66頁、あるいは「[新]ことばのくずかご」第57回(『ちくま』89-1)に、毎日新聞1988.11.5からの情報として、
(道路運送)法発足時、走行中読みやすいとの理由から、進行方向に向けて表示するよう指導を受けました。とある。『日本国語大辞典』によると道路運送法制定は昭和26年とのこと。《村上春樹が気にしているらしい》