作者近況(ストックその6)        現行の「作者近況」に戻る 


1999.12.13(第51回)〜2000.3.19(第60回)


All Written by Kei Nakahara



いま、新しいモバイルツールを選んでいます。
VAIOか、モバイルギアか、はたまたリブレットか。

というのは、掲示板を複数設置しようと計画しており、それらの管理を行き届いたものにするために外出先からもホームページが見れるモバイル環境を構築したいからです。

私の手元には、「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」の読者からのメールがたくさん届きます。
そこには、さまざまな死別の経緯とその深い悲しみが書かれています。

これらのメールを読んで感じることは、実に多くの遺された人々が、あまりに深いがために表現しようもない悲しみを周囲に理解されないまま、孤独と絶望に沈み、冷たい悲しみを心の底に押し隠してきているのだろう、ということです。

いままで千人近くの方から頂いたメールで、私はあらゆる死別に接してきました。病気、事故、自殺、他殺・・・。

これらの似たような境遇の遺された人同士、知り合う機会を提供し、お互いを理解し合い、支えあい、高め合ってもらうためにいくつかの掲示板を設置したいと思っています。

例えば、自殺で愛する人を亡くした悲しみは、同じ体験をした人同士にしか本当の深いところは分からないと思います。

なるべく多くの種類の掲示板を設置したいと思っていますが、とりあえずは会員制でテスト運用をしたいと思っています。

そして、これらの掲示板が多くの人のつながりを育ててくれる揺籃(ようらん)となってくれれば、と願っています。

[2000.3.19]



横浜市の広報誌の「人権特集号」に次の数字が載っていた。

「217万人、国民の約60人に1人です。」

入院している人が、34万人、在宅や施設などを利用している人が183万人の合計217万人、平成8年現在で厚生省が推計している精神障害を持つ人の数です。
一方で、国民病といわれている糖尿病で690万人。この数字と比較してみても、217万人は決して少ない数字ではありません。

心の病は、誰でもかかりうるもので、少しも特別なものではない。

自分のことではないけど、病院の精神科にはあちこち行ったことがある。別に普通の病院と違わない風景がある。違うのは、そこには心優しいカウンセラーや医師や看護婦達がいること。彼らの動機は気高く、人の心の痛みを知る人が多い。

そして、そこには、最もつらい思いをしてきた人達−−−人生の困難に直面して苦しんだり、仕事のストレスで自分の気持ちに無理し続けたり、人付き合いの難しさから孤独に陥ってしまった人など、さまざまな人達がいる。

心の病にかかる人の繊細さ、誠実さ。
彼らにとって、この世界はガサツで無神経すぎたのかも知れない。

彼らが、自らの矜持を持ちながら、一日も早く心の自由と健康を取り戻していってほしいものだと思う。


[補足]

そう言えば、こんな記事をストックしていたのでご紹介。

2000年1月5日 朝日新聞より

1年のうちに5人に1人が精神面に障害 米で初の報告書

 米国人の5人に1人が、1年のうちに精神面で何らかの障害を来すことが、米厚生省公衆衛生局の精神衛生に関する初の報告書でわかった。さらに、治療を要する人の半分以上が適切な治療を受けていない実態も浮かんだ。シャレイラ厚生長官は「真の繁栄のためには精神面の健康が基本」と、経済的な繁栄の陰で忘れられている問題を強調した。
 この報告書は、米国人の半数は一生のうちのある時期に、うつ病や強迫神経症などの精神的な病気にかかることも指摘している。精神的な病気のために仕事ができなくなる人は心臓の病気に次いで多く、同長官は「公衆衛生上の危機」と訴える。

 にもかかわらず、うつ病などで治療が必要な1000万人のうち、半分以上は治療を受けていない。ここ数年、脳の研究が進み、さまざまな治療が可能になっているのに、精神的な病気に対する無理解や偏見があり、治療を受けるときの障害になっている。報告書はそう分析した上で、「精神的な病気は身体的な病気と違うという恐れが人々にあるが、同じ問題なのだと理解する必要がある」と説く。

 米国の自殺者は毎年約3万人で、死因の8位を占める。殺人の被害者約1万9000人よりはるかに多い。自殺を試みる人は毎年50万人を超える。自殺者は女性より男性が多く、人口当たりで最も自殺が多いのは高齢の男性だ。公衆衛生局は先に、自殺防止への国家的取り組みを求める報告書を発表している。(18:57)

[2000.3.11]



だめだ、もう寝る。o(_ _)o
[2000.3.8]



癒しの書籍紹介のコーナーで紹介しようと「葉っぱのフレディ」を本屋で買ってきました。ちょっと前に有名になった絵本ですが、今ごろ買って来ました。あまり流行っているとわざわざ紹介することはないかな、という気がしていたので。

葉っぱのフレディが主人公です。彼は春に生まれ、生きる喜びを知ります。夢のような気持ちよい夏を過ごし、しかし、もう秋には自らが散る運命なのだと知ります。「いのち」とは何か。フレディは自らの「死」に直面し、自分の人生の意味を問い直します。

作者からのメッセージとして「この絵本を死別の悲しみに直面した子供達と〜」と書いてあるのを見たときには、嬉しくなりました。そういう意図で描かれた絵本なのです。この絵本は、深い内容を分かりやすく伝えることに成功しています。大人の鑑賞にも十分に堪えうる非常に良質な絵本です。

詳しくは、後でできる(はず)の紹介を読んでいただくとして、この絵本を気に入って眺め回しているときに、ふと作者名がひっかかりました。

「レオ・バスカーリア・・・レオ・バスカーリア??なんか聞いたことがあるぞ。ううん?」

しばらくして思い出しました。

自分が持っていた「いまの自分を抱きしめてますか」(三笠書房)という、私の愛する本の作者に違いありません。この本は私の人生のベストテンに入る本です。赤線を引きながら読んだ本です。
飛び起きて家中の本棚を探しました。ベッドの裏まで探しました。ない!ない!どうして、この本がない!?

しばらくして思い出しました。私の「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」を本にするなら、この本のようにしたいと思って仕事場の方に持ち出していたのです。

いま、仕事場で本を見つけ、作者が同一人物であることを確認し、胸が熱くなりました。 そう、尊敬すべきこの本の作者は、私の知らない間に日本でも成功していたのです。人々に良い影響を振りまいていたのです。涙が出るような気持ちです。

そう書くと気恥ずかしいのですが、この「いまの自分を抱きしめてますか」という本には「愛」に関するエッセンスがつまっています。溜息が出るほど良い本です。

「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」も多大な影響を受けています。たとえば、「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」の24番目の言葉にこうあります。

誰かがこう言いました。「誰かひとりを悲しみから救うことができれば、私の人生は無駄ではないだろう」〜

この誰かという部分が彼の「いまの自分を抱きしめてますか」という本に載っているのです。


私にとって、「葉っぱのフレディ」は彼の二冊目の本です。
テーマは「愛する人を亡くした人の為の100の言葉」と通じます。−−−「いのち」です。

不思議な巡り合わせに胸がいっぱいです。


[2000.2.18]



最近、なかなかホームページが更新できなくて申し訳ないです。複数のページを同時に創っているので、いまに出しますので、しばらくお待ちください。うーん。このページも整理しなくては。
[2000.2.2]



ふと、早朝に目が覚めた。
なんとなく寝れなくて、そのまま考え事をしていた。

ほぼ5年前の朝、ちょうどこのくらいの時間に地震で目が覚めたっけ。
それは、阪神大震災の揺れだった。−−−−遥か離れた横浜でも震度2くらいの地震として私の眠りを破った。

やがて、廃墟と化した神戸の街の様子をTVが伝え、新聞が死者の数を大きな見出しで伝えていた。

−−−−実に多くの人が、尊い命を落とした。
夢から覚めたとたんに、家の下敷きになり、自分がもう死ぬと突然に悟った人の気持ちは、どんなだっただろう。救助を待ちながらも力尽きた人の最期の気持ちはどんなだっだろう。

痛かっただろう。苦しかっただろう。突然に人生が終わると知って悔しかったろう。家族や愛する人と別れなくてはならなくて悲しかったろう。

−−−そして、遺された人はどれだけの心の傷を負い、どれだけの涙を流したことだろう。それは、言葉に尽くせないに違いない。

気が付くと涙がさめざめと流れ、枕を濡らしていた。

不条理な災害は、人々の生活を無慈悲に打ち砕く。夢を、希望を、愛を奪う。災害が起こる世の中が恨めしい。

あれから5年。
命を落とされた方のご冥福を心から祈ると同時に、あのような悲惨な災害が二度と起こらないように心から祈る。そして、遺された人々に、希望と笑みが戻るように切に祈る。

[補足]

  当時、ひとつ、心を奪われた小さな記事があった。
  家の下敷きになっている人々を救うために働きつづけ、極度の
  過労に陥って、命を落としてしまった人の記事だった。
  −−−−無名の彼の行為に涙した。
  尊い命を救うために自らの疲労を省みずに救命行為に専念した
  人がいることは、ずっと心に留めたいと思っている。どうか、
  彼の眠りが安らかでありますように。彼の想いに近づけますよ
  うに。

[2000.1.22]



お正月なので、普段家にいない兄が帰ってきました。
うれしかったのは、兄が、アメリカに行っていたときに購入してきたスザンヌ・チャーニーのCDを持ってきたことです。
スザンヌ・チャーニーはニューヨークの女性シンセサイザー奏者で、彼女の作品に私は心酔しているのです。
特に、海をモチーフにした喩え様もない美しい作品「セブンウェイブス(SEVEN WAVES)」という曲は、私が絶望の暗闇にいた時代に、悲しみに流れる冷たい涙を、本当の美しさに触れたときに流れる熱い涙に変えてくれました。

この作品は、微かなさざなみの音から始まります。そして、美しくドラマチックに、流れるように曲が展開していきます。繰り返される波の音は、俗世間の垢にまみれた心を洗い流してくれました。とても優しく癒された気持ちになったものです。−−−−この作品こそは、どこまでも美しい作品。いわば、審美的に完成された作品です。3曲目以降、ある種の単調さを感じる人もいると思いますが、そのリズムにはまると、気持ちよく波にたゆたうような深い安らぎを得られます。

いまでも、「セブンウェイブス」を聴くと、鳥肌が立ち、胸に深く沁みわたります。希望と感動が胸に残ります。7つの曲の中で、特に好きなのは2曲目の「セイレーン」です。

その当時、LPレコードして発売されていたのですが、そのジャケットは十数年来、私の部屋に飾られています。
兄がアメリカにいったときに、「セブンウェイブス」のCD版を見事に見つけて(同時に他の作品も)見つけて買って来たくれたときには、本当に嬉しかったものです。

芸術というものが持つ力を、この作品は教えてくれました。私の一生に一枚の名盤です。


[補足]
AMAZON.CO.JP(TM) のオンラインショッピングでこのCD(輸入版)を購入できます。右のリンクをクリックしてください。 Seven Waves

[2000.1.3]



この書斎用のワンルームマンションを借りてからよく月を眺めるようになった。

月は太陽と同じでだんだんと夜空に弧を描いて上がっていく。いつまでも同じ所にいない。
星々は動いているのだなと実感する。

ところで、地球の自転の速度とは、つまり時計の短針の半分の速度ということ?
そうだよね。24時間で一周するのだから。
日時計の頃は、そうは意識しなかったろうが、天動説が地動説に変わった時点で、時計の意味も変わったのかも知れない。
いまや、時計とは太陽の位置を観察する道具の末裔(まつえい)ではなく、地球の自転を模した機械と言えるのでは?北極点の真中に時計を水平に置いたらわかりやすいだろうな。

すると、人間は地球の回転状況を見て、日々動いているようなもんかな。
そう考えてみると、時計にも親近感が湧きますよね。

人間は、地球に合わせて生きてるってことだな。

[1999.12.23]



9歳の子供の驚くべきホームページを見つけました。産後すぐに脳内に水が溜まり脳障害となるも、脳障害児のための特別な教育を受けることで、天才的な知性を身に付けた流奈くんのホームページです。
そのホームページのアンケートに私が書いた文面です。

はじめてこのホームページを読んで、非常に知性が高く、
感性が豊かで、そして優しい流奈くんの世界に触れて、
驚き、感動しました。
脳障害を乗り越えて、これだけの知性を引き出す教育方法
があったということでしょうか?9歳でこれだけの文章が
書ければ、一般には天才に近いと言っても良いのではない
でしょうか?
とても不思議な驚くべきことです。
いままで、流奈くんのことを知らなかった私は世間の動向
に疎かったのか、あるいはこの驚くべきホームページを
見つけて非常に幸運だったのか?
いずれにしても、今後も興味深く読ませて頂きたいと思って
います。

純粋な感性と知性を持つ流奈くんの文章は、早熟さ故の偏り
が見られません。
一般に、早熟な知性は人の性格を悪くするものですが、透明
な智慧のようなものが感じられて、素直に物事を深く正確に
捉えていると思えます。
文章のスタイルも知性を反映しています。無駄がなく、分か
りやすい。きちんと書かれた美しいものです。

まだホームページをざっとしか読んでいませんが、これから
ゆっくり読みたいと思います。リンクさせて頂くと思います
のでよろしくお願い致します。

              中原 憬(けい)34歳、男性

特に、6歳のときに彼が書いた自伝『愛の中で・カオスからコスモスへ』は圧巻です。

そのホームページ"Online Luna" のアドレスはこちら。
http://www2.odn.ne.jp/luna/index.html
[1999.12.23]



ずい分前に、シマリスを飼っていた。

シマリスは、可愛いやつだったが、あまり飼主に恩義を感じない性質らしく、たまに油断すると強く噛み付かれて大変だった。そんなときにはバツとして、手のひらに囲って閉じ込めてしまう。
すると、シマリスはにっちもさっちも行かなくなって『きゅ〜』と困った声を出す。

そんな癖が飼主にも移って、困ったことがあると、つい、『きゅ〜』と呟いてしまう。

こんな感じです。 『年末は忙しいな・・・。きゅ〜。』
[1999.12.13]





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