子供を亡くした親の為に

愛と言葉に力を取り戻すために

中原 憬(Kei Nakahara)

愛を取り戻すために


悲しむことは、愛する方法の一つです。いくらでも、泣いてよいのです。
泣いて、泣いて、泣き尽くしてください。

ただし、悲しみから余分なものを取り除かないといけません。後悔、無念、絶望、恐怖、怒り、憎しみ、怨み、恥、劣等感、不安、焦燥などの昏い(くらい)感情は、子どもを愛することにつながらないでしょう。

それは、結局、子どもに対する愛ではないからです。自分が、自分が、という感情から発しているものだからです。自分の為の涙です。


あなたは、いま、子どもにすがるような泣き方をしていないでしょうか。

立場が逆転して、自分が子どもみたいになっていないでしょうか。

*   *   *


子どもがあの世に居ても、あなたはその子の親です。
親であることを放棄してはいけません。

もし、あの世があるのなら、その子だって悲しいのです。
あなたの愛情の輝きが曇ってしまえば、その子の世界も曇ってしまうのかも知れません。

あなたが、自分を責める悲しみ方をするのなら、その子は、自分が死んだせいで親がこんなに悲しんでいる、苦しんでいると居ても立ってもいられないでしょう。

あなたが、心を凍えさせて冷たい涙を流せば、その子も心を凍えさせて冷たい涙を流すでしょう。
あなたが、不幸なら、その子も不幸でしょう。

同じ涙であっても、その子を愛おしむ(いとおしむ)想いの温かい涙なら、その子もつらくはないのではないでしょうか。
楽しかった思い出を想起するのなら、その子もつらくはないのではないでしょうか。

つらい目に遭った我が子をさらに悲しませてはいけません。

自分を責めても、誰かを不幸にすることはあっても、誰かを幸せすることはありません。
決して、自分を責めてはいけません。


言葉を取り戻すために


もし、仮にあなたが何十年と泣き続けたとしても、あなたの涙が、純粋に愛する子どもを想う涙だけだったと言い切れるのなら、あなたの人生は美しい人生でしょう。

愛する人を亡くした人の言葉は、涙です。

親が亡き子を思って流す涙のしずくには、全身全霊の愛の想いがこめられています。


そこには、人の言葉などでは、表現できないほどの熱い想いが存在します。夜中、涙で枕を濡らしながら、声に出さず子どもの名前を叫ぶとき、目には見えない、親の愛が迸って(ほとばしって)いると思います。

滂沱(ぼうだ)のごとく、涙は流れ落ちるはずです。
子どもが生き返ってくれるなら、自分のいのちと引き換えにしてもいい、と心の中で叫んだはずです。

泣いてもいいのです。
そのような涙こそ、親の愛を世界に、無慈悲な神に示す言葉なのです。

その雫は、真珠のように光を放つでしょう。

その涙が、その子のための涙なら、純粋な愛のしずくは、子どもの心を癒していくのではないでしょうか。

もちろん、あなたの心も傷も癒していくことでしょう。
そのように、思いっきり泣いたあとは、不思議と心が静まるのが、その証左です。


*   *   *


あなたと同じ涙、同じ言葉を知っている人たちに会いにいきましょう。
あなたと同じように、子どもを亡くした親たちのグループに参加するのです。
同じ、茨の道を先に歩いた人たちを探すのです。

あなたがインターネットをしているのなら幸いです。同じ立場の人や、日本各地で活動している団体を簡単に探すことができます。

そこでは、いままで伝わらなかった深い悲しみが伝わるでしょう。
あなたは、そこでほかの人の身の上話を聞くとき、たった一言の言葉だけでも、その人に降りかかった境遇をありありと想像し、同情の涙を流してしまう自分に気づくでしょう。

同じように、あなたの身の上にどんなにひどいことが起こったのか、きちんと理解してくれ、同じ熱い涙を流してくれる人たちがそこにはいます。

あなたが言葉にできなかった深い悲しみを、理解してくれる人たちがいるのです。
先の見えない暗闇の道の歩き方を、知っている人たちがいるのです。

あなたは、一人ではないのです。



次は世の中と折り合いをつける(準備中)→意味を見出すための物語






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