自殺/自死で遺された遺族の為に

このページの趣旨

中原 憬 (Kei Nakahara)

近年の不況の影を色濃く反映して、日本の年間の自殺者が3万人注※1にものぼっているそうです。
誠に痛ましく、残念なことです。
ひとりの自殺者の周囲には、親、配偶者、恋人、兄弟、子供、友人などさまざまな人たちがいます。彼等の悲しみはいかばかりでしょう。その衝撃が与えた心の傷の深さは、痛みはどれだけのものでしょう。

自分自身の存在の否定という行為は、周囲の人の心の深い傷となって彼等の人生にも破壊的な影響を与えます。身近にいた者の悲しみと苦しみははかり知れません。体験した人でなければ想像もつかないものですが、これ以上はない深い苦しみと身を切られるような慟哭の闇です。

愛するものの突然の死という衝撃。自分がなんとかできなかったのだろうかという自責。周囲の残酷な死に対する好奇心・・・・。
世の中にこれ以上過酷な体験などほとんど存在しないと言っても過言ではありません。後を追って自殺してしまえればラクなのでしょうが、遺されたものがどんなにつらいか身をもって知っています。
遺された人たちの背負うものは、この世でもっとも重いものです。
自殺してしまった当の本人の苦しみさえ凌駕してしまう想像を絶する絶望と慟哭の闇の中に放り込まれてしまうのです。
なぜなら、先に逝った人を偲ぶ気持ちから、その人の生前の苦しみをすべてそのまま背負ってしまうからです。さらに、その苦しみに加えて、やり場のない身を切られるような死別の悲しみに心をぼろぼろにしてしまっているのです。

そして、自責の後悔ほど心を痛めつけるものはありません。自分自身から逃げることができないからです。遺された人は、どんなささいな理由からでも長い期間に渡って、不当に自分を虐げ続けてしまうのです。その人の死のすべての責任を負おうとするのです。
−−−−犯罪のように憎むべき加害者はいません。事故や病気のように運、不運のせいにもできません。自殺は本人が選んでしまったのだから、どこにも憎しみの持って行き場がないのです。結局、すべてが、身近にいて止められなかった自分の落ち度だと考えてしまうのです。

いまの日本には残念ながら自殺を防止するための公的な機関が実質的にありません。ましてや、遺された人を救済し支援するための公的な機関などありません。注※2心優しい民間ボランティアやプロのカウンセラーでも必ずしも死別の悲しみを理解できる訳ではありません。注※3こうして相談できる相手もなく、絶望と孤独の闇に沈んでいるケースが数多くあるのではないかと思います。

そんな過酷な運面に翻弄されている人たちを少しでも支援できたらと思いこのページをつくりました。愛するものの残酷な死という魂の危機に直面した人たちに対して、ささやかでも癒しの時間を感じてもらえれば何よりです。

なお、偶然にこのページを目にした方も、自殺という行為の重大さ、遺された者が受けるはかり知れない生へのダメージの深さを知って頂ければと思います。どうか、自殺という手段を選ぶことなく、また自殺した人に対して好奇の視線を寄せることなく、そのすべての死を悼んでくれればと願います。



注※1 この文章を書いた1999年当時の統計値です。2012年以降、自殺者が3万人を切ったと報道されています。ただ、日本では、自筆の遺書がない場合に自殺として扱われない場合があることと、欧州の多くの国では決行から72時間以内に死亡した場合に自殺扱いになるのに対し日本では24時間以内に死亡した場合にだけ自殺扱いになるなどの違いから、実際の日本の年間の自殺者は公表されている統計のおよそ2倍程度と考えられているそうです。

注※2 2016年4月1日から公的な専門機関として自殺総合対策推進センターが発足しています。なお、公的な専門機関でなくても、独立行政法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所や国立保健医療科学院、全国の地方自治体の福祉担当部門などか自殺対策のサイトを公開していました。

注※3 インターネット黎明期である1999年当時は、死を扱うことはタブーに近く、死別に関して慰める方法などないという風潮が一般的でした。宗教関連以外で死別に関するサイトも数えるほどしかありませんでした。インターネットの普及、そして、度重なる大震災の経験からか、いまは、死別の悲しみを癒すための情報も増え、信頼できるカウンセラーがたくさんいます。隔世の感があります。






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