ミニエッセイ [恨みと赦し]
Written by 中原 憬
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All Rights Reserved. Copyright(C) 2000, 2020, Kei Nakahara
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恨みと赦しに関するとりとめのない日々の短い雑感です。
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KOKIAのアヴェ・マリアを聴きながらどうぞ
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No.42 いちばん怖いこと
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多くの人が無惨に殺傷される犯罪が発生するたびに、犯人に対する怒りが世に溢れ、
被害者と同じような目に遭わせてやるべきという意見がネットに書き込まれます。
これは、人の感情として、自然な反応でしょう。
かけがえのない命を奪った罪の深さは計り知れません。
被害者はどれだけの痛みを感じ、苦しみ、悔しさ、絶望、無念さを味わったことでしょう。
それを我が身のことと共感する心様の人ほど、怒りや憎しみは募ることでしょう。
しかし、(相手の行動が許せないから)ひどい目に遭わせてやろうという考えは、
行動に移していないだけで、犯人と同じ精神構造になってしまっています。
これがいちばん怖いことです。
[2019.07.28]
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No.41 一瞬の幸福
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一瞬だけ幸福になりたいのなら、復讐しなさい。
永遠に幸福になりたいのなら、許しなさい。
〜フランスの聖職者 アンリ・ラコルデール
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人は、復讐を果たしたあとに待っているものについて、思いを巡らすべきなのでしょう。
もし、あなたが感情のままに反社会的な行為に訴えれば、社会的な立場や信用を失い、
大切な家族、恋人、友人との関係にもヒビが入いり、孤立していくことでしょう。
そして、何よりも自分が憎み続けてきた存在と同じことをしてしまったとき、
あなたは進むべき道を見失ってしまうのではないでしょうか。
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No.40 テロで妻を殺された夫の言葉
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パリ同時多発テロで愛する妻を失った夫が、フェイスブックに綴った言葉です。
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「君たちに私の憎しみはあげない」
金曜の夜、君たちは素晴らしい人の命を奪った。私の最愛の人であり、息子の母親だった。でも君たちを憎むつもりはない。君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。君たちは、神の名において無差別な殺戮(さつりく)をした。もし神が自らの姿に似せて我々人間をつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた銃弾の一つ一つは神の心の傷となっているだろう。
だから、決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが君たちの負けだ。(私という)プレーヤーはまだここにいる。
今朝、ついに妻と再会した。何日も待ち続けた末に。彼女は金曜の夜に出かけた時のまま、そして私が恋に落ちた12年以上前と同じように美しかった。もちろん悲しみに打ちのめされている。君たちの小さな勝利を認めよう。でもそれはごくわずかな時間だけだ。妻はいつも私たちとともにあり、再び巡り合うだろう。君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国で。
私と息子は2人になった。でも世界中の軍隊よりも強い。そして君たちのために割く時間はこれ以上ない。昼寝から目覚めたメルビルのところに行かなければいけない。彼は生後17カ月で、いつものようにおやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから。
〜フランスのジャーナリスト アントワーヌ・レリス
朝日新聞デジタル 2015.11.20の記事より
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恨みというものに対する、一つの答えです。涙が止まりません。
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No.39 思い残さないように
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人が死ぬときに後悔することの一つに、人を恨み続けて
しまったことを挙げる方がいるそうです。
特に、若い頃に反発したまま親を恨み続けてしまい、親孝行を
しないまま逝かれてしまったという方の後悔が大きいようです。
自分が親になったときに初めて、親というものがこれだけ
必死になって自分を育ててくれたのだとわかると皆いいます。
小さく弱い自分を守り続けてくれたのです。
無償の愛を与え、産み育ててくれた恩を返せないどころか、
仇(あだ)で返してしまった苦しみ。
やり直せない後悔は、心を蝕みます。
親も歳を取れば、子どもに返っていきます。
小さく弱く、守ってやるべき存在になっているかも知れません。
互いの人生が重なっている期間は限られています。
まだ、時間のある人はどうか思い残すことの
ないようにされるとよいと思います。
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No.38 奪うもの、与えるもの
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弱いものは赦すことができません。
赦しとは強いものの性質なのです。
The weak can never forgive.
Forgiveness is the attribute of the strong.
〜インドの非暴力運動の指導者、政治家 マハトマ・ガンジー
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復讐は、極めて個人的な欲望なのかも知れません。
悪に堕ちることで、満たすことのできる欲望。
よく似ていることもあるけど、それは愛とは関係ないもののようです。
それは、悪であり、欲望であり、執着であり、奪うものだから。
奪うことで恨みを解決する方法のほかに、
与えることで恨みを解決する方法もあるようです。
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No.37 怒りに始まったもの
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何であれ、怒りに始まったものは恥に終わる
Whatever is begun in anger ends in shame.
〜アメリカの政治家、物理学者、気象学者 ベンジャミン・フランクリン
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自分の体験からいっても、およそ、暴発してしまった怒りというものは、
あとで頭を抱えたくなるような恥として残る記憶ばかりです。
そう、怒りを伝えるのに、感情を爆発させる必要はないのです。
相手を反省させるのに、相手を傷つける必要はないのです。
「大人な対応」をした方が勝ち、ということは
実生活では多いと思います。
ケンカしてしまったら、相手と同じレベルになってしまうのです。
理不尽な扱いを受けたりして怒りを感じたときは、
この言葉を思い出して怒りを静め、どういう対応を取るのが
あるべき態度かということを考えるようにしています。
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No.36 あなたの望むこと 1
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誰かのせいで愛する人が死に追い込まれてしまったとき、
−−−あなたは、復讐で犯人を傷つけたいですか。
相手が痛い目にあったり、死んだりすると満足ですか。
−−−それとも、あなたは、犯人に謝ってもらいたいですか。
土下座して謝罪したり、涙を流して後悔したりすると満足ですか。
あなたはどちらかを望んでいますか。
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No.35 あなたの望むこと 2
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実のところ、あなたはどちらも望んでいないかも知れません。
復讐も謝罪も要らない。ただ、故人を返してほしいと。
本当に許せないのは、犯人ではなく、こんなことが起こってしまう
無慈悲で不条理な世の中なのかも知れません。
かけがえのない愛が断ち切られてしまう無慈悲に対する怒り。
無実の人間が傷つけられてしまう不条理に対する怒り。
そうだとすると、あなたの怒りは正義に近いかも知れません。
あなたのすべきことは、きっと、こんなことが二度と起こらない
世の中を作ることなのでしょう。
−−−あなたは、こんなことが起こらない世の中にしたいですか。
故人と同じ目に遭う被害者が出なくなったり、あなたと同じ
悲しみや苦しみを味わう人がでなくなると満足ですか。
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No.34 罪と罰
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人を傷つける人は、同時に自分自身を傷つけている。
その人がそのことに気づいているかどうかは別にして。
良心の痛みは、存在を否定するような痛みをもたらす。
一般的に、この痛みから逃れるのに使われるものは、
アルコール、セックス、タバコ、パチンコが多い。
ただし、どれも一時しのぎに過ぎない。
彼らは、多くのものから逃れるような人生を送る。
家族から逃れ、責任から逃れ、自分の人生からも逃れる。
やがて、魂の誇りを失い、自分を認められなくなる。
陽の下に出られない牢獄を自らの心につくる。
あらゆる罪はすでに罰せられているといえるのかも知れない。
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No.33 磨き砂
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人は傷つけ合うことで、成長する。
傷つけるための人生ではなく、傷つけられるための人生でもない。
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No.32 人である以上
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愛してもその悪を知り
憎みてもその善を知るべし
中国五経の一つ「礼記」より
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相手が人である以上、生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで
ずっと悪であるわけもありません。
相手が人である以上、人に優しい気持ちになることも
あるでしょうし、反省することもあるでしょう。
憎しみだけを心に抱えて生きていく人はいないのです。
あなたも含めて。
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No.31 人の最大の課題
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相手を赦すことは、魂にとって最も大きな課題なのでは
ないかと私は思います。無辜の罪で十字架に磔(はりつけ)に
されたキリストの姿を見て、そう思うのです。
実際、恨みや怒りほど、暗黒の闇に魂を引き込む衝動はありません。
これほど、人の心を試す感情はないでしょう。
他人からどす黒い悪意を突きつけられたときに、どのように
対処するかで、その人の魂の純度がわかると思うのです。
人の人生に、その人の魂の成長に応じた困難な運命が
やってくるのは宿命のような気がするのです。
大きく成長した魂にこそ、不条理で残酷な出来事が
襲い掛かってくるものなのではないかと思っています。
何の罪もない人が、痛ましい事件に巻き込まれて
大切な命を落とすたびに、そのことを思います。
関連ミニエッセイ:「死別と癒し」の「No.57 卒業」
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No.30 人類の最大の課題
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相手を赦すことは、人類にとっても最も大きな課題なのでは
ないかと私は思います。人類の歴史を見て、そう思うのです。
互いに赦し合えるのなら、戦争のない世界が実現することでしょう。
キリストが、為されるがままに磔(はりつけ)にされた意味は
そこにあるのではないかと思います。
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No.29 勝ち負け
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太平洋戦争中に空中戦で敵機を撃墜したパイロットが、
晩年にこのようなことを語っていました。
勝ち負けなどない。炎上して墜落していくパイロットの
表情が頭から離れない。こちらは敵機を落として勝ったけど、
私は人生でそのことがずっと忘れられない。
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No.28 心を温めるために
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恨みや憎しみから抜け出せず、悶々とする人の心は
闇に閉ざされ冷え切ってしまっています。
冷え切った心は、さらに絶望と怒りと悲しみで自ら闇を深くし、
さらに人の温かさを失っていきます。
あなたの心は凍り付きかけているのかも知れません。
冷えた心を温めるには、人と触れ合うことが肝心です。
誰かとたくさん話をすると心の中がスッキリします。
心の中に温かなものが流れ込んできてラクになれるのです。
相談できる人がいない場合は、カウンセリングを受けてみるとよいと
思います(各種無料カウンセリングの見つけ方は
ここを見てください)。
人に相談などしたくないという人は、誰かに親切に
してみるとよいと思います。心が温まりますよ。
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No.27 怒りの鎮め方
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心の中が怒りでいっぱいになってしまったら、
怒りを吐き出す作業が必要です。
怒りを吐き出すには、闘うか、壊すかするのが、基本的な方法です。
実際、怒った人間は、人にあたるか、物にあたるかするものです。
ただ、社会人として、道徳的な規範をもった大人には、誰かと闘ったり、
何かを壊すというのはなかなか実行できないものです。
では、どうするか。
スポーツなどで自分の体を動かすのがいちばんよいのですが、
アクションゲームや、コミックもお手軽でお勧めです。
アクションゲームの中で、闘いまくり、壊しまくってください。
あるいは、格闘もののコミックを読むとよいでしょう。
桁外れに強い主人公が敵をやっつけるものがよいでしょう。
そういうゲームやコミックはいまの日本には溢れるほどあります。
アクションゲームやコミックは、いつまでも同じことをぐるぐると
考え続けてしまうときに、これをスッパリ断ち切る効果を発揮します。
現実逃避させる力が強いのです。
すっきりするはずです。
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No.26 釈迦の言葉
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仏教の創始者ゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)の言葉です。
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真にこの世において怨みに報いるために怨みをもって
これをしたならばすなわち怨みのやむことはない。
怨みを捨ててこそ怨みはやむ。
〜釈迦
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No.25 キリストの言葉
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イエス・キリストやその弟子の言葉です。
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あなたがたも聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
だれかが一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。
あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。
〜キリスト
新約聖書 マタイによる福音書5章38節より
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あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも、正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
〜キリスト
新約聖書 マタイによる福音書5章43節より
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あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
〜キリスト
新約聖書 ルカによる福音書6章35節より
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人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられる。
〜キリスト
新約聖書 ルカによる福音書6章38節より
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あなたがたに新しい掟(おきて)を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
〜キリスト
新約聖書 ヨハネによる福音書13章34節より
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No.24 人を思う時間
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人を憎む時間でさえ、自分の人生の時間である。
その人に何かを奪われたあなたは、さらに自分の
人生の時間を奪われ続けている。
あなたがその人を憎むことに、一体どれだけの
時間が費やされたことだろう。
そして、これからどれだけの時間を費やすことだろう。
あなたの人生の時間がもったいない。
所詮、人を憎み続けても、何も生まれない。
人を憎む時間は、自分の人生の時間である。
その時間を人を優しく思う時間にできたら
どれだけ素晴らしいだろう。
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No.23 リセット
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赦すことは難しい。
まず、忘れよう。
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No.22 自分の姿
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人を憎く思ったときには、鏡を見てごらん。
醜く、恐い顔をしているから。
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怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう
心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、
深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。
〜ドイツの哲学者 フリードリヒ・ニーチェ
「善悪の彼岸」146節より
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No.21 佇み(たたずみ)続けること、歩き出すこと
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恨みや憎しみはどこにも行き着かない。
行けるとしたら、地の深み。
恨みや憎しみの思いを募らせることは、佇み(たたずみ)続けること。
その地を離れられない幽霊のように。
恨みや憎しみから離れるには、歩き出せばよい。
もちろん、歩き出すのは、努力がいる。
悪しき思いに引きずり込まれないように闘わないといけない。
感情を制御するには、努力も工夫もいる。
足を前に出し続けないといけない。
歩き続ければ、恨みや憎しみから逃れられるだろう。
何か、目標を持てば歩き出しやすいと思う。
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No.20 人のために
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恨みや憎しみから抜け出すための目標として、あなたと同じ思いを
味わう人が二度と出ないようにする、というものがある。
この目標には、計り知れない価値がある。
それは、この苦しみ、悲しみを知っているあなただけができる行為。
それは、恨みや憎しみのエネルギーを愛のエネルギーに変える行為。
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No.19 愛と憎しみ
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愛の力が憎しみに変わったように、
憎しみの力は愛に変えられる。
そのとき、あなたの苦しみ、痛みは自己犠牲という意味を持つ。
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No.18 人の心
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2008年12月8日、米国海兵隊のFA18戦闘機がサンディエゴ
近郊の住宅街に墜落し、民家を大破しました。
この事故で、韓国系住民ユン・ドンユンさん(37)は、
妻のユン・ヨンミさん(36)とその母のキム・スクイムさん(60)、
娘のグレースちゃん(15か月)とレイチェルちゃん(2か月)の
4人の家族を失いました。
パイロットはパラシュートで脱出し病院に入院しました。
翌日、父親のユンさんが、涙をこらえながらも会見で述べた言葉です。
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責めるつもりはないし、恨んでもいない。
彼ができる限りの手を尽くしたことは分かっている。
この事故のせいで彼が苦しむことのないよう、
祈ってください
〜米軍FA18戦闘機墜落事故で妻や子供を失った、ユン・ドンユン
「CNN.co.jp」 2008.12.10のニュース記事より
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事故にうちひしがれつつ、加害者にも配慮を示すユンさんの
姿は大きな反響を呼び、全米はもとより、欧州やアジアからも
寄付の申し入れが相次いだそうです。
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No.17 復讐を考えている人に
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おそらく、あなたは「正しい」のです。
責める権利があるのです。
しかし、あなたが復讐を考え続けたり、実際に復讐を遂げたりしたら、
あなたの人生は「美しい」ものではなくなるでしょう。
そこに葛藤があるのだと思います。
我が身が破滅しても、正義を貫き、恨みを晴らすべきか、それとも、
怒りと悲しみの不条理の苦しみにひたすら耐え忍ぶ、しかし美しい人生を送るべきか。
そう、一つのことを考えてほしいのです。
その人が愛したあなたは、きっと、美しいあなたであることを。
(現在、工事中の「美学概論」の付録より)
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No.16 どちらを生きるか
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大きな苦しみを受けた人は
恨むようになるか、優しくなるかの
どちらかである
〜アメリカの歴史家・哲学者 ウィル・デューラント
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どのような姿勢で、苦しみという重圧を受けるかで、その後の
人生が大きく変わっていくということなのでしょう。
大きな苦しみや悲しみが、人を精神的に成長させる糧(かて)
となることは広く知られた真実です。
あなたは、どちらの人生を生きたいですか?
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No.15 第三の選択
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恨みを持つ人は、まるでハムレットのように悩む。
その人に対する憎しみで心をいっぱいにしながら。
許すべきか。許さざるべきか。
善と悪がせめぎ合い、絶え間ない心の中の闘いが続く。
あなたは、そこに二人の自分を見る。
一人のあなたは悪魔のささやきを聞く。復讐を果たす妄想に心を奪われる。
もう一人のあなたは、天使のささやきを聞く。すべてを赦し解き放とうとする。
自分の全存在を秤にかけて、正しい答えを出そうとする。
でも、実際には、どちらも選ばない。選べない。
悩みながらも、結論が出ない。出せない。
正義が通用しないと、神を非難しても、いつも応えはない。
愛が踏みにじられたと、神に嘆いても、いつも応えはない。
こうして、独り苦悶しながら年月を経るうちに、
徐々に心の中に葛藤(かっとう)が占める割合は減っていく。
ほかのことを考える時間が増えていく。
年月は止まらず流れていく。
これが、多くの人の辿る実際の姿だろう。
それが嫌だと感じるかも知れない。流された姿だと思うかも知れない。
でも、あなたは懸命に考え、葛藤した。
あなたは、苦しみながらも、ついに悪魔に心を売らなかった。
それは、勇気ある行為。戦いの戦果。
あなたが選んできた、第三の選択。
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No.14 怒りの解消方法
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悲しみと同様に、怒りも、吐き出してやらないといけない。
溜め込んでいては、身の毒になる。
特に、子どもの場合は、心の中で荒れ狂う怒りのエネルギーを
自己との対話で解決することが難しく、怒りを溜め込みやすい。
怒りは、言葉や絵にすることでも吐き出すことができるが、
体を動かして発散させるのが即効性のある方法だろう。
親を亡くした子どもに、ある神父がこう言ったという。
「しんどくなったときは、野球のバットで木を打ってごらん」
その子はこう言っている。
「その時は変なこと言ってるって思ったけど、
しんどくなった時本当に効き目があったんだよ」
親を亡くした子どものためのある施設では、エネルギーを
発散させるための専用の部屋がある。壁一面に厚いクッション
が取り付けてあり、中央に大きなサンドバックがぶら下げてある。
ここで、好きなだけ感情やエネルギーを発散することができる。
物を打ったり、殴ったりするなんて道徳的ではないという意見が
あるかも知れないが、そのような方法を取ることで怒りの
エネルギーを発散させるのは非常に大切なことだと思う。
もし、発散させてやらなければ、その怒りのエネルギーは
いつか誰か(周りの人や自分)を傷つけてしまうのだから。
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No.13 怒りの矛先
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許せない人間がおり、尋常ではない怒りを持ち続けていた場合、
その怒りのエネルギーは、行き場を失って暴発し、
結局、大切な家族や自分を傷つけていくと思う。
人を愛する優しい気持ちになりにくいため、些細なことで
イライラして家族に怒鳴ったり、没交渉になったりする。
自分は運命に見放された哀れな人間だと落ち込んだり、
つまらない無意味な人生だと自暴自棄になったりする。
心穏やかな時間が少ないために、ストレスから心や体を
病みやすい。鬱病になれば、その人の命までもが危ない。
怒りの矛(ほこ)という武器を握り締め続ける限り、
その切っ先は、周りの家族や自分を傷つけていく。
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No.12 テロで夫を亡くしたある妻の言葉
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9.11同時多発テロでペンシルバニア州に墜落したユナイテッド
航空93便のパイロットの妻が、追悼集会で述べた言葉です。
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人生は短い。憎んでいる暇はありません
〜ユナイテッド航空93便のパイロットの妻、サンディー・ダール
雑誌 「Newsweek 日本語版」 2002.9.25号より
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No.11 なぜ、復讐してはいけないか
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罪のない子どもが殺される事件が起きるたびに思う。
犯人を許せないと。
もし、愛する家族を殺されたとしたら、私は復讐しやしないだろうか。
復讐は間違った行為なのだろうか。
殺された命はこの世に生き返らない。
その子が過ごすべきだった何十年という未来を犯人は奪ったのだ。
その子が人生でやりたいことは、数え切れないくらいあったろう。
夢と希望に満ち溢れた無垢な命は、かけがえのなかったものなのだ。
この世にこれ以上、貴いものがあるだろうか。
生きていれば、どれだけその子と会話し、どれだけ笑いあって過ごしたことだろう。
つらいことがあれば、お互いに支えあい、苦楽を共にしたことだろう。
老いて体が利かなくなれば、立場が変わって親のように面倒をみてくれたことだろう。
そのすべての幸せを犯人は奪ったのだ。
その子の人生すべてと、家族の幸せを根こそぎ台無しにしたのだ。
犯人を憎む私は、人間的に未熟な人間なのだろうか。
今の日本の刑法では、人を殺してもたった数年で出所し、罪の償いを
したことになることがある。被害者の遺族は、その後の一生を
悲しみと苦しみの冷たい絶望の中で過ごすことがあるというのに。
こんな不完全な法に従うと、私は誓った覚えはない。
復讐しないことが、近代国家の法体系なのだという。
私はむしろ、敵討ちが美談とされた江戸時代の風習に共感を覚える。
心清く生きている人が踏みつけにされるべきではない。
人を傷つけて喜ぶ人間を赦したくない。私は、悪を憎む。
罪のない子どもが殺される世の中を創った神に異議を叫ぶ。
正義が通ってほしいと心底願う。
犯人に相応の処罰が与えられてしかるべきだと思う。
しかし、だ。
私の心の良心がいう。復讐はいけないと。
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No.10 自己崩壊への道
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良心は復讐を否定する。
心の耳を澄ましたときに、そのささやきは聞こえる。
こういうことだ。
犯人は、つまるところ、相手が気に食わなかったから人を殺めたのだ。
そして、もし、私が復讐をすれば、同じように、
相手が気に食わなかったから人を殺めることになる。
それは、鏡に映したように、どこまでも同じ行為だ。
だから、良心が許さない。
自分が憎んだ行為を自分がやることを許さないのだ。
それは、自己崩壊への道となることだろう。
過去には、復讐することの是非で心が彷徨って苦しかったのかも知れない。
未来には、自分の犯した行為の是非で心が彷徨う自分がいるのかも知れない。
結局、善と悪の間で心が引きちぎられる苦しみを味わうという点では変わりがない。
いや、思いだけではなく実際の行動に移したからには、はるかに過酷な苦しみが待っている。
社会的信用も、家族からの信頼も崩れ、そして自分自身への信頼も崩れ去る。
陰惨な復讐の記憶は、心に染み付き、容易に心の中から拭えない。
やがて、自分を赦せなくなって、自分を殺すことになるかも知れない。
そう、同じ結論が出る可能性は高い。
それが、正義感の強い自分のかつて出した結論だったからだ。
もう、恨みや憎しみを向ける相手は、他にどこにもいない。
何をしても、すべての思いは自分の犯した罪に向かう。
もし、自分を殺して償いをしたとしても罪は消えない。
その行為が、家族、恋人、親友に悲しみと苦しみを背負わすから。
問題は解決しない。
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No.9 憎しみの連鎖
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もし、復讐を果たして、そこでイーブンで終わればまだよい。
しかし、相手だって、人である以上お腹を痛めて産んだ母がいるし、
世話をしたりされたりする家族もいるだろう。
その家族から見れば、自分は単なる悪となるだろう。
もし、自分に犯人を殺す権利があったとしたのなら、同様に、
相手の家族に自分を殺す権利が発生することになる。
一人の死は、周囲の多くの人を悲しみに沈める。負の連鎖がこうして続く。
これは、社会が滅びにいたる道だ。
争いは、拡大し、罪のない人々の悲しみ、苦しみが増えるだろう。
復讐が是なら、燎原の火のようにたちまち憎しみの炎が社会を焼き尽くすだろう。
誰もが正義を主張しながら。
実際、すべての戦争は、誰かが誰かを憎み、殺すことで始まる。
こうして、憎しみの連鎖が続く。
この世は、自分と犯人だけの世界ではない。
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No.8 良心の残酷さについて
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人の心の中には、絶対君主の王者がいる。
その名は、良心だ。
彼は、小さな罪には鷹揚にかまえることもある。
しかし、大きな罪、魂を汚すような罪に対しては、その犯罪者を
決して許さない。絶対の基準を掲げ、執念深く、絶え間なく
心の奥からささやき続け、罪人に罪の認識と贖罪を求める。
彼は罪人を断罪するために、心を闇で閉ざす。
彼は、心を自己嫌悪の冷たい水で満たす。
心の奥底の皇帝は、自分の存在に気付く瞬間までささやき続ける。
彼の声を聞かないふりをしても、彼の声は執拗に止むことがない。
おまえは、一体何をしたと。
彼に魅入られたものは、心が冷え、虚しさに心を奪われるようになる。
イライラし、眠りが浅くなり、アルコールなどに逃避するようになる。
彼は、心の安寧を奪い、希望を奪い、不安を植えつける。
それでも罪を認めなければ、やがて、彼は、自己信頼という人の
基盤を崩しにかかる。その刑を受けた者は、無意識のうちに、
自分を価値のないくだらない人間だと感じ始める。
他人が立派に見え、常に劣等感が心を蝕むようになる。
人を愛し愛される能力も弱り、不信と猜疑という名の独房の主となる。
さらに、罪を認めない者には、彼は精神を病むほどの葛藤を準備する。
−−−そう、彼から逃れる術はない。夢の中でさえ彼の力は及ぶ。
彼にひざまずき、泣いて許しを請うまで、責めは続く。
そう、彼は残酷だ。
−−−正義という名の報復が、大量に人を殺すように。
良心も、悪も、同じ円環の二方向でしかない。
本質は同じ、どちらも人間である自分だ。
光と影。善があるから、悪がある。
相対的なものでしかない。
心の中にある良心も悪も、その存在を認め、きちんと対話が
できるようになることが必要なのだと思う。
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No.7 死別と怒り
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このサイトでは主に「悲しみ」の癒しにスポットを当てていますが、
自殺者の遺族の場合「怒り」の解消も重要なことだと思います。
それは、ほかの誰でもなく、死者に対する怒りです。
−−−なぜ、自分を残して死んでしまったのか、という怒りです。
厳かな葬儀の中、花に埋もれて静けさの中にいたその人は、もはや
仏として扱われ、神聖な気配さえ漂わせていたかも知れません。
死者に鞭打つ言葉を吐くなんて、という意識もあるかも知れません。
常識的には、死なれたら悲しむことが普通です。故人に対して
怒りを感じることは、泣いてあげることと逆のような気がします。
周囲が悲しみ、涙するなか、悲しみの感情の影になって、自分が
怒りを感じていることにさえ気づかないケースさえあります。
しかし、特に自殺で残された遺族には怒りという感情を解き放つ
ことは、大切です。そう、故人に対して怒ってもよいのです。
−−−なぜ、自分を残して、勝手に逝ってしまったのか、と。
解き放たれない怒りは、形を変えて誰かに対する怒りになることでしょう。
それは、自分に対する怒りとして、自己破壊的なエネルギーの源泉に
なるかも知れませんし、家族、恋人、友人との間に諍いや亀裂を
生んだりするかも知れません。あなたを、いつもイライラとした、
人嫌いで、孤独な人間にしてしまうかも知れません。
あなたは、こんなにも無残でひどい目に遭ってしまっているのだから、
少しは文句を言っていいはずです。なぜ、死んでしまったのか、と。
その人も可哀想かも知れませんが、きっと、あなたの方が可哀想です。
その人は覚悟の上ですが、あなたは巻き込まれてしまったのですから。
あなたらしい方法で、心の中でその人に文句を言ってみてください。
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No.6 悲しみから逃れる方法について その1
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人は、悲しみの耐えがたい心の痛みに襲われるとき、
そこから逃れようともがき、苦しむ。
感情から逃れることは、実に難しい。
特に、負の感情は人の心をわしづかみにして離そうとしない。
−−−恨み、怒り、憎しみ。
それらは、他人に向くだけではなく、多分に自分にも向く。
うまく自制がきかなければ、破壊的、攻撃的、自滅的な行為を
頭の中でぐるぐるとめぐらす妄想の日々を過ごすことになる。
ただ、悲しみという感情自体は負でも、正でもないと思う。
悲しみそのものの受け止め方でどちらにでもなる。
悲しみそのものは、恨み、怒り、憎しみと結びつかない限り、
負のエネルギーではないと思う。むしろ、それは愛に近い。
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No.5 悲しみから逃れる方法について その2
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悲しみから逃れるために大切な点は、悲しみそのものに、
恨み、怒り、憎しみ、という負の感情を
結びつけないようにすることだと思う。
あなたは、悲しみに自分への恨みを結びつけていませんか?
あなたは、悲しみに自分への怒りを結びつけていませんか?
あなたは、悲しみに自分への憎しみを結びつけていませんか?
あなたは、悲しみに他人への恨みを結びつけていませんか?
あなたは、悲しみに他人への怒りを結びつけていませんか?
あなたは、悲しみに他人への憎しみを結びつけていませんか?
そう、まず最初に必要なことは、悲しみから逃れるのではなく、
負の感情から逃れること。つまり、誰かを赦すこと。
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No.4 恨みや怒りや憎しみの鎮め方−−その1
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愛する人が犯罪に巻き込まれて無残に亡くなったとき、
あるいは、誰かに追い込まれて自殺で亡くなったとき、
遺族は悲しみと同時に、恨みや怒りや憎しみいう、とても対処の
難しい感情の渦に放り込まれることになってしまいます。
−−−しかも、何の心の準備のないまま、突然に。
恨みや怒りや憎しみは、心をがっちりと握り締めて
その支配を容易に止めようとはしません。
これらの感情は、本当に逃れることが難しいものです。
一般に、恨みや怒りや憎しみは、日々の想念を
重く暗くドロドロとしたものにします。
対象となる人に対して、ありとあらゆる復讐の方法を考えさせ続けます。
何度も何度も、繰り返し繰り返し、どうやって相手に
この感情に見合うダメージを与えようか、考えさせ続けます。
今度会ったときにこういうふうに言葉を投げつけてやろうとか、
夜更けに、無言電話をしてやろうとか、相手の会社やマスコミに
投書して相手の立場を追いつめてやろうとか、果ては、自分が
あてつけに自殺して、あの世から怨念となって苦しめてやろうとか
相手を殺して自分も死のうとまで思い詰めさせます。
なにしろ、愛する人の大切な人生と、自分の人生を滅茶苦茶にした
相手なのですから、向こうにも言い分があるのかも知れませんが、
言葉で謝ったからといって、そう簡単に赦せる訳ありません。
恨みや怒りや憎しみは、頭に血を昇らせ、表情を険しいものにさせ、
食欲をなくさせ、心の安らぎを奪い、睡眠を浅くさせます。
−−−苦しいものです。心も体も疲れていってしまいます。
苦しみの原因は、つまるところ心の中の葛藤から生じるものでしょう。
アクセルとブレーキを同時に踏み続けるため、心が磨耗して
焼けついてしまうのだと思います。
常識のある大人であるならば、恨みや怒りや憎しみのままには行動できません。
心の中の獣性は、復讐を叫び続けます。恨みと怒りと憎しみを相手に
ぶちまけることを主張します。自分と同じ、いや死んだ者は帰らない
のだから、それ以上の苦しみを相手に味合わせなければ、不当だと。
そして、心の中の理性は、それを必死で止めに入ります。
人を愛することが世の中で本当に大切なことで、復讐なんて無意味だ、と。
社会の一員として、世の法律や良識に従い、感情的に行動すべきではない、と。
社会人として、大人として、いままでの自分が積み上げてきたものを
すべて台無しにする汚点を残す気か、私の周りの人はどうなる、と。
相手の人間だって、親や家族もいる。バカなことを考えるな、と。
いかに、すさまじい怨念があろうと、自分の中の理性がそれを許しません。
心の中で、天使と悪魔がせめぎあって、戦場となっている状態です。
この状態は、精神的なエネルギーを大変に消耗します。
疲れ切って、鬱状態になることもあります。
ふと、なにもかも嫌になって、死にたくなることもあります。
それに、恨みや怒りや憎しみという感情は、悲しみという感情を固定化
させてしまいがちです。悲しみからもいつまでも逃れられなくなります。
そう、なんとかして、恨みや怒りや憎しみという感情の渦から抜け出す
決心をすべきなのです。前向きに、自分らしく生きる為に。
身も心もボロボロになってしまう前に。
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No.3 恨みや怒りや憎しみの鎮め方−−その2
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人間愛だけで、恨みや怒りや憎しみを克服するには、よほど強い
精神的な支柱や人格的な成熟が必要なのでしょう。
私のような凡人には、率直なところ難しいものです。
むしろ、この世の不条理に対して、正義はどこに
あるのか、といきり立ってしまうことでしょう。
もちろん、正義が通らない世の中であるべきではありません。
善人が泣き寝入りするような社会であってはいけません。
同じ目に遭う人が二度と出ないようにするためにも、
きちんと法というルールを適用して、正邪をはっきりさせることは、
社会人として第一に考えるべき、恨みや怒りや憎しみを解消する方法です。
正義を通すために、証拠を集めて裁判に臨むのもよいでしょう。
勝訴すれば、正当な方法で相手に償いをさせることができます。
社会的に相手の罪を認めさせ、刑に服させることで、
自分の中のわだかまりがある程度消えるはずです。
また、裁判を通して、相手にも自己反省の機会があるかも知れません。
もし、法に不備があって、あまりに罪が軽いと思える場合には、法制度を
改善するように運動し、法律を変えることも不可能ではありません。
実際に、そのように行動して悪質な交通事故に対する刑罰を重くする
ことに成功した遺族達がいます。彼らは、続く被害者や遺族が
出ないように、極めて意味のある行為を成し遂げたのです。
この場合、怒りは世の中をよくするための善のエネルギーへと昇華されて
いることに注目してください。動かないものを動かす力となるのです。
社会的に正義を通すことで、恨みや怒りや憎しみを解消するという方法は、
自分自身のためだけではなく、社会を良くする働きともなります。
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No.2 恨みや怒りや憎しみの鎮め方−−その3
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もし、社会的な制裁を望んでも、相手が不詳だったり、
証拠がなかったりする場合は、裁判という方法は使えません。
遺族は、怒りをどこにもぶつけることができず、世の不条理に
煩悶し、悔し涙にくれるばかりの日々かも知れません。
絶望に胸を塞がれ、虚空に向かって胸の中で叫ぶこともあるかも
知れません。どこに神がいるのかと、どこに正義があるのかと。
そんなとき、次の賢人や聖人の言葉を知っておくと、
少しは心の安らぎが得られるかも知れません。
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天網恢恢疎にして漏らさず
〜老子
老子 第七三章より
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老子の言葉です。(てんもうかいかいそにしてもらさず)と読みます。天網は目が粗いようだが、悪人を漏らさず捕らえる。天道は厳正で悪事をはたらいた者には必ずその報いがある、という意味(「大辞林」より)です。どんな悪事にもその報いは必ずあるというこの言葉に、世の中に正義はあるのだと安心できる言葉です。
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天罰は遅くとも必ず来る
Heaven's vengeance is slow but sure.
英語の諺より
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上の老子の言葉の英訳としてよく使われる諺です。因果応報の考えにも通じるところがあります。
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復讐するは我にあり
〜キリスト
新約聖書 ローマ人への手紙12章19節より
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聖書の言葉です。誤解されて引用されることもある言葉ですが、「我」というのは神様を指します。裁きをし、復讐をするのは神様の役割であって、人の役割ではない、という意味の言葉です。人が悪意を他人に向けるなどという醜い行為をしなくても、すべては神様がうまく取り計らってくれるのなら、人が悩む必要はありません。
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罪を憎んで、人を憎まず
〜孔子
孔鮒 孔叢子(くぞうし)より
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その人自身を憎まないという寛容な姿勢は、私たちの心のどこかに共感するものがあります。人は誰でも、光の部分と影の部分を持ち、その間で揺れ動いている存在ですから。
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最も気高い復しゅう方法は、相手を許すことである
The noblest vengeance is to forgive.
英語の諺より
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相手の悪の部分を相手にするのではなく、善の部分に訴えかけることで、相手の悪の部分に光を当てて浄化させるような行いを指しているのでしょう。美しく気高い方法です。
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No.1 恨みや怒りや憎しみの鎮め方−−その4
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もし、恨みや怒りや憎しみを抑えきれずに、復讐を果たしたとき−−−。
一時は、達成感を感じるかもしれません。しかし、すぐにより大きな
苦しみに心を襲われ、その人はさらに悶え苦しむことになるでしょう。
結局、人の心には誰にでも良心があるからです。
仮に誰にもばれずにことを運んだとしても、自分自身は騙せません。
自分の良心からは死んでも逃れられません。
いかに心の表層部で復讐を正当化しようとも、心の奥底で、
魂のレベルで、常に罪悪感に責め続けられることでしょう。
「因果応報」という言葉があります。
人に為したことは、自分に為したことです。
必ず、自分に返ってきます。結局、誰かを傷つけることは、
自分を傷つけることと同じなのだと思います。
たとえ、今生で返ってこなくても、来世で返ってくるのでしょう。
この苦しみが、過去の自分の行いの因果応報であると仮定
するならば、あえて、いまこの苦しみに耐えることが、
恨みや怒りと憎しみの連鎖から抜け出す鍵であるのかも知れません。
そう、もし復讐をしてしまったのなら、自分は相手と同じ存在です。
あなたのいままでの批難はそのまま自分に向かう刃となるでしょう。
因果は巡ります。