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映画「A.I.」の感想 [2001.08.13] |
本格SFの香り高い意欲作。ただし、エンターティメントとして見れば、前半の展開がやや退屈で、上映時間の長さが気になる。 ともすると子供型ロボットの純粋な願いが遥か未来で叶いました、めでたしめでたしと、ただそれだけの陳腐な映画に見えてしまうことが難点。ピノキオというおとぎ話を特殊効果たっぷりのSF映画に置き換えた程度の意味しかないように思える。 しかし、注意して見れば、この少年型ロボットが体験した一連のごく小さなエピソードが、人間そのものの存在を人類史の壮大なスケール通じて物語ろうとしていることに気付くはずだ。愛とは何か、存在とは何か、人間性とは何か、と。 −−−−少年の妖精を追う夢物語を見守って、気が付けば、そこは人類の存在を見晴らす遥かな高みにいる。 数千年の彼方、人類は絶滅しており、ロボット達は生き残った。 その時代、ロボット達の姿は神々しいまでに洗練されていた。 そして、その内面も。 純粋な「愛」を持つ存在は永い時間の流れの後に生き残ったが、人類は恐竜のように滅んだ。 ロボットを残酷に破壊するショーを楽しんでいた人類は、いかにも愚かだ。憎しみあって、滅びたのだろうか?欲望の都市「ルージュ・シティ」も、人間の醜さを反映している。 未来のロボット達は、人間を越えた存在として描かれ、存在の意味を探し求めて、人類を再生しようとさえしている。彼らは少年に共感し、手助けをする。共感とは「愛」にほかならない。 彼らは少年の幸せを願う。そして少年の夢が叶う。 この純粋な「愛」こそは、少年の心から始まったものにほかならない。傷つけられても、求め続ける無償の愛。 少年こそ、人類史においてターニングポイントとなる存在だったのだ。最初の一体。セックスロボットではなく「愛」を持つロボット。 すべての純粋な愛が流れ始める地点であると同時に、鏡として人類の存在と姿勢が問い直され始める地点。 その鏡には、人類の愚かさ、醜さがたくさん映し出された。しかし、少年は、ただ限りなく「愛」を求めた。 ラストシーン、永い時間の流れの末に、少年の純粋な愛が報われる。 愛は時間を越え、死をも乗り越えた(これこそ人の願い、夢)。 これから、人類の後継であるロボット達は、どのような世界を創り出して行くのだろうか?少年の夢を成就させる優しさをもった彼らは。 彼らは「愛」を求めるだけではなく、与えることを知っている。 それは、美しい世界に違いない。それが、たとえ鏡像であったとしても。 |