お花畑でつかまえて 日本語で読める英米SFアンソロジー・ガイド
     大森 望  《てんぷら★さんらいず》4号初出(1989年11月刊)

注:1989年の原稿なので、入手難易度・品切・絶版などの情報は全面的に無意味になっています。



■お花畑でつかまえて・その1
 ――福島とメリルから生まれたもの――


 海外SF入門は、やっぱりアンソロジーにかぎる。だって長編なんかなに読んだっておんなじなんだもん、という持論を展開するのはここでは自粛するけれど、なんといってもたった一冊でいろんな作家の名前が覚えられるし、SF知識の向上という意味からは、長編を読むより十倍効率的だ。だいいち長編しか読まないのでは、作家の数がかぎられてしまうではないか。いつの世の中にも、マイナー・ポエットと呼ばれる作家たちは存在するのだし、日本の海外SF出版状況からして、そういう人たちの作品は短編でしか読めない場合が多い。となればいきおい、SFマガジンのバックナンバーを漁るか、アンソロジーを読むしかない。雑誌のバックナンバーを読みふけるというのはどことなくうしろ向きで隠微な感じがして堪えられない快感なのだが、中学生や高校生のSFファンに、「ま、SFマガジンのバックナンバーを百冊も読んでから出なおしてきな」なんて無理難題ははとてもいえない。

 その点、日本で出ている海外SFのアンソロジーなんてせいぜい百五十冊かそこらだから、ぜんぶ読もうと思えば一年で読めてしまう。そうすれば、もうあなたはSFの達人である。長編百五十冊読んだってとてもいばるところまでいかないから、これは超お得であるといえよう。新刊書店で手に入るものはすくないが、それはアンソロジーの宿命で、売れないのだからしかたがない。といっても、ここで紹介するアンソロジーはみんな文庫で出ているやつだから、手に入りにくいといってもたかが知れている。古本屋にはいるたびにまめにさがすようにしていれば、そのうち手に入るだろう。だめなら借りればいいだけの話である。

 さて、のっけから私事にわたって恐縮だが、ぼくの場合、海外SF入門の第一歩は、福島正実のアンソロジーだった。古本屋で買い漁った、緑の背表紙の芳賀書店版を読みふけっていたのはもうずいぶんむかしの話で、いまでは講談社文庫に収録されて、だれでも簡単に買えるようになったのは十三、四年前の話で、現在はそれもすべて絶版(話がややこしくなるので、以下、福島アンソロジーとして一括して扱うが、芳賀書店版と講談社版には、配列の違いをべつにしても、かなりの異同がある。『破滅の日』なんか、一編抜いただけだけど、『クレイジー・ユーモア』では、十二編中五編まで入れ替わっていて、ほとんどべつのアンソロジーである)。もっとも、講談社版は完全に絶版になってから日が浅いから、古本屋の三冊百円コーナーで拾うのはそれほどむずかしくない。

 福島アンソロジーは、時間・次元もの、破滅もの、未来ものといった古典的なテーマ別分類がなされていて、古きよきアイデア・ストーリーを楽しむと同時に、海外SFの日本における受容の歴史まで学習できる。巻末には、各テーマの代表的作品リストのおまけつき。しかも、名作、傑作、ピリオド・ピースの目白押しで、海外SF短編の基礎はこれで万全(逆にいうと、若い人にもこのくらいは読んでいてほしいと老婆心が忠告する作品がそろっている)。収録作品を二編ずつあげてみる(かっこ内は講談社文庫版収録巻のタイトル)。

 ウィリアム・テン「クリスマス・プレゼント」、アラン・E・ナース「虎の尾をつかんだら」(時と次元の彼方から)、シェクリイ「ひる」、レックス・ジャトコ「豚の飼育と交配について」(破滅の日)、ブラッドベリ「草原」、マシスン「ショク……」(未来ショック)、レンスター「最初の接触」、エフレーモフ「宇宙翔けるもの」(千億の世界)、ルイス・パジェット「黒い天使」、デル・リイ「愛しのヘレン」(人間を超えるもの)、シオドア・コグスウェル「壁の中」、ハミルトン「反対進化」(不思議な国のラプソディ)、デーモン・ナイト「人類供応法」、ジョン・D・マクドナルド「四次元フープ」(クレージー・ユーモア)、ヴェルヌ「2889年」、チャペック「RUR ロッサム万能ロボット会社」(華麗なる幻想)。

 福島アンソロジーの最大の特徴は、その驚くべきもてなしのよさにある。どの巻のどの作品を読もうと、失望させられることはほとんどない。だれが読んでも楽しめる、わかりやすい短編がそろっている。SFファンの心の故郷というか、子宮のように居心地のよい世界なのだ。しかし、子宮の中に安住していたのでは、りっぱなSFマニアとして産ぶ声をあげることはできない。日本人が選んだアンソロジーには多かれ少なかれ共通することなのだけれど、あまりにも日本人好みの作品がそろいすぎていると(つまり、すみからすみまでわかってしまうと)、そこから先への向上心が育たない。人間、わからないものにぶつかってはじめて、学習意欲がわいてくる。そこで登場するのが、ジュディス・メリルである。

 いまでは版元在庫もまるきりなくなってしまったジュディス・メリル編の『年刊SF傑作選』(以下〈メリル〉と略)こそ、福島アンソロジーを卒業したぼくの、中学時代の教科書だった。日本版メリルの1から7までには、六〇年から六七年までの短編がおさめられており、六〇年代SFの最良の成果と、時代の空気とが一望できる。ジョージ・マクベスとか、ソーニャ・ドーマンとか、ウィリアム・バロウズ(!)とか、〈メリル〉ではじめて知った名前もたくさんある。佐藤史生がどっかに好きだと書いててぶったまげたノーマン・ケイガン「数理飛行士」なんて怪作も、このアンソロジーでしか読めません。

 アメリカン・ニューウェーヴの理論的指導者だったメリルの編集は、年を追うごとに、コンベンショナルなサイエンス・フィクションから、境界領域までとりこんだスペキュラティヴ・ファビュレーションへと領土を拡張してゆく。それにくわえて、アジテーションのきいた彼女の解説が男の子の知的好奇心をくすぐる。たとえばこんな具合。
 むろん、人にはそれぞれのささやかなスノビズムがある。ベストセラー流哲学、ポップ・テクノロジー、二つの文化のプロフェッサーたち――その代表のマクルーハン。しかし、わたしはちょうどR・D・レインを発見したばかりだったのだ。そしてエドワード・ホールを、エドゥアルド・パオロッチを、カール・セイガンとI・S・シクロフスキーを、ジョン・バースを。そして、とつぜんに、サージェント・ペパーを!(中略)
 しかし……「時代は変わる」……ボブ・ディランとジョゼフ・ヘラーが、その口火を切った。ローレン・アイズリー、アーサー・ケストラー、バックミンスター・フラー、フレッド・ホイル。そして、いまは――オーネット・コールマン、クレース・オールデンバーグ、エド・エムシュウィラー。ジャリとボルヘス、バロウズとミショー、ヴォネガットと(意外な関連性)バラード――すべてがいっせいに大きく出現し、流行し、もはや飛び領土のヒーローではなく、文化現象となった……「しだいによくなってゆく」……オーケイ、そこでわたしはマクルーハンを読む」(浅倉久志訳、7の序文より)
 メリルがこれを書いたのが、二十年以上前だということを忘れないでほしい。スターリングなんか目じゃないこの過激さ。いたいけな高校一年生がしびれてしまうのも無理はない。こうして大量のニュー・ウェーヴ少年が生産されていったのである。

 以上のことからも容易に想像がつくように、〈メリル〉は、福島アンソロジーとは対極をなすアクの強い構成なんだけど、しかし、邦訳は、日本人にはわかりにくい、オリジナルの三分の一程度の作品をカットしたアブリッジ版なので、結果的にはけっこう読みやすいアンソロジーになっている(ちなみに、7でカットされている作家には、アップダイク、ハーネス、ギュンター・グラス、キャロル・エムシュイラーなんて名前がある。ずいぶんイメージちがうでしょ? あと、映画「ゼイ・リブ」の原作になったレイ・ネルソンの「午前八時」なんかもカットされたくち)。おおむねわかるラインナップの中に、ときおり「なんじゃこりゃ!?」ってのがまじってる、これがミソ。わかんない作品ばっかだと投げちゃうからね。

 各巻ごとに詳細に解説しているスペースはないけど、注目の巻を選んでみると、まずコードウェイナー・スミスの「ショイヨルという星」を収録した2。スミスをこのアンソロジーではじめて読み、ぶったまげた人は多い。ほかに、ヤング「たんぽぽ娘」、ライバー「ビート星群」、リード「ユダの爆弾」など。4の巻末もスミス「酔いどれ船」。マラマッドの「ユダヤ鳥」なんてものから、ベスター「ジープを走らせる娘」(「昔を今になすよしもがな」とおなじ)、ラファティ「恐怖の七日間」まではいっている。5あたりになると相当異様なラインナップで、リード「オートマチックの虎」、ネスワドバ「第三帝国の秘密兵器」、ディッシュ「降りる」、ドナルド・ホール「すてきな犬のぬいぐるみ服」、バンチ「実地教育」、前述「数理飛行士」と、かなりすごいものがある。もっとも、ちゃんと「伝導の書に薔薇を」もはいっているからだいじょうぶだ。6は、キース・ロバーツ(アリステア・ベヴァン名義)「スーザン」、ボルヘス「円環の廃墟」、ジョゼフィン・サクストン「障壁」、あとトム・ハーゾグとか、アート・バックウォルドとか。とどめの7は、ラファティが二編に、いまとなってはだれも知らないテューリ・カプファーバーグ(ロック・ミュージシャン)の詩が三編はいっている過激ぶり。ジョージ・マクベスの名作「山リンゴの危機」、ウィリアム・バロウズの「おぼえていないときもある」なんかが目をひくが、なんといってもこの巻はライバー「冬の蝿」とディレイニー「スター・ピット」が二大傑作である。

 別巻で出ている『SFベスト・オブ・ザ・ベスト上下』は、タイトルどおり、本国版の最初の五冊(五五年から五九年)から選りすぐったアンソロジーの全訳(ただし、すでに創元で出ているバラードの短編集に収録ずみの二編は割愛)。マッケナの不朽の名作「闘士ケイシー、ヘンダースンの「なんでも箱」、ナイトの「異星人ステーション」、ライバーのガミッチもの「跳躍者の時空」、コードウェイナー・スミス「夢幻世界へ」、バドリス「隠れ家」 など。

 書いているときりがないので、〈メリル〉についてはこのくらいにしておこう。いまこうやってぱらぱらめくっていても、万感の思いが胸にこみあげてくる――というのはおおげさにしても、苦労してさがして読む値打ちはぜったいにある。

【参考資料】福島アンソロジー収録作リスト



■お花畑でつかまえて・その2
  ――英米SFアンソロジー駆け足ツアー――


 この稿では、これからアンソロジーを読んでみようという人のために、第一部で扱った福島・メリルをのぞく、注目すべき英米SFのアンソロジーを超急ぎ足で概観する。スペースもないので、古くて入手困難なもの、ごく新しくて有名なものは省いた。悲しくなるからいちいち絶版とは書かないけど、特記するもの以外はみんな絶版ね。アンソロジーなんてすぐ絶版になると思っていたほうがいい、売れないんだから。なお、◎○△のマークは、アンソロジーとしての魅力に対する主観的な評価。

 出版社別に見ていくと、まず講談社文庫からは、前述福島アンソロジーの続巻として、伊藤典夫編の『ファンタジーへの誘い』◎。SF作家によるファンタジー短編のアンソロジーというコンセプトをたてつつ、巻頭にピーター・ビーグルの「死神よ来たれ」を持ってくるこの玄人芸を見よ。ほかに、ジェローム・ビクスビイ「きょうも上天気」、テン「十三階」など。あと、有名なのが浅倉久志編集の『世界ユーモアSF傑作選1、2』◎。これも異常にもてなしのいいアンソロジーで、どこから読んでもおもしろく、しかもほかでは読めない傑作が山盛り。どちらかというと2のほうにひねった話が多く、マニアの支持が高い。1には、アーサー・エディントン「呼吸のつづく狒々がいて」、スピンラッド「主観性」、ウイル・スタントン「ガムドロップ・キング」、2にはジェローム・ビクスビイ「火星をめぐる穴・穴・穴」、ヴォネガット「ザ・ビッグ・スペース・ファック」、キャサリン・マクリーン「雪だるま効果」などを収録。日本編集ものでは、ほかに、風見潤・安田均編『世界SFパロディ傑作選』△、風見潤編『SFミステリ傑作選』△もある。

 忘れちゃいけないのが、『ヒューゴー・ウィナーズ/世界SF大賞傑作選』○。全八巻中第三巻(ファーマー「紫年金の遊蕩者たち」、マキャフリイ「大巌洞人来たる」が収録されるはずだった巻)が未刊に終わったのは有名な話だが、ま、どっちもほかで読める。これは、アシモフ編のTHE HUGO WINNERS を全訳したSFシリーズ版『ヒューゴー賞傑作集bP、2』につづいて、THE HUGO WINNERS の volume2と3を八冊に分けたもの。前半の四冊(うち一冊未刊)と後半の四冊でおのおの一巻のアンソロジーとなる。伊藤典夫解説が懇切丁寧で、資料的価値は高い。そのほか講談社ではシルヴァーバーグ編の『ミュータント傑作選』○、シルヴァーバーグ、グリーンバーグ、オランダー編の『カーSF傑作選』○が意外とおもしろい。プロンジーニ&マルツバーグの合作SFアンソロジー『一ダースの未来』△なんて変わり種もある。それから、アシモフ、グリーンバーグ、オランダー三人組の編集したショートショート集として、全百編を集めた『三分間の宇宙』○と七一編を集めた『ミニミニSF傑作展』△がある。F・M・バズビイとかブルース・マカリスターとかはいってて侮れない。

 集英社では、コバルト・シリーズの風見潤編〈海外ロマンチックSF傑作選〉全三冊(『魔女も恋をする』『たんぽぽ娘』『見えない友だち34人+1』△)が、入門書としては最適。最初の二冊は再録ばかりだが、三冊目にはセリングズ「地球ってなあに」、ガン「魔術師」が新訳ではいっている。これに対して、安田均・風見潤共編の『天使の卵/宇宙人SF傑作選』○『ロボット貯金箱/ロボットSF傑作選』△は、ほぼ訳し下ろしで、前者はエドガー・パングボーンの表題作に、キャロル・カー「わが家の異星問題」、マーティン「スターレディ」、後者はカットナーの表題作に、ウィルヘルム「アンドーヴァーの犯罪」テリイ・カー「ロボットはここに」など。意欲は買えるが、各五編しかはいっていないので、アンソロジーとしての印象は薄い。これに、アシモフ、グリーンバーグ・ウォー編のショートショート絵本八冊をまとめて二冊に編集しなおした『海外SFショートショート秀作選1、2』△をくわえてコバルトはおしまい。

 本家・集英社文庫の、『さよならロビンソン・クルーソー』『気球に乗った異端者』△の二冊は、小松左京・かんべむさしを名目編者にたてた、アシモフズ誌の七七年度年間ベスト集。邦訳刊行当時としては珍しく、新しい作品のアンソロジーだった。表題作はそれぞれ、ジョン・ヴァーリイ、ディ・キャンプ。ほかにセイバーヘーゲン「皆既食の時期」、ジョン・シャーリイ「二人の異邦人」、バズビイ「バックスペース」など。

 新潮文庫では、伊藤典夫・浅倉久志編の〈宇宙SF傑作選〉『スペースマン』『スターシップ』◎と、〈時間SF傑作選〉『タイム・トラベラー』◎がある。いまのところ最新の日本オリジナルのアンソロジーで、現在も書店で簡単に手に入るから収録作には触れないが(宇宙SFのほうは二冊とも版元品切れだが、流通在庫がある)、新旧のバランスよく、空間と時間という二大テーマの粒よりの作品を集め、各編にくわしい解題がついているので、いますぐアンソロジーで入門したいという人にはうってつけかもしれない。あと、アシモフほか編の『SF九つの犯罪』△もまだ比較的に手に入りやすい。
 ハヤカワ文庫SF。アンソロジーが意外とすくないのは、売れないという固定観念があったせいで、ま、だからこそ講談社や集英社からばかばかアンソロジーが出てたわけなんだけど、その中では超有名なのがウォルハイム&カーの年間SF傑作選シリーズ。六五年版から六八年版まで四冊出ている。最初の三冊は〈メリル〉の5、6、7と重なるので、読み比べて対戦させるのも一興。京大SF研では読書会でや〈メリル7〉対『追憶売ります』の勝負をやって、「スターピット」を擁するメリルの圧勝に終わった。〈メリル〉とくらべると保守的で、SFの伝統に忠実な(ということは読みやすい)作品が多い。出たのが遅いので、個人的には思い入れが少ないが、ぼくより下の世代ではこれでSF入門をはたした連中も大勢いる。注目作は、ウィリアム・F・テンプルの表題作、マキャップの超怪作「完璧な装備」(時のはざま△)、シマック「河を渡って木立をぬけて」、マッスン「旅人の憩い」(忘却の惑星○)、デイヴィッドスン「どんがらがん」、ボール「デイ・ミリオン」(追憶売ります○)、ロバーツ「コランダ」、コンプトン「イギリスに住むということは」(ホークスビル収容所○)。伊藤・浅倉編の『冷たい方程式』『空は船でいっぱい』○はSFマガジン・ベスト。マクレイン「接触汚染」、ロジャ・ディー「いつの日か還る」、ムーア「美女ありき」、ワイマン・グイン「危険な関係」など。野田昌宏編のスペオペ・アンソロジー『太陽系無宿』『お祖母ちゃんと宇宙海賊』○はほのぼのがうれしい。ハーラン・エリスン編『危険なヴィジョン1』○は、いまも注文すれば買えるのでお早めにどうぞ(いまならきっとシールつきだ)。ジョゼフ・エルダー編『ラブメイカー』△は女のSFがたくさんはいっている。『ミラーシェード』『アザー・エデン』はみなさんご存じのとおり。

 創元もまだいろいろあるけど、メリル以外の英米ものはぜんぶ在庫があるそうなので、タイトルだけにとどめる。フレドリック・ブラウン&マック・レナルズのユーモアSFアンソロジー『SFカーニバル』○(H・B・ファイフ「ロボット編集者」、ネルスン・ボンド「SF作家失格」など)、レオ・マーグリイズ&オスカー・J・フレンド編『マイ・ベストSF』○(カットナー「いま見ちゃいけない」、フレッチャー・プラット「グリムショウ博士の療養所」など)、エド・ファーマン&マルツバーグ編『究極のSF――13の解答』◎(オールディス「三つの謎の物語のための略図」、ハリスン「CCCのスペース・ラット」)『ギャラクシー上下』◎くらいをおさえとけばいいだろう。
 サンリオSF文庫からは年間傑作選一冊とオリジナル・アンソロジー三冊が出ているが、見るべきものはない。ハリスン&オールディス編『ベストSF1』△は六八年度版のベスト。オールディスの巻末エッセイ「紙宇宙船の騎士たち」が貴重。ヴァージニア・キッド編『女の千年王国』△は、マリリン・ハッカーの詩と小池美佐子の訳者あとがきが目を引く程度。ラングドン・ジョーンズ編『新しいSF』△はニュー・ウェーヴ・アンソロジー。ふつうのSFでは満足できない人向き。ジェイムズ・サリスの名作「蟋蟀の眼の不安」をはじめ、バラードとジョージ・マクベスの対談、ムアコックの「北京交点」、パメラ・ゾリーンの「心のオランダ」など。これも野口幸夫の熱血あとがきつき。クリストファー・プリースト編『アンティシペイション』△はイギリスSFアンソロジー。ワトスン「超低速時間移行機」、オールディス「中国的世界観」など。

 文庫だけにするつもりだったが、ベストテンにかなりはいってきているようなので、SFシリーズはタイトルだけ挙げておく。メリル編『宇宙の妖怪たち』(スタージョン「ある思考方法」、ライバー「男が悲鳴をあげる夜」、マンリイ・ウェイド・ウェルマン「醜鳥」ほか) グロフ・コンクリン編『宇宙恐怖物語』(ナース「悪夢の兄弟」、チャド・オリヴァー「ふるさとの我が家にようこそ」ほか)、『SFマガジン・ベストbP〜bS』(ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」、スタージョン「雷鳴と薔薇」、マシスン「男と女から生まれたもの」、カットナー「トラブル・パイル」ほか)、『ヒューゴー賞傑作選bP、2』(ミラー「時代おくれの名優」、デイヴィッドスン「あるいは牡蛎でいっぱいの海」、ブロック「地獄行列車」、キイス「アルジャーノンに花束を」)、『時間と空間の冒険bP、2』(スカイラー・ミラー「時の砂」、ベスター「イヴのいないアダム」、ハリイ・ベイツ「サイズの問題」、バウチャー「Q.U.R.」)。『ニュー・ワールズ傑作選bP』は好きだからぜんぶ書こう。どうせ七編だし、ゼラズニイ「十二月の鍵」をのぞけばほかで読めないのばかりだ。オールディス「小さな暴露」は、〈本の雑誌〉十月号の座談会で椎名誠が、むかし読んだホラー小説といってあらすじをしゃべっていた。考えてみるとこわい話だ。マッスン「二代之間男」は驚異の擬古文翻訳。ディッシュ「リスの檻」はたしか第一回の星雲賞をとっている。ほかに、ラングドン・ジョーンズ「音楽創造者」、ブラナー「ノーボディ・アクスト・ユー」、バラード「暗殺凶器」。伊藤典夫の巻末解説「ニュー・ワールズ小史」も泣かせる。

 朝日ソノラマのソノラマ文庫海外シリーズでは、グロフ・コンクリン編『地球への侵入者』○と仁賀克雄編『機械仕掛けの神/黄金の50年代SF傑作選』△があって、現在も入手可能。
 (本稿の執筆に当たっては須賀徹編『海外SFアンソロジー・インデックス書籍別編』を参考にしました)


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