【本の雑誌(1990年)大森望担当書評作品リスト】

■90年1月号

ティム・オブライエン『ニュークリア・エイジ[上下]』
ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』
酒見賢一『後宮小説』
ルーディ・ラッカー『ソフトウェア』
ルーディ・ラッカー『ウェットウェア』
高橋源一郎『ペンギン村に陽は落ちて』
横田順彌の『混線乱線殺人事件』
ジョン・バース『金曜日の本』
ブライアン・ハーバート『消えたサンフランシスコ[上下]』
志賀隆生『電子的迷宮』
クライブ・バーカー『ウイーヴワールド[上下]』
梶尾真治『有機戦士バイオム』
岡嶋二人『クラインの壷』
友成純一『インカからの古代獣V』
笠井潔『黄昏の館』
南田操『コミケ中止命令!』
加藤洋之&後藤啓介『トーランドットの錬金術師』


■90年2月号

バリントン・ベイリー『時間衝突』
山田正紀『宝石泥棒U』
マイク・マッケイ『疑惑のロボット・シティ』
ランドル・ギャレット&V・A・ハイドロン『レイツカールの鋼鉄』
横田順彌『時の幻影館』
フィリップ・K・ディック『死の迷路』
山本弘『時の果てのフェブラリー』
生野以久男『地球崩壊の日/第一部・第二部』
野田昌宏『キャベツ畑でつかまえて』
中野美代子『契丹伝奇集』


■90年3月号

筒井康隆『文学部徒野教授』
ケネス・フリント『エリン戦記1/デ・ダナンの棋士』
タニス・リー『ドラゴン探索号の冒険』
ロジャー・ゼラズニイ『変幻の地のディルヴィシュ』
タッド・ウィリアムズ『テイルチェイサーの歌』
安田均編・水野良ほか『レプラコーンの涙』
新井素子『緑幻想』
田中光二『レイピアン』
福田紀一『神武軍大阪上陸す』
トマス・ワイルド『裏切りのピットホール』
グレゴリイ・ベンフォード『時空と大河のほとり』
ウィリアム・バロウズ『映画ブレードランナー』
小松左京『狐と宇宙人』


■90年4月号

椎名誠『アド・バード』
眉村卓『不定期エスパー』
神林長平『帝王の殻』
梶尾真治『ヤミナベ・ポリスのミイラ男』
山田正紀『ジュークボックス』
草上仁『ウォッチャー―見張り―』
アルカジイ&ボリス・ストルガツキー『波が風を消す』
フレッド・セイバーヘーゲン『バーサーカー/星のオルフェ』
トマス・ワイルド『宿命のチャンピオン』
ウィリアム・F・ウー『電脳惑星3/脱走サイボーグを追え!』
フィリップ・K・ディック『タイタンのゲーム・プレイヤー』


■90年5月号

アトウッド『侍女の物語』
『全怪獣怪人』
根本敬『怪人無礼講ララバイ』
久美沙織『精霊ルビス伝説/遥かなるイデーン』
ひかわ玲子『双頭竜の伝説』
グラント・キャリン『サターン・デッドヒート2/ヘキシー星のライオン』
イアン・ワトスン『スロー・バード』
ブルース・コーヴィル『ダンジョン・ワールドA天空の穴』
ジャック・L・チョーカー『変容風の吹くとき』
池上正治編訳『中国科学幻想小説事始』
マイケル・リチャードソン編『ダブル/ダブル』
山田正紀『血と夜の饗宴』
石飛卓美『霊子界』
川田武『太陽大爆発/クライシス2050』
田中芳樹『七都市物語』
『ラスト・テスタメント』

■90年6月号

ハインライン『落日の彼方に向けて』
矢野徹高橋敏也『多元宇宙バトル・フィールド』
筒井康隆『夜のコント・冬のコント』
ハリー・ハリスン『ホイール・ワールド』
クリス・クレアモント『暁のファースト・フライト』
大原まり子『やさしく殺して』
浅香晶『スーパー・ノバ』
仙波龍英『ホーンテッド・マンション』
西村知美『夢幻童子』
紀和鏡『あのこをさがす旅』


■90年7月号
(ファイル行方不明につき探索中。しばらくお待ちくださいm(..)m)


■90年8月号

グレゴリイ・ベンフォード&ウィリアム・ロツラー『シヴァ神後臨』
ポール・デイヴィス『ファイアボール』
大江健三郎『治療塔』
神林長平『完璧な涙』
神林長平『親切がいっぱい』
唐十郎『電気頭』
横山えいじ『宇宙大雑貨』


■90年9月号

デイヴィッド・ブリン『知性化戦争』
早川書房編『SFハンドブック』
大原まり子『ハイブリッド・チャイルド』
中井紀夫『いまだ生まれざるものの伝説』
ジョナサン・キャロル『炎の眠り』
岩元隆『星虫』
武良竜の『三日月銀次郎が行く』
岡崎弘明『月のしずく100%ジュース』
根本敬『亀の頭のスープ』


■90年10月号

ルイス・シャナー『打ち捨てられし心の都』
ハインライン『宇宙の呼び声』
横田順彌『幻綺行』
山田正紀『宇宙犬ビーグル号の冒険』
かんべむさし『遊覧飛行』
SFマガジン編集部編『SFマガジン・セレクション1989』
菅浩江『歌の降る星』
小野不由美『呪われた一七歳』
ポーリン・ケイルの『映画辛口案内』


■90年11月号

トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』
オースン・スコット・カード『死者の代弁者』
マイクル・マッコーラム『アンタレスの夜明け』
クラーク『楽園の日々』
草上仁『ラッキー・カード』
川又千秋『天の川綺譚』
稲生平太郎『アクアリウムの夜』
 

■90年12月号

小林一夫『サード・コンタクト』
田中芳樹『晴れた空から突然に…』
菊地秀行『虚空王1』
田中文雄『緋の墓標』
西村寿行『頽れた神々』
ドナルド・モフィット『木星強奪』
エイモス・チュツオーラ『ブッシュ・オブ・ゴースツ』
風間賢二編『ヴィクトリア朝妖精物語』
田村章『ネットワーク・ベイビー』
山本弘とグループSNE『サイバーナイト』

【90年1月号〜6月号】

■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#1(90年1月号)/大森 望

 ミニマリズムの波が去ったあとにはマキシマリズムの広大な大地が出現する。待望久しいティム・オブライエンの本邦初訳、『ニュークリア・エイジ[上下]』(村上春樹訳/文芸春秋各一六〇〇円)は期待を裏切らない力作。例によって解説を先に読み、「魂の総合小説」なる形容に違和感を覚えたが、読了して納得。アーヴィングの力強さ+ディックの意志とでもいえばいいだろうか。魂の小説。たしかに。ただし、あえていうならそれはぼくの魂ではなく、ベビーブーマー世代の魂なのだろう。だから、ぼくがこの小説に感じる距離は、六〇年代と七〇年代の距離なのかもしれない。レイドロー『パパの原発』と読みくらべれば、世代による世界観の相違が明確になる。巻末の訳注は、独立した六〇年代史としても読める労作。
 ある意味でこれとまったく対照的なのが、英国作家ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』(斎藤昌三訳/白水社二二〇〇円)。D・ロッジを彷彿とさせるような、しかしロッジ以上に破天荒な、分類不可能のスタイルで語られる心地よい小説で、イギリスという国の懐の深さがわかる。
 小説新潮に一挙掲載されただけの作品を本誌で紹介するのはルール違反かもしれないが、十二月には単行本が出版されるということでお許しを願えば、日本ファンタジー・ノベル大賞を受賞の酒見研一『後宮小説』は、今年読んだ日本人の長編小説の中で、まちがいなくいちばんおもしろかった大傑作。これまで一度も読んだことのない種類の小説であることだけは保証する。だまされたと思って読み、読んでだまされてほしい。
 ジャンルSFでの最大の収穫は、たてつづけに出版されたルーディ・ラッカーの『ソフトウェア』とその続編『ウェットウェア』(黒丸尚訳/早川書房各四四〇円)である。ラッカーはいまおそらく世界でいちばん速いSF作家ではないか。六〇年代を振り捨てて二一世紀へ疾走する、もうひとりのベビーブーマー。サイバーパンクとは一線を画するアナーキーなパワーの爆発に酔ってほしい。
 高橋源一郎『ペンギン村に陽は落ちて』(集英社一一〇〇円)は、日本における文学の最長到達地点を示す作品。マンガのキャラクターに現代文学のここ二十年くらいの問題をすべて演じさせてしまうという、ミスター・マリックなみのアクロバット小説である。すでにその構造からして信じられないような軽技であるにもかかわらず、みごとに一冊の本としての統一性を保ち、なおかつくるくるとチャンネルを切り替えられるホットなメディアのメタファーにもなっている。これを魔術と呼ぶか奇術と呼ぶかは人それぞれだろうが、このおもしろさは尋常ではない。バース、ディック、カルヴィーノ、ピンチョン、マルケスのすべてをたたきこんみ、サイバーパンク以上の高速処理を実現した、これは現代文学版「TVの国からキラキラ」である。結末には不覚にも感動してしまった。
『ペンギン村』がTVアニメという「内輪の言葉」で成立する文学だとすれば、さらに内輪の、自作のキャラクターを使用して連作短編集を書いてしまったのが、日本でもっともラディカルなSF作家のひとり、横田順弥の『混線乱線殺人事件』(大陸書房七〇〇円)。"日本のレーザーブックス"(c鏡明)大陸ノベルズにふさわしい、ハチャメチャな快作。
 横田順彌には、すでに『奇想天外殺人事件』なる、自作登場人物総出演の長編があるが、海の向こうにも同じようなことをやっている作家がいる。現代アメリカ文学の巨頭、ジョン・バースの『レターズ』がそれ。そのバースの新刊『金曜日の本』(志村正雄訳/筑摩書房三九一〇円)は、彼のエッセイ、講演の重要なものすべてを網羅したお得本。久しぶりに「消尽の文学」(本書では「尽きの文学」なる訳題があてられている)を読み返すと、異様に懐かしいが、いまもそれほど状況は変わっていなかったりする。高橋源一郎作品をはじめ、ポストモダン文学を理解するためにも格好の一冊。しかも、おもしろさは保証つき。
 世の中には往々にして奇妙な偶然がある。サンフランシスコの大地震が報じられ、女房の実家からのたいへんだ電話(女房の妹はいまあの町に住んでいる)でたたき起こされたその朝、近所に住む担当編集者がうちの郵便受けに放りこんでいってくれたのが、フランク・ハーバートの息子ブライアン・ハーバートの『消えたサンフランシスコ[上下]』(関口幸男訳/早川書房各五二〇円)。どんぴしゃりのタイミングで出版されたわけだが、内容のほうはもちろん関係がない。思いっ切り異色の、家族小説ふう現代SFで、万人にはおすすめできないが、ぼく自身は大喜びで読んだ。
 論証抜きのぶちかましは人を引きつける。そうした蛮勇引力の充満する志賀隆生『電子的迷宮』(弓立社二〇六〇円)は、SFを素材にした現代論。斥力を感じるマニアもいるかもしれないが、非SFファンにも訴求しうる力がある。
 クライブ・バーカー『ウイーヴワールド[上下]』(酒井昭伸訳/集英社各二二〇〇円)は、設定こそ異世界ファンタジーでも、中身はおなじみバーカー・ワールド。長い分だけ描写の密度は濃く、迫力充分だが、幻想世界と併置されるべき現実世界まで幻想的になってくるという欠点(?)もあいかわらず。梶尾真治『有機戦士バイオム』(早川書房三六〇円)は、いまどきめずらしい端正なつくりのSFショートショート集。型破りのSSばかりが目につく昨今、思わず心が洗われるような、ストイックな秀作がそろっている。水準の高さはさすが。夢枕獏『猫弾きのオルオラネ』(集英社九五〇円)は、二冊に分かれてコバルト文庫に収録されていた同名シリーズの単行本化。雑誌掲載のみだったシリーズ最新作を初収録。作家夢枕獏の原点を示すナイスなファンタジイ。岡島二人のコンビ最後の作品『クラインの壷』(新潮社   円)は、全感覚コンピュータ・ゲームを主題にしたディック的な虚構/現実ドラマ。友成純一『インカからの古代獣V』(講談社七〇〇円)は、ゴジラ・アゲインだった前作につづく、ラドン/ギャオスふたたび小説。笠井潔『黄昏の館』(徳間書店一四〇〇円)は、フランス帰りの主人公の神経症的な語り口と、土俗的な謎のミスマッチが不思議な効果を生む、著者ならでは伝奇小説。南田操『コミケ中止命令!』(富士見書房四七〇円)は、『暗黒太陽の浮気娘』に狂喜したSFファン向け、秀逸なパロディ。最後に、加藤洋之&後藤啓介の『トーランドットの錬金術師』(ふゅーじょんぷろだくと一二三六円)は、描き下ろし三編を含む珠玉の作品集。個人的には「パラダイス・ドラゴン」がまとまったのがうれしい。ファンタジー・ファンはお見逃しなく。




■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#2(90年2月号)/大森 望

 島田荘司『奇想、天を動かす』の各種ミステリー・ベストテンで人気ぶりを見ると、あらためてSF読者とミステリー読者のメンタリティの違いについて考えさせられる。ミステリーは蚊取線香のように外から内に向けて謎が収束していくのに対し、SFではそれが外に向かってふくらんでゆく、と喝破したのは小林信彦だが(『小説世界のロビンソン』)、『奇想――』など、その蚊取線香説を地でいくミステリーだろう。小説前半で提示される、それこそ「SF的」というべき途方もない謎が、みごとなまでに日常的な論理によって解かれてしまう結末は、ミステリー読者にとっては胸のすく快感かもしれないが、SF読者からすればむしろ矮小化とも見える。「奇想」が「現実」に回収されてしまうという意味では、これはまさに究極のアンチSFである。
 ミステリー的な仕掛けがしてあっても、これがSFになると、そのベクトルは対極を向く。たとえば、バリントン・ベイリーの『時間衝突』(大森望訳/創元推理文庫四五〇円)では、時代とともに新しくなってゆく遺跡、という謎が物語の発端になるが、それは宇宙全体の成り立ちにかかわる途方もないスケールの奇想への糸口に過ぎず、その過程にある論理のエスカレーションが興奮を生む。
 SFマガジンの連載完結から一年半ぶりにようやく単行本が出た山田正紀『宝石泥棒U』上下(早川書房/上巻一三〇〇円・下巻一五〇〇円)にも、このようなエスカレーションの迫力がある。恋人の突然の精神失調を契機にして主人公が謎のプロジェクトの内部に踏み込んでゆく過程はサスペンス小説を思わせるが、結末にいたって明かされる謎の正体――想像力を食べる生物と、想像力言語による時間旅行――は、想像力の極北を示す超未来の物語と、現実世界の物語とを結びつけ、小説世界を一挙にふくらませる。オリジナルなイメージとアイデアに満ちた、八九年最大の日本SFの収穫に数えられる傑作である。
 前記二作は、いずれもミステリー的な謎を発端にしながら、SF以外の何物でもない作品となっているわけで、これを見てもSFとミステリーの幸福な結婚がいかに困難なものであるかがわかる。一般に「SFミステリー」と呼ばれているもののほとんどは、じつは、未来世界なり異星なりというSF的な舞台で展開される平凡なミステリーでしかない。
 SFミステリーの大家アジモフの原案で、未来探偵マシュー・スウェイン・シリーズの作者マイク・マッケイが筆をとった、電脳惑星シリーズ2冊目の『疑惑のロボット・シティ』(黒丸尚訳/角川文庫   円)も例外ではない。ロボットしかいない町で唯一の人間が殺される。ロボット工学三原則によってロボットの殺人は不可能。さてその犯人は……という謎自体はSF読者にとってもかなり魅力的だが、ルール違反すれすれの謎解きの陳腐さは興醒めもいいところで、ロボット・シティ全体をめぐるより大きな謎の存在が、かろうじてSF的な興味をつなぎとめているだけ。
 新たに刊行のはじまったランドル・ギャレット&V・A・ハイドロンのガンダラーラ・サイクル@『レイツカールの鋼鉄』(風見潤訳/角川文庫六〇〇円)も、ダーシー卿シリーズで知られるギャレットとその奥さんとの合作だけあってミステリー的趣向が凝らしてあるが、趣向の域を出ない。異世界に投げ出された主人公が消えた宝石の謎を追う筋書きはできの悪い冒険小説で、一巻目を読むかぎりでは、SFと呼んでもファンタジーと呼んでもミステリーと呼んでも、それぞれのジャンルのファンから怒られそうである。どうせほとんど奥さんのほうが書いてるんだろうから、ギャレット・ファンは手を出さないほうが賢明。
『星影の伝説』につづく横田順彌の明治もの『時の幻影館』(双葉社一三〇〇円)は、科学小説家、鵜沢龍岳を狂言回しにした連作SFミステリー。押川春浪編集の雑誌『冒険世界』の取材のため毎回鵜沢龍岳が奇現象の取材に赴くという趣向で、いわば明治版「怪奇大作戦」。面白さは保証付きだが、一話一話の枚数が短い分、謎の解決の部分が性急で、長編の『星影の伝説』のあとに読むとやや物足りない。
 創元推理文庫三冊目のディック『死の迷路』(山形浩生訳/四五〇円)は、かつてサンリオから『死の迷宮』のタイトルで出ていたものの新訳版。異星の無人植民地に集められた十四人の登場人物たちがつぎつぎに謎の死をとげてゆくという、〈嵐の山荘〉テーマの連続殺人劇としても読める。おなじみの現実崩壊感覚は満喫できるものの、全体としては驚くほどストレートな仕上がりで、ディック初心者向け。
 今月の意外な収穫は、山本弘の『時の果てのフェブラリー』(角川スニーカー文庫/   円)。著者は(新井素子が受賞した)第一回奇想天外SF新人賞で佳作入選の、ネオ・ヌル出身の古手ファン・ライター。事実上の処女長編にあたる本書は、『ストーカー』の"ゾーン"のような特異地点を、超能力少女をはじめとする調査隊が探るという設定で、最近の日本SFには珍しい、ストレートな本格SFである。重力が減少し時間経過が速くなっている世界に踏み込んでゆく描写はスリリングで、小松左京的な骨太さを感じさせる。今後の活躍に期待したい。
 生野以久男『地球崩壊の日/第一部・第二部』(有峰書店新社・各一五〇〇円)は、全五部作の最初の二冊。一巻目は、二酸化炭素の増大による地球温暖化と、米ソの火山噴火実験の結果起きる大津波を淡々とつづる近未来シミュレーション小説。二冊目は一転して国際謀略小説ふうの展開になり、毒性植物プランクトンの異常増殖を誘発するウイルスをめぐるサスペンス。どちらも小説としてより、環境破壊に対する告発として読むべきだろう。近未来を扱いながら、環境問題以外の分野への目配りがまるでないことも含め、SFとしての魅力には乏しい。
 これは再刊だが、野田昌宏の日本テレワークもの短篇集『あけましておめでとう計画』が『キャベツ畑でつかまえて』と改題されて登場(ハヤカワ文庫JA四八〇円)。野田節の冴えわたる名品、未読の方はぜひ。合わせて、前号で紹介されていた中野美代子『契丹伝奇集』(日本文芸社二六〇〇円)も強力にお薦めしておく。SFファンならぜったい楽しめる破天荒な奇想小説集である。


■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#3(90年3月号)/大森 望

 英文学業界内幕小説といえば、D・ロッジの『交換教授』『小さな世界』や金井美恵子『文章教室』などがすでにあるが、いままた、それらの名作にまさるとも劣らぬ爆笑の一冊が出現した。筒井康隆『文学部徒野教授』(岩波書店一三〇〇円)である。米文専攻の出来の悪い学生として研究室に出入りし、一年間現代批評の授業に出たこともある人間にとっては、他人ごととは思えぬ面白さで、喫茶店で一気に読み切ってしまった。これは筒井版『小さな世界』であると同時に英文学版『大いなる助走』であり、筒井版『構造と力』でもある。三度にわたって登場する渡辺直巳への意趣返しなど、(痛快とはいえ)やりすぎの気もするが、これはむしろ、作者についての情報を過剰に持っている読者の側の問題だろう。ロッジだって似たようなことやってるかもしれないもんなあ。抱腹絶倒、しかもためになる一冊。
「ドラゴン・クエストW」(エニックス八五〇〇円)の発売にあわせたわけでもないだろうが、ファンタジーがたくさん出ている。
 ドラクエWはといえば、完璧なゲーム・バランスで究極の親切設計を達成した結果、ほとんど小説を読むのと変わらない感覚でプレイできるゲームになってしまい、「物語」の持つ力の強さをあらためて認識させられるが、さすがミリオンセラーだけあって、そのシナリオだけとりだしてみても、凡百の商業ファンタジーよりはよほどよくできている。
 たとえば、ドラクエW第五章冒頭とまったく同じ始まり方をするケネス・フリント『エリン戦記1/デ・ダナンの棋士』(鎌田三平・浅田圭訳/角川文庫六八〇円)を見れば、レベルの差は一目瞭然。本来、小説であれば、故郷を失った主人公の悲哀を読者が感情移入できる形で描くべきであるにもかかわらず、そこにある喪失感は、ドラクエWの同じ箇所で感じる寂寥感の十分の一もない。以後の展開もありきたりで、ぱかぱか読めるとはいえ、これが三部作の第一作ときては読書意欲が減退するのは否めない。
 これにくらべると、タイトルこそドラクエそのものの、タニス・リー『ドラゴン探索号の冒険』(井辻朱美訳/現代教養文庫四四〇円)は、「眠り姫」と金羊毛伝説を下敷きに、ジュブナイルながら大人でも楽しめる(むしろ、大人のほうが楽しめる)ユーモラスなパロディ・ファンタジーに仕上がっている。いまや人気絶頂の作者の処女長編(一九七一年)で、その点からもファンには見逃せないが、逆にタニス・リーは苦手という人にもお薦めできる内容。なにをやっても裏目に出る悪い魔女とか能天気な王子さまとか、モンティ・パイソンはだしの破天荒なギャグも満載で、思わず口元がゆるんでしまう。
 一見こわもてする面構えのロジャー・ゼラズニイ『変幻の地のディルヴィシュ』(黒丸尚訳/創元推理文庫五〇〇円)も、やはり、この道の達人が楽しんで書いた大人のためのユーモア・ファンタジー。こちらは『異次元をのぞく家』とクトゥルー神話が下敷きで、やたら長い名前の悪魔とか、随所にちりばめた楽屋落ち的なくすぐりがおかしい。
 アメリカの新鋭タッド・ウィリアムズの『テイルチェイサーの歌』(平野ふみ子・英里訳/ハヤカワ文庫FT六六〇円))は、同名の猫を主人公にした動物ファンタジー。前半の、「綿の国星」を彷彿とさせる猫の日常描写は出色。惜しむらくは、長すぎる。
 ファミコンRPGと小説のメディア・ミックスはすでに多くのベストセラーを送り出しているが、文庫版RPGのマルチ展開をはかる〈ソード・ワールド〉シリーズは、ルールブック、シナリオ集、リプレイ集につづいて、同一世界を舞台とする小説アンソロジー『レプラコーンの涙』(安田均編・水野良ほか/富士見ファンタジア文庫五〇〇円)を出した。アメリカで人気のシェアード・ワールドものだが、日本ではおそらくはじめての試み。巻末に各キャラクターのパラメーターが載っていたりするのを見ると、小説の読者としては新鮮な驚きがある。すやまたけし『帆船の森』(サンリオ一二四〇円)は、大人のためのファンタジー掌編集。オリジナリティには欠けるものの、独特の雰囲気が楽しめる。
 SFに移ると、新井素子『緑幻想』(講談社九五〇円)は、著者久々の書き下ろしSF長編。彼女の代表作でもある『グリーン・レクイエム』の直接の続編で、他者の犠牲の上で生きるしかない人間の存在を、植物の側から肯定する。テーマに対する追求は前作よりも一段と深化し、ほとんどディスカッション小説のノリだが、ノンを果てしなく積み重ねたあとのイエスだからこそ感動がある。
 田中光二『レイピアン』上下(光文社文庫各四六〇円)は、多発する強姦事件にUFOをからめて、意識的にB級SFの線を狙ったテンポの速いSFサスペンス。プロットの細部にこだわらず一気に読めば、派手な道具立てを堪能できる。こういうSFがもっと書かれていいんじゃなかろうか。
 タリシヒコ率いる神武天皇東征軍が淀川を遡り現代の大阪に上陸する……という設定こそ破天荒だが、福田紀一『神武軍大阪上陸す』(福武書店一三五〇円)は、シリアスな文明批評。一昔前なら疑似イベント物と呼ばれただろう作品で、妙に懐かしい。。
〈エイリアン・スピードウェイ〉第二弾、トマス・ワイルド『裏切りのピットホール』(野田昌宏訳/角川文庫六〇〇円 )は、一気に読めた前作に比べると急ブレーキ。話はまとまっているものの、タッチが違いすぎて調子が狂う。 グレゴリイ・ベンフォード初の短編集『時空と大河のほとり』(山高昭他訳/ハヤカワSF文庫六六〇円)は、どうにも肌があわず、読み進むのに骨が折れた。客観的な評価ではないが、著者としては異色の「ドゥーイング・レノン」が集中のベストか。
 もう紙数がない。"加速癌"が大暴れするウィリアム・バロウズの猥雑近未来SFシノプシス『映画ブレードランナー』(山形浩生訳/トレヴィル一二三六円)(リドリー・スコットの同名映画とは無関係)、爆笑のSF狂言を含む小松左京のSF戯曲集『狐と宇宙人』(徳間書店一四〇〇円)は、いずれも一読の価値あり。


■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#4(90年4月号)/大森 望

 本誌には、版元関係者の著書は扱わないという美しくも日本的な不文律があるそうだが、数年に一度出るかどうかの傑作となれば無視はできない。何なら著者名を伏せてもらってもいいが、椎名誠初のSF長編『アド・バード』(集英社一三〇〇円)はすごい。
 エスカレートした広告戦争の結果、文明が没落した世界での父親探しの物語――といえばよくある話のようだが、この架空世界の描写がとんでもなく奇想天外かつスリリング。スターリングふうの生体改造/遺伝子改変によって、広告のために(および敵側広告媒体撃滅のために)生み出されたキメラ生物群の異様さは、筒井康隆の「ポルノ惑星のサルモネラ人間」にも匹敵する。巨大な絨毯のごとく大地を疾走する地ばしり、すべてを食いつくし果てしなく増殖するヒゾ虫など、圧倒的存在感。
 配下の小鳥や虫たちを使い壮絶な死闘をくりひろげる戦闘樹、カーテンをあけて泊まり客に外の広告を見せるためだけに命を捨てる虫、人間の客を待ちつづけるうちに発狂するデパートの接客アンドロイド――物語の合い間に挿入されるこれらのエピソードは、独立した短編としても抜群の出来で、強烈な印象を残す。
 グロテスクな中にブラッドベリ的な詩情さえ漂い、異様でありながら奇妙に美しい。九〇年代の幕開きにふさわしい傑作、必読。
 まる八年、九十六回に及ぶ記録的な大河連載を昨年暮れで完結させた眉村卓『不定期エスパー』は、最終巻の第八巻が出ている(徳間書店七三〇円)。宇宙に覇を競う星間帝国、超能力者、傭兵部隊、名門の家同士の権謀術数……と、アニメ化されて不思議のない道具立てを揃えながら、しかし本書は、そこから想像される華麗な宇宙戦争絵巻とは対極にある。従来の宇宙SFなら、暗黙の了解事項として、主人公は歴史の中で特権的な地位を保証されているのだが、本書のイシター・ロウは、あくまで組織の中の歯車のひとつでしかない。与えられた環境の中で、彼は最善の選択をすべく努力し、成長してゆく。それだけに、無慮四千枚を経た巻末で、組織を離れた個人として生きてゆくことを決意する場面には、大きな感動がある。大人の読者がじっくりと楽しむに足る、成熟した宇宙SFである。
 神林長平久々の書き下ろし長編『帝王の殻』(中央公論社一五〇〇円)は、処女長編『あなたの魂に安らぎあれ』の姉妹編的な構成で、やはり未来の火星を舞台にディック的な物語を語る。極度に人工的な文体が織りなす濃密な空間には、強烈なスリルとインパクトがあり、読み出したらやめられない。魅力的なガジェットを駆使しつつ、重いテーマに挑む力作。
 うって変わって、梶尾真治『ヤミナベ・ポリスのミイラ男』(早川書房一四〇〇円)は、スーパー能天気な連作ユーモアSF。宇宙超人大会に集まった48人のスーパー・ヒーローたちが、悪の組織のテロによって全滅。からくも残った48のスーパー人体部品をツギハギして、超超人ミイラ男の誕生となる。BGMに最適のキャプテン・パープル音頭(今岡清作曲)に、横山えいじ爆笑新作マンガの豪華付録つきで、いたれりつくせりのお楽しみ愛蔵本。
 山田正紀『ジュークボックス』(徳間書店一三〇〇円)は、太陽系融合惑星と呼ばれる異常な世界で生体戦闘システムに神経接続し未知の敵と戦う若者たちと、火事で焼死した老人ホームの老人たちをオーヴァラップさせる。各編タイトルとモチーフにオールディーズの名曲を配する趣向で、遠いアメリカに憧れた団塊の世代に贈る、皮肉な青春小説とも読める。戦争翻訳機を介し敵を認知可能な姿に視覚化するアイデアが秀逸。
 草上仁『ウォッチャー―見張り―』(ハヤカワ文庫JA四二〇円)は、著者七冊めの短編集。長編書き下ろしが主体となりつつある今のSF界で、コンスタントに水準以上のSF短編を発表しつづける草上仁の存在は貴重。集中では、独特の味わいがある「パートナー」と、異色の表題作がいい。
 海外では、アルカジイ&ボリス・ストルガツキー『波が風を消す』(深見弾訳/ハヤカワ文庫SF四四〇円)が最大の収穫。『収容所惑星』『蟻塚の中のかぶと虫』につづく、マクシム・カンメラーもので、人類進化の問題に正面から挑み、ストルガツキー版『幼年期の終り』の趣き。アイデアやプロットはアメリカSFといっても通りそうだが(カバー裏の紹介だけ見るとほんとにそういう感じがする)、読後感は大違い。ソ連SFの面白さを再確認するするにはうってつけだろう。未読の方はこの機会に前二作(いずれもハヤカワ文庫SF)とあわせて通読されることをお薦めしたい。
 フレッド・セイバーヘーゲン『バーサーカー/星のオルフェ』(浅倉久志・岡部宏之訳/ハヤカワ文庫SF四八〇円)は、十年ぶりのバーサーカーもの短編集。遥かな昔、異星人が創り出した戦闘機械群が、自己複製を繰り返しつつ、生ある者すべてを破壊しつくさんと人類に襲いかかる……というのが基本設定。人間と機械の知恵くらべの結果、最後は人間が勝つのが最多パターンで、一種パズラー的雰囲気もある。バーサーカーのまぬけぶりが微笑ましい短篇が多い中、スパイ小説的どんでん返しで意表をつく「テンプル発光体事件」が、個人的には好き。
 角川文庫Fシリーズが二冊。〈エーリアン・スピードウェイ〉第三弾、T・ワイルド『宿命のチャンピオン』(野田昌宏訳/角川文庫七二〇円)は、シリーズ完結編。今回はいきなり主人公が二人に分裂するサービスもあって、それなりに楽しめた。一方、ウィリアム・F・ウーを起用したアシモフ提供『電脳惑星B脱走サイボーグを追え!』(黒丸尚訳/角川文庫五〇〇円)は、いかにもTVシリーズの一エピソードというノリ。料理の匂いで人間をおびきよせようと奮闘する件りは笑えるものの、前巻につづくダレ場という印象は否めない。
 創元推理文庫四冊目のディック『タイタンのゲーム・プレイヤー』(大森望訳五八〇円)は、本邦初訳。殺人事件をめぐりミステリーっぽく幕をあけながら、中盤からまるで違う話に化けてしまい、殺人犯はどこいった!と机をたたきたくなるハチャメチャぶりは怪作『ザップ・ガン』以上。性格の悪い車との会話や、不定形生物との手に汗握るゲーム場面など、いかにもディックなパルプSF。


■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#5(90年5月号)/大森 望

 今月の海外SF最大の話題は、八六年度ネビュラ賞候補のアトウッド『侍女の物語』。噂通りの傑作、と誉めちぎりたいところだが、別頁に単独で紹介されるそうなので、涙を飲んでパス。どうせ現代文学方面では話題になるだろうけど、海外SFファン必読とだけいっておく。あんな辛気臭い話、と読む前はさんざん罵倒していた人間のいうことだから間違いない。内容を確認したい人は、SFマガジン八七年四月号に詳しい紹介あり(小川隆「海外SF事情」)。
 一方、小説外で最大の話題は、大百科シリーズの勁文社が蓄積した知識とノウハウすべてを結集した大作『全怪獣怪人』上下(各二五〇〇円/上巻は五月下旬発売予定)。実写版アトム、忍者部隊月光から「おはようこどもショウ」登場全怪人まで網羅して、登場ヒーロー怪獣怪人メカしめて三〇七五体(公称)。七六行二段組の索引はなんと一八ページ。このためだけに買っても惜しくない。
 さらに一方、SFマンガ最大の話題は、アングラ特殊漫画の巨匠根本敬の『怪人無礼講ララバイ』。〈QA〉連載六回打ち切りに輝く表題作のでたらめぶりもすごいが、必読は〈ガロ〉連載中から話題騒然だった「タケオの世界」。昭和二〇年代、ハイレグ環礁でせんずり中に被爆した漁師の精子が突然変異で巨大化、タケオと名付けられてすくすくと成長する。小学校ではあんなやつと遊ぶと妊娠するぞいじめられ、最愛の父親は強姦罪で逮捕、タケオは遠縁を頼ってひとり東京へ……。涙涙の物語だが、単行本描き下ろしの第二部で、なんとタケオがゲイバーのママになっていたのには驚いた。沈滞気味のマンガ界に喝を入れる核爆弾のごとき猛毒本である。
 久美沙織『精霊ルビス伝説/遥かなるイデーン』上中下(エニックス各一〇〇〇円)は、マルチメディア展開型の凡百ドラクエ本とは一線を画する本格異世界ファンタジーの秀作。ドラクエ世界から借りているのはいくつかの固有名詞だけだから、ファミコンとは無縁の人でもしっかり楽しめる。
 国産ファンタジーといえば、ひかわ玲子のデビュー・シリーズ〈エフェ&ジリオラ〉も、七巻目の『双頭竜の伝説』(大陸書房七〇〇円)で堂々完結。キャラクターが動きだした四巻目あたりから一気に盛り上がり、女傭兵じつはムアール帝国皇帝というヒロイン(の片割れ)が子連れで大活躍。最終巻はやや筆が走りすぎた感もあるが、この破天荒なプロットを一気に読ませる筆力はさすが。
 プロパーSF海外では、好評の前作につづく、グラント・キャリン『サターン・デッドヒート2/ヘキシー星のライオン』上下(小隅黎・高林慧子訳/ハヤカワ文庫SF各  円)が出ている。懐かしさのあまり感涙にむせぶがごときファースト・コンタクトSF。こういうのを読むと、いま、いかに「ふつうのSF」が払底しているかが改めてわかる。イアン・ワトスン『スロー・バード』(佐藤高子他訳/ハヤカワ文庫SF   円)は、イギリスSFの奇才初の日本版オリジナル短編集。こちらは一転して、全十四編ふつうのSFはひとつもないが、そのかわりSFの神髄が詰まっている。
 角川文庫Fシリーズは、P・J・ファーマー原案のブルース・コーヴィル『ダンジョン・ワールドA天空の穴』(上村修訳七二〇円)に加えて、新シリーズが開幕。ジャック・L・チョーカーの〈チェンジウィンド・サーガ@〉『変容風の吹くとき』(野口幸夫訳  円)。少女二人を主人公に、レズあり(魔法による)性転換ありの現代的異世界SFファンタジー。究極の原文忠実翻訳を実現した訳文は、翻訳に興味のある人必見。
 池上正治編訳『中国科学幻想小説事始』(イザラ書房二〇六〇円)は、中国SFのアンソロジー。十年ほど前には、SF専門誌各誌に葉永烈や童恩正の短篇が掲載されていたし、老舎『猫城記』(サンリオSF文庫)や、太平出版社の中国ジュブナイルSF六冊の翻訳があるものの、最近はご無沙汰。わずかにファン・グループの〈イスカーチェリ〉や〈中国SF研究会〉が地道なファン翻訳をつづけているだけという現状だけに、中国SFが一般読者の目にふれる機会ができたことを喜びたい。本書収録は、中国作家によるSF論が二本、魯迅が『月世界旅行』に寄せた序文、短編小説が二編と映画シナリオが一編。欧米に比べるとレベルの差は歴然だが(約五〇年遅れ)、意外に楽しめた。同一テーマの作品が集中したのは編集方針なのだろうか? もう一冊、マイケル・リチャードソン編『ダブル/ダブル』(柴田元幸・菅原克也訳/白水社一六〇〇円)は、双子テーマのアンソロジー。アンデルセンからレンデル、バース、ボウルズ、ソンタグ、コルタサル、ブラックウッドまで揃えたラインナップはおみごと。SFファンにはオールディスの小品「華麗優美な」がベイリーばりのマッドなアイデアで楽しめる。
 日本SFを駆け足で。山田正紀『血と夜の饗宴』(廣済堂七〇〇円)は、青山にそそり立つ地上四七階建てインテリジェント・ビルに舞台を限定、ビル内各所で起きる怪異を連作短編集ふうに描いて、古典的恐怖小説をたくみに現代に甦らせた秀作。言葉本来の意味でのモダン・ホラーである。石飛卓美『霊子界』(徳間書店七〇〇円)も、やはりコンピュータ+オカルトの趣向。リーダビリティの高いアクション小説だが、どちらの分野にも突っ込みが浅く中途半端。川田武『太陽大爆発/クライシス2050』(学研一〇〇〇円)は夏休み公開予定の同名映画の原作。作者はSFマガジンコンテスト出身のSF作家歴を持つTVプロデューサー。太陽膨張をテーマにした、日本にはめずらしい本格宇宙SFだが、分量が少なすぎ、人物の魅力や科学的ディテールの説得力にとぼしく、映画のシノプシス的な印象が強い。田中芳樹『七都市物語』(ハヤカワ文庫JA四六〇円)は、個人の力量で勝敗が左右されうる戦争を描くために、地軸が九〇度逆転した未来を舞台に設定したユニークな戦記もの。その意味では「オネアミスの翼」戦争版ともいえる。
 締切すぎて飛び込んだ待望のディック・インタビュー本『ラスト・テスタメント』(阿部秀典訳/ペヨトル工房二四〇〇円)は『ヴァリス』ファン必見のすさまじい本だがもう紙数がない。以下次号。


■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#6(90年6月号)/大森 望

 巨匠ハインラインの遺作『落日の彼方に向けて』(矢野徹訳/早川書房二三〇〇円)は、長命族のリーダー、ラザルス・ロングを中心とする〈未来史〉シリーズの掉尾を飾る大長編。『メトセラの子ら』『愛に時間を』『獣の数字』『ウロボロス・サークル』などラザルスもののおなじみ連はもちろん、「月を売った男」「鎮魂曲」『月は無慈悲な夜の女王』『異星の客』といった旧作のキャラクターも総出演し、さながら壮大なカーテン・コールの趣き。もっとも物語の九割は、ラザルスの母親モーリンの波瀾万丈の生涯(といっても本当は半生にも満たないが)をえんえんとたどりつづけて、SF味はほとんどない。最後の最後でいろんなことがバタバタと起こり、唐突にめでたしめでたしの大団円、と、おそろしく破綻した構成だが、ハインラインじいさんの饒舌にゆったりと身をあずけて、およそ尋常ならざるモーリンの身の上話につきあえば、ほかでは得られぬ感興が味わえる。しかし、フリー・セックスや無神論に代表される実利的かつラディラルなライフスタイルと、戦争があるとすぐ志願する無批判な愛国主義とが、なんの矛盾もなく同居しているのがなんとも不思議。そこがいかにもハインラインらしいといえなくもないけど。
 ラザルス・ロングものがもう一冊。といっても、ハインラインの作品ではない。前掲書の訳者矢野徹が、若いテクニカル・ライターの高橋敏也と合作で書き下ろした『多元宇宙バトル・フィールド』(ハヤカワ文庫JA五二〇円)である。矢野徹単独の『悪夢の戦場』の続編で、著者の分身テッド・アマノがさまざまなパラレル・ワールドに転移しつつ、美女を傍らにひたすら戦いつづける、という趣向。幼児的な願望充足ファンタジーもここまで撤すればおみごと。『落日――』翻訳中のエピソードや、ハインラインをめぐる思い出話、善通寺連隊時代の体験談なんかがそのまま出てきたりして、矢野エッセイのファン、ハインライン・ファンは必読。『落日――』とつづけて読めば、ハインライン死すとも矢野徹あり、という感じがしてこないでもない。
 筒井康隆『夜のコント・冬のコント』(新潮社一二〇〇円)は、『薬菜飯店』以来ほぼ二年ぶりの短編小説集。八七年から八九年にかけて発表された十八編を収録している。四百字にして十枚から二十枚程度の、ショートショートといってもいい長さのものが中心だが、傾向はさまざま。昔なつかしいエスカレーション型のスラップスティック「最後の喫煙者」「火星探険」「巨人たち」、八〇年代筒井短編に特徴的な、起承転結を無視した夢のような作品「魚」「のたくり大臣」「上へ行きたい」など、短さを感じさせない高密度の作品が多い。結末の鮮やかな小品「夢の検閲官」、本書の中でもきわめつきに異色の「都市盗掘団」がとくに印象に残る。
 おひさしぶりねのハリー・ハリスン『ホイール・ワールド』(内田昌之訳/創元推理文庫四〇〇円)は、七年前に出た『ホーム・ワールド』の続編で、〈トゥ・ザ・スターズ〉三部作の第二作(独立した長編としても読める)。異星上のA地点からB地点への集団移動をメインにしたコンボイ小説で、主人公の反体制運動家は無知蒙昧な原住民を無理やりオルグしようとするんだが失敗、間一髪、き騎兵隊=革命軍に助けられる……と、到底八〇年代の小説とは思えない。『死の世界』のハリスンもさすがにヤキが回ったか、それとも読者の知的水準を低く見積もりすぎたのか。もっとも完結編ではもうひとひねりあるそうだから、三作まとめて評価するのが筋かもしれないが。
『暁のファースト・フライト』(斎藤伯好訳/ハヤカワ文庫SF五六〇円)で本邦初紹介のクリス・クレアモントは、マーベルの人気コミック「Xメン」の原作者。クサいセリフまわしとネーム量の異常な多さで知られる彼が小説方面に進出するのは予想された事態としても、なんでこんな安直なプロットになってしまうのかは謎。処女飛行に出た新任女性少尉ニコルの船が難破船を発見、救助しかけたところを宙賊に襲われ、ついでにエイリアンとファースト・コンタクト。そりゃ巻き込まれ型のプロット展開ってのはアリだけど、いくらなんでもこれはあんまり。とってつけたような主人公「出生の秘密」なんてのもどうかと思うし、ジュブナイルにしてはベッドシーンが多過ぎる。こういう三流宇宙SFを読むと、グラント・キャリンの偉大さが身にしみる。
 大原まり子『やさしく殺して』(徳間書店一〇〇〇円)は、銀河郵便屋イル&クラムジー・シリーズの四冊目で、中編六編を収録。フォーミュラ・フィクションもソツなくこなす著者だけに、キャラクター小説としてのサービスは満点。しかし、最大の魅力は、そうした定型をぶちこわしかねない過剰なモノを平気で放りこんでしまう大胆さにある。構成の破綻をプラスに転じる筆力はさすが。
『ファイアーボール』でデビューした新人・浅香晶の二冊目『スーパー・ノバ』は、〈小説ハヤカワHi!〉に二回分載されたもの。舞台は近未来、主人公は零細TVプロダクションにとらばーゆするカメラ・ウーマンの元気少女。SF版『冒険してもいい頃』マイナス・セックスの、軽快なテンポで読ませる明朗青春小説。
 『ホーンテッド・マンション』(マガジンハウス一一〇〇円)は、SFと縁がなくもない歌人・仙波龍英のホラー小説集。巻頭の「妖かしの蠕動」、日野日出志パターンを思い切りひっくり返した結末に爆笑したが、あとはいまいちふつうのスプラッタ。もっとも、丸尾末広の絵との相乗効果で、水準以上の一冊ではある。
「うる星」おたくとしてその筋で有名な西村知美の詩文集『夢幻童子』(TIS一九八〇円)には、彼女が中学時代に「うる星やつら」シナリオ・コンテストに応募、二次選考を通過したシナリオが載っていて、アイドル系アニメ系SFファンは要チェック。意外に面白かったりするから侮れない。
 紀和鏡『あのこをさがす旅』(理論社一三〇〇円)は著者はじめての児童文学。ファミコンRPGをモチーフにしたSFファンタジーだが、後半の展開にはしばし茫然。なんだかよくわからないがこの結末はすごい。


■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#07(90年7月号)/大森 望
(ファイル行方不明につき探索中。しばらくお待ちくださいm(..)m)


■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#08(90年8月号)/大森 望

 新刊のSF七冊をカバンに放りこんで温泉旅行としゃれこみ、行き帰りの電車はもちろん、温泉の中でもひたすら本を読んでいた。バスタオル一枚腰に巻き、脱衣場の籐の椅子で湯上がりにSFを読むことは人生最高の快楽というべきで、こんなときには、どちらかといえば苦手のタイプの小説だって、すらすら読めてしまう。
 ぼくとは相性の悪いグレゴリイ・ベンフォードがウィリアム・ロツラーと合作した『シヴァ神後臨』上下(山高昭訳/ハヤカワ文庫SF五〇〇円)は、典型的近未来パニックSF。シヴァと名づけられた小惑星が地球に接近、カタストロフの前に破壊すべく、米ソ協同作戦で核爆弾を搭載したロケットが打ち上げられる……。解説にもあるとおり、剛球一直線の絵に描いたようなパニックもので、多人物多視点の描写、多彩な人間模様、終末宗教の勃興など、すべて教科書どおり。上下七百ページのボリュウムを一気に読ませる筆力は称賛に値するし、その点べつに不満はないんだが、SFを読んでる気がまるでしなかったのは、なにひとつ驚きがないせいだろう。技術的想像力を推進剤にして、予定のコースを爆走する愚直な大長編。フォーミュラ・フィクションは嫌いじゃないけど、もうちょっと教科書を踏みはずす部分があっていいんじゃないかしら。
 物理学者ポール・デイヴィスの処女小説『ファイアボール』(中原涼訳/地人書館一九〇〇円)もやはり、技術的想像力を駆使した近未来パニックSFだが、前半に提示された謎に変人科学者が挑むという構造には良質のSFミステリー的な興奮がある。技術のみならず科学にも目配りがある点で、(娯楽小説としての完成度は劣るものの)『シヴァ神後臨』よりはまだしもSFの匂いがする。
 これらテクノロジー主導型の作品の対極に位置するのが、雑誌「ヘルメス」に「再会、あるいはラスト・ピース」のタイトルで連載されていた大江健三郎の"近未来SF"(とカバーに刷り込んである)『治療塔』(岩波書店一三〇〇円)。遠い宇宙に希望を託し、百万の選ばれた人々を乗せた宇宙船団が破滅間近の地球を旅立つ。残された人々は、落後者としての失意を胸に秘めつつも、必死に文明世界を維持して生活していた。そして十年後、なぜかその宇宙船団が地球に帰還してくる……。
 全盛期の光瀬龍、あるいはレムやストルガツキーを彷彿とさせるきわめて魅力的な設定だし、今年の日本SFの収穫のひとつに数えられる傑作であることにまちがいはないが、ひとつ不満があるとすれば、近未来を舞台としながら、(前記二冊とは反対に)技術的なディテールを徹底的に欠落させたために、SFというより観念小説的な色彩を帯びてしまっていることだろう。SFの、ではなく、文学的想像力の産物なのである。環境汚染、少数者による多数者の支配、サイバーパンクとも通底するポスト・ヒューマニズム問題、エイズ、障害者との共存……など、政治的文学的な問題を考察するための舞台として、近未来SFという形式が選びとられているにすぎない。その意味では、ル・グィンの『所有せざる人々』に近いのだが、独特の力強い語り口のおかげで、社会学的モデルの無機的なにおいはなく、十分に感動的な美しい作品に仕上がっている。
 では、技術的想像力とも文学的想像力ともちがうSF的想像力とはどのようなものなのか。この問いに答えてくれるのが、神林長平の『完璧な涙』(ハヤカワ文庫JA四六〇円)。すべての感情が欠落した少年・宥現と、彼を執拗に追いつづける完璧な戦闘機械。コンピュータで制御され、無数の武器を搭載する戦車の描写は精緻をきわめるが、こうした技術的ディテールの積み重ねは、(SFファンへのサービスであると同時に)幻想小説的な舞台設定にリアリティを与え、シュールな物語を現実につなぎとめる役割をはたす。
 人間に奉仕するヘルメット姿の妖精・銀妖子、死者が墓場に赴いて死者の女を妻に娶る街、右目と左目で違う光景を見る男……魅惑的なアイデアをちりばめながら、主人公と機械の死闘はやがて、過去と未来の対決という壮大なスケールの戦いへと広がってゆく。解説にある「完璧なSF」という言葉がぴたりとはまる、現代SFの最前線を示す傑作である。
 もう一冊、やはり神林長平の、こちらは書き下ろし作品『親切がいっぱい』(光文社文庫四二〇円)は、うって変わって超変化球。パラレル・ワールドふうの舞台設定はあるものの、立退きを迫る地上げ屋にアパートの住民が一致団結して対抗するというプロットは、TVコメディになってもおかしくない日常ドラマ。そうした日常のど真ん中に位置するアパートにひとりの宇宙人が出現し、なにもしないまま帰っていく。「いつものごとく、長電話だった。良子はそのあとゆっくりと風呂に入り、歯を磨いて、寝た」――周到に選びとられた結末のこの一行が、本書のSFとしての破格さを象徴している。「めぞん一刻」あるいは『処女少女マンガ家の念力』(大原まり子)にも比すべき非日常の日常ドラマとして、奇妙な魅力をたたえるほのぼのSF。エイリアンとのコミュニケーションの不可能性を描いたという意味では、逆『ソラリスの陽の下に』だといってもいいかもしれない。
 唐十郎『電気頭』(文芸春秋一三〇〇円)は、ファミコンのゲーム・デザイナーを主人公とする連作短編集。いかにも著者らしい、現実と虚構が渾然一体となったシュールな物語だが、弁天堂、SAL研究所などという固有名詞が逆に夾雑物となっている感は否めない。「ファミコン」という、きわめて現実的なモノを扱うにしては、細部のリアリティが希薄にすぎ、従来の唐作品とくらべても、虚構世界にはいっていく過程に摩擦が大きすぎる。コンピュータはともかく、ファミコンを隠喩として使うには、もっと周到な準備が必要なのではないか。
 SFマガジンに好評連載中の横山えいじの一ページマンガが、描き下ろしその他を加え、『宇宙大雑貨』として一冊にまとまっている(早川書房九八〇円)。SFネタのギャグ・マンガ家としては吾妻ひでお以来最強を誇る著者だけに、抱腹絶倒ネタのオン・パレード、新旧を問わずマニア必読の絶対おすすめ本である。     


■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#09(90年9月号)/大森 望

 最近の翻訳SFってのはどうも小難しくっていけねえ、サイバーパンクだかなんだか知らねえが、こちとら面白いSFを読みてえんだい、と捨てゼリフを吐いて冒険小説方面へと去っていった元SFファンの人々にも絶対の自信をもってお薦めするのが、八〇年代アメリカSF作家人気投票第一位のデイヴィッド・ブリン『知性化戦争』上下(酒井昭伸訳/ハヤカワ文庫SF上巻六八〇円・下巻七四〇円)。息つく暇なくページを繰らせる力では、今これに勝てるSFは存在しない。人間的な、あまりに人間的な異星人たち、超空間チューブをはじめとする昔懐かしいガジェットなど、古きよきスペーオペラの香りをふんだんに漂わせつつ、現代ベストセラー小説の語り口を全面的に採用、最新の科学知識も盛りこんで、九〇年代に通用する一大娯楽SFとして間然するところがない。
 銀河列強諸族のひとつ、グーブルーの宇宙艦隊が辺境の人類植民星を侵略。先制攻撃によって人間たちはすべて動きを封じられ、ネオ・チンパンジーたちによる徒手空拳のレジスタンスが始まる――こう要約すると、宇宙せましの冒険活劇を期待する向きは、だから最近のSFはせせこましくていけねえや、と早合点するかもしれないが、この背後には、五つの銀河にまたがる列強諸族の政治的駆け引きや、エイリアン種族内部の対立、銀河文明発祥の謎など、壮大な広がりがあり、現代SFの醍醐味が十二分に味わえる。四百字で千八百枚の破壊的ボリュウムも一気通読まちがいなしの、現代娯楽SF最高峰である。
 この『知性化戦争』で通巻ナンバーは872に達したハヤカワ文庫SFは、今年で創刊二十周年。それを記念して刊行された『SFハンドブック』(五八〇円)は、日本初の文庫本による海外SFガイド。SFマガジン読者投票による上位十作品など、同文庫既刊の名作五十余点のストーリー紹介の他、年代別地域別のSFガイド、用語小辞典、多彩な執筆陣によるコラムなど、さまざまな角度から海外SFの全体像に迫る。圧巻は五〇ページに及ぶハヤカワ文庫SF刊行作品著者別リストと、八〇ページを越す索引+書誌。これからSFを読みはじめる人にも、すでに病膏盲の域に達しているマニアにも、それぞれ楽しめて役に立つ必携の一冊。
 一方、日本SFでは、先月の『完璧な涙』につづいて、またもや現代SF最前線に立つ傑作が出現した。大原まり子初のハードカバー『ハイブリッド・チャイルド』(早川書房一八〇〇円)である。アディアンプトロン機械帝国と人類との存亡を賭けた抗争を背景とする大原版未来史シリーズの、これは集大成ともいえる作品。サンプリングした生命体の遺伝情報をもとに、自由自在に姿かたちを変える無敵の宇宙戦闘生体メカとして開発されたサンプルB群、別名ハイブリッド・チャイルド。その一体が軍から脱走、はてしない逃亡の旅がはじまる……。男性的な本格宇宙SFを思わせる設定ながら、痛切なラブ・ストーリーでもある。無数の生命の血と傷によってえぐりだされる"痛み"の激烈さが、結末にあらわれる救済のビジョンをかぎりなく美しいものにする。ティプトリー亡きあと、大原まり子は世界でもトップの女性SF作家だと断言できる。日本SFの可能性を信じさせるに足る、奇跡のような名作である。
 SFウェスタン〈脳なしワニ〉シリーズを完結させた中井紀夫の『いまだ生まれざるものの伝説』(ハヤカワ文庫JA四八〇円)は新シリーズ〈タルカス伝〉の第一巻。一見はやりの異世界戦争ファンタジーだが、ユーモアに満ちたとぼけた語り口、神話/SF/ファンタジーの雑多な素材をのみこむ懐の深さ、いつもながらの絶妙のネーミングで、一風変わった感触の骨太の物語が織りなされる。タイトルどおり"タルカス"はいまだ姿を見せず、今後の展開に期待がふくらむ。
『死者の書』『月の骨』で日本でも人気急上昇のジョナサン・キャロルは、『炎の眠り』(浅羽莢子訳/創元推理文庫五八〇円)が出た。恋の蜜月を描かせては右に出る者のない彼の筆は今回も絶好調。幸福の頂点から、やがて不安の影がさしはじめ、破局への予感を漂わせながら進んでゆく緊迫感。過去二作ではSF/ファンタジー的仕掛けにやや不満が残ったが、本書はグリム兄弟の童話を素材に、現代の男女に襲いかかる不条理の悪夢をみごとに描きだす。
 日本ファンタジーノベル大賞で酒見賢一『後宮小説』の大ヒットを飛ばした新潮社から、〈ファンタジーノベル・シリーズ〉と銘打って新人書き下ろしの文庫レーベルがスタート。初回刊行は、昨年の大賞最終候補に残った三作。カバーにマンガ家を起用、挿し絵をつけるなど、流行のヤングアダルト文庫を意識した作りだが、一読してみると、内容はさまざま。岩元隆の『星虫』(四四〇円)は、学園ものの体裁をとりつつ、初期の新井素子を思わせるタッチで大きなテーマに挑んだ本格SF、武良竜彦の『三日月銀次郎が行く』は、宮沢賢治の作品世界と賢治自身が住む世界を交錯させたほのぼのファンタジー。中でいちばんの変わり種、岡崎弘明『月のしずく100%ジュース』は、同棲相手の書きかけのミュージカル・シナリオにとびこんだ主人公・春子の冒険を描くファンタジー・コメディ。小説内世界にはいりこむ話は数多いが、ミュージカルとは新趣向。しかもアマチュアのできそこないという設定のおかげで、怪物ゴジやダツジが徘徊し、話の展開は超いいかげん。主役の天使とまちがえられた春子は、無理やりシナリオ通りの演技を押しつけらるのだが……。けれん味たっぷりの語り口や構成の巧みさは新人離れしていて、これからが楽しみ。
 最後にSFマンガの傑作を。またまた登場の根本敬、『亀の頭のスープ』(マガジンハウス一〇〇〇円)。本書四分の三を占める大河精子ロマン「ミクロの精子圏」は、精子の中に潜りこみ、DNAに書き込まれた不幸をもとから断たんとする本格ハードSF。ほとんど日本のルーディ・ラッカーである。考えるだに恐ろしいことだが(なぜ恐ろしいかわからない人は現物を読んでください)九〇年代のSFマンガを背負って立つのは根本敬かもしれない。すべてのSFファン必読の大傑作。


■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#10(90年10月号)/大森 望

 創刊以来三十年以上にわたって、日本のSF出版の中核を名実ともに担いつづけてきた早川書房のSFマガジンが、この十月号で通巻四百号に達し、無慮八百五十ページの記念特大号を出している。星新一、筒井康隆、光瀬龍から、豊田有恒、山田正紀、川又千秋、梶尾真治、栗本薫、若手の東野司、草上仁、柾悟郎、橋元淳一郎までずらりと並べた日本作家のラインナップはSFマガジンならでは。海外のほうでは、待望久しいグレッグ・ベア「ハードフォート」など新訳五編に加えて、過去三十年の歴史の中から十二人の翻訳者・評論家が各一編ずつ選んだ名作の再録特集。ダニエル・キイスの短編版「アルジャーノンに花束を」、クラークの「太陽系最後の日」、ブリッシュの「表面張力」など、名のみ高くして、現在入手不可能の名品がぞろぞろ。若い読者には最高のプレゼントだろう(ちなみにわたしが選んだのはハーラン・エリスンの「死の鳥」です)。このほか、創刊号の一部復刻や座談会、クイズ、年表などをまじえたなんでもありの豪華本、三十余年に一度と思えば、二千五百円も高しくない(と思うけど)。
 一方、四百号どころか、通巻千号を越える文芸誌老舗中の老舗『新潮』は、九月号で海外作品によるSF特集が組んでいる。バラード(書き下ろし)、カルヴィーノ(『完本コスミコミケ』中、未訳だった一編)、レム(『虚数』からの抜粋)、ディック(未発表作)とずらり大物を並べたあたりはいかにも文芸誌だが、巽孝之選によるイキのいいアメリカSF勢の新作が収穫。オーソン・スコット・カードのローカス賞受賞作「消えた少年たち」(私小説風ホラー)、コニー・ウィリスのネビュラ賞受賞作「リアルト・ホテルにて」(ロッジ『小さな世界』の物理学会版)、ぴっかぴかの新鋭リチャード・コールダーの「モスキート」(近未来タイを舞台にしたポスト・サイバーパンク)と、いずれも高水準で楽しめる。ほかに巽孝之のSF状況論、大江健三郎・高橋源一郎対談を収録。
 雑誌の話が長くなってしまった。書籍のほうの話題作は、本邦初紹介の新鋭ルイス・シャナー『打ち捨てられし心の都』上下(友枝康子訳/ハヤカワ文庫SF各四四〇円)。舞台は一九八六年のメキシコ。レーガン政権下で起きたイラン・コントラ・ゲート事件など、現実の社会問題をとりこんで、たとえばオリバー・ストーンの「サルバドル/遥かな日々」などを思い出させるゲリラ抗争が迫真のタッチで描かれるのだが、中心となる現代メキシコの内戦そのものはまったく架空の存在で、その意味でははじめからパラレル・ワールドものだといえなくもない。しかし、そうしたSFの常道からまったくはずれたところに、この小説の魅力はある。幻覚キノコによるタイム・トラベル、マヤ神話に伝わる予言、プリコジンの散逸構造理論による古代文明研究などのSF的な要素さえ、リアリティに満ちた現代小説の中に無理なくとりこまれ、違和感を生じない。きわめてスマートに書かれた、新しいタイプの現代SFの収穫(もっとも、この現代的なスマートさが逆に現代SFの抱える脆弱さを象徴しているような気もする)。
 オールドファンにはなつかしい、故ハインラインのジュブナイル『宇宙の呼び声』(森下弓子訳/創元推理文庫   円)は、初の完訳版。プロットらしいプロットがなく、「宇宙家族ロビンソン」のような一家族の日常生活をつづったコメディで、ハインラインの数ある名作ジュブナイルの中でもきわめつきの異色作だが、文句なしにおもしろい。ハインライン十八番の、やたら気が強くて口の達者なおばあちゃんを筆頭に、キャラクターの描きわけ、会話のテンポが絶妙で、思わず読みふけってしまう。古さを感じさせないところもさすが。
 日本では、短編集・アンソロジーが豊作。横田順彌『幻綺行』は、『明治バンカラ快人伝』や著者一連の明治SFでおなじみ、実在の明治の冒険家・中村春吉を主人公にした連作の秘境冒険小説。ボルネオ、チベット、ペルシャ、ロシアなど世界各地で起きる怪事件に快男児・春吉が立ち向かうという、秘境版『星影の伝説』。のびのびした語りがなんとも楽しい。やはり連作の、山田正紀『宇宙犬ビーグル号の冒険』(早川書房一三〇〇円)は、著者の愛犬シシマルを主人公兼語り手にすえたSF版「一〇一匹ワンちゃん大行進」。ディズニーふうほのぼの宇宙冒険譚である。かんべむさし『遊覧飛行』(徳間書店一三〇〇円)は、ひさしぶりに読む(でもないか)中間小説ふう日本SF短編コレクション全一九編。中年桃太郎二度目の鬼退治「転機桃太郎」や、日常的不条理小説「石を買う」などが楽しめた。
『SFマガジン・セレクション1989』(ハヤカワ文庫JA五〇〇円)は、八一年から刊行されている同誌年間傑作選(ただし日本人のみ)の最新版。一作家一編というバランス、単行本収録作はのぞく、といった制約のせいもあるのだろうが、よくも悪くも日本的な作品が多く、駄作はないかわり、どうも地味な印象はぬぐえない。中では柾悟郎「緑の中の青い水」が印象に残った。
 ヤングアダルト小説では、昨年『ゆらぎの森のシエラ』で再デビューを飾った菅浩江が、六月の『〈柊の僧兵〉記』(ソノラマ文庫四六〇円)につづいて、うら若き超能力者コンビを主人公にしたスペース・オペラ『歌の降る星』(角川文庫四三〇円)を出している。ギャグとシリアスのバランスにやや欠けるものの、大きなテーマに正面から挑む力作。一方、この分野の老舗、ソノラマ文庫からは、ホラー専門の新レーベル、パンプキン文庫が発足。第一弾の一冊、『呪われた一七歳』(円)で、〈悪霊〉シリーズの小野不由美がソノラマ初登場。今回は意外なほどオーソドックスな某図かずお風恐怖小説で、きっちりこわがらせてくれる。筆力はたしかだから、これからが楽しみ。
 最後に一冊、今月いちばん楽しんだのがこれ、ポーリン・ケイルの『映画辛口案内』(浅倉久志訳/晶文社三八〇〇円)。全八八本中SF映画は二割弱。映画評論家はSF映画のことがまるでわかってない!と怒り心頭に発するSF映画マニアは、ぜひこの一冊で溜飲を下げてほしい。傑作。


■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#11(90年11月号)/大森 望

『キャンプ・コンセントレーション』や『人類皆殺し』で知られるアメリカン・ニューウェーヴSFの鬼才――というより、今や吾妻ひでおイラスト入り〈トースター〉二部作で愛される童話作家に変身したトマス・M・ディッシュの長編が久々に翻訳された。もっともこの『ビジネスマン』(細美遥子訳/創元推理文庫六三〇円)、帯に「波瀾万丈の幽霊小説」とある通り、狭義のSFには属さない。あえて分類すれば現代小説、あるいは、言葉本来の意味での(ビーグルの『心地よく秘密めいたところ』がそうであるような意味での)モダン・ファンタシーというところだろうか。
 亭主に殺された妻ジゼルとその母親とがともに幽霊となって亭主に復讐する――とくれば伝統的な怪談だが、ホモの女役になってオネエ言葉をしゃべるジゼルの兄、自殺したおかげで成仏できない詩人、地上と天国のあいだで幽霊の世話係をつとめる元女優などの奇怪な人物が縦横無尽に入り乱れ、ついでに実在の人物名・商品名も乱舞して、なにが飛び出すかわからない奇妙奇天烈なユーモア小説。
 ディッシュという作家の底意地の悪さがプラスに作用して、読んでいるあいだじゅうくすくす笑い通し。小説好きのSFファンはぜひご一読を。
 さて、今月最大の話題作は、オースン・スコット・カードの『死者の代弁者』上下(塚本淳二訳/ハヤカワ文庫SF各四八〇円)。現代SFアメリカを名実ともに代表する作家の、ヒューゴー/ネビュラ二大SF賞受賞作、しかも、日米で絶大な人気を博したあの『エンダーのゲーム』の続編である。前作で、天才的な戦術手腕を発揮したエンダーは、人類がはじめて遭遇した知的異星種族バガーを(そうとは知らずに)全滅させてしまう。それから三千年――彼がバガー戦役における人類の犯罪を「死者の代弁者」の名で暴きたてた結果、エンダーは今や唾棄すべき名前として記憶されている。おりしも、人類が二度目に遭遇した知的異星種族ピギーの居留地で殺人事件が発生。エンダーは死者の人生を"代弁"すべく現場に赴く……。
 希代のストーリー・テラーの手になるだけに、おもしろさは抜群。透徹した人間描写、ピギーの生態系に関する(さほどオリジナリティはないものの)秀逸なアイデア、政治的駆け引きの迫真性。SF色はやや薄まっているものの、第一級の娯楽と感動を与えてくれる力作であることにまちがいはない。
 しかし、これはぼくのもっとも嫌いな種類のSFでもある。ブリンの『知性化戦争』に対して、知性化のありかたや人類優越主義に対する批判が出ているけれど、その意味では、良識派ぶっているだけ、カードのほうがはるかにたちが悪い。他人の秘密を暴きたて"救済"するエンダーの傲慢さがいやだし、その傲慢さを自己批判してしまう優等生ぶりもいや、バガー全滅に対する"一億総ざんげ"的贖罪意識がいやだし、人類にとって潜在的脅威であるという一点をピギー文明化へのイクスキューズにする姿勢がいや。ブリンの場合にはあっけらかんとしている分だけかわいげがあり、その能天気さも正面から批判する気にならないのだが、カードは巧妙にいいわけをばらまいてエンダーの行為を正当化し、なおかつ宗教的救済で読者を感動させようとする。
 小説を読んで感動してしまうのは読者の勝手。感動させようとする手管の透けて見える小説というのは、どうしても好きになれない。あざとい小説のあざとさを批判してもしかたないんだけど、とにかく嫌いだ。
 これにくらべれば、娯楽に撤したB級SF職人マイクル・マッコーラムのスペースオペラ、『アンタレスの夜明け』(小隅黎訳/ハヤカワ文庫SF六〇〇円)のほうが、訳文のテンポのよさとあいまって、はるかに気持ちよく読めた。現代SFらしく、きっちりした設定をつくりあげたうえで昔風の宇宙冒険を描く律儀な姿勢がいい。人物はステロタイプだし、中盤ややもたつくものの、十分水準以上の出来。続編が楽しみだ。
 一方、クラーク初の自伝とのふれこみの『楽園の日々』(山高昭訳/早川書房1800円)は、原題"アスタウンディング・デイズ"が示すとおり、今年で創刊六十年を迎えた老舗SF雑誌、アスタウンディング誌(現在はアナログ誌)の創刊当時から、名物編集者ジョン・W・キャンベルが死ぬ一九七一年までの歴史をいきあたりばったりに回顧しただけの代物で、およそ自伝ではない。紙幅の三分の二以上は、同誌のマイクロフィルムながめつつ、を古き良きサイエンス・フィクションの科学的誤謬を指摘して昔日の夢にうしろ足で砂をかけることに費やされており、随所に面白いエピソードもあるとはいえ、科学的事実の整合性に重きを置くある種のハードSFファン以外の読者にとっては、とてもおもしろい読み物ではあるまい。クラーク流のユーモアが翻訳のフィルターを通過することで著しく減殺された結果、老人の脈絡のない思い出話にかぎりなく近づいている。
 あとは駆け足。短篇集が二冊。日本のフレドリック・ブラウン草上仁の、はやくも八冊目の短篇集『ラッキー・カード』(ハヤカワ文庫JA460円)は、八二年のデビュー作「割れた甲冑」から今年の作品まで全七編。幸運が厳密に公平に割り振られた社会を描く表題作、ありふれたテーマをスマートに処理した「ウォーター・レース」など、最近作の上達ぶりは目をみはる。川又千秋の『天の川綺譚』(双葉社七四〇円)は、ある種の「せつなさ」をモチーフにして、現実と夢が交錯する一瞬を描いた七つのリリカルな短篇がゆるやかにつながりあい、独特の光を放つ構成。「あの時の女」「ナイト・ランディング」など、読後に余韻を残す好編が多い。
 神秘学者・横山茂雄こと翻訳者・法水金太郎こと幻想文学研究家・稲生平太郎の(たぶん)処女長編『アクアリウムの夜』(風の薔薇二〇六〇円)は、カメラ・オブスキュラと水族館をモチーフに、高校生たちが経験する不可思議な一年を描いたオカルティックな少年小説。やや地味ながら、端正な文体と古風なつくりに好感が持て、不思議ななつかしさを感じた。
 

■本の雑誌〈新刊めったくたガイド〉#12(90年12月号)/大森 望

 久々に、日本SF期待の新人が登場した。書き下ろし長編『サード・コンタクト』(朝日ソノラマ七五〇円)でデビューした小林一夫である。
 本書は、ソノラマ文庫を擁する朝日ソノラマが、新たに発足させた(といっても、前に一度、似たような試みをやって、すぐに撤退してるけど)新書シリーズ、〈ソノラマノベルズ〉第一弾四冊のうちの一冊。田中芳樹、菊地秀行、田中文雄のベテランにまじって先陣をつとめさせたわけだから、版元の意気込みも相当なもの。そしてこの『サード・コンタクト』は、数々の欠点にもかかわらず、なおその期待を裏切らない、正統派本格SFなのである。
 主人公の生物学者コンビが、二億年前の古代植物を発芽させることに成功。GOTTと名づけられたこの植物の葉緑体は、動物との共生が可能だった。その鍵を握るのが、葉緑体を包む被膜。この被膜こそ、宿主のDNAをコピーして増殖し、宿主の体形を変化させて環境に適応する驚くべきウィルスだったのだ……。
 膨大なデータを投入してウィルスの謎に迫る前半は、初期の小松左京を思わせるタッチ。グレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』に比肩する――というのは褒めすぎだが、最近の日本SFではめったに味わえない種類の興奮がある。秘密組織の暗躍とか、美貌の女スパイとか、いかにもノベルスっぽい読者サービスの薄っぺらさが障害となって、最終的に小松左京レベルまでは達しないものの、一気に人類絶滅後のビジョンまで見せてしまう結末は圧巻。荒っぽい文章、雑駁な比喩、未消化のプロットなどなど、あまたの欠点を承知の上で、強力な新人の出現に心から拍手を送りたい。
 ソノラマノベルズ残り三冊も簡単に紹介しておく(以下、定価はいずれも七五〇円)。田中芳樹『晴れた空から突然に…』は、日本からヨーロッパへと飛ぶ商業飛行船の波瀾万丈の処女航海を描いたドタバタ・サスペンス。アニメっぽいノリながら、余裕のある語り口が楽しい愛すべき小品。
 菊池秀行『虚空王1』は、著者初のスペオペ・シリーズ第一弾。「私の宇宙船は、光速の一千倍の速度で直角に曲がる」というカバー袖の言葉には爆笑。もっとも、類型から脱しきれていない一巻目を読むかぎりでは、まだまだ新幹線並みのスピード、今後の展開に期待したい。イラスト、山田章博の起用は意表をついてマル。
 投げ込みチラシによるとこれもシリーズ化されるようだが、田中文雄『緋の墓標』は映画「ロスト・ボーイ」「ニア・ダーク」路線に連なる現代吸血鬼もの。約束事をたくさんつくって吸血鬼社会になんとか整合性をもたせようと奮闘するあたり、現代を舞台にこのジャンルの小説を書く苦労が忍ばれる。耐性をつけるべく、毎朝、陽の光を浴びて体を鍛える吸血鬼の主人公という設定は泣ける。
 新書ついでにもう一点、これは昨年の単行本からの新書落ちだが、西村寿行『頽れた神々』上下(徳間書店七二〇円)は、出色の近未来SF。チバシティ化した四国州を舞台に展開する、州警察・連邦警察・やくざ組織・超能力集団etc.の一大バトルロイヤルは、ほとんどジャパニーズ・サイバーパンクのノリ。寿行ファンにはなにをいまさらといわれるかもしれないが、SFファン諸兄にはぜひともご一読をおすすめしておく。
 海外では、ハヤカワ文庫SFのB級宇宙SF路線(またの名を早川デルレイ文庫)の最新巻『木星強奪』上下(大西憲訳/各四四〇円)が、お値段の分だけきっちり楽しませてくれる。タイトルどおり木星が宇宙人に盗まれてしまうのだが、どっこい、人類は転んでもタダでは起きないのであった――てな趣向のとんでもない話で、けっこうおかしい。語り口や人物描写では(往年の)ホーガンには及ばないものの、アメリカSFの層の厚さを思い知らせてくれる一大娯楽作。前半から中盤にかけてのもたつきは我慢すること。
 妖精文庫流れ、サンリオ流れのSF/ファンタジー系異色作を発作的に出して目が離せないちくま文庫から、きわめつきの大穴本が二冊。一冊は、いまを去ること二十八年前、新潮社から『ジャングル放浪記』のタイトルで出ていたエイモス・チュツオーラの『ブッシュ・オブ・ゴースツ』(橋本福夫訳/五四〇円)。古本屋で見つけて宝物していたこの本が再刊されてしまったのはくやしいが、これは掛け値なしにおもしろい。やや単調な分、『やし酒飲み』より多少落ちるにしても、『薬草まじない』よりはずっと上。チュツオーラ・マニアはもちろん、まだチュツオーラに接したことがないというしあわせな人も、ぜひ本書で奇怪きわまるアフリカの幽鬼の世界に遊んでほしい。
 もう一冊は、風間賢二編の『ヴィクトリア朝妖精物語』(九八〇円)。ロセッティ、ディケンズ、マクドナルド、キプリングなど錚々たる顔ぶれのフェアリー・テールがしめて十四編、うち八編が新訳というお徳用。一見、こわもてのつくりだけど、一読爆笑の定石破り妖精譚が勢揃いして、近ごろ巷にあふれる金太郎飴型コマーシャル・ファンタジーに食傷する大人のファンにお薦め。当時の挿し絵多数をそのまま収録してくれるサービスもうれしい。
 田村章『ネットワーク・ベイビー』は、一色伸幸脚本の同名NHKドラマのノベライゼーション。富士通HABITATを下敷きにした架空ネットワーク・ゲームの開発物語に、日本伝統の情念たっぷりホームドラマを重ねあわせる異色の試み。電子メディアを扱うとあっちの世界に行ってしまい、リアリティを喪失するケースが多い中で、正しい日本の現代小説として成功している――ということはべつにSFじゃないわけか。
 最後は変わり種を一冊。ノベライゼーションというかなんというか、東京書籍のPCエンジン用SFRPGの背景設定とビハインド・ストーリーをドキュメンタリーふうにまとめた福袋本が、山本弘とグループSNEの『サイバーナイト』(角川スニーカー文庫三九〇円)。前線宇宙兵士へのインタビューを中心に、人工知能のテューリング・テスト場面や背景ガジェットの科学解説、歴史解説を織りこんだ盛り沢山の内容で、新しいタイプの異色メディア・ミックス本。ああ、SFよどこへ行く。