作成者のパソコン歴
私は繊維化学と機械関係の出身であり、高校や大学では計算機やコンピュータと無関係である。20年ほど前に、週刊ポストの特集記事でマイコンが取り上げられたとき、マイコンの機能に注目して今後はこの分野の発明が増えると予想し、その知識を高めるのは弁理士として有益であろうと考えた(多少は先見の明がある)。 その頃は、NECのTK−80(?)などのワンボートマイコンが主流であり、ワンボードマイコンはかなり高価なうえに専門的な敷居が高くて手を出していない。 最初に購入したパソコンは、一体化されたシャープ製のMZ−80K2であり、これは中古で定価の半額である。機械語のプログラミングは非常に難しく、またBASICは遅すぎて実用的でないようだった。この時にアセンブラが販売されたが、テープカセットで4本もあり、いちいちCPUに読み込ませるのは非常に煩わしいので購入していない。 実用的なものは、特許管理のデータベースをHuCAL日本語というソフトのマクロで作成したのが最初である。この処理速度は書類を1枚ずつめくるような遅さであり、データ保存がテープで150件ほどで満杯になったので以後中止した。 さらに5年ほど経過して、実務で使えるようになったのはNECのPC9801Vm2からである。この後に、PC9801Da2(CyrixのCPUに換装)、PC9821Ap2(Pentium83MHzのODPを取付)と買い替え、この頃が最も熱心にマクロやプログラムを考えていた(要するに暇なのである)。 この時の使用ソフトは、ワープロが新松、図面が花子、エディタがVZ、表計算がロータス−123であり、このマクロで青色申告の簡易帳簿を作成して十数年今も使っている。また、特許管理プログラムは、フローチャートを作ってdBXLで作成し、次にQUICKSILVERでコンパイルした。このプログラムは、今でもMS−DOSのARAGOで一応動いている。パソコン通信は90年3月から開始し、これはフリーソフトのダウンロートだけに使用していた。 つまり、結局はこの時点からあまり進歩していない。 最近はプログラムやマクロ作成をせず、日本橋へ行くことも殆どない。現在の使用機は、主にツートップのVip(PentiumUの300MHz)とゲートウェイのケースのみ(CPUをAMDのK2-350MHzさらに500MHzのマザーボードに変換)であり、いずれも4世代ほど前のパソコンであるが、一応LANでつないでおり、最近前者の調子が悪いので、一番安いVaio(Athlon1GHz)を購入した。家では、デスクトップの自作機(AMDのDuron800MHz)と富士通のFMVノート(Celeron333MHz)を時々使用している。使用ソフトは現在一太郎、花子、ロータス−123、DDwin(フリーソフト)、WZエディタ、ワードパーフェクトなど、最近ではワードが必要になっている。 インターネットに関しては95年頃アスキーで読んだ記憶があり、その時は専門技術分野に関する連絡網であるから今ほど普及するとは思わなかった。数年前から自営業の宣伝媒体としても利用されているのは知っていても、ホームページにどの程度反響があるか不明であるので直ぐに利用する気がせず、結果としてこれは正しいようである。 RAIDボードをPCIスロットに入れ、30GBのIDEハードディスクを2台つないでいる。これで総額4万円弱だから安いが、今年後半にハードディスクが3台も飛んで何故か調子が非常に悪い。今年の6月までパンクしたのは金属の保護テープが破れた1台だけであったので、これまでは安全性は高かった。一般データと出願データは別のパソコンにも時々転送しており、SUPER DISKドライブを2台購入し、これで家のパソコンにたまに残している。多分、WAKE-ON-LANの方が便利であり、今、サーバなどの別の方法を模索している。出願データは紙でも残し、外国出願データは紙でしか残していない。 このホームページはフレーム形式で特許庁のホームページに対応させている。最近はマクロ作成もしないので、今回、HTML文書を作成するのに一苦労し、今はごく初歩の段階である。主な参考書は”これでバッチリ!ホームページ作り HTML編”(日経BP社発行)、”かんたん図解ホームページ”(技術評論社)であり、主に前者の中のプログラムを適当に変更して利用している。使用アイコンは、殆ど花子のデジビューから取り出し、文字などを加えているが、アイコンぐらい自分で作るべきだろう。 最近の技術も知っていくべきであるので、パソコン雑誌のDOS/V Specialを毎月、DOS/V POWER REPORTを希に購入している。 |