簡単に言うと、重きを置かれているのが「あう」対象なのか、それとも「あう」という行為その物なのか?という違いになるかと。
……ちっとも簡単じゃねえっす。
なんかこう、もっと具体例を上げて説明した方がよくないですか?
じゃあ、この三人で順番に「あう」人の例を上げて、それぞれについて解説をしてみる事にしようか。言い出しっぺという事で、初めは夢理ちゃんから。
えっとじゃあ、恋人。
ベタベタだな。
だって、こんな事で奇を衒っても仕方ないじゃない。分かりやすくなければ例の意味なんてないでしょ!
まずは、恋人に「会いたい」時の方から。「会」という字は旧漢字では「會」と書くけど、その字源は知ってる?
知るわけねえっす。
実はこれは蓋のある器を現した字で、元々は蓋と器がぴったり付合する事を「會」と言っていたんだ。
へ〜。でもそれって今では「合」という字を使う場合ですよね。
「合」も実は、蓋と器を現している字なんだ。ただ違うのは、「合」が現しているのが宗教的儀式に使う祭器だったと言う事。
ほほう。
盟誓の文書を器へ蓋をして納める事で両者の合意を示す儀式があってね。その儀式の事やそれに参加する事を「合」と言っていたんだ。
なんか今の感覚だと、「会う」と「合う」が全くごちゃごちゃな感じがしますね。
「会合」って言葉もそういえばある位だしね。現在の形で使い分けるようになったのは、案外、ごく最近になっての事なのかも知れないね。
で、「会う」という事は両者がぴったりと合うと言う事なのだから、その対象は特定の存在に限定される訳だよね。具体的に言うと「既に交際している恋人」という事になるのかな。
そんで次は、恋人に「逢いたい」時の方は?
「逢」の字のつくりの方は、神様が御神木に宿る事の意味。しんにゅうは人が自分の足で歩く事の意味。二つを組み合わせて、人が神様に出会う事を「逢」と言っていたんだ。
へ〜、神様ですか。
昔々の神様は決まった御社に祭られている訳じゃないから、神が降りてきた……と人が信じた場所も時間もその度に違っていたと考えられる。まして沢山いる神様の中で、一体どの神様が降りて来るか、人間の方で選べる訳が無いよね。
だから「逢う」場合に重要なのは、神様に逢える事その物であって、どの神様に逢ったかという事は問題じゃない。
え〜、特定されない恋人なんて、そんなのいるんですか?
簡単な例だと、恋人がいない人がまだ見ぬ恋の相手に対し、いつか巡り会いたいなあ……という気持ちが「逢いたい」という事になるかな。
あ、なるほど。
逆にもし、特定の恋人が既にいる人が恋人に「逢いたい」場合は、現在のパートナーになんとなく満足がいかず、もっと良い人に巡り会えないだろうか?と心の奥底で考えている事になるのかもね。
んじゃ、特定の恋人がいない人が、恋人に「会いたい」と思うのは?
それはもはや唯の被愛妄想、エロトマニアと考えた方が……。
い〜や〜!
あ。一寸古傷に触れちゃったみたい。とりあえずやった君、次、次!
えっ、あ、はい。え〜とじゃあ、友達。
これまた随分ベタだね……。
仕方ねえじゃん。とにかく話を別の方向に進めなきゃいけないんだからさ。ボケをかましてる余裕なんざあるかよ!
これも、恋人と大体同じ事が言えるよね。ただ一つ違うのは、恋人は一人だけじゃないと色々と困った事になりがちだけど、友達の方は何人いたって別に何も問題が無い。むしろ多ければ多い程良いって事かな。
付き合いが広すぎても、色々と気苦労が絶えないって話もあるっすけどね。人気サイトの管理人さんとか。
それにしても友達が多い奴の方が全然マシ。
二又を掛け続けた挙げ句の修羅場を延々愚痴られたって、そんなん誰が知るか、バカヤロウ。こっちだってヒマじゃねえんだ!
……なんか私的な怨念混じって無いっすか?
お兄さん、落ち着いて、落ち着いて。
……あ、夢理が元に戻った。
……ともかく、友達の場合の「会いたい」は退屈な時や落ち込んだ時、友人に気を紛らしてもらったり相談に乗ってもらいたい場合なんか。「逢いたい」は自分の世界を広げる為に、これまで知らなかった人と関わりになりたいという事で良いんじゃないかな。
私も同意です。なんか今回は上手くまとまりましたね。いつになくアカデミックな展開だった様な気がします。
えっ、そう? なんか嬉しいなあ。
……でも確か宮台真司だかが言ってた話だけど、碌な学も無い奴が他人から学があると思われるには、語源の話をぶって置くのが一番簡単なんだって。
へ〜。
……。
辞書なんかのネタ本さえあれば、誰でも調べが付く事なのに、それでいて何故か皆に感心される事が多いからだってさ。
そうなんだ……。
……。
そういえば、漢字の大家白川静先生の字典で、これまでに書かれた字統、字訓、字通の三冊をベースに、一般向けに書かれた常用字解って奴が、つい先月出たばかりっすよね……。
……お兄さんにツッコミを入れる時だけはいつも凄いよね、やった君。
……で、次はお兄さんの番で良いかな?
逃げたな。
あんまり追い詰めない方が良いって。逆ギレされた時に困るし。
で、お兄さんの場合はとりあえず、オカアサンかな。
……またツッコミ直しといた方がいいのかな?
とりあえず話だけでも聞いてあげようか。
オカアサンを求める心というのは、人としてごく当たり前の感情だよね。
要するに唯のマザコン?
断じて否! 誰だって心の中に理想のオカアサンを持っているはず。ボクが笑ってもボクのことをぶたないオカアサンとか、トイレにボクを6時間28分閉じ込めたりしないオカアサンとか、夜中に裁縫ハサミを手にボクの枕元に立ったりしないオカアサンとか、変なビョウインにボクを連れていかないオカアサンとか。
その本当のオカアサンを探し求める気持ちが、オカアサンに「逢いたい」という事なんだとお兄さんは主張したい!
え〜、それは流石にどうかなあ……と思いますけど。お母さんになってくれと頼まれる方の立場も、やっぱりちゃんと考えて上げないと……。
……そういう問題か?
シャア・アズナブルだって言ってる。「ララァは私の母になってくれたかも知れない女性だ」と!
確かに「逆襲のシャア」でのマザコン振りは凄い事になってたけどさあ……
寺山修司の「身毒丸」だって、「もういちどぼくを妊娠してください!」の台詞は、実の母ではなく、まま母に対して言われた台詞なのだからして……(以下略)
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ま め ち し き
寺 山 修 司 の 身 毒 丸 で 有 名 な
お 母 さ ん ! も う い ち ど ぼ く を 妊 娠 し て く だ さ い ! の 台 詞 は
実 は 永 井 善 三 郎 の 詩
母 だ け へ の 遺 書
の
お っ か さ ん た だ も う 一 度 だ け ぼ く を に ん し ん し て 下 さ い
が 元 ネ タ だ
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