これは非常に微妙な問題なので、まずは質問の要点の整理から入っておいた方が……。
それがよさそうですね。
下手な事を言って、ファンからメールボムとか喰らってもつまんないっすからね。
まず、一言で「ネコをネタにする」といっても、大まかに3つのパターンに分類する事が出来ると思うんだ。
ほほう。
まず初めに、
(1)マンガのメインキャラクターとしてネコが登場する場合。
具体例で言うと?
誰でも知ってるメジャータイトルで言うと、「動物のお医者さん」のミケとか。
あ、なるほど。
漫画のキャラ作りの方法として、実在の人物をモデルにしたり、あるいはその存在にインスパイアを受けたりはごく普通の事だしね。
この場合は、その対象がたまたまネコだったというだけで、何も問題は無いかと。まあミケにモデルが居たという話自体、一寸聞いた事は無いけれどね。
あくまでフィクションを意識した、登場の必然性があるキャラクターなら全然問題無いって事ですね。
次に、
(2)ネコを主人公にしている物の、作品としては一応フィクションの場合。
たとえば?
え〜と、小林まことの「What's Michael?」。
あ〜、はいはい。
二十年近く前の作品を良く覚えてんな。俺たちの年齢は確か……。
細かい事は言いっこなし!
さて、この場合はネタの多くをネコに頼らざるを得ないという事で、作家的にはある意味非常に切羽詰まった作品と言えると思うんだ。実際、「What's Michael?」も休載続きで随分編集や読者を泣かせた作品だったしね。
あくまで作品が「主」でありキャラはそれを作り上げる為の「従」。手段と目的が入れ替わってしまうと一寸ヤバイって事っすね。
そして最後に、
(3)自分のネコを題材にして、日常エッセイ漫画を描く場合。
あ〜、あるっすね。
大島弓子先生とか、須藤真澄先生とか……。
これは正直非常にまずい状態と言えるね。
例えば「自分のネコの事を漫画にしたい!」と思って漫画家を目指す人なんて、普通居ないよね。
色々と描きたい事があってこそ漫画家をやっているはずなのに、自分で描きたいと思う物を見付けられず、ネコに対する親馬鹿的ネタを受身で待つという姿勢は、作家としてこれから果たしてどうなのか……。
え〜、でも須藤真澄先生って、たしかご自身の結婚を数年間秘密にして居られたんですよね?
えっ?
あくまでフィクションを創るという自覚が大切だって、さっきお兄さんは言ってましたよね。
あれだけ日常エッセイ風漫画を描きながら、けして自分の結婚というプライバシーに関するネタを扱わなかった点に、「フィクションを作る」という事を意識していなければ到底出来ない、強かさをむしろ感じるんですけれど。今に至る作品を見てみても。
……。
それによく考えたら、さっきの小林まこと先生だって「What's Michael?」の後にも、「柔道部物語」ってヒット作をちゃんと生み出している訳ですし……。
……で、四つ目として……。
さっき全部で三つって言ったろ? 逃げんなコルァ!
(4)原稿を取りにいった編集さんが、作家さんから「ほら、あの子がモデルにした家のネコ」と紹介されたんだけれども、そのネコがどう見ても死んでいる場合。
なんだよそりゃ!
(5)その死んじゃったネコの飼い主の作家さんが何故か、「昨日あったネコの事件をネタにした」実録漫画のネームを上げて来てしまった場合。
……。
(6)ひょっとしたら別のネコを飼い始めたのかな?と思いながら原稿を取りに行ったけれど、やっぱりネコの姿なんて全然見当たらなかった場合。
……。
(7)それなのに「ほら、家の子可愛いでしょ」とか事ある毎に作家さんはあちこちを指差して来て、どう見ても何も居ないので返事に詰まってしまい、とても気まずい思いをしてしまった場合。
……。
(8)もしくは、以前のネコの死体がこの前と丸っ切り同じ場所に置いたままで、状態が洒落にならない事になってしまっていた場合。
……。
……。
(9)そんな作家さんにどうしても連載打切を伝える事が出来ず、途方に暮れてしまった場合。
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<以下略>
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ま め ち し き
昔 の 自 分 は 痛 か っ た と 過 去 形 で 言 う 人 に 限 っ て 何 故 か 今 で も 十 分 痛 い
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