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びっくり、君のビデオも真っ赤っか!



 レンタル中続きだった「千と千尋の神隠し」をようやく借りることが出来ました。噂通りの真っ赤っかでした。でもおかしいなあ。岩波書店の今は無き雑誌「よむ」のインタビューでは、確かに「マルクス主義ははっきり捨てました」って言っていたんだけどなあ、宮崎さん(違う)。

<閑話休題>

 10歳の少女達の為に作った普通の女の子の映画とか言われて(或いは作った当の本人までも言って)ますが、それははっきりいって大嘘です。未来少年コナンのラナに始まる、宮崎氏的美少女ノーブレス・オブリージの伝統はこの作品でも同様、いやむしろ宮崎アニメにおける極反動と言っても過言ではありません。

 勿論、見る者のロリ心を惹きつけてやまない、従来の「アニメ美少女」の文脈から全く離れた千尋のキャラクターの造形は、セルアニメーション史におけるエポック・メイキングだと自分も思います。あの作品を劇場で見た人は、映画の歴史に立ち会った事を誇りに思って良いです。エッジなデザインのキャラが特殊なシュミの人に受けた若干の事例を除けば、これまでに同じ物を目指そうとした作品は「ふしぎな島のフローネ」位しか無いかと……。キャラの話はとりあえずまあこんな所で。

 あの話は見方を変えれば、神の依り代たる巫女選びの物語、要するに半人前のハクが神として一人立ちする為の嫁取り物語な訳です。特に伏線の無い唐突な「具合の悪い」朝と、ハクの血で血まみれになる千尋の描写は、かなりぼかされてはいる物の、千尋の10歳という年齢と相俟ってどうしても初潮を連想させずにはいられません。そして、経血は神との肉体的な結婚のしるしな訳です。つまりあの組んず解れつのシーンは実は二人の初夜! 夜這いに神天下りて……ってこれは違う映画ですねごめんなさい。

 極め付けは銭婆にもらったあの髪結いの糸です。例えば伊邪那岐命は黄泉国から逃げ帰る際、追手をかわすのに頭の黒鬘を投げ捨てています。日本神話の呪的逃走における重要アイテムを、捨てるのでは無く、逆に貰って帰るとは一体どういう事なのか? つまり、千尋は既に人間であって人間でない存在という事です。常世と現世を往来する事を許されたこの神々しい存在の一体どこが普通の少女なのか?! ラナ、クラリス、ナウシカ、シータ、サンと連なる美少女ノーブルの歴史と原理主義の血脈は、かくして変らず受け継がれて行くのでした。

 油屋はハクがこき使われているタコ部屋なんかじゃ無くて、元々ハクの(ひょっとしたら他の全ての神々の)依り代を見出す為に準備された場所ではないかと、そんな気がなんとなくします。湯婆婆や銭婆は仲人もしくは遣り手婆という訳ですね。そして、千尋が現れるまでは、ハクの独り身の寂しさを満たしてくれるのは、湯婆婆に対する服従と被虐の恍惚だけ……。

 ついに結ばれたハクと千尋の二人。油屋で開花したM属性から来る、ハクの常軌を逸した求めに最初は戸惑う千尋。しかし、躊躇いながらもそれに応じている内に、千尋は自らの内に隠されていた感情に次第に目覚めていくのだった……。そしてある日、千尋の口から終にこぼれた「跪いて足をお舐め」の言葉に恍惚のあまり失禁するハク、否、むしろ千尋様の黄金水をこの汚らわしいハクの身体に、嗚呼!!

 なんか期せずして、初期モンスリー―クシャナ―エボシのラインも出来てしまいました。やっぱり「千と千尋の神隠し」は紛う事無き宮崎映画という事で。とりあえずどっかのサークルさんで、以上の展開をアレした同人誌を希望〜。
(いつもとかなり芸風が違ってますね、ごめんなさい)

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