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最強談義1最強談義2どこのファン?近ごろ格闘技ブーム?大相撲初場所

大相撲 010116、010117

 相撲をきちんと見なくなったのはいつからだろう?

仕事で夕方にTVを見れないから?
「大相撲ダイジェストがあるじゃないか」との声もあろう。
だらだらした野球にはプロ野球ニュースは便利だが、
アレには侘びも寂びもなく、アレだけでは悲しい。

一つは、
北の湖や千代ノ富士といった本当に強い、というか
負けない
上位陣がいなくなったのからか。
もう一つ、
相撲取りが皆、
デブになり、
私の好きな”業師”的な小兵力士が
15日間戦うには不利になり、
思うように実力を発揮できなくなったこともある。

 八百長談義はさておいて、
横綱、大関が
あたりまえの様に負ける相撲は面白くない。
美しくない、
といってもいいかもしれない。
絶対的な強さを誇るものが不覚をとるからこそ
そこに驚きと喜びを見いだせるのに、
それが日常になるとねぇ。

それはさておき、
今場所の横綱貴乃花は久々に
強い
もちろんきちんと見れていないけども
あのままゆけば
平成の名横綱になれた実力の片鱗が伺える。
(どっかに続く)

K−1はお好き? 000622

 最近K−1PRIDEが人気を博していますねぇ。後者の方は噂の真相6月号によると何やらきな臭い話もあるようですが・・・・。先日、てっちゃんで店の人と話をしていた時に郁ちゃんが「K−1は面白い、他の寝技の奴は面白くない」と言っていたけど、世間一般のK−1ファンはそうなんでしょうね。

 で、ヒネクレ者の私はご期待通りK−1は見るけど面白くないんですよね。
 K−1の魅力ってヘビー級のぶつかり合いと派手なKOシーンにあると私は見ているのですが如何でしょうか?私にはあのKOシーンの多くはまっすぐ突っ込んでくる相手に対して捌けずにまっすぐ下がり、ガードが下手くそなので振り回してくる相手のまさかりのようなフックにもろやられてしまった様に映ったんですよね。だからハードパンチャーとして人気の高いM・ベルナルドやサム・グレコなんかもディフェンスを皆が勉強しだしたらそうそう勝てないでしょう。

 まぁ、私は判ったような判んないようなテクニックの攻防に夢を抱いている、所があるからなんだろうけどね。


誰のファン?どの団体のファン?

000622

 先日のOFF会でリングス命の人に聞かれてはたと困ってしまった。おいらいったい誰のファンなんだろう?

 最近見たり聞いたり?した中で心に残っているのは前田日明の引退試合であるリングスの「前田対カレリン」戦である。色々意見はあるようだけど、私はあれを見てカレリンこそ「人類最強」の称号にふさわしいと思った。これは下で述べているような”人”として優劣をつけたわけではなく、一つの格闘系のスポーツで頂点を極めさらにその位置を長きにわたり維持している事に対して尊敬の念をこめてこの称号をつけたいと思った。もちろん、異種格闘技の戦いの場においてもその実力は発揮されるであろうことはこの試合からも疑いようがない。

 で、話は戻って「私はリングスファンか?」もしくは「前田ファンか?」・・・・「否」ではないが積極的な「諾」でもない。確かにその昔はWOWOWを見れなくてもLDで買って試合を見ていたけども、そのLDでの発売がなくなり、一般放送での露出も勿論少ないこともあり、今はほとんど週間ゴングから動向を読んでいるだけ。これではファンではないよねぇ。積極的に追わなくなったのは前田の試合に精彩が欠けてきたこともあるので、「前田ファンだった」ということは言えるかもしれない。(どっかに続く)


格闘技の優劣の続き

000603、010116

 『誰が強いか』という話には興味はあるけど『どの格闘技が一番強いか』という話には、実を言えば私は全く興味を持てない。それは異なる格闘技において強さの優劣を測るのは不可能であるという立場にいるからである。

 ”例えば、地上最強の空手というキャッチフレーズがあるが(今もそうかは確認していないが)、これは極真空手が最強という意味ではなくて大山倍達と言う天才が地上最強だった、と私は思う。その最強に率いられた極真空手が弱いはずはもちろんないが、大山倍達超えを果たせた弟子が出たであろうか?
 私にとっての大山倍達は『空手バカ一代』で始まり、3才下の弟とともに熱狂したので多少ひいき目が有るかもしれない。
彼のアメリカ時代のエピソードについては多少異論があるようにも聞いているが、もし話半分としても、戦後すぐと云ってもいい頃に戦勝国であるアメリカに渡り世界を目指した事そのものが評価されてしかるべきだと思う。

 ”どれが”格闘技として一番強いか?を決める際の問題は、猪木に始まる異種格闘技戦の歴史を見てもわかる通りルールの問題につきると私は思う。先日のヒクソン対船木もそう。
 ルールが問題というならば『バーリ・トゥードで決めれば?』という人がいるかもしれない。格闘技大好きの作家である夢枕漠と高千穂遙の対談で同じ話題が出たが私は後者の意見と同じ。
 夢枕さんは「バーリ・トゥードは現代においてもっとも制限の少ないルールでありこれ以上のルールは現代社会では無理」というもので、一方高千穂さんは「目つぶし、かみつきといった禁止技が有る以上は誰にでも公平なノールールである、とは言えない(目つぶし等はグレーシー柔術等の寝技系にとって有効な攻撃であるから)」というもの。

 実戦におけるボクシングが弱いとは決して思わないが、ボクシングは殴る事において技術を磨き、その技術は手が届く間合いのリング上においての攻防に特化している訳で、ルール上禁止されている足で蹴る、組んで投げる技への対処法、砂の上での戦い方など練習しているはずがないのである。
 逆にそれらに現代ボクシングの技術以外で対応するのであれば、それはもう○○対ボクシングの異種格闘技戦とは言えないのではないだろうか?

 どうしても決めなければいけないとしたら、私はこう考える
 『代表を100人出して、野原で(街角でも可)総当り戦をやって勝率の高い方を最強と認定』
 選手が100人と言うのは現代の格闘技としての最高を決めるのであるから、世界の中でジャンル(流派、種目)として認識されていなければならないからと考えるからである(陸奥圓命流は一子相伝なので対象外)。ま、100人と言うのは切りがいいからであるので確たる統計的裏づけはない。
 たとえ陸奥が一人で100人に勝てたとしてもそれは先の大山先生の話と同じで、陸奥の最強が証明されただけで、圓命流の最強は証明されていないと考えるからである。
 武器の使用を認めない以外のルールについては何もなしとしたい。勝敗はギブアップもしくはノックアウトで決める。武器の使用に関しては、もちろん安全靴を履いてきたり、ベルトのバックルが特大だったりするのもいただけない。

 これ位やらなければ『世界で最強の格闘技』なんて決められないと思う。ということは『世界で最強』を問う事自体意味の無い事だと私は思う。


最強の格闘技は?格闘技の優劣?

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 『誰が強いか』という話には興味はあるけど『どの格闘技が一番強いか』という話には興味を持てない。異なる格闘技において強さの優劣を測るのは不可能であるという立場にいるからである。

 ”喧嘩が一番強い”という話は別の機会に置いておいて、”格闘技”という場合にはある目的のための技術の体系があるわけで、その目的のために精進しているのではないか、と私は思う。

 例えばボクシング。両手の拳のみを手段として優劣を競う。だから足はもちろんのこと肘打ち、頭突き、咬みつきなどはルール上禁じられている。その制限のためにボクシングは単なる手での殴り合いから進化して様々な手の使い方、攻防のバリエーションを産み出したのである。ただの殴り合いでは力の優るもの、スピードの優るものが強いわけで、劣るものが勝つために技術の進歩があったのである。(続く(^^;)


5月31日(水)ヒクソンv.s.船木2
 帰りがけに会社の人から「ヒクソン見た?」という話になった。彼曰く「ヒクソンが強すぎた。船木は転がされたら手も足も出ない。ブラジル人に武士道なんて言われて悔しい」等々。それへの答えはそのうちに。
5月26日(金)ヒクソンv.s.船木
 最近の船木はあまり好きでない、というかパンクラス旗揚げ以降の彼らをあまり買っていないのだけどもせっかくのヒクソン戦、頑張ってほしかったなぁ。結局彼もヒクソンの土俵に上がって、手も足も出なかった感じ。”大”ヒクソンの影に脅えて力が出せない感じだった。
 試合後の彼が「15年間ありがとうございました」と頭を下げたことについては、彼自身のことであるからどういう意味であっても別にかまわないけども、でも「これで終わり」だったらつまらないなぁ。