9 農民追い出しの過程

1)開発の過程での農民追い出し

  問題は、船の解体による環境汚染やマングローブ林の伐採問題だけではなかった。地元を訪ねた私たちに、地元の住民たちが口々に訴えたのは、工業開発による農地からの立退きによって、自分たちの生計の手段が奪われていったということであった。

  今回の工業開発の対象地は、バランバン市のアルピリ村とブアノイ村であるが、どちらの村にも、数多くの人々が居住し、主に農業と漁業を営んできた。

  農業については、水田耕作もかなりの面積におよんでいる。

  また、アルピリ村とブアノイ村は共同で、潅漑設備をつくり、両村の水田に水を供給している。水田としては肥沃で二毛作がいとなまれていた。

  私たち調査団は、7月26日の午後、灌漑用のダムを訪ね、その後、灌漑用の水路を見て歩いたが、いずれも立派なものであった。

  地元の人々の話では、アルピリ村とブアノイ村の平野部の全般に渡って灌漑用水を提供してきたとのことであった。

  しかし、その土地をアボイテスが買い占め、小作人であった農民たち(アルピリとブアノイの農民たちのほとんどが小作人であり、地主でかつ農民という人はほとんどいない)は、次々とわずかの補償金で土地を追い出された。

2)バランバン開発の経過

  関係資料によれば、この問題の発端は、1988年ころにさかのぼる。

  地元の有力財閥のひとつ、アボイテス・グループが、バランバン市の海岸沿いのアルピリ村の一部の土地(当時は良好な農地であった)を買い占めた。この買い占めは、その土地を利用してエビの養殖をおこなおうというねらいであったとのことである。

  しかし、その後、エビ養殖場開発は行われないまま、買い占められた土地は放置された。そして、一方、1989年から1990年にかけて、セブ州が行った調査およびそれに引き続いて1990年から1992年にかけて行われた日本の国際協力事業団の調査によって、バランバンは、臨海の重工業地帯として開発することが計画された。

  この過程で、実際に悪影響を受ける農民や漁民たちは、意見を聴取されたことはなかったと言っている。

  そうした中で、バランバン市は、1992年3月、海に面したアルピリ村とブアノイ村の一部など、臨海部を、工業用地または商業用地に指定替えする土地利用計画案を採択した。

  そして、翌1993年2月には、バランバン市は、常石造船とアボイテス・グループの合弁会社K&A METALの工場の設置を歓迎する決議を採択した。

  同社は、市の支持を得てブアノイ村に工場を建設し、1994年から同村での操業を開始した。(その操業が違法の疑いがあることについては後述する)

  一方、 CIPDIは、1988年から買い占めてきた農地をもとに、着々と農地を買い占めていった。フィリピンでは、農地は不在の地主が所有しており、その地主から第三者が土地を買い占めていく過程では農民はなかなか買い占めの事実を知ることができない。その後買い占めた者(この場合は、アボイテスまたはCIPDI)が、実際に土地を耕作している者(小作農)に対し、立ち退きを迫ったときに、問題が表面化するケースが多い。バランバンでも同様であり、立ち退き問題が表面化してきたのは、 CIPDIがバランバン市に農地の工業用地への転用許可を求めだした1995年ころであった。

  このころ、農民たちも問題の深刻さを知り、ただちに対応していった。アルピリでは、従来から(1988年から)土地買い占め問題が起きていたこともあってか、動きが早く、1995年10月には、立ち退きに反対する農民たちの連合組織(「アルピリの農民の叫び」という名の組織が形成された。ブアノイでは、それにおくれたものの同年中には、同様に「ブアノイの農民の叫び」という名の組織が形成された。

  しかし、土地持ち農民がほとんどいない状況の下、農民たちは農地を追い出されていった。

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