
| 「レ・ミゼラブル」 |
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| またある時、彼はその地方の一人の紳士の死を報ずる手紙を |
| 受けたが、その中には、故人の位階のみならずあらゆる親戚の |
| 封建的貴族的資格のすべてが全紙にしるしてあった。 |
| 「まあ死ぬのに何といういい肩書きだろう!」と彼は叫んだ。 |
| 「何というりっぱな肩書きの重荷をやすやすと負わせられ |
| てることだろう。かようにして虚栄のために墓まで用うるとは、 |
| 人間というものは何と才知に長けてることか。」 P.41 |
| あなたは司教であると言われた、しかしそれはあなたの |
| 精神上の人格について私に何かを告げるものではない。 P.90 |
| 日本にも、「戒名」という不思議な因習がある。 |
| 戒名を坊主につけてもらうと、「戒名料」というものが |
| 取られるそうである。また、その金額によって、「戒名」 |
| のグレードが決まることも多いらしい。 |
| 「戒名のない死者は、仏になれない」などと遺族を脅す |
| 坊主までいるという。 |
| 僕は思う。 |
| 肩書きで生きている人の多い世の中だが、死んでもなお |
| 「肩書き」が必要なのか。死んでもなお、「一人の素の人間」 |
| に戻れないのか。僕は戒名はいらない。僕は、死後も、 |
| 生きている間も、一人の「人間」でありたい。 |
| そもそも、「戒名」とは、出家した坊主が「僧名」を受ける際に |
| つけられた名だそうである。まして、全ての人が死後、戒名を |
| うけるなどということは、他の仏教国にはないことらしい。 |
| 愛する妻を失った男や子供を失った母親のそばに、彼はすわって |
| 長い間黙っていた。彼は黙すべき時を知っていたように、また |
| 口をきくべき時をも知っていた。嘆賞すべき慰謝者よ! |
| 彼は忘却によって悲しみを消させることなく、希望によって |
| それを大きくなし崇(たか)めさせんとした。 P.49 |
| 僕は、まだ彼のようにはなれていない。 |
| 一生なれないのかもしれない。 |
| でも、少しでも近づきたいと思う。 |
| だから、まず、どんなにつらくても、周りの人を |
| 元気づけられる、そういう強い体と精神をもちたいと |
| 願い、自分なりに鍛えている。 |
| どんな悲しみも自分の推進力に換えられる、そういう |
| 強い人間になろうと思う。 |
| 人を励まし、勇気を与えるには、エネルギーがいるから。 |
| (警視総監から王への報告書) |
| 陛下、すべてを考察するにこれらの人民には何ら恐るべきものなし。 |
| 彼らはむとんちゃくにして怠慢なること猫のごとし。 |
| 地方の下層の人民は不安なれども、パリーのそれはしからず。 |
| 彼らは皆小人どものみなり。 |
| (中略) |
| 要するに、そは愛すべき細民なり。p.237 |
| 権力者にとって、一番恐ろしいのは、民衆の力である。 |
| それは、古今東西、変わらない真理であると思う。 |
| 民衆の支持を得られない権力は、一時は栄えるように見えても、 |
| 必ず滅んでいくものである。 |
| しかし、今、日本の現状に目を移すと、あまりに多くの人が |
| 「細民」化しているのではないか、という不安が |
| 頭をもたげる。 |
| ある意味において、日本の「民衆パワー」はあまり |
| 恐くないとさえ、思われる。 |
| 「権力」を監視し、政治などを通して社会に働きかけてこそ、 |
| 責任ある大人といえるのではないだろうか。 |
| 彼は書物を前に開いて読みながら、いつも一人で食事をした。 |
| よく精選された少しの書籍を持っていた。 |
| 書物を愛していた。 |
| 書物は冷ややかではあるが完全な友である。p.291 |
| 僕が今まで読んできた本の数など、全く大したことはない。 |
| だから、こんなことを僕が言うのは、かなりおこがましいこと |
| なのだが、あえて言えば、 |
| 僕は、本を通し、世界の大文豪と対話することによって、 |
| ようやく、多少なりとも自分を純粋に保ってこれたように思う。 |
| また、そのなかで、自分の生きる理由、価値、自信を |
| 見つける糧を手に入れてきた。 |
| 本当の良書は、読むことによって、たくさんの人生を |
| 生きることができる。 |
| 決して避けることのできない、生老病死を見つめることができる。 |
| 僕は、人生を、より価値的で、より豊かなものにする |
| ために、良書は絶対に必要であると確信する。 |
| 逆に、悪書は、人を浅薄にしてしまう。 |
| 今、日本では、急速に活字離れが進んでいる。 |
| ベストセラーの本も、必ずしも「良書」と呼べないものが |
| 少なくないように思われる。 |
| それは、とても残念なことだ。 |
| 運命と人間との誤謬(ごびゅう)をそのまま遂げしむること、 |
| それを妨げないこと、沈黙によってそれを助けること、結局 |
| 何らの力をもいたさぬこと、それはすべて自ら手を下して |
| なすのと同じではないか。それは陋劣(ろうれつ)なる |
| 偽善の最後の段階ではないか。それは賤(いや)しい |
| 卑怯(ひきょう)な陰険な唾棄(だき)すべきまた |
| 嫌悪(けんお)すべき罪悪ではないか!p.393 |
| はっ、とさせられる言葉である。 |
| 過ちが行われていても、いざこざを避けるため、 |
| 保身のために見て見ぬふりをしてしまった経験は、 |
| 誰しもあるのではないだろうか。 |
| 作品と少し離れた話をしたい。 |
| 人々の「沈黙」と「悪」についてである。 |
| 沈黙が、結果的に、悪を助けてしまうことが往々にしてある。 |
| その最たる例が、かつての日本の軍国化なのでは |
| ないだろうか、と僕は考えている。 |
| 誰もがおかしいと感じながら、多くの人はそれに迎合 |
| していき、文化の大恩の国に対して刃を向け、そして |
| 自らを滅ぼしてしまった……。 |
| 僕の師匠は、かつて、こう言われていた。 |
| 日本では、「いい人」とは、極論すれば、善いことも |
| 悪いこともしない人のことである。 |
| 善いことをすれば必ず何らかの抵抗を受け、悪口される。 |
| それを恐れず、敢然と「善」をなしてこそ、 |
| 真の「いい人」のはずである。 |
| 上に挙げた、ユーゴーの言葉も、師匠の言葉も、一生涯、 |
| 胸に刻んでいきたいと思う。 |