記憶のノート (03)


 





顔を洗っているとき、後でゴソゴソと音がした。
「もう、いくの?」
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
「いいの。」
とレイは少し寝呆けた声で言った。
僕は顔に付いた水滴をタオルで拭き取る。
「それじゃあ行ってくる、寝てていいよ。」
スニーカーの靴紐を結んでからドアのノブに手をかける。
「気をつけてね。」
その言葉は詩の断片のようだった。
短い決まりきった句なのかもしれないけど、やさしさがつまっていた。
純粋で真っ白なレイの。
「うん。」

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

「そうだ、吉田さんの家には犬がいるからな、注意しろよ。」
「はい。」
「山田さんの家は玄関を勝手に開けて投げ込んでいい。」
「いいんですか?」
「ああ、あそこの爺さんが不精で、玄関の前にある郵便入れまで取りにいきたく
 ないんだとよ。」
「はあ、そうですか。」
「よし、あそこの高橋家で終わりだ。」
「はい。」
僕は自転車のかごから新聞を取り出し、
郵便受けに二つ折りにして入れた。
ちらっと腕時計を見ると、もう7時。
朝日が僕の顔を照らしていた。
「どうだ、朝は疲れるだろ。」
と親方は腹巻に両手をつっこんで言った。
「ええ、広告が多いですからね。」
「まあな、それに田舎は一軒一軒が遠いからな、それなりに体力がないと
 できねえぞ。」
「はあ。」
僕はそっけなく返事をした。
「そうだ、お前今日走って来てたな。」
「はい。」
「家近いのか?」
「いえ、近いわけでもないですけど。」
親方は僕をまじまじと見つめる。
「じゃあ、その自転車持っていけ。お前持ってないんだろ?」
「あ、はい。」
「汚いけど、無いよりはいいだろ。歩いて帰るんじゃ面倒臭いからな。」
「いいんですか?」
「ああ、でも、やめるときは返せよ。」
と、顔をしわくちゃにして笑った。
「ありがとうございます。」
「ああ、じゃあ帰れ。」
「はい。」
と言って、黄色いさびだらけの自転車にまたがった。
「夕刊にも遅れるなよ。」
「はい。」

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

さっきから、どうも落ち着かない。
なんなんだ?この感じ。


朝の少しひやっとした風が僕の頬を通りすぎる。
雀の鳴声が聞こえる。
自転車をおもいっきりこいでいたので、髪の毛が僕の額につくことは
なかった。
朝日のなか、奥に見える青々と茂った山、紫色に輝く空にむかって
ペダルを踏み続ける。
いつもなら、ここの家で右にまがるはず。
その先に僕達のアパートがあるはずなのに、僕はまがらなかった。
僕は何かに引かれていた。
僕は真っすぐその道を進んで行く。
瓦屋根の家々が少なくなってきて、立派なコンクリートの
民家が僕の前にたくさんあらわれる。
それは三階建てで1階は車庫になっているのが多かった。
新しい表札、玄関前で可憐に咲いてる色とりどりの花々。
知らなかった、こんな所にこんな住宅があるなんて。
僕は横目で見送りながら、前よりも足に力を入れた。
やがて、その道を真っすぐ行くと、小さい公園に出た。
「こんな所に公園があったんだ。」
僕はその公園の前で自転車を止めた。
あるのは、砂場、ブランコ、鉄棒、水飲み場だけ。
自転車を白い柵によりかけて、水飲み場に足を向ける。
芝生にびっしりとついた朝露が、太陽の光にあたってきらきらと輝いている。
僕は靴をそれで濡らしながら、水飲み場に近付いた。
そして、ゆっくりと蛇口をひねり水をだす。
口をつけて、喉に入れる。
夏だけど、それはとても冷たかった。
僕は蛇口を閉じ、口を袖で拭いた。
前を向くと、水飲み場の前に小さな茂みがある。
何かに引かれるように、僕はその中を覗き込んだ。
蚊がばっと僕の顔に襲いかかる。
僕は両手ではねのけて、しぼめた目を開く。
そこには、朝露で濡れた段ボール箱があった。
その蓋を、恐る恐る開ける。


なんだ、これだったのか。

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

「ただいまぁ。」
半分にやけ顔で、ドアを開けた。
「おかえりなさい。・・・・・・・・・・・・どうしたの?それ。」
レイは僕の持っている段ボール箱を見ていった。
「ははは、拾ってきちゃった。」
「何を?」
「ほら。」
と言って、段ボール箱を開ける。
「ミャォ」
「え?」
本当に驚いているレイが面白かった。
箱から首をだして、子猫は一鳴きレイに挨拶をする。
「どうしたの?その猫。」
「ははは、うん、何か引かれるように近所の公園にいったら、
 ちょうどこいつがいたんだ。最初は見て見ぬ振りをしようと思ったけど、
 どこかで見たような気がして。どこだったかな?
 ま、いいけど、それで、なにか不思議な気持ちになって。
 だから、拾ってきちゃった。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嫌だった?」
「ううん、そんなことないけど。」
と言いつつも、不安そうな顔をするレイ。
僕は靴を脱ぎ、少し湿った段ボール箱をベッドの足元に置いた。
「ミャォ。」
子猫はじっとレイの顔を見上げていた。
レイの方もどうしていいかわからないような顔をしている。
「抱いてみようか。」
と言って、僕は段ボール箱から子猫を抱き上げる。
「ミャァォ。」
円らな瞳で僕のことを見つめている。
よく見ると体中の毛は短くてヒゲがぴんと上を向いている。
少し汚れてはいたけど、お腹の方は白色、背中の方は薄茶色
という感じだろうか。
でも、一番の特徴は前に倒れた耳と、青く澄んだ瞳だろう。
こんなに可愛い猫をどうして捨てるんだろう。
子猫は、僕の腕の中で眠そうに顔を舐めている。
「はい、レイ。」
「ミャォ」
僕はレイの布団の上に、ちょこんと置いた。
今だに、びっくりしたレイの顔が本当に面白い。
子猫はだんだんレイのお腹の方に近付いて、顔をすり寄せる。
「ほら、撫でてあげれば?」
じっと子猫の顔を見てから、
「ええ。」
と言った。
レイは恐る恐る布団から手をだし、右手を子猫の頭に乗せる。
毛並みにそうようにして、やわらかく頭をなでる。
喉をゴロゴロと鳴らし、目を細める子猫。

そして、彼女の手をペロペロと舐めだす。
一瞬びくっとしたようだけど、そのまま手を舐めさせていた。
どうやらレイは猫とか、いや、きっと動物のたぐいは初めてなんだろう。
最初は愛くるしい猫の仕草に戸惑っていたけど、次第に口元に笑みが見えてくる。
「あ、朝食作らなきゃ。」
そうだ、黙って子猫とレイを見ていても、お腹はいっぱいにならない。
「子猫だからミルクでいいよね、レイと僕はパンだけど、いい?」
「ええ、ありがとう。」
とレイは言った。
ずっと指を舐められていたためだろうか、どこかくすぐったいような
表情で笑っている。
僕は両手を洗って朝食の準備をはじめる。
冷蔵庫から野菜を取ろうと思ったとき、ちらっとベッドの方を向くと、
朝の光が白く光る彼女の顔にあたっていた。
それは、神々しい風景じゃなくて、どこか暖かみ、安らぎ、親しみのある
・・・・・・お母さんみたいなものかもしれない。

僕は今朝したことを、子猫にとっても、レイにとっても、僕にとっても、
とてもいいことだと思っている。

本当によかった。
僕は心からそう思った。



二人だけの生活は昨日で終わり、今日からは二人と一匹・・・・・・・・

いや、三人の生活がはじまった。



一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

「それじゃあ、そろそろ買物にいってくるよ。ああ、そうだ、
 猫の本とか、キャットフードとかも買ってくるよ。他にほしいものある?」
ベッドですーすー寝ている子猫の頭をレイはやさしく撫でながら、
「得に無いと思う。」
と言った。
「ずっと、レイの所から離れないね。」
「ええ、ベッドの上が一番暖かいから。」
レイの言ったことはたぶん当たっているんだろう。
お日さまにあわせて少しずつ場所を移動して行く子猫はとても可愛かった。
「あ、そうだ、僕が帰ってくるまでに猫の名前決めておいてよ。」
「え、私が?」
「うん。」
動揺したレイの顔を見るのは、はじめてじゃないだろうか。
「なんでもいいよ、そんなに深く考えないでいいからさ。
 じゃあ、行ってくるよ。」
「あ、いってらっしゃい。」
「お昼ご飯は台所にあるから。」
「ええ。ありがとう。」
「なるべく早く帰ってくる。」
「ええ。」
「戸締まりしっかりね。」
「ええ。時間大丈夫?」
とレイは笑って言った。
「あ、そうだ。それじゃ、行ってくるよ。」
「いってらっしゃい。」
「ミャォ。」
僕はガタンと鉄のドアを閉めた。
目の前に広がる一面の水田を見渡してから、山のない平野の方を見渡す。
遠くの方からゆっくりと一両編成の列車が見えてくる。
僕はあわてて鉄の階段をかけおりていった。

 







「すみません、遅くなっちゃって。」
「まあ、まだ間に合うが、どうしたんだ?その荷物。」
「あ、ちょっと親に買物してこいって言われちゃって。」
僕は両手に10個の買物袋、背中には町で買ったかなり大きいリュックサック
を背負っていた。
「桟郷市まで行ってきたのか?」
「いえ、梅山町まで行ってきたんです。」
「あんなところまで行って、よく買うものあるな。」
桟郷市とは、僕の家の近くの東上雫駅から1時間かかる大きな町で、
梅山町とは、駅から30分で行ける小さな町。
僕は夕刊の時間に間に合わすため、近場の梅山町で買物をすませた。
「まあ、いい。それより早く準備をしろ。荷物は奥に置いておけ。
 もう4時だぞ。」
「あ、はい。置かせてもらいます。」
と言って、奥のちらかった部屋にどさっと置く。
くしゃくしゃの頭をかきむしってから、親方は150部の新聞を片手で
持ち上げた。この人は見かけによらず力持ちだ。
「おい行くぞ。」
「あ、はい。」

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

夕暮を間近にひかえた路地は、むっと暑く青く、子供達はランドセルに
黄色い帽子を被り、両腕をふって僕の隣を走り去る。
最後の新聞を郵便受けに入れ終わったとき、思い出したかのように
振り向くと、さっきの子供が長い影を引きずりながら、夕日に向かって
走って行く。
落ちてくる汗も気にせずに、僕はその情景を黙って見ていた。
「どうだ?もう大体、家の場所は覚えたか?」
「あ、はい。」
「本当は一ヵ月くらい見なくちゃいけないんだけどな。
 お前の場合は大丈夫だろう。明日から一人でやれ。」
「あ、はいわかりました。」
「そうだ、お前、荷物置いたままだったな。」
「はい。」
「よし、戻るぞ。」

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

夕日が静かに山に包まれ、辺りは闇に包まれてゆく。
風が少しだけ冷たくなったような気がした。
「おい、何してる、早く取りにこい。」
「はーい。」
これ以上怒鳴られたくないから、僕は急いで自転車を止めて玄関に向かう。
なにか名残惜しい気がして、夜に変わりつつある空をぐるっと見渡した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
黒のなかに青がある。
なんだ?
紺、青、水色、オレンジ。
空はいくつもの色を重ねあって、生き生きと広がっている。
でも、黒のなかに青がある。
一瞬、なにがどうなっているのかわからなかった。
僕はじっと目を凝らしてよーく見る。
そうだ、夕日が落ちていった方の山の一部が青く光っているんだ。
逆光で暗くなった山に、不気味にぼっと光る所がある。
なんなんだ?
その光は、僕がこの世界で見たことの無いような色で輝いている。
きれいといえば、きれいだけど、不気味な光としか言いようがない。
さっと、僕の体を鳥肌が走った。
「あ、あの、親方さん。」
僕は親方を手招きした。
「なんだ?俺のことは親方でいいって言っただろ。さんなんて付けるな。」
「あ、あれなんなんです?」
と言って、僕は山の方を指差した。
「ん?なんのことだ?」
「あれですよ、あれ。山が光ってる。」
「ああ、ほたる山のことか。」
「ほたる山?」
「お前知らないのか?ということはお前やっぱりここの人間じゃないんだな。」
「あ、はい。最近引っ越してきて。」
「そうか、まあいいけどな。あの山には、ほたる石が眠ってるんだよ。」
「ほたる石ってなんですか?」
親方はクリーム色の汚れた腹巻に、両腕をつっこんで話しはじめた。
「ほたる石ってのは、めずらしくもないただの石だ。ただ、強い紫外線をあてると、
 いろんな色に発光する。それがあの山に大量に眠っているらしい、
 まあ、詳しいことは誰も知らないがな。」
「え、誰も知らないって?」
「そうだなぁ・・・・・・・・本当は話したくねぇんだけどよ、いきなりお前さんも
 あの山に入りたいとか言いだしたら困るからな。
 まあ、教えてやる。今まで何人もの村人があの山に入って遭難している。」
「どうしてですか?」
「そこまではわからねぇが、ほとんどの奴らは地獄の門があって、悪業を重ねた
 奴を連れ去ってしまうとか言ってる、まあ、迷信だけどな。
 100年くらい前にも、日本軍がほたる石を青金石と勘違いして一万人       
 近い兵隊を消滅させてる。」
「あの青金石って。」
「ああ、西洋じゃあラピスラズリ、って言われて重宝されていたものらしい。
 そのあとになって、あれはほたる石だってわかったらしいけどな。
 まあ、山に入って調べたわけじゃねえからよ。」
「だから、あんなに不気味な光りを放っているんですね。」
「それはどうだかな。日没後の1、2時間くらいは辺りも暗くなっているから、
 青く光っているのが肉眼で見える。それ以後は次の日没までまったく見えない。
 まあ、俺の小さい頃は今よりもたいした明るさじゃなかったんだ。
 だが、セカンドインパクトってのがやっかいだった。
 あれのせいでオゾン層のほとんどが失われたから、
 どんどん紫外線が流れこんでくるようになってな。
 今みたいにより不気味な色になったんだ。」
「へぇ、だれも近付かないわけだ。今まで無事に返ってきた人はいないんですか?」
「いないことはない。ずっと昔に二人だけいる。」
「それって誰ですか?」
「・・・・・・・・まあ、いい。お前には教えよう。鎌倉時代に欲深い姫さんがいてよ、
 そいつが坊さんを連れてあの山に入った。そして戻ってきた、永遠に青く光り
 続ける石を持ってな。」
「青く光り続ける石?」
「ああ、願いを何でもかなえる石、希青石といわれている。
 今だにあの山に入るという奴が絶えないのはこの伝説のせいだろうな。
 日本軍も青金石より希青石が目当てだったのかもしれない。」
「何でも願いをかなえる?」
「おい、本気にするなよ。伝説だ、ただのな。この話を鵜呑みにして
 何万の人間が消えたことか。
 テレビや、新聞の奴らも規制されてて報道はしない。
 だから、お前もこの話を他の奴に言いふらしたり、自分も山に入ってみたい
 とか言いだすんじゃねえぞ。あの山に入った奴らが帰ってこないのは事実
 だからな。」
「あ、はい。」
すっかり暗くなった僕らの村に、青白くぼっと光るほたる山。
村はこの事を恐れるように、ひっそりとしていた。
高橋商店のおじさんが言っていた「犠牲者」というのもきっとこのことだろう。
「おい、帰らなくていいのか?」


一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

「ただいま。ごめん、遅くなっちゃって。」
「ううん。おつかれ様。」
薄暗い2本の蛍光灯がチカチカと点滅する下、微笑んでいるレイの
笑顔と、子猫の寝顔が僕を迎えてくれた。
そう僕はこのために家に帰ってきてるんだ。
「いまご飯作るよ。何か変わったことあった?」
うがい手洗いををしてから、エプロンを付ける。
「あ、じゅうたんに、ごめんなさい。」
「え?」
僕が振り返ると、レイの指差すじゅうたんの所にしみがあった。
「あ、もしかして、猫のおしっこ?」
こくりとうなずくレイ。
「一応、拭いておいたけど。」
「じゃあ、大丈夫だよ。まだ小さいし、これからしつけていけばいいよ。
 あ、そうだ。猫の育て方って本買ってきたよ。あ、そうだ、いろいろ
 見ておいて、パジャマとか本とか買ってきたから。」
僕はレイの枕元に10個の紙袋と、大きいリュックサックを置いた。
「本屋さんでさぁ、チラッと読んだけど、猫を飼うのも結構大変みたいだね。
 色々なものが必要だし、あっ、でも、大体のものは買ってきたよ。
 あとさ、ここ確か、猫飼っちゃいけないみたいなんだよ。」
「いいの?」
「たぶん、ばれなきゃいいと思うけどね。」
僕は苦笑いした。
「シンジ君、これって。」
「ああ、それは、猫のトイレ。」
「これは?」
「食器と、つめとぎ器。あ、それは。」
レイは女性用の下着を取り出した。
「あ、あのさぁ。下着ってたくさんあって、どんなの買っていいかわからなくて。
 色々あってさ、よくわからなかったから、お店の人に聞いて買ったんだよ。
 サイズは替えの下着を持っていったんだけど、ごめん、勝手に持っていった
 んだけど、でも、そういうのでいいのかどうなのか、ほんとわからなくて。
 僕もどうしようか、本当わからなかったから。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「ありがとう。」
「え、いいのかな?」
「ええ。ごめんなさい。私のために。」
「いや、いいんだよ。でも、かなり恥ずかしかったけどね。」
僕が笑うと、
「シンジ君が買ったなんて思えない。」
と言ってレイも笑った。
「僕がどれほど恥ずかしかったか、レイはわかんないだろうよー。」
少しひねくれた感じで言った僕に、レイはくすくす笑っていた。
「そうだ、今のうちにパジャマに着替えちゃったらどう?
 黄色の紙袋に入ってるよ。」
ごそごそと紙袋をひっかきまわすレイ。
そして、明るい水色のパジャマを取り出した。
「大丈夫かな?」
「なにが?」
「いや、だから、そういうので。」
「うん。ありがとう。」
照れ臭くなって、僕はまた台所に向きなおす。
レイって本当、素直だよなぁ。
僕は心からそう思ってしまった。
「実は、パジャマが一番自信があったんだ。これはレイに似合うって。
 直観的に思って。これくださいってさ。」
僕はまな板にのっているニンジンを見ながら笑った。
「僕こっちみてるから、今のうちに着替えちゃって。」
「ええ。」



一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

「いただきます。」
「いただきます。」
と言う僕達の声をよそに、子猫はすでに買ってきたキャットフードを
シャクシャク食べていた。
「ミャォー。」
「まあ、いいか。」
「なにが?」
とレイは箸を止めて言った。ご飯をあむあむ噛んでいる表情が可愛い。
「いや、いいんだけど。それより、さ、猫の名前決まった?」
「うん。」
「本当?聞かせて。」
僕は箸を置いた。
「ミャオ。」
「へ?」
「ミャオ。」
子猫が鳴いたわけじゃなく、レイがそう言った。
「名前がミャオってこと?」
「うん。」
ミャオ・・・・・・・・・・・・・やっぱり、ミャオって鳴くから、ミャオなんだろうな。
「へん?」
「いいや、そんなことないよ、呼びやすくていいよ。」
とか言っておきながらも、顔はひきつっていた。
「シンジ君大丈夫?」
「ん?大丈夫だよ。それより、今日、ミャオは何かしでかした?」
「うん、部屋の中の色々な場所にいって、匂いをかいでいたみたい。
 3時くらいにコーヒーいれたんだけど・・・。」
「え?コーヒー?お湯沸かして?怪我とかしなかった?」
「コーヒーくらいいれるよ。」
と言ってレイは微笑む。
「あ、そか、車椅子あるんだよね。」
僕も笑う。
「それで、飲みかけのコーヒーにミャオが舌をつけて大変だった。
 でも冷めてたから大丈夫だと思うけど。」
「本当に?ミャオ大丈夫だった?」
と、僕は床でキャットフードをぎこちなく食べているミャオに言った。
言葉がわかっているような素振りで、僕を見上げてミャォーとなく。
「大丈夫だって。」
と言って笑った。
レイも笑っていた。









カーテンの隙間から青白い光がぼんやりと姿を現しはじめ、かん高い雀の鳴声が
まだ寝ている僕の脳味噌をいらだたせる。
僕は、半分ふさいでる目蓋を一生懸命あけようと何回も目をこすり布団をはね
飛ばすと同時に、足を力一杯のばした。
「うーーん、朝だ。」
と小声で叫ぶ。
ふっと、隣を見るとミャオが僕の隣で眠っていた。
確か、昨日はレイの隣で寝てたはずなのに。
「お前、寝てる間にうろちょろしてたのか?」
・・・・・・・・・・無反応。
可愛い顔して寝ている。
まあいいか。
でも、とりあえず布団を上げたい僕は、そっとミャオを持ち上げて
レイのベッドに移した。
「ん。」
と言って、レイは目を開ける。
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
「ううん、いいの。おはよう。」
レイは乾いた声で言ってから、目蓋をこすった。
「おはよう。あ、そろそろ行かなくちゃ。」
「新聞配達?」
「うん。」
「そう。」
と言ってから、目を細めて隣で寝ているミャオを見た。
「どうかした?」
「ううん、なんでもないの。」
「・・・・・・・・・・・・ならいいけど。朝ご飯までもう一回寝てたら?」
「うーん。待ってる。」
「そう・・・・・・・・別にいいけど。じゃあ、行ってくるね。」
「いってらっしゃい。」
と言った口調はどこか透明で冷たかった。


ドアを閉めて鍵を掛けたとき、僕の中を何かが通り抜けた。
それはぴりぴりと冷たくて、とても濃い青をイメージさせる風だった。
振り返ると、蒼い夜明けの向うにそびえ立つほたる山に、
朝の光があたりはじめていた。

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

「ただいま、今ご飯作る。」
「おかえりなさい。」
帰ってきてもレイの浮かない顔は治ってなかった。
何もいっつもニコニコしていろと言っているわけじゃないけど、
こういう顔をされると僕は本当につらくなる。
「朝はパンでいいかな?」
「ええ。」
「あれからずっと起きてたの?」
「うん、別にいつも寝てるだけだし。」
この言葉に僕の胸は痛くて震えた。
僕は手早く料理の支度をして、一緒に小さい狭いテーブルで食べた。
ミャオにはミルクとキャットフードを置いた。

朝の10時ごろ、痛々しい右膝と背中の傷跡の包帯を取り替えてから、
痛み止めを飲ませて、しばらくしていなかった点滴をうった。
南の窓からの暑苦しい日差しは、うたたねしているミャオの表情を
苦しそうにさせる。
それとは逆に、窓から見える白い集まりはゆっくりと青い空の中を泳いでいた。
レイはベッドの上で昨日買ってきた本を読んでいる。
さっき洗った彼女の髪からは、甘いシャンプーの匂いがしていた。
僕の方は食器棚に寄り掛かって考え事をしている。
朝のレイの顔が引っ掛かってしょうがなかったから。
僕は小さいことを気にしすぎるんだろうか?
レイの考えていること、悩んでいること、興味のあること。
僕は全部知りたくなる。
そして、この狭い部屋の中で一緒に笑っていたいと思う。
僕はどうしてここまでレイのことを気にするんだろう。
チラッと横を向くとレイの目線に気付く。
あわてて目線をそらしてしまった。
「シンジ君?」
「ん、なに?」
声がうわずっていた。
「わたし。」
と言って、しばらくレイは何も言わなかった。
直観的に朝の暗い表情と関係があると、僕は思った。
「なに?」
「ええ。シンジ君は朝と夕方新聞配達にいってる。」
「うん。」
「それなのに、私はただ暖かいベッドで寝ているだけ。
 何もしないで、ただなりゆきにまかせて生活している。
 シンジ君は私のために一生懸命働いてくれているのに。
 だから・・・・・・・・・・・・・・私もシンジ君のために何かしたいの。」
「それって、働きたいってこと?」
レイはこくっとうなずいた。
「右足のことはわかっているし、外に出たらどうなるかもわかってる。
 だから、家でできることって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
レイがこんなに苦しんでいるのに、今までまったく気付かなかったなんて。
僕はもっとしっかりするべきだと思った。
「うん。わかった。一緒に考えよう、何ができるか。」
「ええ。」
「朝から表情が暗くてとっても心配したけど、こういうことだったんだ。」
「ごめんなさい。なかなか言いだせなくて。」
「いいよもう、レイには笑顔が一番似合うもん。」
レイは頬を赤く染めて、
「最近そういう台詞多くなったね。」
と笑っていった。
僕も笑った。
「それよりさ、考えようよ。」
「うん。」
僕らが必死に考えているとき、もうひとりの住人が目をさました。
「ミャォー。」
暑さに絶えきれずに起きたんだろうか?
愛くるしい青い瞳をきらきらと輝かせて、直射日光のあたらない
レイの体のうえによいしょと登った。
「ミャオはよく寝るなぁ。」
「子猫って、一日に20時間近く眠るんですって。本に書いてあった。」
レイはミャオを抱き上げて、うっとりとした表情をする。
「へぇ、いつもよくレイのベッドの上で寝てるもんね。」
「うん。」
「レイはミャオに好かれてるからなぁ。」
と腕を組んで、しみじみ言う。
「そう?それってもしかして。」
「嫉妬とかじゃないよ。」
「うん、わかってる。」
と言って笑った。

「あ、そうだ。小説なんてどう?」
「小説?」
お昼ご飯の市販焼きそばを片付けているとき、ふっと思い出すように言った。
「うん、ちょっと待って。」
僕は食器棚のうえにある白い段ボール箱を、床におろした。
そして、発泡スチロールに包まれたそれを出す。
「ノートワープロ。」
「うん。これで小説書くのってどう?やっぱりベッドのうえでもできる仕事って
 こういうのしかないんじゃないかな?」
「うん、でも、それでお金もらえるの?」
僕は取り出したそれを、ベッドのテーブルに置いた。
「ほら、新人賞とかに応募してさ、華々しくデビューすればきっと仕事は
 くると思うんだ。それにこういうのってペンネームとかでもいいらしいし、
 原稿を出版社に送るだけでいいし。だから大丈夫。」
無意味にガッツポーズ。
「でも、私、小説なんて書いたことない。」
「レイっていつも国語の成績いいじゃない。」
レイの右頬がひきつってるように見えるのは気のせいだろうか。
「国語がいいからって、書けるとは思わないけど。」
「大丈夫だよ、ミャオもそう思うだろ?」
僕の気迫にあわせるように、勇ましくひと鳴きする。
「何も、いきなり書けとは言わないよ。ゆっくりでいいんだからさ、
 選択肢の一つとしてやってみたら?」
目の前にあるキーボードをカチカチ押しながら、レイはしばらく黙っていた。
少し悩んでいるようだ。
「うん、一応やってみる。」
「はは、決まった。」


と、それからはレイの作家をめざして奮闘する日々が続いた。
最初の日は、外をボーッと見ながら考え事をしていたけど、次の日からは
ノートワープロを殴るように打ち続けた。
さすがのミャオもその光景に怯えているようだった。
僕といえば、少しでもレイの力になるために、桟郷市の中央図書館に
毎日通いつめた。
参考資料や、有名どころの小説を片っ端から借りに借りている。
僕は僕で調べものがあったから、まあちょうどよかっんだけど。
そんな毎日が続く中で、早くも一週間がすぎていた。
ミャオは相変わらずレイの膝のうえで寝ている日々を送っている。
あ、でも、ミャオはトイレも覚えたし、つめとぎもできるようになった。
この猫は本当に賢い。青い瞳がどことなく風雅な感じをさせているし、
よくはしゃいでいるけど、目には見えないような落ち着きがあった。
でも、食べるときは別で、よく床にキャットフードをまき散らす。
キャットフードだって安くないのに。
そんな光景をいつも微笑んで見ているのがレイ。
彼女はずっと小説に打ち込んでいる。
ある日、見せてといったけど、完成するまでダメと言って見せてくれない。
でもどうやらセカンドインパクト前にあった、春や、秋、冬のことについて
いろいろと書いているようだった。
荒々しい作業をしてはいたけど、ときどき目を細めてうっとりとするのは、
見たこともない紅葉や舞い散る桜を頭の中で思い描いているからだろう。
あと、レイのことといえば、彼女の洋服を買った。
僕が桟郷市で買った女性紙を見てもとくに反応を示さなかったレイだけど、
僕の意見とミャオの左前脚を参考に一つの洋服を決めて買ってきた。
深く溶けるような真っ青のワンピース。
それを見付けるのも一苦労だった。
もう、下着まで買った僕に恐いものなし。ってな感じで、ブティックと
言われている足の長い店員さんのお店を行ったり来たりした。
五件目でそんな感じの洋服を見付けてサイズを確かめて買ってきた。
別に無理にでも洋服を買う必要はなかったのかもしれないけど、
パジャマと学校の制服しかないのは、あまりにも・・・・・・・・・・なんなのかは
わからないけど。僕だけが私服を着ているのに抵抗を感じたのかもしれない。
買ってきてレイに着てもらったときにもよく似合っていて安心した。
レイが気に入ってくれたかちょっと気になったけど。
その中でとても強い記憶として残っている一つの出来事がある。
二人だけで花火をしたことがあった。
連休のおかげで翌朝の配達をしなくてもよかった日、僕達は花火を持って
夜のひんやりとした空気のなか、外へとくりだした。
マンションの前にある道路、狭くて歪んだアスファルト。
そこに水の入ったバケツを置き、誰もが寝静まった闇のなか、
僕達は線香花火に火を付けた。
「花火・・・・・・初めて?」
「うん。」
強い火の花が咲いては消える。
熱い花には命がないけど、人を止める美しさがあった。
夏を慕うに十分の物悲しさも。
花火の炎の中にレイの姿が映えていた。パジャマの袖からのびる白い腕も、
すらっとした首筋も、ぼんやり照らされる頬も。
こぼれる火の粉の明かりで彼女の素足が見え隠れしていた。
「涼しくなったね。」
彼女の言葉は闇のなかに響き、消える。
それは、夏を恋う台詞でも、涼しさを喜ぶ台詞でもない。
綺麗な溜息のようなものだった。


そんな一週間の中で、僕が一番驚かされた出来事はこれだろう。
前にも言った通り、レイのために桟郷市の図書館に通ってはいたけれど、
レイのためだけじゃない。
僕にも調べものがあったんだ。
僕はその日、梅山町の図書館まで行った。
ほとんどの資料にはその部分が避けられるように、掲載されていなかったけど、
郷土資料館の端のほうに僕の欲しいものがあった。

ほたる山に関する伝説。

親方が言った光り続けるほたる石。
希青石。

僕にはそのフレーズが、心に引っ掛かっていたんだ。










レイと暮らして二週間と二日目。
僕はその光に気が付いた。

「はぁ、ダイアの8を止められたら、どうしようもないよな。」
「シンジ君だって、スペードの3止めてたでしょ?」
「どう見てもダイアの8のほうがひどいよ。」
蛍光灯の消されたこの狭い部屋のなか、僕達は一日の終わりにかならずする
軽いおしゃべりを楽しんでいた。
「そういえば、調べもの見つかった?」
「うん、見つかったけど、何が書いてあるかわからなくて。レイのほうは?
 小説いつごろ完成できそう?」
「まだまだ。あと、2、3ヵ月くらいかかるかも。」
「そうか。」
僕は黄緑色にぼっと光る蛍光灯を見つめていた。
いつもなら、夏のやかましい音が押し寄せてくるはずだけど、今日は
水を打ったような静けさが辺りを支配していた。
ひっそりとしていて、レイの呼吸や、ミャオのごそごそ動きだす音だけが、
少し時間を置いて聞こえてくる。
月が西側の窓にくっきり写っていた。
布団にくるまったまま見上げる月は格別に綺麗だったけど、
淡いクリーム色の光は僕の目蓋を貫通して直接入ってきてしまう。
「こっちのカーテン閉めるよ。」
と、言葉をそっと置く。
「うん。」
僕は布団を抜け出し、立ち上がった。
部屋はしんと暗かったけど、窓枠から四角く入りこむ月明かりに導かれて
なんとか歩くことができていた。
僕は顔の前に右手を寄せて、目を細める。
カーテンの端を握って、そのまま左に引っ張ろうと思ったとき、何かが不自然
なのに気が付いた。
窓の外をじっと見つめ、目線を遠くに移す。
「レ、レイ。」
「ん、どうしたの?」
眠たそうな声で返事をしてから、上半身を起こすレイ。
「ちょっ、見て。」
僕が窓の外を指差す。
「見えないわ。」
と言うレイ。
彼女のベッドからは、こっちの窓は見えないようだった。
「じゃあ、ほら捕まって。」
僕はベッドにかけより、目を細める彼女の手を掴んだ。
「あ、どうしたの?シンジ君。」
「いいから、見てよ。」
僕は彼女の右手を取って、僕の肩にまわし、左手を腰にまわした。
「立てる?」
「うん。」
左足をベッドから出すと、右手を引っ張って立ち上がらせる。
レイと触れた部分はほんのり暖かく、やわらかく、いい匂いがした。
「ほら、あれ。」
「どこ?」
「ほら、ほたる山の上のほう。」
「あ、光ってる。」
「うん、ほたる山って、日没から1、2時間で光らなくなるのに、
 今はもう夜の10時。それにいつもみたいに全体が光ってるわけじゃなくて、
 一点だけが光ってる。」
「どういうこと?」
ささやくように言うレイ。
「うん、たぶん、僕の考えに間違いがなければ・・・・・・・・・・・・・・・・。」


親方の言っていた永遠に輝く青い石、希青石だろう。
願い事を何でもかなうという。
嘘くさい伝説かもしれないけれど、僕はこれを信じていた。
いままで、図書館で調べものしていたのも、すべてこのため。
僕はこれにかけていたんだ。
親方が願いのかなうと言ったときから、はっと胸を突かれて動かされた。
何かにすがりたくて、頼りたくてしょうがなかった僕に、希望が、一瞬だけど
見えたんだ。
それまでずっと不安だったから。
レイが僕の前から消えてしまうなんて考えたくなかったけど、ずっと僕のあとを
ついてくる。
ミサトさんの言った、助からないの一言。
本当かどうかはわからない。
だってレイは今、そんな兆候まったくないから。
だから、このままでいいのかもしれない。と思った。
でも、いつかはやってくるんだ。
苦しいのに、泣きたいのに、叫びたいのにただひたすら我慢している
レイを見なくちゃいけない日が。
そんな時、僕はどうすればいいんだろう。
病院には連れていけない。ネルフに見つかるから。
じゃあ、僕はどうすればいいんだ?
レイのために何もできないなんていやだ。
僕の目の前で、散ってしまうなんて絶対に。
だから、これにかけたんだ。
欲深いお姫さまと同じでもいい。
どんなに汚いことをしても、危険な目にあっても、死にそうになっても。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・絶対手に入れる。
希青石を。


一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

次の日、僕は梅山町に行って見つけた文章を解読することにした。
その文章は古文で書かれていて、僕にはまるで読めない。
もっと勉強しておくんだった。
僕は同じ図書館にあった参考書を引っ張りだし、何回も調べながら
読み進んだ。


その光は3日続いたらしい。

幻想的なその光に引かれたお姫さまは、ほたる山の近くにお城を作らせた。
夕闇に包まれる時刻になると、その城から山の光を見続けた。
夏のはじめのある日、子の時刻に、目が覚めたお姫さまは、ふと、ほたる山を見た。
山の上のほう。一点だけが光っていた。
不思議に思ったそのお姫さまは、二日後、ついに決心して、若い僧侶を御供に
連れてほたる山に入った。
魔の山と恐れられていることは誰にでも知られていたが、わがままなお姫さまを
止めることは、お殿様でもできなかった。
二人は子の時刻に出掛け、一時間ばかり経過したあと山のふもとに到着する。
お姫さまの命令に従い、若い僧侶はかけられた封印を解き放つ。
すると、目の前に道があらわれ、そこを進む。
しばらく歩くと、川があり、丸太の橋と、つり橋がかかっている。
もう一度僧侶の開放の呪文を唱えてから、丸太橋の方をわたる。
まっすぐ進んで行くと、次に草原が目の前に広がる。
さらに進むと、三本の木が見えてくる。
まん中の木は黄色い葉、右側は赤い葉、左側は青い葉をしている。
その赤い木と、黄色い木の間を通る。
すると、正面に小さな泉があらわれ、その中心に輝く石がある。


と書かれている。
この文章は梅山町の図書館で見つけたものだ。

これだけわかっていれば・・・・・・・。

でも、僕には連れの僧侶がいない。今から探したほうがいいのだろうか。
だけど、どんな僧侶でもいいわけじゃないだろうし、そんな時間もない。
もし見つかっても、ほたる山に一緒に入ってください、といって、
相手にしてくれるだろうか。
深夜に山が光り初めて今日で二日目。
今日と明日しか僕にチャンスはないんだ。

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

「また光ってますね。」
「ああ。いつも光ってるだろ。」
新聞を配り終わり、僕は配達所に戻ってきた。
親方は怪訝な顔をしている。
「お前。」
「なんですか。」
僕はびくっとして、下から顔をのぞき見る。
「ほたる山に入ろうと思ってるんじゃないだろうな。」
「そんなことないですよ。」
と、きっぱりといった。だけど、それがよけいに怪しかった。
「俺の所にはお前みたいな、わけありの奴らがたくさんいた。
 親に捨てられた奴や、駈け落ちした奴、お前みたいに病気の両親を持った奴。
 だが、みんな死んだ。
 みんなほたる山に入ったからだ。気持ちはわかる。願いがかなうなら、
 どん底にたたき落とされた自分をなんとかしたいと思うんだろうな。
 だがな、馬鹿な考えは起こすなよ。死んだらどうしようもないんだ。
 死んだらすべてが終わるんだ。わかるだろ。お前はひとりで生きている
 わけじゃないんだ。」
親方は僕を睨みつけていた。
うれしくて、涙が出そうになった。
「わかってますよ、そんなこと。」

一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

ほたる山は僕達のアパートからそう離れてはいなかった。
かすかな青い光を、はっきりと確認できるぐらいの距離だから。
僕は昨日のようにレイの肩をささえて、その光をただ黙って見つめていた。
海辺を照らす灯台のように、うっとりと見守ることができればいいのかも
しれないけど、僕にとっては無理なことだ。
不気味に照射されるその光は、ただ、僕にだけ向けられているような気がする。
次の獲物を品定めしているみたいに。
僕が明日山に入ることを、すでに知っているのか。
今まで飲み込んできた、たくさんの欲深い人たちと一緒に僕はこの世のなか
からいなくなってしまうのだろうか。
僕は死んでしまうのかな。
・・・・・・・・・・・・でも、いい。今の僕はどうせ、いてもいなくても同じような存在
なんだし、レイのために何かできるなら・・・・・・いい。

その時、レイの右手がぎゅっと僕の右肩をつかんだ。
僕の息が届くところで、眉をしかめて淋しそうな、いや、何かに怯えているような
そんな表情をしていた。
「どうしたの?」
ちゃんと声が喉を通って出ただろうか?
頭の中で声を出したと認識しただけかもしれない。
僕の言葉はそう思わせるくらい小さくて頼りなかった。
「ううん。」
かすれるような声でレイはそう言ったけど、僕の肩を握る彼女の右手は
さっきよりも力強くなっていたような気がする。

その時、僕に彼女をぎゅっと抱き締める勇気があれば、どんなに幸せだったろう。


一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一

次の日のお昼。
僕はレイに話すことにした。
彼女には調べものの内容を話してはいない。
だから、僕が今日ほたる山に入ることは知らないと思う。
でも、僕がほたる山を気に掛けているは知っているんだろう。
昨日のレイはどこか不安そう、憂欝そうな顔をしていた。

ミャオがズボンの裾を引っ張る。
「勇気を出せ。」と言っているかのように。
僕は洗い物の手をエプロンで拭いて、ミャオを抱き上げた。
「そうだよな、わかってるよ。」
「どうしたの?シンジ君。」
小説を読んでいたレイが僕に言った。
僕はミャオを持ったまま、彼女のベッドまで歩き、椅子に座った。
じっと、つぶらな瞳で僕を見つめるレイ。
「レイ、聞いてほしいことがあるんだ。」
僕はほたる山のことを話した。
青い石を取りにいくこと。
その石は、なんでも願い事をかなえてくれるということ。
でも、そこはとても危険だということ。
何人もその山で消えているということ。
今まで生きて帰ってきたのは二人だけだということ。
傲慢なお姫さまとひとりの僧侶の話。
青い石までにある色々な約束事。
取りにいくのは、今日の夜12時。

その中で僕は一つだけ嘘をついた。
青い石を取りにいくのは、これからかかるお金のためだと言った。
だって、レイの心臓病がもう治らないなんて言えるわけがないから。

「そう。」
「ごめん。」
僕は下を向き、黙った。
「ごめんは言わない約束でしょ。」
つぶらな瞳で笑顔を作り出す。
「あ、うん。」
予想に反して、彼女は明るかった。
僕が危険な目にあうのに、どうとも思ってくれないのだろうか。
「わたしも行く。」
「え?」
「わたしも行くわ。今日の12時。」
「だって、レイはその足じゃ。」
「シンジ君の邪魔にならないようにする。車椅子も自分で動かす。
 迷惑はかけない。だから・・・・・・・・・・・・お願い。」
彼女の瞳は涙でうるんでいた。
すがるよう眼差しで、僕を見つめる。

 


「シンジ君がいなくなったら、どうしていいかわからないもの。」


 

 

 


 

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