「あやなみ〜ぃ」

 夕食の後片づけをしている、私の耳に聞こえてくるのは、リビングでTVを見ている、碇君の猫なで声。

 横目にリビングの方を覗くと、碇君はTVを見ず、寝転がって、私の方を見ながら、両足をパタパタさせている。

 どうやら、遠回しに後かたづけを止めて、早くこっちに来い、と言っているらしい。



 私達は結婚して2年立つが、未だにお互いのことを、名字で呼ぶ。

 戸籍上私の名前は、”碇レイ”だと言うのに。

 お互いに、おかしいとは思っているのだが、長年の習慣は、なかなか変えられるもんじゃない。

 今更碇君のことを、「シンジ」とか「シンジ君」とか言うのは、恥ずかしいし変だ。

 それに、碇君から「レイ」とか呼ばれても、何処か他の誰かの事を、言われている様な気がしてしまう。

 一度だけ、ふざけて碇君の事を、「シンジ」と呼んだ事があるのだが、碇君は返事をしないどころか、気がつきもしなかった。

 碇君も、他の誰かの事を呼んだと思ったらしい。

 お互い様。とゆー事だ。

 とゆーわけで、碇君は未だに私のことを、「綾波」と呼んでいるし、私は彼の事を、「碇君」と呼んでいる。

 もっとも、「あの時」だけは、「レイ」「シンジ」だったりするのだけど…………。




 「あやなみ〜ぃ、はやくぅ〜」

 まだ言ってる。

 後3年で30になる男が、甘え声を出しても、あんまり可愛く無い。

 碇君があんな声を出しているのは、私が碇君に、一週間お預けを食らわせたのが原因だ。

 最初の二日間は、碇君も我慢できていたみたいだが、さすがに三日目からは、毎晩この調子で甘えてくる。

 一昨日なんか、食事の用意をしている、私の後ろから抱きついてきた。

 そして今日はお預けの解禁日。

 碇君は仕事から帰ってくるなり、靴も脱がずに私に抱きつき、玄関で始めようとした。

 私は碇君を、なんとか思い止まらせたが、おかげで足を下駄箱にぶつけて、青あざを作ってしまった。

 あまりの見境無さに、腹を立てた私は、もう一週間お預けにしようかとも思ったが。

 頭を床にこすりつけて謝る、碇君がおかしくて、許してあげることにした。


 「あやなみ〜ぃ」

 まただ、碇君、ちょっと煩い。

 「だめ」

 無視しようと思ったけど、ほっとくと何時までも言い続けるから、少し強い口調で言った。

 私に咎められて、碇君は部屋の隅まで行って、膝を抱えて蹲っっている。

 どうやら拗ねているらしい

 可哀想だとは思うけど、ここで碇君の誘いに乗ってはいけない。

 一寸でも甘い顔を見せると、場所を考えずに、いきなり飛びかかってこないとも限らない。



 だいたい悪いのは碇君の方。

 私に隠れてアスカに会いに行った碇君が悪い。

 アスカからの電話が無ければ、私は気がつかなかっただろう。

 碇君は、アスカとは何もなかった。そんなつもりで会いに行ったンじゃない。

 と言ったし、私も二人の間に、食事以外の事は、何も無かったと思っている。

 でも、会いに行ったのがアスカだ。しかも私に内緒で。

 きっと碇君のことだから、「あわよくば」なんて考えていたに違いない。

 よしんば、碇君にそのような思惑が無かったとしても。

 優柔不断な碇君のこと、もしアスカに誘われたりすれば、断れるはずなど無い。

 「断ればアスカが傷ついてしまう、アスカを傷つけるくらいなら………」なんて、訳の分からない、自分にだけ都合の良い理屈をつけて、自分自身を納得 させるに違いない。

 中学生の頃、碇君はアスカの事が好きだっただけに、なおさらだ。

 それに加えて、電話でのアスカの一言。

 『まあ、アイツも多分うっかりしてただけだろうからさあ。シンジの事あんまり怒んないであげて』

 が、私の油に余計に火を注いだ。


 思い出すと、だんだん腹が立ってくる(- -メ)。


 大体碇君が優柔不断じゃなかったら、私はもっと早くに、結婚出来ていたと思う。

 私と碇君が付き合い始めるのは、出会ってから4年後の事だし、それから結婚まで7年かかっている。

 私じゃ無かったら、とっくの昔に愛想を尽かしていたはずだ。



 全てが終わった後、私達はお役御免となった。

 私達は、それぞれが新しい静寂と慌ただしさ、煩わしさを手に入れた。

 それは、私にとって、新たな生活と、新たな戦いの始まりでもあった。

 そう、幸せと言う名の戦争の。








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お、あ、ず、け♪


by キルゴアトラウト


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 碇君は父親(髭親父)と一緒に住むことになって、葛城三佐の部屋を出る事に なった。

 私は、それまで住んでいた、集合住宅が壊されてしまった為、碇君と入れ替わる様に、葛城さんのマンションに住むことになった。

 最初、てっきり私は、碇君が使っていた部屋を、使うのかと思っていたのだが。

 行ってみると、アスカ(その頃はまだ惣硫さんとか、弐号機パイロットとか私は呼んでいた。心の中では赤毛猿と呼んでいたけど………)が碇君の使って いた部屋に移り、それまでアスカが使っていた、広い部屋が私に宛われた。

 アスカは「アンタもこれからは、人間らしい生活を覚えなきゃなんないでしょ。それには住環境から変えて行かなくちゃいけないのよ。だからアンタに は私が使っていた部屋を提供してあげるわ」なんてことを、恩着せがましく私に言っていたが。

 本当の理由は、碇君の使っていた部屋を、私には使って欲しくなかったと思っていたから。と言うことを私も葛城さんも気がついていた。



 そして、それから数ヶ月。

 私達三人には、アスカの言う「人間らしい生活」なんてものは、何時まで待っても、訪れてこなかった。

 なにしろ、三人揃って料理、洗濯、掃除がまるで駄目。

 あっと言う間に、部屋中は腐海に沈んでしまった。

 さすがに「これではいけない」と思った私達は、「人間らしい生活」を手に入れる為、一致団結、協力して事にあたることにした。

 此処で言う私達とは、私とアスカの事(確か、このころからだったはずだ。お互いを「レイ」「アスカ」と呼ぶ様になったのは)。

 葛城さんは、いくら部屋が散らかっても、毎日食卓に並ぶのが、レトルト食品やコンビニの弁当でも、まるで気にしていなかった。


 私達二人にとっては、それは使徒と闘うことよりも、辛く厳しい道のりだった。

 アスカと私、二人で手分けして、部屋の掃除、毎日大量に出る洗濯物をこなし、料理の方は、洞木さんと碇君、二人の敏腕シェフによる、週に二日の厳し い特訓を受けた。

 半年もすると、私とアスカはメキメキ料理の腕を上げ。掃除も洗濯も完璧にこなせるようになった。

 あれほど嫌いだった肉も、料理の為に味見を繰り返しているうちに、食べる事が出来る様になる等、嬉しい誤算もあった。

 ただ、「人間らしい生活」を手に入れる為とはいえ、私達のしたことは、結果的に「新たなるライバル」を生んでしまうことでもあった。

 新たなるライバルなんて、生やさしい物じゃない。

 私とアスカ。LAS(ラブラブアスカ親衛隊)やLRS(ラブリーレイちゃん真理教)といった、怪しげな組織が結成される程、当時壱中の男子生徒の人 気を二分していた私達は、人並み外れて容姿に優れていたのだが、

 いかんせん癖が強すぎた。

 清潔感と、けれんみの無さが売りの碇君(あの頃の碇君は一体何処に行ってしまったの?)にしてみれば、私達二人は豚骨バターラーメンと同じくらい、 彼女にするにしては濃すぎたのかもしれない。

 その点彼女は、碇君の横にいても、全く違和感を感じさせない。二人並んで歩いている姿は、「初々しいカップル」以外の何者でも無かった。

 しかも悪いことに、彼女の容姿は、決しておかしい物じゃない。とゆーより、可愛い部類に分類される。

 おんなの私からみても、当時の彼女は十分にチャーミングだった。

 ソバカスさえも彼女の魅力、人なつっこさを演出する武器として、しっかり機能していた。


 そう、彼女の名は洞木ヒカリ。

 暗号名イインチョ。



 全くの誤算だった。

 洞木さんはノーマークだった。

 彼女には、他に好きな男の子がいるし。あの性格だから、碇君と二人っきりにしても、絶対に大丈夫だろうとアスカも私も考えていた。

 私達二人に対する料理教室が行われたのは、私達が住んでいたコンフォート17。

 学校が終わった後、私とアスカは先に帰り、準備をして先生の到着を待つ。

 その間に碇君と洞木さんの二人は、メニューを考え、スーパーに行って食材を買ってくる。

 それが、料理教室が行われる日の、慣例だった。

 最初のうちは、4人でスーパーに買い物に行っていたのだが。どうしても寄り道が多くなり、余計な物まで買ってしまうので(主にアスカ)、結果的に、 料理を教えて貰う時間が無くなってしまったり、買い物に疲れてしまって、料理などする気が起きなくなってしまうのから、洞木さんが提案し、私達二人が了承した。


 今にして思うと、考えが甘かった。としか言いようが無い。

 碇君にしろ洞木さんにしろ、当時の二人は思春期まっただ中。

 何が起こったとしてもおかしくは無い。

 私達二人がお互い牽制しあうあまり、二人のうち、どちらか一方と二人っきりになる事など無かった碇君。

 私達公認で女の子と二人っきりになるチャンスが出来て、いくら鈍感とはいえ、意識しないはずなど無かった。

 洞木さんにしたところで、いくらアプローチしても、気づく素振りさえ見せないジャージ男より、同じ鈍感ながらも、自分の事を意識してくれる碇君に、 気が映ったとしても。なんの不思議は無かった訳だ。

 加えて、碇君の家が(髭親父の家)が、洞木さんの家の近所にあり、私達の住むマンションとは、反対方向にあったことも、洞木さんに味方した。

 学校から帰る時も、なんやかやと理由を付けて、二人だけで帰る事が多くなり。

 だんだんと、二人だけでいることが、多くなった。

 料理教室の時なども、私とアスカの二人が、慣れない手つきで包丁を使っている傍らで、楽しそうにお喋りをしたり、二人揃って頬を、紅く染めたりして いる二人を目撃して、私達は、何度も自分の指を切り落としそうになった。



 しまいには、洞木さんに「告白」という名のN2爆雷を使われ、私とアスカと二人はあっさりと殲滅させられた。

 「告白」ぐらい、どうということは無い。いくら洞木さんが碇君の事を好きに成ったとしても、碇君が断ったなら何の問題も無いじゃないか。と思われる かもしれない。

 でも、考えてみて欲しい。

 相手はあの碇君だ。

 洞木さんのことを、付き合う前から「好き」だった、とは思えないが、ほんの少しでも意識をした女の子から、「好きです」と告白されて、碇君が断るは ずが無い。

 お得意の「断ったら傷つけてしまう。傷つけてしまうくらいなら、自分が我慢すればいい」なんて、全然我慢でもなんでも無い事を、「OK」するときに 考えていたに違いない。



 やがて、

 『独占スクープ。あのイインチョが告白!相手はなんと、あの碇シンジ!!』

 『万馬券!!碇シンジのハートをゲットしたのは、ダークホース洞木ヒカリ!!』

 のニュースが瞬く間に、学校中に広がり、洞木さんと碇君は、公認の仲となった。


 言わなくても予想できると思うが。このニュースの発信源は、不慮の事故に遭い、入院生活を強いられた。

 精神的ショックが大きかったらしく。芦ノ湖湖畔で発見された際、「赤い物は恐い。青も物も恐い」などと、意味不明な謎の言葉を呟きながら、虚ろな目 をして、うなされていたそうだ。



 為すすべのない私とアスカは、自棄食いに走り、一月で15kgの脂肪を体重に上乗せした。

 この時ばかりは、以前からは考えられない程に上達した私達二人の料理の腕が、恨めしく、哀しかった。

 喜んだのは葛城さんだけだった。


 ただ、この事によって私とアスカが親友というものに成ることができた。とゆうことだけが、不幸中の幸いだったのかもしれない。

 女の友情は生まれにくいと言うが、元々お世辞にも、仲が良いとは云えなかった私達の関係が、同時に同じ相手に失恋したことで、ATフィールドより も強固な友情へと変化した。

 今や、碇君を別にすれば、アスカは誰よりも私の事を心配してくれる。

 比べる事など出来るはずも無いのだが、ある意味碇君以上に私を気遣ってくれていると思う。

 アスカがいなければ、今の私は無かったと言ってもいい。

 現在、結果的に、碇シンジの横にいるのは、私なのだが。もし碇シンジの隣にいるのが、私では無く、アスカだったとしても。私はアスカがそうした様 に、二人の事を、祝福出来たと思う。



 さて、この騒動の間中、ずっと蚊帳の外にいた鈴原君。

 「ワシはシンジを殴らなアカン」とでも言ってくれれば、少しは救いになったと思うのだが。

 最後まで碇君と洞木さんの事には気がつかなかったそうだ。

 「鈍感ここに極まれり」。としか私達は言うことが出来なかった。





 やがて私達二人の体重も元に戻り、卒業の時を迎えた。

 工業高校へ進んだ鈴原君と、女子校へ進んだ洞木さんを除いて、私と碇君、相田君の三人は、揃って第壱高校へと進学した。

 当初、アスカは私達と同じ高校へ進む予定だった。

 三年後にネルフと入れ替わるように、新組織が立ち上がることが決定していたのだが。

 優秀な人材が不足していたため、アスカも職員として参加する事を求められた。

 最初はアスカも渋っていたのだが。

 葛城さんや赤木博士だけでなく。冬月副司令や碇司令にまで、煽てられ、土下座されれば。

 さすがのアスカも断る事が出来なかった。

 もしかしたら、親友の洞木さんに碇君を奪われて、ほんのちょっぴり自棄になっていたのかもしれない。

 といっても、アスカは私ほど、洞木さんの事を怒ってたり、深刻に考えている様では無かった。

 「アイツには、ヒカリぐらいしっかりした娘じゃ無いとダメかもね」なんて事を云って、余裕さえ見せていたくらいだから、きっと、アスカには、私が感 じている様な、危機感は無かっただろう。

 「ねえねえ、アイツらって可愛いわよね。なんかおままごとみたいで」とも言っていたし。




 そんなこんなでアスカ不在のまま始まった高校生活。

 いろんな意味で私達と、私達を取り巻く環境は変わった。


 アスカが学校に来なくなった事、洞木さんが女子校へ進んだ事は、私にとってチャンスでもあったのだが。

 自体はそれ程単純では無かった。

 特にアスカがいない事は、私にとって大きな痛手だった。


 それまでは、私とアスカ。二つの強力な殺虫剤のおかげで、碇君にたかろうとする虫も近寄れずにいたのだが(洞木さんと言う例外もいたが、あの人は特 別。私もアスカもあの人に対してだけは、殺虫効果が無かったのだから)。

 私一人でアスカの分までカバーするのは、すごく大変だった。

 私は学校にいる間、碇君から片時も離れないように、ぴったりと張り付き。

 近寄ってくる金蠅やショウジョウ蠅を睨み付けたりしながら、追い払った。

 それでも近づいてこようとする、不届きな女には、不幸の手紙を送ったり、悪い噂を校内に流したりして撃退した。
 尚、これらの作戦は、例の件以来私とアスカの舎弟となった、コードネーム『メガネ』(本人は『ディンゴ・ド・ノワール』と名乗りたがったが、あっさ り却下された)が事にあたった。

 『メガネ』は思った以上に優秀で、彼を裏から操っているのが、私だと云うことは、最後までばれなかった。

 まあ、その分『メガネ』が痛い目にあったのだが。私やアスカにお仕置きされる事に比べれば、軽い物だろう。


 暫くすると、何時も碇君の側にいる私は、周りから碇君の彼女として見られる様になり、私はつかの間の幸福を味わい、高校へ来れないアスカに対して、 若干のアドバンテージを稼いだ。

 ちなみに、当時本当の意味で碇君の彼女だった洞木さんだが、大方の予想通り、高校入学から3ヶ月ほどたったころから、自然消滅していったみたいだっ た。

 噂によれば、二人の仲を自然消滅させるのを、促進するために、裏で例のエージェントが暗躍したのでは、と云われているが、またもや真実は闇の中で ある(ニヤリ)。


 ただ、何事にもイレギュラーという物は存在していて。

 高校にも、私の攻撃が通用しない、明るさと人なつっこさだけが取り柄のバカ女が存在した。

 何よりイヤだったのは、私と声の質がとても良く似ている事だった。


 女の名前は霧島マナ。

 暗号名『鋼鉄』。



 この女。私の睨みが効かないばかりか、不幸の手紙攻撃も、あらぬ噂攻撃もまるで通じなかった。

 そればかりか、恥知らずなこの女は、学校だろうが何処だろうが、所かまわず碇君にじゃれつき、自分は碇君の恋人であると、そこらじゅうに風潮して廻 り、碇君をおおいに困らせた(本当に碇君が困っていたかどうかは、別だが)。
 ある時など、私の声色を真似て、碇君に電話をし、私と碇君の仲を危うい物にしたこともあった。

 この女には、最初から予防線を張っていたにも関わらず、結局私は彼女のペースに巻き込まれ、全ての攻撃が後手に廻ったことで、私は敗戦の憂き目に あうこととなった。

 『メガネ』の報告を受けたアスカが、事態の収拾に当たろうとしたが、既に手遅れの状態まで、状況は悪化していた。

 私達に出来る事と云えば、潔く負けを認めることしか出来なかった。


 しかし、「悪の栄えたためしはない」の諺通り、彼女は碇君の彼女に成って、半年ほどで他県へと転校していった。

 「正義は必ず勝つ!!」

 この言葉を、この時ほど実感したことは未だ嘗て無い。

 そして、私は元通り碇君の隣を取り戻し、平和な高校生活を卒業まで続けた。

 だが、あまりにも碇ゲンドウな事を繰り返したせいで、罰が当たったのか、私と碇君の距離は、一向に縮まる気配を見せなかった。

 私の中にある黒い月が、少しずつ大きく成っているのを感じながらも、私にはどうする事も出来なかった。

 『告白』

 という手段を使えば、結果はどうあれ解決できたのかもしれない。

 でも、私には出来なかった。

 以前からは考えられない程に良くなった、アスカとの仲を壊したく無かった。

 とゆーのもある。

 私が碇君に『私と付き合って』と要求する事で、今の関係を壊したくなかったと。


 しかし、本当の理由は違っていた。

 私もアスカも、碇君から奪いたく無かった。

 碇君の自由。碇君の権利。

 なによりも、碇君の意志。


 私達は自分たちが、碇君を求めている事は、十分に自覚していた。

 でも、碇君に要求したくは無かった。

 碇君が、碇君の意志で、私達以外を選んだのなら、それは仕方の無い事。

 だからこそ、私達は碇君が洞木さんと付き合った後も、霧島さんが碇君の彼女になった後も、出来るだけ碇君の邪魔をしない様、自分から碇君に距離を とった。

 いつか、碇君が選んでくれると思っていたから。


 でも

 私の黒い月は既に限界まで膨らんでいた。

 アスカの様に、仕事に忙殺される事も無く、毎日碇君の声を聞き、碇君の顔を見る事が出来た事で、余計に私の心は膨らんでいった。

 臨海点は直ぐそこまで来ていた。




 私が大学に進んだのとちょうど同じ頃。

 例の新組織が正式に発足し、アスカと葛城さんはそのままその組織の職員になった。

 二人はこの三年間。新組織立ち上げの準備の為、忙しい毎日を送っていたが、組織発足後もその忙しさが緩む事は無く、ますます忙しくなった様だっ た。

 その頃から二人とも日本に居る時間より、海外にいる時間の方が多くなり、私は殆ど一人暮らしの状態だった。

 そして私と碇君の関係に重大な転機が訪れた。


 それは、大学も同じ大学に進み。二人で一緒に入ったサークルの、新歓コンパでの事。

 私と離れた席に座り、先輩や同級生の女の子に囲まれて、楽しそうにしている碇君の姿に不機嫌になった私は、それまで口を付ける程度しかお酒を飲んだ 事が無いのに、次から次へと男性部員から注がれるグラスを飲み干していた。

 私は大量に口にしたお酒のせいで、生まれて初めて酔っぱらった。

 そしてそれまで溜まっていた物が、一気に吹き出した。

 私はどうやら、酒乱? らしかった。


 
 女の先輩部員にしなだれかかられ、嬉しそうに鼻の下を伸ばしている碇君に、普通の人よりは幾分太めな私の堪忍袋のひもも、お酒のせいで切れやすく なっていたようだ。

 私はすっくと立ち上がって碇君に近づき、フェロモンぷんぷんな先輩部員を押しのけ、碇君を押し倒した。

 そして、碇君の上半身に跨り、胸ぐらを掴んで、碇君に凄み始めた。

 「くぉら〜!!いかりぃ〜!!」

 「あ、綾波?」

 碇君は普段とは違う、初めて見る私の姿に驚いていた。

 「さっきから黙って見てりゃあ、だらしなく鼻の下のばしやがって」

 「わ、た、し、もここにいるっていうのに」

 「いったいなにやってんのよ!!」

 「わたしの気持ちをしってるくせに!どーしてそんな事できるのよ!!」

 「い〜つまで私を待たせれば気が済むのよ!!」

 「あやなみ……」

 情けない声を出す碇君。

 助けを濃う様な目が、私の怒りを余計に煽った。

 「私の事をなんだと思っているの!?好きなの?嫌いなの?」

 「どっちなのよ!!はっきりしなさいよ!!おとこでしょ!付くもん付いているんでしょ!!」

 そこまで言うと、手近にあった瓶ビールの大瓶を掴み、自分で栓を抜いて、一気に飲み干した。

 そして私はそのまま意識を失った。





 眼を覚ますと、そこには碇君しか居ず、サークルの部員は他にだれもいなかった。

 「……う・ううん………」

 「あ、綾波……起きた?」

 「う・うん……他のみんなは?」

 「ああ、二次会に行ったよ」

 「碇君は行かなくて良かったの?」

 私はあの時、どうしてこんな事を言ったのだろう。

 碇君が居てくれて嬉しかったくせに。

 きっと、碇君に意地悪を言ってみたかったのだと、いま考えると判る。

 でも、とゆーか。やっぱり、とゆーか。碇君に私の意地悪は通じなかった。

 碇君は私の言ったことを言葉通りに受け取って、恥ずかしそうにしながら言った。

 「あ・うん……あ・綾波が心配だったし………」

 「…え?……」

 「そ・それに!……」

 慌てて言葉をつなげる碇君。声が少し裏返っていた。

 「みんなが………」

 「みんなが?」

 「みんなが…お前は残って責任もって面倒見ろって言うし………」

 「……そう………」

 多分、我ながら冷たい声だったんじゃ無いかと思う。

 「あ・綾波が心配だったし」と言ってくれて、私は十分満足だったのに、言い訳がましい事を言う碇君が、なんとなく気に入らなかった。

 私達二人の間に気まずい空気が流れた。

 先に雰囲気に耐えきれなくなったのは、碇君のほうだった。

 「ああっと、そうだ」

 「…なに?……」

 「この後どうする? 二次会の場所、聞いてるけど。行く?」

 「碇君はどうするの?」

 「どうしよっかな。綾波はどうする?綾波に併せるよ」

 「これ以上のお酒は、見るのもイヤだし………帰るわ」

 「そう。なら家まで送っていくよ」

 「……うん………」



 私達は、居酒屋を後にした。

 会費は前払いで集めていたし、払いも終わっていたので、私達はそのまま何もしないで外に出ることが出来た。

 気まずい雰囲気は、店の外に出た後も続き、私のマンションの近くまで、一言も言葉を交わさなかった。

 コンフォート17近くの公園に差し掛かった時、私はようやく口を開いた。

 酔っていたとはいえ、私のしたことは、決して誉められたものでは無かったからだ。

 「……ゴメンナサイ……」

 「…えっ?…」

 「あんなことして…ご免なさい……」

 「あ・うん…いや、いいよ。気にしなくて。僕も気にしてないし……」

 「…そう……」

 再び沈黙。私達の足は、公園の入り口付近で止まっていた。

 今度は碇君が先に口を開いた。

 「でも、正直言って驚いたよ」

 「……どうして?……」

 「どうしてって……綾波がお酒を飲んであんなに成るなんて、思っていなかったからさぁ」

 「そう……イヤだった?…」

 「イヤって訳じゃ無いけど………ちょっと、ビックリしたかな?」

 「……そう……」

 「うん………」

 「でも……嘘は言ってないつもりよ……」

 「綾波………」

 「私は碇君が好き………その気持ちはずっと変わってない………」

 「でも、知りたい。碇君の本当の気持ちが知りたい。碇君が私の事をどう思っているのか………」

 「……………」

 「……………」

 「…………あ・あやな…」

 「いいの。我が儘だって判ってるの……」

 「今直ぐ答えを出して欲しい訳じゃ無いの………ただ、ちょっと不安になっただけ…………」

 私は碇君の顔を、まともに見ることが出来なくなった。

 碇君の声を聞きたく無かった。

 なにも言って欲しく無かった。

 「じゃあ………送ってくれてありがとう………」


 だから、一刻も早くこの場を離れようと、踵を返した。



 でも、私は駆け出せなかった。

 左腕を碇君に捕まれて、動くことが出来なかった。



 私は恐る恐る振り返る。

 碇君は俯いていた。

 そして少しだけ強い口調で言った。

 「いうよ……ううん、聞いて欲しいんだ……僕の話……」

 碇君は顔を上げ、真っ直ぐに私の顔を見た。

 その表情は真剣そのものだった。

 碇君が逃げずにいようとしている………。

 そう感じた私は、何も言わず、小さく頷いた。


 それから碇君は、少しずつ、言葉を選ぶように話し始めた。


 「綾波の言うとおり、僕はずっと前から綾波とアスカの気持ちに気が付いていた」

 「気が付いたのは、全てが終わって、生活に余裕が出て来た頃からだと思う」

 「嬉しかった。凄く嬉しかった………」

 「彼氏とか、恋人とか……そんな関係に成りたくなかったと言えば嘘になる」

 「でも、恐かったんだ。そんな関係になって……綾波や、アスカを傷つけてしまうのが」

 「綾波も、アスカも、僕にとっては大切な人。特別な存在だけに、傷つけたくなかった」

 「必要以上に僕から近寄れば、傷つけてしまう様な気がしたんだ」

 やっぱり碇君は、あの人の子供だ。

 自分から近づけば相手を傷つけてしまうと感じてしまう。

 そんな傷つきやすい。

 優しい心を持っているのが碇君。

 私やアスカが好きになった碇君だった。

 でも、それだけでは納得いかない事もある。

 判っているのに、納得出来ないものが私にはあった。


 「洞木さんや霧島さんなら良かったの?」

 「そうゆう訳じゃないよ……ただ」

 「……ただ?」

 「なんて言ったらいいのだろう………」

 「ヒカリの事やマナの事を、どう思っていたんだ。と聞かれれば」

 「好きだった、大切だった。って答える」

 「でも、綾波やアスカは別なんだ。他の女の子とは全然違う存在なんだ」

 「何故なら、僕は君たちが守りたくて、綾波とアスカに幸せになってほしくて………」

 「僕の欲望で、綾波やアスカが幸せになるチャンスを潰しちゃあいけないって思ってたんだ」

 「いままで……ずっと………」

 「碇君………」

 「でも、今日綾波に怒られて判ったんだ」

 「それじゃあいけないって。そんなの優しさでもなんでも無いって」

 「だから言うよ。全部言うよ。僕の気持ちを全部」

 「……うん………」

 碇君は真剣だった、決意に満ちた眼をしていた。

 ここ何年も見ることが出来なかった顔をしていた。


 でも次の瞬間、急に碇君の声と表情がトーンダウンする。

 「それで……アスカの事なんだけど……」

 碇君が私の事を気遣っている。

 私は碇君に何もかも言って欲しかったから、感情を押さえ込んで助け船を出すことにした。

 「碇君が思っているままを言って…」

 「でも………」

 「いいの……私は大丈夫だから……」

 「判った……じゃあ、言うよ」

 「うん……」


 碇君は辛そうにしながらも、言葉を続けた。

 「アスカの事は………好きだったんだと思う……」

 判っていた事とはいえ、碇君からその事を聞くことは、正直言って辛かった。

 「……私の事は?」

 私は自分が辛いと感じていることを、碇君に気づかせたく無かった。

 碇君の決意を此処で緩めたくなかった。

 「綾波のことは……初めて会った時から気になっていた……」

 「……でも……それは『好き』……と言うのとは違う気がしていた……」

 「……そう………」

 聞きたく無かった。

 碇君からその言葉だけは聞きたく無かった。

 私は碇君の顔を見る事が出来なくなってきた。

 泣きたくなってきた。

 立ち止まらなければ良かった。

 碇君を振り切ってでも、マンションの中に駆け込めば良かった。

 その時の私は、強くそう思った。


 「でも!!」

 碇君は自分が発した全ての言葉を否定するように大きな声をあげる。

 「でも……判ったんだ………気が付いたんだ」

 「アスカを好きになって……ヒカリやマナと付き合って……綾波に…怒られて……」

 「いつも僕の側にいてくれた人……」

 「これからも側にいて欲しい人……」

 その先を続けて欲しくなかった。

 両耳を手で塞ぎ、その場から逃げ出したくなった。




 でも私は動く事が出来なかった。

 碇君に見つめられて、私の身体は金縛りにあった様になっていた。

 一歩も動く事が出来なかった。

 碇君の口が動く。

 碇君の言葉が、私の耳に届く。



 「綾波……僕が好きなのは………」

 「これからも側に居て欲しいのは………綾波……」


 喉が乾く。

 心臓の鼓動が早くなっていく。

 足が震える。


 「綾波………好きだ……」



 何も云えなかった。

 ただ、嬉しかった。

 碇君からその言葉を聞けた事が嬉しかった。


 涙が頬を流れ落ちるのを感じた。

 碇君に泣いている顔を、見せたくなくて、

 泣いている私が恥ずかしくて、碇君の胸に飛び込む。

 何も言わず、碇君に思い切り抱きついた。

 碇君は少し驚いたみたいだったけど、やがて、両腕を私の背中に廻し、優しく抱きしめてくれた。

 碇君の胸はとても暖かく、心地よかった。

 私は碇君に包まれながら、私達二人だけの新しい時計が、時を刻み初めている事を体中で感じた。


 でも、一つだけ心の中に引っかかる棘があった。

 アスカ

 私は結果的にアスカを裏切った。

 『碇君を求めても、碇君に求めない』。

 『自分たちから碇君に答えを要求してはいけない』。

 それだけが碇君に関することで、二人で決めた約束事だった。

 それなのに、私はアスカとの約束を破り、我慢しきれずに碇君に答えを要求した。


 10日後、久しぶりに帰ってきた葛城邸で、私の口からその事を知ったアスカは、烈火の如く怒り、私に絶交を告げた。

 私は哀しかった。

 幸せな気分は、あっと云う間にどん底まで落ちていった。

 アスカが、私にとってどれほど大切か、碇君とは別の意味で、何よりも大事な、特別な存在であることを悟った。

 でも、判った時には手遅れだった。

 私は碇君を手に入れる為、アスカを裏切った。

 それだけが事実として残った。

 せっかく碇君が私を望んでくれたと言うのに。

 その私自身は、友達を、親友を平気で裏切ってしまう様な酷い女。

 碇君にそんな女を選ばせてしまった。

 そのことがより私を苦しめた。

 死んでしまいたくなった。

 消えて無くなりたくなった。

 無理な願いだとわかっていながら、もう一度、最初からやり直せればいいのに。

 そんな事まで考える様になっていた。


 でも、私は一人じゃ無かった。

 私には、私を思ってくれる恋人がいた。


 碇君は、落ち込んでいる私を見て、一人でアスカと会い、私に言った事と、同じ事をアスカに告げた。

 そして、それは碇君自身の意志で、いつかははっきりしなくちゃ成らない事だったんだ。と私とアスカに言い聞かせた。

 碇君は一週間かけてアスカを説得し、私とアスカは碇君のおかげで仲直りする事が出来た。

 こんな時に不謹慎だと自分でも思ったし、口に出す事も無かったが、

 さすがは碇司令の息子。

 と、私は思わず心の中で呟いた。




 「IF」を考える事に意味があるのかどうか、判らないけど。

 もし、中学校を卒業した後も、アスカが碇君の側に居ることが出来たら。

 もし、アスカが私の立場だったら。

 それでも碇君は私の事を好きだと言ってくれただろうか。

 アスカでは無く、私を選んでくれただろうか。

 もしかしたら、今碇君の隣にいるのは、私じゃ無くて、アスカだったのかもしれない。

 時々そんな事を思う事がある。

 でも、いくら考えても答えは出ない。

 私にわかるはずが無い。

 碇君に聞いたところで、碇君だってわからないだろう。

 アスカにだってわからないはずだ。

 だから、私は碇君を信じる。

 もしそうだったとしても、碇君は私を選んでくれたと思うしか、私には出来ないから。

 碇君を信じる事。

 それだけが私に出来る事、許されている事だと思うから。





 そして私達は初めての夜を迎える。 


 「ずっと前から綾波とこんなふうに成りたいと思っていたんだ」

 そう碇君は私に行ってくれた。

 碇君と二人だけで過ごす、初めての夜は。すごく痛かったけど、本当に幸せだった。

 ようやく願いが叶えられた。

 そんな気がした。

 ただ、未だに否定しているけど、碇君にとって初めての女は、残念ながら私では無かった。

 私が知っているだけで、私以外に3人の女性を経験しているはずだ。

 結婚後。その三人の中で、一番最初に碇君と経験した女性から聞いたのだが。

 碇君が童貞を喪失したのは中学生の時だったそうだ。

 その女性というのは……………。

 まあ、いいだろう。過ぎたことだ。

 それに、私としても碇君の童貞を奪ったのが彼女なら、文句は無い。


 もっとも。碇君の言っている事と、やった事が違う。とちょっと腹が立たない訳では無いが。

 私の為に他の女で練習をしていてくれたんだ。

 と自分に都合良く考えれば、腹も立たない。

 ちなみに。碇君は、今でも私とするまで童貞だったと言い張っている。

 碇君はあの人の息子だけあって、本当に嘘つきだ。



 それと、別にどうでも良い話だけど。

 私は大学を卒業するまでの四年間、二度とコンパに呼ばれる事は無かった。









 洗い物を終え、碇君がいる方を見ると。碇君はさっきと同じ恰好で、なにやら小声で私の悪口を言っている。


 綾波は煩いとか

 綾波は優しくないとか

 綾波は僕の事嫌いになっちゃったんだとか………etc・etc。

 それはもう、グジグジグジグジ、ブツブツブツブツ。


 碇君ってホント何時までたっても子供。

 プロポーズしてくれた時、あんなに素敵だったのが嘘みたい。

 時々、なんでこんな人を好きに成っちゃったんだろう。

 なんで結婚までしちゃったんだろう。

 って思ったりもする。

 もしかしたら、私は騙されたんじゃ無いか?

 なんて事も考えたりする。

 結婚して2年。一緒に暮らすようになって5年。交際を始めて9年。

 つきあい始めた頃は、碇君の部屋に泊まった時は、美味しい朝食を私の為に作ってくれたり。

 私の部屋に来て、掃除や洗濯をしてくれたり。

 私の我が儘も怒らずに黙って聞いてくれたり、してくれて、碇君、すごく優しかったのに。


 一緒に暮らし始めたとたん、まるで手のひらを返した様に、優しくなくなって。

 食事なんて、この5年間一度だって台所に立ったことなんて無いし。

 私の代わりに作ろうとする素振りさえ、見せた事が無い。

 服を脱いでも脱ぎっぱなしで、洗濯かごに入れることもしないし、洗濯だって一度もしたことが無い。

 まるで昔の私の様なだらしなさだ。

 その事に私が文句を言っても、妙に口先が巧いものだから、「ごめん……いつも悪いと思ってる」とか「感謝しているって、ホント」などと、調子の良い 事あれこれ言って、誤魔化してしまう。

 「釣った魚に餌をやらない」というのは、碇君の様な人の事を云っているのだと思う。







後編につづくだよ



Please Mail to Mr.キルゴアトラウト
and Visit His HP「六番目の屠殺場」


管理人よりの戯言

綾波さ〜ん、
あなたって人は・・・・(^^;;

やっぱし「いい女」だわ〜。(^^)

にしても、

いったい何人のアヤナミストがこのシンジに
「バカヤロ〜!!」って言えるのかな?

(にやり)

さぁ、後編への願い、そして
あなたならではの言い訳をどんどん
作者さんにおくりましょう。

え? 私?
それはまた別のお話しでありまして・・・
(ごにょごにょ・・・)

 

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1999/03/06 公開