周囲を見回せば、一面クリスマス一色に染まっていた。
 少年は多少呆れた表情で、それらを見回している。だが、その表情の中に浮かれたいろ
があるのも事実である。
 短く切り揃えられた黒髪に、華奢な体つき。何処にでもいそうな顔立ちだが、何処か優
しそうな瞳はその印象を人に残す。
 コートに身を包んでいるが、吐く息は白くない。それが周囲の気温を良く示していた。
 軽やかな足取りで人の群れをすり抜け、少年は歩を進める。
 冬独特の暗い空も、地上から発せられる光に照らされ明るくなっている。
 周囲を包んでいるクリスマスソング。
 それは確かに、人の息遣いを感じさせてくれていた。




『Snow』
From "Evangelion" (C)Gainax/TV TOKYO
Written by Kei Takahashi ( COCHA-DO )




「ただいまー」
 両手一杯に抱えた荷物のせいで思うように靴が脱げず、玄関でガタガタを音を立ててい
た少年は、どうにか居間にたどり着いたようだった。
「…お帰りなさい」
 つい先程まで弾いていたのだろうか。アップライトのピアノの前に座っていた少女が、
歩み寄ってくる。
 蒼銀の髪をショートにして、両サイドを軽くシャギーにしているヘアスタイルは、初め
て出会った頃のまま。暑い夏の陽射しを受けても、いっかな焼ける事の無かった白い肌は
折しも冬の到来を受けてまるで雪のような白さを保っている。
 濡れた鮮紅玉の瞳の視線を受けて、少年はふわりと笑った。
「ただいま。綾波」
 歩み寄ってきた少女にそう告げると、少年は持っていたビニール袋を持って、キッチン
へと移動する。その後ろを雛鳥のように、少女がトテトテとついて歩く。
「…なに、買ってきたの?」
 ガサガサと音を立てて袋の中身をテーブルの上に並べていた少年の後ろから、興味深げ
にのぞき込む少女。
「…うん。まあ、色々。食材とか」
 鮮やかな色の野菜やら何やらを、手早く冷蔵庫へと仕舞っていく少年の手つきは、何処
に何を置くべきかを既に知っているかのような、正確なものだった。
「ねえ、綾波。肉以外で食べられないものって、ある?」
「………………ピーマン。苦いから」
 微かに恥じらいがあるのか、俯き気味で答える少女に、少年は苦笑いを浮かべる。
「ああ。そうかもね。…うん。大丈夫。綾波でも食べられるように調理するから」
 入れない、とは言わない辺りが主婦根性だろうか。
 そんな少年を微かに恨みがましげに睨むと、少女はある一品に目を留めた。
「………これ、なに?」
 不思議そうに、尋ねる。
 それは、小さなビニールに包装された袋だった。
 中には赤と白でデコレーションされた、小さなサンタ。
「ああ、それ? 商店街で買い物したら、おまけでくれたんだ」
 サンタがかかえた大きな白い袋には、麻紐の芯がにょっきりと飛び出ている。
「………ろうそく…?」
「そうだね。クリスマスのケーキ用の、特別なローソク」
 最後の品を冷蔵庫にしまうと、少年は振り返った。
「ねえ、綾波。クリスマスのケーキには、それを載せよう?」
「………載せちゃうの?」
 けれど、返ってきたのは残念そうな少女の質問だった。
「いやなの?」
「………」
 肯定も否定もせず、けれど少女は両手の上にちょこんと乗せたサンタを凝視している。
 そんな少女の様子を見て、少年は考えを変えた。
「…うん。じゃあ、それは使わないでおこう。綾波。それ、気に入ったんなら、あげる
よ」
「…いいの?」
 恐る恐る、といった風に尋ねる少女に、苦笑して少年。
「良いも悪いも、元々貰い物だよ」
 少女は手のひらの上のサンタと少年を交互に見て、そしてひっそりと微笑んだ。
「…ありがとう。碇君」
「…あ、あの、そんな、別にお礼言われるような事じゃ…ないってば。綾波」
 真っ赤になって、しどろもどろになった少年を背に、少女は小さなサンタを連れて自室
へと戻る。
 写真や可愛い小瓶を置いた棚に、サンタを仲間入りさせて少女はもう一度微笑んだ。





 日本が常夏の国から、本来の四季のある国へと戻ってから一年。
 世界は、どうにかにぎやかさを取り戻していた。
「ねえ、シンちゃん〜。ご飯はまだかなー?」
「そんなすぐには出来ませんってば! もーミサトさん、飲み過ぎですっ!」
「あ、ねえ。碇君。味付けはこれくらいで良いでしょ?」
「委員長の味付けなら大丈夫だよ。好きにやって良いよ」
「なーシンジぃ。飲み物って何処だ?」
「そこの冷蔵庫の中! あー、トウジ! それまだ仕込み中だから食べちゃダメだって
ば!」
「あー? これ十分美味いで? センセ」
「ダメだってば! アスカ! これ、運んでおいて!」
「あんた、このあたしに命令するとは良い度胸じゃないのよ!」
「早く食べたきゃ、運んでってば」
「…う。分かったわよっ!」
「綾波。その皿をアスカに渡して」
 バタバタとした戦場がここに一ヶ所。
 ・・
 第四新東京市の葛城家の台所と居間である。
「…はい。惣流さん」
「…む。分かったわよっ」
 ひょい、と赤みがかった金髪の少女に大皿を手渡したのは、蒼銀の髪の少女である。
 何やらぷりぷりと不機嫌さを周囲に発散しながらも、少女は渡された大皿を持って居間
へと移動する。
「ほらほら! さっさとテーブルの上を片しなさいよ! 相田!」
「なんで俺に言うかなぁ」
「文句言ってないで、さっさとやるっ!」
「へーへー」
 居間から聞こえてくる喧噪を余所に、台所でもいよいよ仕上げへとラストスパートをか
けていた。
「そろそろチキンは焼き上がる頃ね」
 おさげ髪の少女がオーブンの中をのぞき込んだ。
「いいなぁ。家にもこんなオーブンがあれば、レパートリーも広がるのに」
「まったくだよね。ミサトさんの家にこんなオーブン、猫に小判だよ」
 横から同じようにオーブンをのぞき込んだ少年のぼやきを聞いて、おさげ髪の少女が笑
った。
「そうよね。使っても鍋とフライパンだけだし、作られる物といえば…」
「あれだもの」
 心底からのため息をつく少年。
 そんな少年の背後に立つ、黒い影。
「何か言った? シンちゃん。ヒカリちゃん」
「いいよね。このオーブン!」
「羨ましいよね!」
 汗だくになりながら、不自然な程に勢いよく相づちを打ち合う2人を見下ろしながら、
黒髪の美女はビールの缶を煽った。




 イエス=キリストの誕生を祝うクリスマス。その前夜。
 日本では、大半の人間にとってはただのバカ騒ぎをする日。
 そしてそれは、この葛城家でも同じだった。
 一年前の全てを忘れようとするかのように、皆がはしゃいでいる。
 しかし、どうしてもはしゃぎきれない人間もいた。
 本来ならば、必ずいるだろう人間がいない空間。
 赤木リツコと、加持リョウジ。
 2人の姿は無い。
 だからだろうか。
 葛城ミサトが、普段以上に、必要以上にはしゃいで見せるのは。
 それに引っ張られるようにして、皆がはしゃいでみせた。
 鈴原トウジが北海道直送のガラナ1.5リットルの一気飲みをしてみせたのを皮切りに、
各々の『芸』の疲労が始まった。
 中にはあからさまに酔っぱらっていると思われる人間もいたりしたが、それはそれで、
お祭りの夜としては、許される範疇だったろう。
 そして、皆が寝静まってしまった深夜―――。




 ゆっくりと少女は目を開けた。
 明かりは消され、暗い夜に月明かりだけが光源となっていた。
 床には客用の布団がひかれ、惣流・アスカ・ラングレーと洞木ヒカリが並んで眠ってい
た。最後までベッドを譲れと言い張った金髪の元同僚を思って、少女はふとおかしくなる。
 そっと、音を立てないようにしてベッドを抜け出し、少女は寝室から抜け出した。
 居間にも布団がしかれ、鈴原トウジと相田ケンスケが布団にくるまっているのが、薄闇
をすかして見て取れた。
 眠り込むまでのばか騒ぎを思い出し、少女は口元に微笑を浮かべる。
 ゆっくりと、足音を立てないように歩き出した彼女は玄関のドアを開け、外へと出た。
 冷たい夜気が、廊下を満たしていた。
 そんな中を、少女はコツコツと歩き出そうとして、立ち止まった。
 そっと、窓硝子に自分の姿を映し出してみる。
 そこに映るのは、蒼銀色の髪と真白い肌。そして紅の瞳を持った美しい少女の姿だった。
 綾波レイの姿。
 だが少女は何処か頼り無げに、自分の姿を細い指先でたどる。
 まるで自分の姿を確かめるように。





 静かな夜。
 レイはこんな夜が好きだった。
 何故だろう。気が付けば、陽光が降り注ぐ昼よりも、月光が照らす夜の世界の方が落ち
着くのだ。
 どんな暗闇も、月の光は優しく照らす。そんな中にいると、自分が落ち着く事を彼女は
幼少の頃から自覚していた。
 それは、あの闇の底に生まれたからなのかも知れない。
 だからこそ、闇の中でも輝く、月に焦がれたのかも知れない。
 レイは何時の間にか屋上への階段を昇っていた。
 無意識のうちに、月が良く見える場所に行こうとしていたのかもしれない。目の前に屋
上のドアを見つけ、そしてそれをゆっくりと押し開ける。
 鍵はかかっていなかった。



 ――――――そして、少女はそこにいた『彼』を見つけた。



 そこに彼はいた。
 物言わぬまま、ゆっくりと月を見上げて。
 その横顔は、今まで見た事が無いほどに真剣で、そして優しい表情を浮かべていた。
「……碇…君」
 そう呟く。すると少年は今気付いたように振り返った。
「…綾波…? どうしたの、こんな時間に」
 先刻までの表情は一瞬で消え去り、笑みが浮かぶ。
「あ……目が覚めたら寝付けなくなって…」
 レイの言葉を聞くと、シンジはふっと微笑みを浮かべる。
「碇君こそ…どうして?」
「……ちょっと、ね」
 言葉を濁し、シンジは夜空を見上げた。
 レイもそれ以上何も言わず、無言でシンジの横に並ぶ。そして同じように空を見上げた。
 今まで見た中で一番綺麗で、そして大きな満月が浮かんでいるような気がした。
 ただ無言のまま、二人は夜空を見続ける。
 月が二人を照らす。







 無言の時間。
 冴え渡る空気は透き通った風を生み出し、そして月が雲に隠れた。
「…あ……」
 レイが声をあげる。
 彼女の視界を白い物が通り過ぎたからだ。
「これ……何?」
 レイが手を伸ばすと、それは彼女の掌の上に乗り、そして水になる。
「『雪』…だと思う。きっと」
 シンジもまた、同じように不思議そうな顔で、空から静かに降りてくる真白い綿雪を見
上げて答える。
 鈍い灰色の雲が空を覆い、そこから白い結晶がしんしんと降り続ける。
 無音の世界がそこにあった。
 二人の耳に届くのは、互いの息づかいだけ。
「……これが…雪……」
 レイはそう呟く。
「……綺麗」
 レイの言葉をシンジは無言で聞いていた。
「―――雪は全てを覆い隠してくれるんだって」
 シンジが呟いた。
「この白い雪が、みんな、罪を隠してくれるんだって」
「―――碇君」
 眉をしかめたレイを見ずに、シンジは続けた。
「そんなの嘘だよね。…綺麗な物は、汚い物を決して隠す事なんてできない。それは、逆
に汚い物を際だたせるだけなんだ…」
 自分の意志で背負った筈の十字架。
 罪という名の。
「僕は、あの人を殺した」
 碇ゲンドウを。
 父を。
 殺した。
 『父殺し』。
 聖書に初めて載った、人によって為された罪を。
 同じように、己も繰り返した。
 まるで、なぞらえるように。
「なら、私の罪も、消えないわ」
 静かに。
 けれど、確かな強さでもって。
 少女の声は少年に届く。
「私の罪は、あなたを許す事」
 互いに差し出された手。
 重なった手のひらから伝わるのは、冷え切った互いの体温。
「―――けれど、後悔はしない」
「………綾波」
「私は、あなたを守ると、あの時に誓ったのだから…
 そして、重ねた唇。
 白い雪の中で、その雪のように白い肌が、寄り添う。
「今、私が生きている理由はその誓いのお陰」
 確かめるように、真紅の瞳が間近で夜色の瞳を見つめた。
「ならば、あなたは何のために、罪を犯したの?」
「…僕は」
 何のために?
 罪を犯したのは、何のため?
「世界のためだとか、みんなのためだとか、そんなんじゃないんだ」
 自分のためだった。
 彼女といる自分のために。
 ただ、それだけのために―――。
「僕は自分のために、罪を犯した。僕自身の願いのために」
「そう」
 レイは、慈母のように微笑む。
 シンジが抱きしめた身体は、まるで硝子細工のように華奢だった。
「…『汚い』からこそ、『綺麗』の価値が分かるのね。きっと」
 レイは抱きしめられたまま、ぼんやりと空を見上げていた。
 白い雪は、音もなく降り続ける。
 そんな中で、2人はいつまでも立ち続けていた。



END



2001.09.11 Kei Takahashi



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