ひっそりとした夜道を、ぽつりぽつり、言葉を交わしながら歩いた。
どんな話をしたのだったか。
唯でさえ途切れ途切れだった会話を断片的にしか思い出せないでいる。

はっきりと憶えているのは、夜風が頬を撫でる心地よさ。
しゃらしゃらという枝葉の笑い声。
どこか遠くから聞こえてきた、凛とした風鈴の音。
鼻先をくすぐるように流れていった、夏草の匂い。
清涼とした夏夜の印象は生々しく甦り、
その彼方にあるモノは、日々、霞に覆われていってしまうかのよう。

熱をもったように火照った肌。
ちょっと食べ過ぎてしまったアタシを、
だから言ったじゃないかと、シンジがたしなめたのを思い出す。
むっとしたアスファルトを宥めるかのように、さやさやとした風が流れていた。
 

「ところでさ、、、アンタ、(職員)食堂のうにそばって食べたことある?」

「なんだよ、また食べ物の話?こっちまで胃もたれしそうだよ、もう」

「そんで?、、、あるの?ないの?」

「ないよ」

あっさりとシンジが言った。

「なんだ、ないのかー。
、、、、アンタさあ、今度毒味してみてよ、、、おいしかったらアタシも食べてみるから」

シンジは「はいはい」とだけ答えると、半歩下がった。

サンダルのぺたぺたという音がアタシを追いかけてくる。
アタシのスニーカーがたてる音の一歩後ろ。
時折、半歩だけ近寄って、たわいもないコトをぼそぼそと話した。
いつもの距離。
四六時中顔を合わせていなくてはならない二人が探り当てた平衡点。
 

ざんぶりと蝉の声で溢れかえる街。
騒がしい日中よりも更に、静まった夜の街では余計に蝉の声が浮き立つ。
辺りを山に囲まれた新興都市。
閑散とした住宅街に人影は少なく、
これではまるで蝉のベッドタウンではないかと、
引っ越してきた当初、アタシは思ったものだった。
だけれども、それにももう慣れた。

のんびりとアタシは足を進めていった。
だから、サンダルの音ものんびりついてきた。

点々と灯る街灯。
見上げれば、鮮やかな月夜。
照らされた道。
ばしばしと、夏虫が繰り返し光へと飛び込んでいく、どことなく悲壮な音が響いていた。
 

「、、、、ドイツはさあ、まだ昼過ぎくらいなのよね、、、この時間だと、、、、、」

「そっか」

「素っ気ないわねえ、、、、、もっと、こう、なんかないの?
宇宙の神秘に思いを馳せるような感慨とかさあ、、、、」

「うーん、、、感慨ねえ、、、、」

ようやく一日を終えようとしている夏の夜は、
まどろむかのように、のたりのたりと過ぎていった。
あまり言葉を交わさないアタシ達。
このテンポにももう慣れた。
 

Y字路を左に折れた。
ちょっと遠回りになるけど、コンビニに寄る。
明日の朝食を買うのだ。
店先の白色蛍光灯に導かれるようにして歩いた。
夏虫のように。
いつかアタシも飛び込んでいくのだろうか。
眩しいナニカに惹かれて、飛び込んでいくのだろうかと、アタシは思った。
 

こうこうと照るコンビニに入ると、シンジは買い物かごを手にとって、
「なんだっけ?玉子パンだっけ?」と言った。

「うん、そう」

アタシがそう返事をすると、彼はパンが陳列されている棚へと向かっていった。

買い物が終わるのを待つ間、立ち読みでもしていようかと、
雑誌の棚へと足を向けた時、ふと、大きく派手なポップに飾られたセール品の棚に目がいった。
雑誌の棚とコピー機の間、限られたスペースに窮屈そうに押し込められたワゴン。
その中には、何種類ものけばけばしい袋に包まれた何かが置いてあった。
するすると引かれるように歩み寄って、一つ、手にとってみた。

『ファミリー花火セット』

_、、、、花火?

花火というと、あの花火だろうかと、
アタシはいつかテレビ中継で見た、一尺玉だか三尺玉だかが夜空一杯にひろがる様子を連想した。
日本の花火といえば、世界中に輸出されている工芸品。
頭の中のイメージとのギャップに、アタシはえらく困惑してしまった。
百円の値札がついたソレは、とてもそんな大それた偉業を成し遂げられそうには見えなかったのだ。

他の袋もいろいろと手にとってみた。
ロケット花火、ネズミ花火、ヘビ花火、タコ踊りに加えて、とどめはドラゴン。
ばら売りされているそれらは、まるで猛獣・珍獣ショーの立て看板。
とても怪しかった。

もう一度、最初手に取った袋を観察してみる。
クリスマスの飾りに使われるような金紙、銀紙に巻かれた棒。
針金のような棒に何かが塗ってある物。
鬼の絵が描かれた短冊のような紙。
こよりを輪っかにしたかのような物、、、これはさっきのネズミ花火とやらだ。
見れば見るほど謎だった。

もっと大きめの袋もあって、そっちには何やら筒のような物が入っていた。
これならなんとか花火を打ち上げられそうだと、アタシは戸惑いから少し回復した。
一尺は無理でも、三寸くらいならいけそうだ。
ようするに廉価版のお手頃花火なのねと、アタシはあたりをつけた。

アタシは『ファミリー花火セット』を手にとって、シンジの所へと駆けつけた。
 

「ちょっとシンジ、何か胡散臭い物売ってるわよ、ほら」

そう言って、アタシは牛乳を買い物かごに入れたばかりのシンジを呼び止めた。

「胡散臭いって、、、、別に普通の花火に見えるけど、、、、」

「コレの一体どこが花火だってーのよ、、、、。
アタシが何も知らないと思っていい加減なこと言わないでよね。
これは、、、、何かしら、、、、七夕、、、いや、お正月セットかなにかなんじゃない、実は」

「、、、なにそれ?、、、どんな発想だよ一体、、、、、、。
だから、普通の花火だって言ってるだろ。
コレは打上花火じゃなくて、手持花火って言って、手で持って遊ぶ花火だよ」

「え、、、、ふーん、、、、、手持花火か、、、、そうなんだ、、、、、。
でも、手で持ったら危ないんじゃないの、こう、ドカン!てなるじゃない」

「、、、うーん、何て言ったらいいのかな、、、、そういうのじゃなくて。
もっとこう地味にしんみりと楽しむ物、、、、なんじゃないかな、、、、僕もよく分からないんだけど」

「じゃあ、このネズミ花火ってのは?、、ただの輪っかじゃん、コレ」

「ああ、これはね、、、こう、地面をくるくるって回る花火なんじゃなかったっけ、、、確か」

「へー、そっか」

なんだか分かったような分からないようなシンジの説明に、とりあえずアタシは肯いておいた。

「うん」

アタシの追求が緩んで、シンジはちょっと安心した様子で返事をしてから、
『ファミリー花火セット』を見つめるアタシに向かって、
「ちょっと会計済ませてくるから」と言って、レジの方へと歩いていった。

その言葉に顔をあげたアタシは、彼の背中に忍び寄って、
こっそりと『ファミリー花火セット』を買い物かごに滑り込ませた。
 
 
 



しずく

:ささやき



 
 
 

ライターの火をロウソクの芯に灯すと、
薄暗い夜の公園に、ぽっと温かそうな柔らかい光が浮かんだ。

十一時を過ぎ、月明かりがまぶしいような時間になった。
最寄りの公園で花火大会。
辺りには誰もいない。
いけないことでもしているかのような背徳感と、ちょっと心が沸き立つ気持。
暗闇の中で、ゆらゆら揺れるロウソクの火。
人の感情を揺り動かす光。

ぽたぽたと蝋をたらしてから、苦心しつつ、シンジはロウソクを風よけの隣りに立てていた。
ベンチの上に広げられた花火セット。
どの花火から試してみるかを悩みつつ、アタシは彼からのゴーサインを待っていた。
 

「うん、大丈夫みたいだよ」

そよそよと吹く夜風に灯を吹き消されない事を確かめてから、シンジが言った。
アタシはちょっとネズミ花火に心惹かれながらも、
結局、『カミナリ』と書かれた短冊花火を手に取った。

ロウソクの灯りへと、点火口を持っていく。
炙るかのようにして、『カミナリ』を持った手をじっと動かさずにいると、
じりじりという音の後で、ぱちっと火花が弾けた。
思わずちょっと大袈裟に仰け反ってしまう。
反射的に少年の視線を思って頬が熱くなったけれども、
まるで雷のように小さなイカズチを撒き散らす姿に見とれて、恥ずかしさなんて直ぐに忘れた。
『カミナリ』は怪しげな鬼の絵(今思えば、あれは雷神だったのだと思う)に似合わず、
なかなかにがんばりやのかわいい奴のようだった。
ごうごうと音をたてて鳴り響くミニチュア雷。
しばし、音をたてて散る火花を堪能した。

何とも言えない高揚感。

花火には人をハイにさせる、不思議な何かがあった。
色とりどりの火花。
つーんとした火薬の匂い。
次々と散って、夜の公園に極彩色の光世界を生み出した。
 

シンジが一本点ける間に、アタシは三本。
しゃわわという音がとても楽しげで、口元が緩んでしまうのを止められそうもなかった。

色つきの綺麗な火を噴き出す金紙と銀紙。
『カミナリ』の火花とはまた少し違った弾け方をする針金。
ペロペロキャンディーみたいな、渦巻き型花火。
それからネズミ花火。
くるくると回る花火がシンジの避ける方へ避ける方へと追っていくのがおかしかった。
調子にのって幾つもの輪っかに点火して、彼の足下へと投げた。
だけれども、うかつなことにも、その内の一つがころころとアタシの方にも転がってきた。
そのなかなかのすばしっこさに、なるほど確かに『ネズミ』花火だと、アタシは思った。
 

セール品の『ファミリー花火セット』はあっという間に底がつきた。

「あーあ、もうお終いか、、、、、」

水を張ったバケツに最後の花火を浸けてから、アタシが言った。

「まあ、しょうがないよ。、、、、百円のセール品だしね、、、、」

シンジはそう言うと、足下に落ちていた不発弾のネズミ花火を拾って、バケツに放り込んだ。
じゅっと音がして、再び、辺りには蝉の声だけが満ちていった。

「それにしてもコレはアタシ向きだわ、、、、。今度は『ドラゴン』も試してみないと」

麻薬のような火花の魔力が去って、
また、微妙なバランスがアタシ達の間に降り立つのが分かった。
少しでも浮き立つような気持を味わうと、必ずおそってくる揺り返し。
怒鳴りつけたくなる心。
気にくわないって、そう言い出しそうだった。
まるで同極の磁力。
目に見えない力で、ぐいぐいと押し戻されていく。
 

ベンチに座って、空を見上げた。
月も星も明るい。
遠くに来たのだと、アタシは感じた。
もう戻れないくらい遠くに。

_今日も眠らないと、、、、、

終わり行く夏の夜を思い、アタシはひとり呟いた。
 

ベンチについた手の先で、がさがさと音がした。
ふと見ると、それは傍らに置いてあった花火セットの袋だった。
ゴミ袋に入れようと手に取ると、
何かが底の方に引っかかるようにして残っているのが分かった。
取り出してみると、それは、赤と黄色の薄い紙で作られたこより。

「シンジ、、、コレって何?」

「、、、あれ?、、、それって線香花火だよ、、、、、、へー、そんなのまで入ってたんだ、、、、、」

「線香花火?、、、、何それ?」

「何って、、、、まあ、実際にやってみた方が分かり易いんじゃないかな。
ほら、ロウソクもまだ消してなかったし、、、ちょっとやってみる?」

アタシは「別に良いけど」と言って、シンジと共にロウソクの傍に屈み込んだ。
物は試し、という彼の言葉通りに、
アタシ達はそれぞれ一本ずつ線香花火を持って、ロウソクの火にかざした。

小さくぱちっと弾ける閃光。
次の瞬間、あまりの綺麗さに、魅入られるように惹きこまれて、手が震えた。

すると、ぼとりと音をたてて、こよりの先についていたオキのように赤い玉が落ちた。
そのあまりのあっけなさに驚いて、思わずシンジの線香花火に目をやった。
まだ、線光を放っている。

「ちょっと、なにコレ、、、、あっけなさ過ぎ。
それに、なんでアンタのはそんなに長持ちなのよ、、、、不公平じゃない」

「不公平じゃないって言われても、、、、こうやって揺すらないようにして持たないと。
この玉が落ちやすいから、じっとしながら長く楽しむのがコツ、、、なんじゃなかったかな確か、、、、」

「なによそれ、、、そういうのは先に言いなさいよね」

そう言って、アタシは花火を持つシンジの手をはたいた。
ぼとりと音をたてて、シンジの線香花火も寿命を尽かせた。

「ちょっと、なにするんだよ、、、、まだこれからだってのに、、、、」

「今の勝負はナシよ。ノーカウント。
大体、そういうルールがあるなら先に言いなさいよね、、、卑怯よ」

「卑怯って、、、、別に勝負するようなことじゃないだろ、、、、」

「いいからほら、仕切直しよ、仕切直し」

物惜しげに燻っている玉を見つめるシンジに、アタシは線香花火の束を差し出した。
七、八本の内から、それぞれのこよりを慎重に選ぶ。
残った奴は全てバケツに浸けてしまった。
勝負は一回きりがいい。
 

「じゃあ、同時に点けるわよ」

二本のこよりが火の中へと捧げられる。
殆ど同時に、それぞれの線香花火がはじけるように火花を散らせた。

ぱちぱちっと音をたてて、赤い線光が飛んだ。

瞬時に、アタシは惹き込まれた。

飛び散る火の粉が暗闇に花を描く。
小さくて、とても頼りなげだけど、幻想的な調和を見せた。
マイクロコスモス。
赤い電流がアタシに注ぎ込まれた。
心惹かれる妖しい火花。
儚くて、健気で、妖しくて。
それでいて、三尺玉にも負けない、不思議な力強さがあった。
溢れ出そうになる感情の渦。
ぱちぱちと、アタシをしびれさせる線香花火。

ふたつの花火が放つ光と影。
つんとした火薬の匂い。
泡沫がたちまち消えゆくように、生まれては、散る。
びりびりと、アタシを震わせる電流。
締め付けられて苦しい胸。
あまりにも切ないような美しさ。

_どうして悲しくなるのだろう、こんなにも綺麗なのに

アタシはじっと息をひそめながら思った。

二人とも何も言わなかった。
アタシ達は、静かに、身じろぎ一つせずに、小さな線光を見守っていた。

パチパチと音がする度に、表れては消えるモノ。
目の前を過ぎる、いくつもの心象。
瞬く線光に照らされるアタシの遺影。
生きながらに死んでいった、幾人ものアタシタチ。
幾人もの、喪われたアタシの面影が浮かんでは消えた。

火の花が浮かんでは消え、
段々と頼りないものになっていく、二人のオキ玉。

それでも、夜の闇に、夭折する花を咲かし続ける線香花火。
しとしとと降る雨のように、赤い火の粉が散る。

ぽっぽと弾ける度に、顔をのぞかせるヒトがいる。
パチパチと瞬く度に、アタシでないアタシを見てしまう。

ガラクタの山で恍惚と夢見に耽るアタシの横顔。
遺影を踏みにじり、どこまでも気狂いのように登っていく。
虚栄の衣を剥ぎ取られても、
傷つけられた矜持に、失われた愛に、取り憑かれたカゲロウは、、、、、

_もう、ヤメテ、、、、

死に行くモノタチをそっとしておいてと、アタシは思った。
甦らないヒトに手向けてしまわないで。
鉄屑をとかす釜にくべてしまわないで。

_もう、ヤメテ、、、、

どうして、人は、アタシは、生きながらに死んでいかなくてはいけないのだろう。
今、生きているアタシは誰?
心から零れ落ちるようにして、死んでいったアノヒトタチは誰?

小さな灯りが弱まり、
ふと、辺りが少し暗くなった。
音もなく、シンジのオキ玉が落ちた。
 

静寂が深まるのが分かった。

鍵を求め、徘徊するモノの足音が聞こえてきた。
冷たい声でアタシの名を呼びながら、少しずつ、近づいてくる。
 
 
 
 
 
 

「、、、、、、、、手、、、つないでて、、、、、、、、」
 
 
 
 
 
 

頼りない切実なアタシの声がそうさせたのか、
今にも消え去りそうな線香花火がそうさせたのか、
あるいは、もっと別のなにかがそうさせたのか、
アタシには分からなかったけれども、
それでも、
そっと、指先をかさねるようにして、シンジはアタシの左手にふれた。

彼の指先はほんのりと汗ばんで、仄かに温かかった。

もう、今にも消えそうな線光。
しゅっしゅという音はとても頼りなげで、アタシの胸はどうにかなってしまいそうだった。

圧倒的な死の予感の真ん中で、アタシは微かに指先に力をこめた。
その手を放した瞬間に、壊れてしまうものを想いながら。

儚く赤い光が消えゆく。

そっと、アタシは彼を見つめた。
この世のどこにも居場所がないアタシとシンジは、一度だけ、しっかりと視線を絡ませ合った。
 
 
 

もう、近頃では、彼の面影を思い出すことも難しい。
こうして目をつぶると、最初に、朧気ながら浮かんでくるのは、ぼんやりとした表情の輪郭。
まるで霧深い森に迷いこんでしまったかのように、霞んでしまっている。
時は、平然と、多くのモノを奪い去っていく。

それでも、毎晩、アタシはあの夏のことを思い出そうとする。
掠れてぼろぼろになった心を振り絞る思いで。
儚い生にうちひしがれながら、悲鳴をあげる心を絞る。
そうして、やっと手に入れるのは、それは一粒の雫。
その雫の海へと溺れ入っていき、
温かな深海の闇の底で、けぶる微笑みの腕にくるまれる。
やがて、その腕の中で、柔らかなまどろみを手に入れ、束の間、ぐっすりと眠る。
 

ひっそりと、誰も寄らない秘密の園に、アタシは足繁く通っていく。
いつか、迷い死ぬことを夢見て。
 
 
 
 
 

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( hajimesu@hotmail.com )
 

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