vtinos said to mal at Wed, 9 Sep 1998



初めまして。vtinosというものです。

さいきん EVA SS にはまっているのですが、どーもインタネットは LAS が 99% って感じ
でアヤナミストとしては「こりゃーもう自分で書くしかないのかね」てな気分になりはじめ
ました。

その準備として「私の思うところのアヤナミ」について少し書いてみましたので、唐突で
はありますがアヤナミ論の権威 mal さんにちょっと眼を通して頂けるないかな、という
ことでメイルさせて頂きました。

「この辺は全然ピント外れじゃーないの?」てな感じでご返事を頂けると助かります。

以下ざっと乱文で書きなぐったちょっと失礼かな、という気もするんですが、準備段階で
あまりアレすると萌え気分が減りそうな気もするんで書く・即送るって感じで送らせて
いただきます。

では。

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アヤナミ論に入る前に、背景的な事柄としてグノーシス主義について書きます。
もし「先刻承知」ということであれば飛ばしていただいても結構です。ユング経由で
グノーシス関連のものを読んでいる場合には一時的にユングを忘れてグノーシス主義
そのものについて考えてもらったほうが良いかもしれません(ユング心理学からの供挟物
無しで)。

- - -

グノーシス主義っていうのは「無知で盲目の神の造ったこの世界(=悪と混乱)の『外』に、
光と知性の神(=ソフィア)が存在する」「創造神(無知で無目的な存在、妬む神)は、光を
妬み捕らえるためにヒトを造った」「人間は狂える創造主の造った『モノ』であると同時に、
捕らえられた『光』を内に宿す存在である」「これらのこと(グノーシス、隠された真理)に
関する認知は人間から遠ざけられている」というような主張なわけです。

(参考文献、「グノーシスの宗教」、「ナグ・ハマディ文書」など)

-- 余談その1 begin

ナグ・ハマディ文書の方にはリリスじゃなくてソフィアですが「水のごときもののから
ソフィアが巨大な姿を現し」というような記述もあります。この場面での彼女は
「神と人の間にたつもの」とされていて、EoEとの合致率はかなり高い。

-- 余談 end


-- 余談その2 begin
んで、この伝でエヴァを見ると

人間 =
光を妬み求めた盲目の神が、光を捕らえ閉じこめるえるために造ったもの。光は分割され
て全ての人間に宿っているが、人間は人間のために造られた世界や互いへの愛にとらわれ
ていて、自らの中に本質としてあるはずの光について思い出すことが出来ない。

使徒 =
この世界の『外』から、この世界 (デミウルウゴス=ヤーによって造られた「物質の世界」)
に囚われた『光』(=魂)を救いに来るもの。世界から光が「救い出された」後はおそらく
「もの+魂(光)」という形での「人間」は存在しえない(絶滅?)。マニ教神話では「天が
割れて光の軍団が来る」

としか見えないわけです。私は太古にP.K.D.にはまって以来のグノーシス主義者なので、
最初っから最後までこう見ていて、「なにが謎なんだろう」「どこが分かり難いのだろう」とか
感じていました。
-- 余談 end

でアヤナミへいく前にさらにグノーシス主義について、こんどは大半が私見ですが、

グノーシス主義の本質っていうのは、この世界が矛盾や暴力、病、苦しみに溢れたもの
であるということを「悲しみ」、喪われた「苦しみの終わりと永遠の平安」を - おそらく
それは決して得ることのできない、希望に過ぎないものだと知りながら - 求め続ける
という態度にあると思います。

他の宗教との対比では、仏教が苦しみからの解脱を唱え、ヤーの宗教(イスラム、
ユダヤ、キリスト教)がこの世界の在り様は神の意志であり人間には量り得ないものだ、
としたのに対し、(私的には)グノーシスの宗教は世界が悲しみに満ちている、人間は
この世界を悲しむべきである、というところで意図的に立ち止まるということを根幹と
しているように思います。

苦しみの終わりと永遠の安らぎはおそらくこの世界には存在しない。グノーシスの宗教
(どれも古いものです)では最終的な光の勝利によって『外』からそれがもたらされるものと
されているが、実際には - おそらく彼らも知っていたように - それは起きない。世界は
悲しみに満ちたまま永遠に続く。人はそれを悲しみ続けなくてはならない。

そうしてグノーシスの全ての宗教は、この悲み涙を流す人間に、悲しみを忘れないまま
- たとえそれが一時のものであったとしても - 希望と安らぎを与えるための企てであっ
たんじゃないかな、と。それらは一時の目眩まし、希望に過ぎないから彼らは大量の
相互に矛盾し合うような詩や神話を退けることはなかった。神についての、つまりは
永遠の真理のために聖典を定めて永遠の帝国を築いたキリスト教がのとは対照的に。

「悲しみから解脱するのではなく、悲しみながら希望について語ろう - 例えその希望が
偽りであったとしても」

この辺りからエヴァ論

これらの観点から見ると、綾波レイに逢う前からアヤナミストだったアヤナミスト、は
「もうどうしようもない程にグノーシス主義者」なわけです。

彼らは世界を悲しみ、世界の外に希望を求めて世界から離れることを欲した。
その希望の象徴がソフィアとしての綾波レイ。彼らは丘の上で膝を抱えて座りながら、
世界が終わって全ての悲しみがなくなることを「ありえないような懐かしさに涙しながら」
待ち続けている。世界は永遠に続き、喪われたものとの再会はないということを知った
うえで、永遠の終わり、綾波との再会を待ち続ける。「この悲しみには価値がある。
世界(綾波レイの一生)は悲しみに値するから。もうすぐ世界は終わる。世界が
永遠に終わらないなら、永遠が終わるのを待ち続けることだって出来る」と。

シンジ君について

すでに書いたように、グノーシス主義は世界を悲しみながら世界に存在し続ける
ための目眩まし、一時の希望 (=LRS?) であると書いたわけですが、世界は悲しみに
満ちていながら同時に美しいものでもあるわけです。ヤーによる魂の牢獄であるにも
関わらず、この世界には人と人との触れ合い、感情、愛といったような
「ソフィア=光=魂」をも魅了する美しさがある。この「世界は悲しく、美しい」
という認識がなければグノーシス主義は - マニ教がそうであったように - 単純な
現世否定、終わりを待ち続けるという態度になってしまうわけです。世界は悲しみ
に満ちているにも関わらず美しい。

ところがエヴァの世界に置いてはあまりに大きな悲しみに対してごく僅かな美しさ
しか見いだすことができない。シンジが見いだした美しさと希望、安らぎの象徴で
あるところの綾波は喪われる。彼は世界を守るために戦わなくてはならなかった
のに、その世界は悲しみだけで出来ている。世界は悲しみだけで出来ているの
に、彼にはそれを十分に悲しむべき時間が与えられない。彼は「世界の方が
間違っている。ここは悲しいところだ。創造神(監督)が間違っているから」という
認識は決して与えられない。彼には何もできない。

エヴァ内での綾波レイについて

「あなたは何を望むの」

これはグノーシス主義者が待ち望んでいたような安らぎと平穏をもたらすような
形での救済ではないわけです。人として「自分」で選択しなくてはならない。
リリスであり、同時に「人と人との触れ合い」を知った綾波レイでもある存在
にとってはこれが彼女に出来る最善のこと?。



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