前の末説では 長くなるので省略しましたが、安さんは 前出の増田俊男と渡部昇一の本
を読んで、これまでよくまあ 大きなマチガイをしなかったものだと、改めて ヒヤリとする思い
がしています。これは自慢ではなく 専門外の事柄について、感覚的に違和感を感じたこと
を そのつど納得するまで調べてはタドタドしく処理してきたことが、自分が思っていたよりも
遥かに 筋の通った結果になっていたことに安堵している訳です。もう そう先は長くはない
と思うので、イキを抜かずに せいぜい最後まで無傷でガンバリりたいと思っています。
安さんが今 一番気になっていることは、こういうムズカシイ企業環境の中で 先が見えな
くなっている中堅企業の経営者に、何が生き残りに有効な提案か そしてそれをどう言えば
信じてもらえるかということです。安さん自身は 製造業の経営者には、「新鮮な付加価値を
造り続け 更新し続ける」こと以外に 道はないと考えているのですが、何せ 製造業などの
「実業」のウエイトは、毎日の世界の金融市場で動く200兆円の資金の内 5兆円に過ぎな
いのですから、少し 自信がグラついてきていたところでした。しかしもう 迷うのは止めまし
た。些論のver1.2でも触れているように どう考えても世の中は、製造業が造り出した付加価
値を 以降の流通・サービス等に配分し、それをネタに 投機のお金が動いているのです。
それは 安さんの信念でもありますが、渡部昇一の「ハイエクーマルクス主義を殺した哲
人(PHP研究所刊)」の第14章の次のような一節を見れば 嬉しくもなるというものです。
『豊かで立派な社会を築きあげることができる唯一のチャンスは、富の一般的な水準を改善
し続けていくことができるかどうかにかかっている。(中略)貧乏を解決するには富を全体に回
し、経済成長するより仕方がないとハイエクは考えました。これは戦後に限らずどんなときに
もいえることだと思いますが、近代において富を回すということは技術革新に投資するという
ことです。』
『経済成長の条件として、ハイエクは次のような項目を示しています。
第一に、大きく変化した環境に、全員が自分を素早く適応させる準備があること。
第二に、特定のグループが 慣れ親しんだ生活水準を維持させようという考慮(例えば 官
僚の天下りシステム)が、変化への適応を阻害するのを許さないこと。(中略)
第三に、持っているすべての資源を、すべての人々が豊かになるのに最も貢献する分野へ
投じること……市場に任せれば自然にそうなります……。』
クドイようですが ハイエクも渡部昇一も、戦争や大災害の場合の 緊急避難時まで集中支
配や計画経済を否定している訳ではありません。安さんはもうチョット甘くて 権力を行使する
側がその弊害を承知していて、平和時・平常時に 「元の 各自の判断を活かす状態(自由
市場的な運営)に戻す姿勢」を示していれば、集中化や計画化が多少オーバーでも 危険は
少ないという考え方です。実際のコンサルティングに適用して 職場の空気も悪くありません。
ただ 企業の場合には、コンサルティングを行った当時の 人間の組み合わせが維持され
ている限り、「指示(専門的な権限に基づいて 限定された事項の従うべき内容を示す)」と
「命令(法またはラインの権限に基づいて 絶対的に従わせる〜絶対的なので あまり細か
い方法を含むと、不可能な事態や 矛盾を起こす)」の使い分けや、「人が命令する」というよ
り 「仕事自体が要求する」というリーダーシップを 採用することで構成員の人格がが疎外
されることはないのですが、時間が長期に経過すると 権力の行使そのものが好きな人間
が出てきたりして問題が発生し、やはり 手入れが必要になります。
安さんの言いたいことは 「国と個人の関係でイケナイことは 企業と個人の関係でも(そ
れが直接に 収入や昇進に係わるだけに)避けるべきだ」ということです。それが 最近のよ
うな、迅速な判断処理が 企業の生き残りに影響する環境では、否応無しに 当事者も気付
かない内に「企業のために」という名目で、「国としては 企業の自由競争状態を造りながら、
個人は企業内部で 救いのない無競争の盲従が強いられる情況が起こる」訳です。あまり知
られていませんが、かの帝国陸軍ですら、「意図(上位の者が望むこと→可能な限り無条件
で遂行する)」と 「企図(上位の者が企てたこと→下位の者に意見があれば具申する)」の
使い分けを柔軟に行っていました。柔軟性こそが 個人と組織と生命なのです。
----------------------------------------------------(歯痒末説 ver14.1)-----