徒然草 3    

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「花織」 CD 川崎 絵都夫 邦楽作品集2 曲目解説

  1.花織 <1 風の章>東北地方のわらべ唄(6小節)による変奏曲。大地を、空を、海を渡る
              様々な風のイメージです。

      <2 哀の章>やや寂しげな雰囲気を持つ[A]と、哀歌のような[B]で、[A][B][A]の三部
             を形式をとっています。

      <3 舞の章>雅楽のような雰囲気も併せ持つ、いろいろな舞曲。三種類の舞とそれら
             をつなぐ部分からなります。

      <4 火の章>オスティナート的な激しい部分と旋律を唄う部分の対比で、躍動感を表
             現しています。
           (委嘱・演奏 邦楽合奏団 織座)    

  2.秋の舞 実りの秋を歓ぶ気分を舞に託して表現した、三曲合奏です。
       のどかな尺八のソロで始まり、ゆっくりな[A]、速い[B]、そして冒頭のメロディと[A]
       が重なり徐々に収まって行きます。
           (委嘱 新典音楽協会 出版 大日本家庭音楽会)
            筝 三上園東巳 尺八 穂積政美 三絃 田辺園由香

  3.蒼月譜 澄みきった秋の夜空に、蒼く冴えわたる月。
       その月を眺めながら心に去来する様々な想い。
       それらを尺八と筝の雅びな、またある時は激しい音色に託してみました。
       全体は3つの楽章から成っています。

       1.Lento〜Allegro 2.遅く悲しげに 3.Allegro

           (委嘱 大久保智子 岩田恭彦 出版 大日本家庭音楽会)
            筝 大久保智子 尺八 岩田恭彦

  4.春うらら 麗らかな春の様子を、朗々とした部分と速い部分の対比で表現しました。
        尺八によるテーマと3つの変奏、そしてふたたびテーマが登場して静かに消えて行き
        ます。

           (委嘱 新典音楽協会 出版 大日本家庭音楽会)
            筝 三上園東巳 尺八 穂積政美

  5.涼月譜 全体は3つの楽章から成ります。
       それぞれの情景に様々な想いを寄せる、という趣向で作曲しました。

       第一章 涼やかな月の下をそぞろ歩きながら交わす、対話。

       第二章 月を眺めながら、の安らいだ気分。(寝顔を見て子供達の成長を実感するよう

           な童謡風。)

       第三章 月明りの野や山に様々な想いが駆け巡る。

      (委嘱 熊沢栄利子 米澤浩 出版 大日本家庭音楽会…筝、十七絃、尺八の三重奏版)
                二十絃筝 熊沢栄利子 尺八 米澤浩 

ヒロキさんとの往復書簡(再び)
    
ヒロキさんより

その1……僕は、といえばあんまり釈然とこない気持ちのまま、新宿は初台の東京オペラシティのコンポージウム に参加してました。

僕は変なカンが強いので、ちょっと海外のことを調べると、サロネンに関していえばヨーロッパで彼が現代音楽以外は評価されていないなどと、いうことなどを簡単に調べられてしまったので、もっと暗くなってしまいました。確かに、僕自身があんまり評価してないジャンルにせよ、やはり人様と評価がマイナスで重なってしまうのは悲しすぎましたね。。そういうことが背後にある発言だったのでしょう。

それで、今年はベリオさんがきたので、彼の英語を一生懸命、ヒアリングしていたりしたのでふらふらになって、メールの確認しかできていない状態で、今日始めて、井桁先生および先生のHPを見られた、という次第です。なにぶん衝動的な投稿だったので、ちょっとレスを見ることにも、勝手ですみませんが、気後れがしていたのですが、皆さんから暖かいお返事を、しかもかなり以前にいただいていることがわかり、いそいでメールさせていただいてます。

コンポージウムの僕なりの感想は、後日談話室にて書いてみます。ただ、大学に入ったばかりの人が「僕は現代音楽が好きで、作曲もします。特には、ショスタコと黛さんの音楽が好きなのですが、周りには誰も現代の作曲家の知識を持つ人がいません、それは、周りが悪い、ということもあるが現代音楽自体が不健康な道に進んでいってしまったからではありませんか」などということを、大御所に面と向かって言ってのけたのです。

特に不健康、という表現には、おどろきました。ベリオの回答は「・・・現代音楽といえどもいろいろな差異を持っている、ひと括りで批判するのは、その差異を見つけられていないからで・・」という、回答が得られました。この質問そのものは、ショスタコや、黛さんが、いわゆる「現代音楽」といえるのか、というもんだいやそれ以上に、僕を暗澹とさせました、というのも、彼の現代音楽批判は、今世紀初頭から、もっといえばマーラーが批判されるときの語彙をそのまま引き継いでしまっている、ということです。

ただ、先生からいただいた暖かいレスでもアドルノ張りの社会の脅威や、問題が現代音楽そのものの存在意義を保証はできなくなりました。私たちの調性などへの美意識という感覚の拡張が、たとえばベリオの作品の一部でも素直に「美しい」と感じられてしまうところまでいっているのですよね。そうなると、われわれにとって何が一番必要なのでしょう。 なにがわれわれを守るのでしょう。

先生は「ドミソが必要だったら・・」という、松村氏(すごいですね!)という教えを軸に自分の心の底から、迷いを吹っ切っていけたのはすごいと思います。坂本龍一の曲は僕も大好きで、調性のすごく残っている曲もいいですし、無調的な曲も大変好きです。そしてそのどちらもがリリシズムなどを色濃く残しています。残している、というより、再獲得したのでしょうか。

生意気なことになりますが、われわれは歴史的に失ったものを、過去と同じ形では、繰り返せないのですね。その点で、彼はすごいと思われます。ベリオ氏もいっていましたが、音楽は取りたてて前衛とか実験を必要、としていた時代が終わったのだ。それで、今では素直に美しい曲を前とは違って追求してよいのだ、ということをおっしゃってました。

現代音楽の総「保守化」が進んでいる中、(これはこれで少々問題はあるような気がするのですが・・・)97年初演の、アテルナム?という曲などは、本当に感覚的に美しく、聞き入ってしまっていました。無論、ベリオ氏は50年代、ブーレーズがよくわからん第二ソナタなんかを作った直後も、歌つまり美しさが残った曲を書いていたようですけど。

現代音楽の総「保守化」について、たまたま会場に、音楽評論家の沼野さんがこられていたので、あつかましくも話し掛けたら、気さくに応じてくださって、どうしてだろうね、みたいに話し合えました。白石美雪さんともすこしですがお話ができて、後日恋の演奏会でロビーで、会釈などを向こうからしていただいたり大変うれしかったです。

それにしてもお忙しい中、わざわざ僕のためにメールまでしていただいて、本当にうれしかったです。かさねがさね、失礼をお詫びします。

PS、親とも話した結果、おそらく今は三年生なのですが、大学院で音楽学というものをやってみたいと思うようになりました。周りの人はひとまずそれがいい、みたいに祝福してくださいました。ビジョンはいろいろあるのですが。。。

その2……先生が劇とか映画の音楽についてのゼミをやられるようですが、先生は、「イヴォンヌの香り」という、パトリス・ルコントの映画をご存知でしょうか。あの音楽を担当した、パスカル・エスティーヴの作品はサントラでも持っていて、繰り返し聞いてます。サントラを繰り返して聞ける、というのは、かなりすごいことだと思うのですが。とにかく、半音階的な旋律がデカダンスを醸し出していて、僕はこの映画の内容共共にウットリしてしまいます。

パスカルさんはフランスでは知名度が低く、ほとんどの方が知らず、レコード店でも、このイヴォンヌだけだったので残念でした。とにかく、いわゆるキッチュなものまで堕落したロマンティシズムを、描きえていると思います。

いわゆるメロドラマ的な展開そのものなのですが、それを、20世紀に入っても、あるいは、商業的な世紀ゆえに、過去の恋愛がキッチュとしてよみがえったにしろ、表現しつづける、ということの矛盾や、退廃が、この音楽の映画音楽的な、大袈裟な旋律美や和声に一体化して潜む、不協和音や、半音階的な旋律によって表現されているように思います。

HORIE Hiroki

 川崎より

> 「・・・現代音楽といえどもいろいろな差異を持っている、ひと括りで批判するのは、その差異を見つけ>られていないからで・・」という、回答が 得られました。

実にその通りなんだけど、その差異がちょっと神経症的な所まで行く位(?)の非常に敏感というか、ピリピリした感覚を持たないと感じ取れなくなっているので一般的には厳しいかなぁ、と思います。

いきなり形而下的な方へ限りなく近づいて行くと、僕なんか日頃は放っておいても精神がめげたり、欝になる方なので、なんでわざわざ音楽を聴いてまでそういう気分にならなきゃならないんだぁ、と歳と共に思います。(軟弱と言われればその通りなんですが (^_^;)

同居の義母は、「腰椎圧迫骨折」から欝病を発病して、家の中はすごい事になっていたし(今はようやく入院しましたが)、子供の保育園の仲間の、母子家庭だった子のお母さんが「クモ膜下出血」で昨日急死して、子供は一人ぼっちになるは(姉夫婦が引き取るらしいのでホッとしましたが、それにしても…)等々。

特にこれからの日本の社会は高齢化、老人介護の問題も増えて行くでしょう。(僕も今回、義母の下の世話までしましたが、かなりショックも有り、そのあと仕事で必要な「トスカ」の「おお、優しい手よ」を聴いていて不覚にも落涙し、しかもその音楽に深く慰められました)…それと、

> それで、今では素直に美しい曲を前とは 違って追求してよいのだ、ということをおっしゃってました。

そういう音楽がやはり必要だ、という事を多くの人が感じる位、精神がめげる事が世界中に多い、という事なのかなぁ。

余り関係無いかもしれませんが、僕が商業演劇をやっていて、とても嬉しいのは、日頃家族の世話や、仕事等でくたびれ果てている年配の女性達が、一瞬でも泣き笑いしてさっぱりした顔で、又日常に戻っていく手伝いができる事です。

音楽にも、そういう実用的な側面というのが絶対有る、と今は思ってますが、でも明らかにそうじゃ無い音楽にまで、そういう事を求めざるをえない社会の(人々の)状況という事に思いが行く訳です。

> PS、親とも話した結果、おそらく今は三年生なのですが、大学院で音楽学というものをやってみたいと思うようになりました。

これは素晴しい事だと思います。やる気も能力も有る人がやりたい事をやれる、というのがそれほど「当り前」では無いと判ってきた僕からみると、本当に素晴しい事だと思います!これからが楽しみです!

またいろいろお話し(?)しましょう。

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