徒然草 17    
舞台音楽作法(初出「悲劇喜劇」2004年一月号)

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悲劇喜劇2004年一月号特集『舞台の上の音楽』より(第2稿を掲載します。実際はこの文章より短くしたものが載りました)

「舞台音楽作法」                  川崎絵都夫

 

大管弦楽にその才能を特に発揮した後期ロマン派の大作曲家、リヒャルト・シュトラウスは
「このテーブルの上のインク壷(だか、ペンだったか?)でもオーケストラで表現してみせる」
と豪語したそうですが、果たして或る音楽だけを聴いて「おー、脳裏にインク壷が浮かんで来る!」なんて事が有るとはとても思えない…

そこに、具体的には何も表わす事の出来ない音楽に「歌詞」や「物語」がくっつくことの意味が有るのではないか、と常々思っています。(いや、物語に音楽がくっつくんだったかしら??)
しかし歌詞ならば、限界は有るにしても物質や心情を言葉で特定できるのに対して、感情や心情、情景を音楽で表わす事は何度やっても難しさを感じます。

さて、一本の電話から(又は劇場のロビーで声をかけられてから)一つの舞台に作曲家として関わる日々が始まります。
まずは作曲を始める前に過ごす稽古場での時間があります。
台本だけではボンヤリとしか見えて来ないことや、意味さえも判らない部分(僕だけか?)が読み稽古、立ち稽古を通してハッキリと「見えて来る」(ような気がする)時間。

打ち合わせの時にまだ演出家の頭の中にしか無い、様々なプランを何とか伝えてもらいます。「ここはドヨヨーンとした音楽で」とか「夕暮れの家路に高らかに鳴るドボルザーク・チャイム風」とか「物理学者ケプラーが実現出来なかった『宇宙のシンフォニー』を代わりに作って!」等々の言葉を聞きながら果たしてそんな事が出来るんだろうか…と呆然とする時間。

稽古場で、スタッフ、キャストの皆さんの熱気からエネルギーをもらいながら五線紙に旋律の断片や、思い浮かんだ和音、時にはボヨーンとした丸印、斜めの矢印が何本か…等々の図や、「バリバリ」「グジャー」…等の言葉を書き込んで行く時間。

そんな時間を経ていよいよ作曲を始めます。譜面台の上に置いた台本を眺めながらピアノやシンセでスケッチを取ります。いつも思うのですが、この時すぐに台本がパタンと閉じてしまってとても置きにくいんですが、製本の方法は何とかなりませんかー?

そうしてピアノの場合は楽譜、シンセの場合はパソコンにデータとして立ち上がって来た曲の断片を元にして、サイズの調整や場面との整合性等を考えながら、一曲に仕上げて行きます。

 (僕が舞台の音楽を手掛けるようになった時には既にパソコンとシンセによる作曲が一般的になりつつ有りました。シンセ制作の場合は自宅の機材でいつまででも直しが出来てしまうので、初日が開いてもまだ直しの指示を受け、劇場にCD-Rを持ち込んで音響さんに迷惑をおかけしているのは私です、すみません)

そうして出来たデモCDを稽古場に持参し演出家のダメ出しを待つ時、また実際の芝居に合わせてみる時のドキドキな気分がこの仕事の第一のクライマックスでしょうか。

いろいろな楽器による録音が必要な場合は、O.K.の出た曲からオーケストレーションを始め、多くの場合1週間で20曲等というやや非人間的な(?)スコア書きに追われます。
文学座の「シンガー」「缶詰」など役者さんの歌が有る場合、音域の確認や作詞の微調整の打ち合わせなども入ってきます。
楽譜書き、シンセ+パソコンによる音楽制作に追われてなかなか稽古場に行けなくなってしまう事があります。稽古の進行状況を気にしつつ焦りながら送ったMDのダメ出しを待つこの時期が第二のクライマックス…

スタジオでの生楽器録音の時には、演奏を聴いた演出家からその場でのダメ出しもありますから、時間やスタジオ代を気にしながら、直しや繰り返しの指示を出していくこともしばしばです。そう、第三のクライマックスですね!
録音の時に曲を聴いて「そう来るか!それならこうしよう」と新たな演出プランが思い浮かぶ方もいらっしゃるようで、その場での注文も増えようというものです。

そして第四のクライマックス、初日へ!

しかし思うのは演出家の方々の音楽に対する異常な、いや非常に鋭いこだわり方がとても面白い、ということです。ほんの一例を思いだすままに挙げてみます…
文化座「なじょすっぺ」のマーラーのシンフォニーで美容体操をする発想。

メジャーリーグ「女たちの十二夜」でのゲートの開閉時間に音楽を合わせるために「2秒延ばして!」(映画みたい)。

新国立劇場開場公演「リア王」の時には、サヌカイトという世界中でも讃岐地方にしか産出しない非常に澄んだ音のする特殊な石を舞台袖に置いて、何かある度に役者さんがそれを叩いて音を出すという試みもありました。

 …が、とても脆い石で叩くと少しずつ欠けていくことが判明し「これでは高いレンタル料を払って借りて来たサヌカイトが楽日には消滅してしまう」という制作サイドからのもっともな忠告に断念せざるを得ませんでした。

当時の銀座セゾン劇場の「セチュアンの善人」の時には稽古場にキーボードを持ち込み、稽古に合わせてその場で即興的に作曲したこともありました。

これは、ルーマニアの演出家が本国では本番通りのセットを組んだ劇場で稽古をしていたために用いた方法でした。けれども日本ではそのような条件の元で稽古が行えることはまれなので、劇場に入ってから動きに合わせた曲の長さの変更が有り直しが大変でした。

ドラエもんで「雰囲気盛り上げ楽団」という3人組の小人楽団が出て来て、日常生活のあらゆる場面でBGMを演奏している話しが有りました。お母さんに怒られて泣いていると悲しい音楽。友達とけんかしていると勇壮な音楽等々。けれどもしまいには「鬱陶しい!」と消されてしまいましたっけ…(泣)

舞台上だとそんな「鬱陶しい」BGMがとてつもなく効果的なことが有るのは何故なのか?答えなんて出ないし、簡単に答えが出ないからやり続けている、とも言えそうです。

 

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