徒然草 14その2    
坂本弁護士一家追悼CD「三つの薔薇によせて」 解説その2

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曲について

全12曲からなるおおきなCDとなりました。収録されている曲はそれぞれこれ迄各地で行われてきたコンサートの中で奏でられてきたものです。構成と曲への思いを書いてみました。

 

微笑む三つのバラによせて:川崎絵都夫(1959〜)

 ヴァイオリン、フルート、アルトサクソフォーン、ピアノという珍しい楽器編成となっています。追悼曲「愛と哀しみのソナタ」を発表してから7年を迎えます。追悼コンサートを重ねる中で、熱くて大きな人と人とのつながりが出来てきました。そして、「いつまでも悲しんでばかりではいられない。あの世とこの世で共に生きているんだ」そんな思いが生まれてきました。坂本さんたちも、同じことを考えているかもしれない。「悲しみばかりではない曲を作って下さい」と、川崎さんにお願いしました。サクソフォーンを入れていただいたのは、中川さんが奏でた「すみれ」の音色があまりにも優しかったからです。


乙女の祈り:バダジェフスカ(1838〜1861)

 ポーランドに生まれた女流ピアニストでわずか24歳で没している。34曲作品の中で弾き継がれているのは19歳時に作ったこの1曲だけ。都子さん19歳時の詩「赤い毛糸」も乙女の祈りでした。この詩が後世に伝えられる事を願っています。


精霊の踊り:グルック(1714〜1787)

 歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」はギリシヤ神話のオルフェイスが亡き妻を冥界にたずねる物語り。その中で奏でられるフルートの名曲。私がかかわった初めての追悼コンサートの中で都子さんの形見のフルートでこの曲を吹いた大平記子さんは当時芸大生でした。ステージに出て来た彼女を見て都子さんを知る人はみな「都子さんだ!」と、母である大山やいさんは「7年フルートの勉強に出て今帰ってきて吹いてくれている」と思ったのでした。終演後二人は実の母娘のように抱き合って泣いていたのです。


七つの子:本居長世(1885〜1945)作曲 林光(1931〜)編曲

 野口雨情の詩で知られる日本の童謡歌曲。かわいいかわいいと…まーるい目をしたいい子だよ、きっと都子さんは口ずさんでいたのでしょう。


ハンガリア田園幻想曲:ドップラー(1821〜1883)

 作者はハンガリーやウィーンで活躍したフルーティスト兼指揮者。フルートの大曲です。中学からフルートを学び吹奏楽、市民オーケストラでも活躍した都子さん、きっとこんな曲をと思っていたでしょう。三人のそれぞれの慰霊地のふもとは田園風景がひろがります。その地を訪れると広くて大きな心を持った都子さんの思いが大地を吹きわたるようにこの調べと共に伝わってくるかのようです。


すみれ:瀬越憲(1947〜)作曲 松野迅(1960〜)補作・改訂

 瀬越憲は元群馬交響楽団の主席チェロ奏者、松野迅はソリストとして活躍中のヴァイオリン奏者。瀬越が22歳の時にウィーン留学中に故郷を思って作曲した。元々はチェロの為に書かれて眠っていた楽譜を松野が見て感激し、ヴァイオリン曲として世に出した。

 堤さん、都子さんの発見された地は大町の龍彦くんの所よりもはるかに深く夏でも雪が残る山地です。息を呑む思いで初めてそこに立ちました。雪がとけたら一面すみれが咲いてほしいと願わずにいられませんでした。松野と親しい中川の愛奏曲である。


オブリビオン(忘却):ピアソラ(1921〜1992)

 「一人の音楽家はいろいろな音楽家の息子、いろんな人から吸収して大きくなるんだ」アルゼンチンタンゴのバンドネオン奏者であったピアソラは、保守的なタンゴ界にあきたらず革新的な作品を次々と生んだ。仲々世に出なかったものの、チェロの巨匠であるロストロボービッチからの委嘱を受けてからクラシック界でもその名が知られるようになった。オブリビオンは旅先で父の死の知らせを受けて書いた曲といわれる。中川はメモリアルコンサート、慰霊地巡礼音楽の旅でこの曲をよく奏でている。ソプラノサクソフォーン使用。


ニグン(祈り)母の思い出:ブロッホ(1880〜1959)

 組曲バール・シエムの第二曲。バール・シエムはユダヤ教の一派であるシャンディ教を興した神秘主義者。その人たちの祈りの姿を書いたといわれている。作者はこの曲に“母の思い出”と書き添えている。母の思いを胸に母より先にこの世に別れを告げた堤さん、都子さんの思いが松本の渾身の演奏によって迫ってくる。


アベマリア:シューベルト(1797〜1828)

 600の歌曲の中でもっとも知られている。少女エレンが湖畔の岩上のマリア様に祈る歌。ふっくらとした都子さんの笑顔は聖母のよう。都子さんに贈るヴァイオリン曲。


ユーモレスク:ドヴォルザーク(1841〜1904)

 ドヴォルザークは晩年、自然につつまれた故国でのくつろぎの中で心ゆくまで音楽づくりを楽しんだ。元はピアノ曲であるが、名ヴァイオリニストのクライスラーが愛奏した事からヴァイオリン曲として知られるようになった。松本は澄んだ青空に吸い込まれるように飛んでいく色とりどりの風船に幼ない頃の夢や希望を託したという。龍彦くんの夢や願いが天上の世でかなうようにと思っていつもこの曲を龍彦くんに贈っている。


タイスの瞑想曲-歌劇「タイス」より- :マスネー(1742〜1812)

 娼婦タイスを正しい道に導こうとしながら苦悩する修道士の心の葛藤を描いた物語の中で奏でられるヴァイオリンの調べ。

 堤さんの名の由来は、日本字での提琴(ヴァイオリン)。当時人名漢字になく仕方なく堤となった。父は小さい頃からヴァイオリンを学ばせ楽士にしたかったとの事。中学迄先生について本格的に学んだ。堤さんが母のおなかの中にいた頃から父の弾くこの曲を聴いていたという。堤さんが一番大好きだった曲。


坂本弁護士一家追悼曲「愛と哀しみのソナタ」:川崎絵都夫(1959〜)

 親友である今野強、松本克巳の両氏から96年春にヴァイオリン・フルート・ピアノによる追悼曲の委嘱をいただきました。

 しかし、事件のあまりの重さ、怒りと哀しみで胸がいっぱいになり、曲づくりが進みません。ある時、二人の形見の楽器に会わせてもらいました。そしてそれを奏でてみました。その楽器から力をもらったのでした。

 祈る思いを第一楽章に。鍵盤にむかって憤怒の思いを叩きつけた第二楽章は曲間に子守唄が入りました。
静寂の中に眠る三人の安らかな影を見つめた第三楽章迄その時に書きました。
7回忌を前にした11月、堤さん都子さんの御両親の見守る中初演されました。
そして3年の間をおいて、終楽章の<伝言>を書きました。都子さんのふるさとの茨城県ひたちなか市で初演されました。

私たちの心の中に生きる三人の姿や思いを<伝言>に込めました。

 万感をこめて…。

(1〜11:今野 強, 12:川崎 絵都夫)

 
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