北海道の表玄関の町と言えば、今では千歳を思い浮かべる人のほうが多いかもしれない。確かに例えば羽田−千歳間数は電車のダイヤ並みの本数が運行されている。いや、千歳に限らず、北海道各地へ飛ぶ直行便が増えた今では、この「表玄関」という発想自体が古いものなのかも知れない。
だが「かつて」確かに北海道の表玄関の町として位置付けられ、北海道への旅の基点となった町と言えば、やはり函館ということになるのではないだろうか。
かつては本州以西と北海道を結ぶ重要交通路として、青函連絡船が運航されていた。名前のとおり、青森港を出た連絡船は4時間弱の時間を掛けて津軽海峡を横断し、函館港に到着する。ある意味ドラマチックに北海道へ上陸となるわけで、なるほどまさに「表玄関」という気がするのではないだろうか。
この青函連絡船は2度ほど乗船したことがある。そのときのことを思い出すと、旅の始まりに対して感じた興奮のようなものが蘇ってくる。
余談だが、その後青函トンネルが開通してからも、このトンネルを通って数回の北海道上陸を果たしているが、その時ほどの興奮は感じなかった。
この函館と言う町は、わたしにとっては縁の深い町だ(どういう風に縁が深いのか、そして今回、函館を訪れたきっかけが何だったのかについては、「旅その26 江差編」をご覧ください)。
ところが不思議なことに、あまり観光らしい観光はしていない。確かにほとんどの観光名所は、2,3回は訪れている。そのため逆に「どこへ行きたい」「何々を見たい」ということが最近ではなくなってしまったのだ。ここ数年は函館に寄っても市場で買い物をするくらいで、そのまま空港へ、あるいは他の目的地へ一直線というパターンばかりだった。
だが今回は、じっくりのんびり函館に滞在して、観光名所をおさらいしてみようかという気分になっていたのだ。
というわけで、函館駅に到着したところからこの旅日記は始まる。
函館駅は中央部が三角屋根の、ちょっぴりレトロな感じのする駅舎だ。何の特徴もない無機質で個性のない駅舎よりも、あるいは観光用に正面だけを古く見せている駅舎よりも、ずっと魅力がある。
この駅を出て右側に向かうと朝市で有名な市場がある。ただし、時間はすでに昼を過ぎている。朝市が賑わうのは午前中の早い時間帯なので、今から覗いてもそれほど面白くはない。
だが、「朝市の食堂で昼飯にしよう」と思っていたので、市場に向かうつもりでいる。その前にまずは荷物を置いて身軽になるために、駅から程近いホテルのチェックインを先に済ませることにした。
札幌で予約したホテルだが、部屋のスペースは札幌で泊まっていたホテルの半分くらいのスペースしかない。駅から近いのだけが取柄と言えば取柄。ほんの少しだけ「どうせ泊まるなら、湯の川温泉にでも宿を取ればよかったかな?」とも思ったが、今回は「眠れるだけでよい」と思って取ったホテルなので、割り切ることにした。湯の川温泉は、函館の郊外、函館空港へ向かう途中にある比較的大きな温泉街だ。
チェックインを済ませ、朝市の食堂へ。有名どころは何軒か知っているが、時間から言ってすでに締まっている可能性が高い。だから適当なところに入ろうと、間口の小さな食堂が軒を連ねている路地の一軒に入った。この路地の食堂は、半分(半分以上かな?)は観光客向け。だからどこも似たり寄ったりのメニューで、料金もまた同じく似たり寄ったりなのだ。
さっそく三色丼(色々な具材の組合せがあるが、私が頼んだのは「ウニ」「カニ」「イクラ」が具として丼のご飯にのったものだった)を注文し、それが出されるまでの間、ビールを飲んで過ごす。
丼が出てきたところで、もう1本ビールが飲みたいと思ったが、これ以上飲むと、これからあちこちを歩くのが嫌になりそうなので止めておいた。それでなくとも風邪気味なのだ。いや風邪気味というよりも風邪だな、こりゃ・・・体がだるく、咳がとまらない。大人しく寝ていりゃいいのに(^^;
食事を終えてからは駅まで一旦戻った。駅舎の並びに観光案内所があるのだ。ここで観光地図と函館市営交通の一日乗車券を購入した。この一日乗車券はちょっぴり変わっていて、いわゆる紙で出来た乗車券ではない。イカを形取ったキーホルダー型で、これを運転手さんに見せてバスや市電を乗り降りするのだ。ささやかだが面白いアイディアだという気がする。
さて、駅前からは市電に乗って函館山方面へ向かう。「十字街」という電停で一旦下車し、「谷地頭」方面行きに乗り換える。・・・とまあ、簡単に書いているが、乗りなれない乗り物はそれなりに緊張感を伴うもので、さきほど観光案内所でもらった観光地図がなければ、これほどスムーズに乗換えなんかできない(少なくともわたしは)。
今向かっているのは立待岬。
この岬は飛びぬけて展望に優れているとか、他では目に出来ない奇岩奇勝の地と言うわけではないが、なぜか「ロマン漂う岬」ということで人気があるらしい。これはこの近くに与謝野鉄幹、晶子夫婦の歌碑があったり、石川啄木一族の墓があるためかも知れない。啄木の墓石には、あの有名な「東海の、小島の磯の白砂に、われ泣きぬれて蟹とたわむる」という有名な歌が刻まれているらしいが、正直、あんまり興味がないのだよなぁ(期待された方がいらっしゃったらごめんなさい)。
立待岬からは、津軽海峡の向こうの本州を見たかったことと、だいぶ陽が傾いてきたので、ついでに岬からの夕景を写真に収めたいと思っていたのだ。
というわけで、終点の谷地頭まで市電に乗り、そこからは徒歩で向かうつもりでいる。
谷地頭からは住宅街を抜けて行くのだが、ここでゴミを捨てに出てきたおばさん(正確にはおばあさんかな?)に遭遇。
「お兄さん、どちらへ行くの?」歩いて行く方向を見れば、聞くまでもないと思うのだが、そこは「旅には笑顔」を信条としているわたしだから(笑)、丁寧に答える。そうするとそのおばさん、立待岬までの道順を丁寧に教えてくれる。なんて親切な人なんだ・・・と思ったのは最初の5分だけ。その後は終わらないおばさんのお話に、少々困り果ててしまう。「旅には笑顔」を信条にするのは止めてしまおうか・・・。
おばさん(ちなみにHさんとおっしゃる。なんと短時間ですでに、名前から出身地、家族構成まで聞かされていたのだ)のご祖父(ひい祖父さんだっけ?)は函館で初めて寺子屋(学校だったっけ?)を開いた方だそうで、話としてなかなか面白い。実はもっとゆっくり聞いていたいという気持ちもある。しかしすでに話し始めて15分が経過している。このまま話を聞きつづけていると、立待岬にたどり着く前に、日が暮れてしまうかもしれない(と、本気で思った)。
「話の腰を折るのもな」と、途切れることのないマシンガントークの弾交換のタイミングを探っていると、岬の方から観光客と思える女性二人組みが見えた。ところが、手前で針路変更して、横の道へ入ってしまった。
「あらら、さっきあの娘たちにも道教えてあげたのよ。教えたとおりに歩かないで、あんな方にいっちゃった。教え方が悪かったのかしらねぇ」
いや、きっと違うと思うよ、おばさん。たぶん、おばさんの姿が見えたから、あそこで曲がってしまったのだと思う・・・。
でも、それがきっかけとなった。私も「それじゃ、どうも!」と挨拶をして、その場を離れることが出来たのだから。
70歳を目前にして、未だ「関東から北海道までバイクでツーリングしている」というおばさんに見送られて、立待岬への道を急ぐことにする。
さて立待岬。
なんだかお腹の調子が悪く、あんまり長居をしようという気分にはなれない。夕暮れ時ということもあってか、観光客は途中ですれ違った数組だけで、他には誰もいない。
遠くに本州が見える。だがそれすらも特別な感慨は沸かない。
それよりも寒風に打たれていたら、ますますお腹の調子が悪くなってきた。こりゃいかん・・・そう思って、途中にあった観光地にしてはなかなか綺麗な公衆トイレに駆け込んだ。
「ふぅ」とため息を付いて、トイレットペーパーを探すと・・・何?ない!紙がない!!・・・一難去ってまた一難だが、この後の話はご想像にお任せする。
再び市電に乗って、今度は五稜郭へ向かう。あの戊辰戦争で榎本武揚率いる旧幕軍が立ち篭った五稜郭だ。お腹の調子が回復したら、多少元気も回復してきた。
五稜郭までは函館駅を越えて反対側になるが、まだ日が沈むまでには時間がある。
今日一日の仕上げは、函館山からの夜景と思っていたので、なんだか行ったり来たりという感じだが、この効率の悪い旅スタイルこそ、私らしい旅なのだと思うことにする。それにせっかく買った一日乗車券なのだ。たくさん乗らねば、元が取れない(やっぱり私は貧乏性なのだ)。
日没直前の五稜郭を歩く。正直五稜郭は、その中を歩くだけでは城跡というよりも綺麗に整備された公園を歩いているような感じで、それほど面白いものではない。そもそも「薄暗い公園を歩く」という行為自体が、あまり気持ちの良いものではない。
五稜郭の特徴は外郭が5つの突角をもつ星形の城郭ということなのだが、この五稜郭らしさを感じるには高いところから全体を見渡すのが一番だ。
手っ取り早いのは、隣接している五稜郭タワーから眺めることだが、日が暮れてから見ても面白くないだろうと思った途端に、急に面倒になってしまった。結局30分ほど内部をウロウロした末、再び市電に乗って今日一日のハイライト函館山へ向かうことにした。函館山の夜景を最後に見たのは子供の頃なので、これはなかなか楽しみではある。
函館山へはロープウェイで上がるのだが、さすがは函館観光のメインだけあって、ロープウェイ待ちの人の数は多い。団体客もあってかなり賑やかだ。
私も行列に加わって、ロープウェイに乗車する順番を大人しく待つ。いつもなら「行列に並ぶなんて面倒だ」などと思うのだが、すでに夜景に気持ちが行っているためか、それも気にならない。むしろその道程が困難であればあるほど、その先に待ち構えているものは素晴らしい・・・そんな気分でいる(たかがロープウェイを待つことが「困難な道程」であるかは異論があろうが)。
函館山からの夜景は文句なく素晴らしい。これは断言してしまう。
確かに札幌の藻岩山のような宝石箱をひっくり返したような派手さはないかも知れない。だが津軽海峡に突き出し広がった地形が「鼓型の光の絵」を作り、これは他では見られない素晴らしい個性だと思うのだ。そもそも地形的な要素が絡む以上、真似をしたくたって他では真似できない。
かなり寒い。風も強い。でも飽きない。いつまでも見ていたい。
他の観光客の歓声を聞くたびに「そうだろ、そうだろ」と、なんだか地元民のように自慢げに頷いている自分気が付き、笑いたくなってしまった。
それにしても今回持っているカメラが性能の低いデジカメだけなのが悔やまれる。この夜景を記録に留めようと思っても、きっとまともに写るはずもなく(スローシャッターが切れない)、確かにカメラの液晶画面で見る限りでは、いくつかの光点がチラホラ写っているだけの写真だった。
結局場所を少しづつ変えながら、1時間ほども飽きずに眺めていただろうか。十分満足したところで、ホテルに戻ることにした。
さてこの夜から翌日に掛けての出来事は、「旅その26 江差編」で書いたので、江差から再び函館に戻ってきたところから、この旅日記を再開する。
昨日、今日と寒空の下をあるいていたせいだろうか、いつもだと「どこで何を食べよう」と楽しみな旅先の夕食も、今日は歩き回って探す気分にはなれない。ホテル内に寿司屋があったので、そこで手軽に済ませてしまおうかとも思ったのだが、それではあまりにも・・・と思い、一旦外に出た。そこで、ふと「谷地頭の市営温泉施設」のことを思い出した。温泉は先に書いた湯の川だけでなく、函館山の麓にもあるのだ。
温泉と言えば、函館山の反対側にもかつて温泉があった。正確には浴用のためには加熱が必要な鉱泉であったらしいが。しかしこの温泉の存在は、炊事、洗濯など冬の厳しい生活のためには、何よりも有り難い存在であった。
その温泉があった集落は、富山から移住した人たちが築いたのだそうだが、金鉱などもあって、一時期比較的多くの人が生活していたらしい。だが様々な理由からやがて集落は閉じられた。その理由の一つは、「洞爺丸台風」と呼ばれる1954年の台風のためであったらしい。今ではそこへ至る唯一つの道も、海に掛かっていた釣り橋が落ちて寸断されたままになっているらしいので、普通の手段で行くことは出来ない(かなり危険な場所らしいので行ってみようなどと思わないように)。
なにはともあれ、冷え切った体には温泉。素晴らしい思いつきのような気がして、さっそくホテルのタオルをデイパックに入れて、谷地頭温泉へ向かうことにした。
谷地頭の温泉は立派だった。かなり大きな浴槽とのんびりと休める絨毯敷きのフロアもあり、くつろぐには最高の環境だ。にも関わらず、料金は\360(1999年現在)。銭湯並の値段だ。さすがは市営の施設だけはある。
お年寄りだけでなく、若い人や家族で来ている人もいる。さすがに観光客風の人はいないのだが、同じ町で2日も過ごせば、私も立派な地元民という気分。
残念ながら石鹸、シャンプーの類は、持参することが原則のようで、それらまでは気が廻らなかった私は湯に浸かるだけになってしまったが、体の芯までポカポカになって外に出た。
冬の北海道だというのに、まったく寒さを感じない。
勢いが着いた私はホテルの近くまで戻り、「よぉ〜し飲むぞぉ〜!」とばかり、寿司屋に突入したのだった。
翌日。帰京するのは夜の便なので、時間はタップリとある。
とりあえず駅のコインロッカーに荷物を預け、身軽になったところで、朝市を覗くことにする。
土産にカニなどを買って宅配の手配を済ませた後、あてもなく港をブラブラすることにした。
函館の観光ガイドブックを開くと、たいていの本で紹介されているのが、金森倉庫付近を中心としたベイエリアだ。古いレンガ造りの倉庫を改装して、ビアホールや喫茶、みやげ物屋などになっている。お土産を探すには便利だが、ここで一日を過ごす気分にはなれない。そのまま通り過ぎ、建設中と思われる人工島まで歩いた。
今は何もないので、別に面白いところではない。ただ反対側からベイエリアを眺められるので、その景色はちょっと新鮮な感じがする。
今度は、函館山のロープウェイ方面へ向かう。なんだか昨日の温泉効果だろうか、歩くことが楽しい。風邪も抜けてしまったような気がする。
それにしても、今日の空は青い。
冬の北海道とは思えないような、光が溢れている。
夜は函館山からの夜景がキラキラ光り、昼は昼で陽の光がキラキラとしている。
北海道の冬と言えば、どんよりとした空。いつ雪が舞ってもおかしくない、か細い陽の光・・・そんな印象を持っているのだが、函館はどうも違うようだ。
「函館は光の町だね」
ちょっと風流に、そんなことを思いながら歩き続ける。
これもガイドブックなどではお馴染みの外人墓地やハリストス正教会の横を抜け、函館山ロープウェイへ。
一昨日夜景を見たばかりだというのに、今度は昼の函館山の展望を楽しもうと、こうしてロープウェイ乗り場へまたやって来た。
平日のしかも昼ともなるとロープウェイ待ちの観光客はいない。乗り込んだとき、客は私一人だけだった。それでもキチンとガイドの女性が付いてくれる。正確にはガイドするために乗り込んでいるわけではないようだが。
なかなか美しい女性で、何か一言気の利いたことでも言おうかと思っていると、向こうから話し掛けてくれた。「お客様は観光でいらっしゃったのですか?」
きっかけを作ってもらえれば話しやすい。すぐに出張帰りなこと。母の実家が森町で函館には馴染みがあって、お気に入りの町であること・・・等々、今回の旅の間もう何度も繰り返している話をすると、「あらっ、私は森高校の卒業なんですよ」と親近感を感じてくれたようだ。共通項があると世間話も弾む。
結局互いに「函館は素敵な町だ」という結論に達したところで、ロープウェイは山頂駅に到着してしまった。う〜ん、ちょっともったいない。下りもこのまま乗ってしまおうか(笑)
でもロープウェイから降りるときには、最初のビジネスライクな口調に戻っていたのが残念だったなぁ・・・。あちらは仕事で乗っているのだから当たり前なのだけど。
山頂駅に併設されているみやげ物コーナーを覗き、展望レストランでビールを飲みながら時間を過ごす。なんだか結局ビールなんだよな、最初はお茶でも飲もうと思ったのに(^^;
「それにしてもいいなぁ、ここは」。昼もまた、違った魅力がある。
海が見える山というのは好きなんだよなぁ。北海道だけというわけではないが、海が見えるスキー場も好きだ(それで、一時期毎年のように函館近くの七飯スキー場に通っていたことがある)。ピーカンの日にスキー場から見る海を見ながら、ビールを飲むのは最高・・・あっ、またビールだ(笑)。
ロープウェイを降りてからは、一旦駅まで戻って荷物をロッカーから取り出す。再び市電に揺られる。まだ空港へ向かうには早い時間なのだが、トラピスチヌ修道院に寄ってから空港へ向かおうと考えたのだ。
トラピスチヌ修道院は、函館郊外の小高いところにある女性の修道院だ。ちなみにバター飴などでお馴染みの男性のトラピスト修道院は函館から西へ30kmほどの上磯町にある。
トラピスチヌ修道院を訪れたのは、これで4回目だろうか。信仰心のない私だが、修道院を含めた付近の景色は「いいなぁ」と思う。日本離れしている風景と言うわけではないし、格別北海道らしい風景と言うわけでもない。でもなぜかのんびり静かな気持ちになれる気がする。
修道院へ続く階段を登ると、遠くに函館市外、そして函館山が見える。函館山から函館市街地を望むのとはまた違った印象だ。
修道院付近を散策する。
さすがに郊外にでると、雪は多い。雪の中で戯れるのが楽しい。いい年した大人が一人でねぇ・・・
雪面が今日の日差しをキラキラと反射している。
まさしく函館は光の町・・・。
青函連絡船が廃止されるときに「これで函館も寂れてしまうのでは?」と心配した人たちがいた。実際のところはどうだったのだろう。それほど大きな影響はなかったのではないだろうか、なんとなくそんな気がしていた。
連絡線が廃止されたのは、1988年。すでに10年以上の月日が流れている。
その間も変わらず函館は、いつも明るい表玄関の町であったような気がしていたのだ。
もちろん、これは私個人が抱くイメージに過ぎないのだが・・・。
予約している飛行機の便まではまだ時間に余裕があったが、気持ちが良い、今の気分のまま、この町を立とうと思った。
走ってきたタクシーに手を上げる。
「空港まで」「お客さんは観光ですよね?どうでした、函館は・・・」
そう問う、運転手さんの声も確かに明るい。
「さぁ〜て、空港でまたビールだ・・・」
そう思う、私の気持ちもまた明るい。