札幌への出張も、ようやく昨日で終わり。一月のはじめから始まったこの長期滞在も、今は記念すべき50回目の雪祭りを迎える時期となっていた。
ここ数年、1〜2ヶ月の期間での札幌滞在を繰り返し、その間には様々な札幌の祭りを見る機会もあったのだが、なぜかこの雪祭りだけは縁が無かった。
雪祭りを見るのは初めてではない。プロフィールにも書いたように、私は札幌の生まれなので、子供の頃両親に連れられて見に行った記憶もあるし、雪像をバックに幼い(ついでにまだ穢れていない)自身が移っている写真も残っている(歴史を感じるモノクロの写真だけど)。ただ子供の頃見た記憶の風景と今現在見ている風景は、あまりにも大きく異なるような気がしていた。
そこで、「雪像、子供の頃見た時より小さくなったような気がするんですけど。気のせいですか?」
と地元の方に尋ねてみた。すると「山田さん、それは山田さんが大きくなったんですよぉ」。
なるほど確かにそうかも知れない。子供の視線でモノを見ると、見える範囲も風景もまったく違って見える。おまけに20年以上も前の記憶なのだ。
と言うことは、「以前は雪像のライトアップがモノトーンに近かった」という記憶も、あんまり信用ならない。今見ている巨大雪像はカラフルにライトアップされていてそんな感想を持ったのだが、確かに私の記憶に一番影響を与えているのは、先にも書いた幼い頃のモノクロ写真なのだ。
ともあれ、せっかく雪祭りを見ることが出来たのだ。この機会を目一杯楽しまなくては勿体ない。 生来の貧乏性がモクモクと沸き上がり、ホテルの荷物をまとめるのも後回し(予定より2日ほど早く仕事が終わったので、その2日間は札幌で過ごそうと思っていたのだ)に、雪祭りで賑わう大通公園に繰り出した。
雪祭りも終盤に入ると雪像も少々薄汚れた感じになる。気温と天候次第で雪像の形も変わり、毎晩深夜の補修作業という努力もむなしく、薄汚れてアラが目立ってくるのだ。
それでもこれが夜だと、「闇」という格好の応援があるおかげで小さなアラは見えないし、カクテルのような光線のおかげでそんな些細なことは気にならなくなる。しかしこれが昼だと、そう言うわけにも行かない。夜とのギャップが大きいだけに、少々興醒めをした気分にもなる。
結局雪祭り会場を歩き回りながら「もういいかぁ」とあっさり割り切り、札幌駅に向かうことにした。歩きながらふと、「グレーがかった雪景色よりも真っ白な雪景色を見に行こう」と思い立ったのだ。それならば、出来るだけ自然の中が良いだろうと考えた。人家が辺りに少なく、一面の雪原を見るならば、手っ取り早いのは湿原や牧場のようなところへ足を運ぶことだろう。
札幌から比較的近く交通の便が良いところは・・・そう考えて思いついた場所は、苫小牧近くのウトナイ湖だった。ここはラムサール条約という湿原保護条約の登録湿地で、野鳥の楽園でもある。いつも新千歳空港に向かう飛行機の窓からウトナイ湖周辺の景色を見ていて、「なかなか良いなぁ」と気になっていた場所でもあったのだ。しかも今まですぐ近くを何度か通り過ぎたことはあるはずだけど(すぐ近くを国道36号線が通っている。この国道は幹線国道で、道内でも特に交通量が多い国道だ)、一度も見た記憶はない。
そう考えた私は札幌駅でJR北海道発行の「一日散歩キップ」を買い、ウトナイ湖に向かうことにした。
本屋で地図を立ち読みした限りでは、ウトナイ湖の最寄り駅は「植苗」と「沼ノ端」の二つだ。だが縮尺が20万分の1の地図なので、車なら問題ないが、歩いた場合にどちらの駅が近いのかは、正確なところは解らない。だが「沼ノ端」の駅の方は苫小牧の隣と言うこともあり、町も大きいような気がするし、名前から言っても「沼ノ端」の方がウトナイ湖に近いような気がする。
列車の中で少々迷ったのだが、「どうせ思いつきで出掛けてきたのだから、下車駅を決めるのも気分で良いだろう」。そう思って結局手前の植苗の駅で下車することにした。
植苗の駅は無人駅で、駅前には一軒の雑貨屋があるだけだった。しかも閉まっている。
見渡すと、辺りは白く降り積もった雪景色。
「こんなんでもOKだよな」。そんなことを思う。わざわざウトナイ湖までの片道4Km(ぐらい?なにせ、20万分の1の地図を指で測っただけなのだ)の道のりを頑張って歩かなくとも、白い雪景色だけだったらこれで十分と言う気もするのだ。
だがせっかくここまで来たのだ。ウトナイ湖までは歩いて行こう・・・そう思い直して、湖の方角と思える道を歩き始めた。
天気は良いが気温はかなり低い。だから歩いている人なんて一人もいない。そのためか、歩道の雪は積もっていて歩きにくい。一歩一歩雪に足を埋めて歩くような感じになってしまうのだ。
これではすぐに疲れてしまいそうなので、きちんと除雪されていた車道を歩くことにした。交通量はそれほどでもないので、迷惑を掛けることにもならないだろう。ただやたらと滑りやすいので、これはこれで歩きにくいのだが・・・。
しばらく歩いたところで道は大きく右にカーブしていた。一方、明らかに「地図に載っていたのとは違う道」がまっすぐに延びていた。十分な除雪はされていないようだが、大型車の通った跡も残っていて、この道の奥には何らかの施設があるように思える。
そう考え、思い切ってその道を歩いてみることにした。右に曲がると言うことは湖から遠のくような気がするし、いくつかの足跡が残されていることも励みになる。何より面白みのない車道を歩くより、林の中を歩く方が格段に気分が良い。それになんとなく私の勘が「ウトナイ湖への近道だよぉ」とささやいているのだ。
気分良く林の中の道を歩く。雪原は目に出来ないが、気分は最高。周りに誰も人がいないので、鼻歌まで飛び出してくる。
だがそんな気分も10分ほどのことだった。この道は・・・行き止まりだったのだ。
確かに廃棄物の集積所のようなところまで道は続いていたし、もうすぐそこにウトナイ湖が見えるような感じはする。だがその先に道は続いていなかったのだ。湖の真ん中を横断するような装備も気力もない私は、すごすごと来た道を引き返す羽目になった。私の勘もまったくアテにならない。
だが気分はすぐに元に戻っている。元々が気分次第で出掛けてきたわけで、とりあえずウトナイ湖を目的地にしてはいるが、こだわってはいない。白い雪原を見ることと同じくらい、まっすぐに延びた雪景色の林の中の道を歩くのも楽しい。
すぐに融けて、あるいは雪が降り積もって消えてしまうのだろうが、踏み跡の付いていない雪を選んで、自分のトレッキングブーツの足跡をその上に付けて歩くのが楽しい。子供に戻ったような気分で歩き続けている。
再び車道に戻る。
相変わらず歩いている人なんて一人もいない。気温は低いのだが、体を動かしているせいか、寒くは感じない。
歩いていると「コン、コン、コン」というリズムに乗った木を叩くような音が聞こえてきた。キョロキョロすると、アカゲラらしい鳥が、しきりにくちばしで木を突っついていた。
国道36号線の合流点近くには、美々川という川が流れている。蛇行が美しい、千歳川の支流の川だ。源は当然ながらウトナイ湖。この辺りは下流に向けての標高差がほとんどないので、川の流れもゆったりと流れている、時に増水すれば川の流れは蛇のように流れる向きを変える。この美々川は支笏湖を源とする千歳川と合流し、やがて大雪山系を源とする石狩川と合流し、日本海に注いでいるのだ。
「なんだかすごいなぁ。自然ってさ」などと、にわかナチュラリストは考える。そんなことを考えながら歩いているのが楽しい。
国道沿いの道は、面白くない。
面白くないどころか、除雪がされないまま、日差しでズブズブに溶けて歩けるような状態ではない。
かといって車道側を歩くと、雪溶けの「茶色の水」を勢いよく掛けられないかとヒヤヒヤする羽目になる。日本の国道は「歩く人のための道ではない」と以前から思っていたが、ここでも同じことを思う。大型のトラックが後ろから来るたびに、できるだけ道路から離れてやり過ごしているために、全然前に進まない。
それでもようやくウトナイ湖方面に折れる道を発見した。ホッと一安心。
国道を離れると、辺りは物音がしない静かな空間。時々、ジェット音とともに、かなり低空をジェット機が飛びすぎる。これは新千歳空港に着陸する旅客機だろう。いつも機内からみている景色の中を今歩いているのだ。
ウトナイ湖の中心はネイチャセンターだろう。近くにはユースホステルも在る。
まずはこのネイチャセンターに入ることにした。
「こんな季節は人もいないだろう」と思っていたのだが、意外に幾組かのグループや家族連れが熱心に野鳥を観察していた。職員の方が説明をしている後ろに立って、一緒に説明を聞かせて頂いた。
建物内には高倍率の望遠鏡が設置されていて、誰もが自由に観察することができる。
でも望遠鏡に頼らずとも、目の前に幾種類もの野鳥が留まっている姿を目にすることができる。餌付けがされているらしいので、鳥の方から近寄ってくるのだ。ガラス窓越しではあるが・・・。
ここへくる途中で見かけた赤ゲラは、ここではそれほど珍しい存在ではないようだった。
手にしたパンフレットには「野鳥にスナック類を与えるのはやめましょう」と書かれていた。実はもう15年以上前の経験から「白鳥の餌にはカッパえびせん」と信じ込んでいたのだが、これは大きな誤解だったようだ。スナック類は人にはおいしい食べ物でも、鳥にとっては塩分が多すぎたり油で揚げてあるスナックが消化不良を起こしたりするのだそうだ。
15年めにしてようやく、誤解が訂正されたというわけ。やっぱり「歩く」ことは、なにかしらの発見があるもののようだ(笑)。
さてウトナイ湖だ。すでに陽は傾きだした。
慌てて雪道を半分漕ぐような格好で、湖畔まで向かう。
「うわぁ。真っ白だぁ」
これが最初の感想。そして以降もそれ以外の感想が頭に浮かばない。
とにかく白い。ひたすら真っ白な雪原が広がっている。やがて陽がさらに傾きだし、雪原が微妙にオレンジ色に染まってゆく。混じりっけがない「白」だからこその、その光景。
「ただ白いだけじゃん!」と言われればそれまでだが、今日はこの「白さを見るための時間」だったのだ。当然ながら満足しないわけはない。そして「一番良い時間に訪れたなぁ」という気持ちになっていた。
湖に小川が流れ込んでいるところでは、そこだけ氷が張らずに白鳥と鴨が固まって時を過ごしていた。
なかなか絵になる風景だと思いながら写真を撮り始めたのだが、本格的な装備のカメラマンが三脚を立てて「どけよな。撮影の邪魔すんなよ」と言いたげな感じでこっちを見ていた。
確かに絵になる風景に、絵にならない人間が紛れ込んでほしくないのは、私が逆の立場だったとしても一緒だ(笑)。軽く手を挙げて合図を送り、2,3枚の写真を撮ってその場を離れた。
この後は沼ノ端の駅に向かって歩く。また面白くない国道歩きだ。
すでに辺りは薄暗く、地図も持たずに知らない道を歩いていることに少々心細さを感じ始めている。
途中で見つけたコンビニで、パンと缶コーヒーを買い、それを口にしながら黙々と歩き続けている。
陽が完全に落ちると、寒いだけのつまらない歩きに変わっていた。ただひたすら、黙々と歩くしかない。気分転換に走り出してみたが、滑って転びそうになったので自重する。
人家の明かりがとても暖かに見えて、なぜかせつない気分になる。
いったい、私はなにをしてるんだ、こんなところで・・・笑いたくなるが、顔は寒さに強ばるだけ。
沼ノ端は、確かに植苗よりは数段賑わってはいた。でも人通りはこちらも同様に少ない。
すでに夜の団らんの時間になっていた。用もないのに寒空の中、歩く人もいないということか。
無人駅で列車を待つ。かなり冷え込んでいる。待合室の中にいても、じっとしている分だけ寒さが辛い。
ストーブはあるのだが火は入っていない。それが余計に癪にさわり、余計に寒くも感じさせる。
女子高生らしい女の子が待合室に入ってきた。冷たい風が勢いよく待合室の中を流れる。
「北海道の"冬"はまだまだ続く」。そんなことを、そのとき感じていた。