旅その23 「昨日、悲別で」から未来へ (歌志内市 1999年1月)

文中の写真をクリックすると拡大した写真を表示します。
画像表示後、元に戻るにはブラウザの「戻り」ボタンを利用下さい。

歌志内市の位置  「昨日、悲別で」というドラマをご存じだろうか。
 もう10年以上前、正確には1984年に日本テレビ系で放映された、倉本聰さん脚本のテレビドラマのタイトルだ。そしてその舞台となった町が「悲別町」。悲別を出て東京に向かった若者。悲別に残って暮らす若者。そんな若者たちの触れ合いを軸にストーリーは展開される。
 この「悲別」と言う町は実在しない。だがモデルとなった町はある。その一つが、歌志内市。かつての炭鉱町だ。

 戦前、戦後の日本経済を支え続けた石炭産業。その石炭景気に支えられて、歌志内も人口が急増し、歌志内市は誕生した。
 だがご存じの通り石炭景気は長くは続かない。一時期は4万6000人まで増えた人口も昭和37年に始まった最初の炭鉱閉山を機に、徐々に人は町を離れ、現在では6500人ほどを数えるまでに減少してしまった。今では「日本で一番小さな"市"」だそうだ。もちろん、この「小さな」の意味は「人口が少ない」という意味。
 炭鉱が多く、炭鉱を基盤産業として形成された町が多い北海道では、こうした歴史を持つ町は多い。有名なところでは夕張市などもその一つだ。だがこの歌志内の人口の推移は、そんな石炭の町の歴史の中でも特に象徴的であるかも知れない。

 さて今回の旅は、この悲別町のモデルとなった歌志内市を訪ねる旅。
 例によって札幌長期滞在中の休日。「週末どこへ行こうか・・・」と考えている内に、思い浮かんだのが、この歌志内を訪れることだった。
 実は知人に、この歌志内出身のTさんという人がいる。今回の出張前に、このTさんと話をしているときに、たまたまこの歌志内の話が出た。「もう何十年も訪れていないんですよね。いつか見たいと思っているんですけど」と言っていたので、「時間があったら歌志内に行ってみますよ」などと話していたことを思い出したのだ。元々以前から、「昨日、悲別で」のドラマのモデルということで、多少の興味を持っていた町でもあった。

 そんな「きっかけ」だけが頼りの、歌志内への旅だった。


JR砂川駅前  札幌に来てすぐに、いつものように「道内時刻表」を買った。他の旅日記でも紹介したことがあるこの時刻表だが、北海道内のJR、私鉄、市営交通、都市間高速バス、そして主要な路線バスの時刻表が掲載されている。場所によっては一本乗り過ごすと、次の列車(あるいは次のバス)まで、数時間を待つことになる(場合によっては翌日まで待つことになる)ような北海道の交通事情では、この時刻表は手放せない。
 たとえ乗り継ぎに時間が空こうとも、次の乗り物の時刻が解っていれば、精神的には気楽でいられる。2,3時間の合間なら付近を散歩して、適当な店に入ってビールの一杯でも飲んで過ごせば、すぐに時間は過ぎる。もっともこの「ビールを飲んで過ごせる店」が見あたらない場合も多いのだが・・・

 さてその時刻表を見て、とりあえず札幌から砂川まで高速バスで向かうことにした。JRの方が時間的には早いのだが、本数はバスの方が多く、料金も安い。
 砂川からは歌志内行きのバスに乗り換えるつもり・・・だが、この歌志内行きのバスが3時間後まで無い。日帰りのつもりでいるので、前言撤回・・・さすがに「ビールでも飲んでのんびり過ごして」と言う、悠長な気分でもいられない。
 バスで30分ほど。距離にしたら10Kmぐらいだろうか。でもこの計算はアテにならない。内地の感覚で時間から距離を計算すると痛い目にあう(何度も経験あり)。おまけに今は冬。雪道をひたすら歩き続ける気にもならない。  砂川の町をブラブラしながら考えた末、「ええい、面倒だ。タクシーで行っちゃえ!」。そう思って、砂川駅前のタクシー乗り場に向かった。

 「歌志内の・・・ええと、市街地までだといくらくらいですか?」そう運転手さんに尋ねる。
 「はっ?、う〜ん・・歌志内だと、3000円くらいかなぁ・・・」
 それならば許容範囲。ここで3時間(もうすでに2時間半を切ってはいるが)待ち続けるくらいなら、タクシーに乗ってしまおう。

 交通量の少ない雪道を、タクシーはどんどん走り続ける。
 15分も走っただろうか、いきなり運転手さんから「もう歌志内に入ったんですけど、どこへ行けばいいですか?このまま走り続けると、歌志内抜けちゃうけど・・・」と尋ねられる。
 「あっ、市街地でいいです。バス停で"歌志内市街"っていうバス停があるらしいんだけど」。そう私が答えると「バス停の名前はわかんないなぁ・・・市街地っても、繁華街みたいなところは、ないですよ」。
 えっ!、そうなの!?・・・う〜ん、困った。いったい私は歌志内のどこに行けばいいんだ?
 漠然と「歌志内へ行こう」と思って出掛けてきたので、この歌志内のどこに何があるかも知らないのだ。つまりは、どこでもいいということになる。「何かあるさ。案内板とか、何かしらね」と、着いてから方針を決めようと思っていたのだ。
 結局、「じゃ、そうねぇ・・・市役所の前で降ろしてください」と運転手さんに告げた。
 タクシーに乗るときに、運転手さんが怪訝そうな顔をしていたのは、なるほど「市街地」と言われたからなのか・・・もっと早く訊いてくれれば、こっちも「どこか見どころありますか」なんて相談できたのにね・・・運転手さんには非はないのに、何だか責めたい気分になってしまう。


歌志内市役所 歌志内市役所前の道路〜それにしても空が青いなぁ・・・  タクシーは市役所に到着。市役所の辺りが一番ではないにしても、それなりに店などが集中しているのだろうと思っていたのだが、ここに来る道沿いの風景とは、ほとんど変わらない。
 それでも「市役所の観光課みたいなところで、何か情報収集出来るだろう」と思って、市役所に向かうが、考えてみれば今日は休日。お役所も休みなのだ。
 空はどこまでも青く、明るい風景が広がっているというのに、私の心は晴れない。途方に暮れた気分でいる。
 だがここでじっとしていてもしょうがないので、Tさんから情報収集することにした。元々、せっかくだからそのTさんが住んでいたという集落の辺りを歩いて、写真でも撮ろうと思っていたのだ。

 「モシモシ・・・Tさん? あのぉ・・・今ですね、そのぉ、歌志内にいるんですよ」
 何から話し出そうか迷ったが、とりあえず今、私が歌志内にいることを伝えなくては話が進まない。
 「えっ!、本当に行ったんですか・・・」
 「そうなんです。それでですね、今市役所の辺りに居るんですけど、この後私はどうしたらいいでしょう?」
 これは嘘。本当は「どこか見所ありますか?」と尋ねたのだ。
 しかしTさんも、この町で暮らしていたのは20年以上も前の子供の頃の話なのだ。まだ炭坑も残っていた頃だし、当然ながら今とは町の雰囲気も違っているだろう。
 そもそも子供の頃の記憶と言うのは曖昧なもので、ほんの僅かな距離がはるか彼方まで行ったように感じることもあるし、何よりその行動範囲は狭い。
 「ハッキリとは覚えていないんですが・・・確か市役所の前に、美味しいラーメン屋があったことを覚えているんですよ。今もあります?」
 見渡すが、少なくとも市役所の前にはラーメン屋は無さそうだった。廃線となった歌志内線の駅舎のようなもの(現存しているのかどうかは知らないが)でも見つければ、目印になるのだが・・・。


 かつてこの地には鉄道が通っていた。幹線ではないが、石炭輸送のためには欠くことの出来ない路線だった。そしてそれはまた、この地で暮らす人々にとっての生活路線でもあった。
 砂川から歌志内間を結ぶ歌志内線。炭鉱の閉山と共に、そして人口の減少と共に旅客数は減少し、昭和63年に廃線となった。
 北海道にはこうした歴史を持つ支線が数多い。古い(と言っても、20年ほど前の)時刻表を見ると、「えっ、こんなに路線があるの?」と驚くぐらいの路線数がある。「懐古趣味」と言えばそれまでなのだが、現在の時刻表と見比べるたび、思わずそうした歴史の流れのようなものを感じずにはいられない。
 この歌志内線の廃線跡は、現在では立派なサイクリングロードとなっている。いつかその道をサイクリングではなく、のんびりと歩いてみたい。もっともこれは後になって知った話で、この時、見渡す限りの雪景色の中にいた私は、そんなことはこれっぽっちも考えてはいない。


かもい岳スキー場 まさに冬の川という感じ?  さて話を戻そう。

 とりあえず、「アテ」のようなものは出来た。Tさんのかつて住んでいたという地区を訪れる事にしたのだ。元々が「訪れたい」という気持ちだけで、ここまでやって来ただけなので、「悲別のドラマに使われた○○」みたいなものに、執着心は無い。「通りがかりに発見したら立ち寄ろう」ぐらいの気持ちなのだ。いつもの「行き当たりばったりスタイル」なのだが、今回はいつも以上にその色が濃い。
 タクシーで通り過ぎた道を、歩いて引き返す。歩きながら適当なところで「昼飯を食べよう」と思ったのだが、すぐにラーメン」の幟を立てた店を発見した。寒いときには熱いラーメンに限る。
 右手に「かもい岳スキー場」が見える。比較的大きなスキー場のようだが、スキーツアーなどで人が押し寄せるようなスキー場では無さそうだ。休日で、おまけに晴天。スキーをするには絶好だと思うのだが、それほど訪れている人もいないようだ。
 「こういう穴場のスキー場でめいっぱい滑れば、俺ももっと上達するんだろうなぁ」。そんなことを一瞬思うのだが、すぐに「そんなわけ、ないなぁ」と苦笑する。
 最近ではスキーで滑っている時間よりも、レストハウスでビールを飲んでいる時間の方が長い私だ。穴場のスキー場に来たからと言って、上達するとはとても思えない。

 ラーメンの幟が立ったお店は「あかし」と言う店だった。ラーメンの専門店というわけではなく、雑貨店と食堂が一緒になったような店だ。おじいさんが一人、ビールを飲んでいる。私もそれに釣られたわけでもないのだが、生ビールと味噌ラーメンを頼んだ。
 北海道では、ラーメン屋に入って「ハズレ」に当たることが少ない。もちろん、時には伸びきった麺やみそ汁のようなスープに当たることもある。そんな時にはこれだけ「ラーメン水準」の高い環境の中で、よくぞ店を保っているものだと感心すると共に、その店の行く末を案じてしまったりするのだ(ちょっと嘘・・・)。
 この店のラーメンはどことなく懐かしい味の味噌ラーメンで、なかなかいける味だった。
 出掛けに「桜沢というところは、ここからどのくらいですか?」と尋ねた。桜沢という地区に、かつてTさんは住んでいたのだ。

 外に出ると、さっきまでのピーカンが嘘のように、なんと吹雪。数メートル先が見えないほどの雪が降っている。唖然・・・これだから雪国の気候は解らない・・・。


歌志内市民憲章の碑 桜沢公民館〜雪で埋もれてしまいそう・・・  教えられた通り、二軒目のガソリンスタンドの辺りまで来た。ここから左手に入った集落が桜沢だ。案内板を見ると確かに「桜沢地区」と書かれている。
 さてどうしようか・・・雪は降ったり止んだりを繰り返している。

 観光名所ではないのだから、特に目的も無くぶらつくしかない。
 炭鉱住宅と聞いていたので、今も残っているのかは解らない・・・と思ったのだが、すぐにそれらしき建物が見えた。木造平屋長屋風の建物が何棟か建っている。その住宅の近くには共同浴場も建てられている。
 人の家の庭先にズカズカと入り込んでいるような罪悪感を覚えながら、それでも「Tさんに写真届けるためなんだからね」と、心の中で言い訳けをしながら何枚かの写真を撮った。
 あらためて住宅を見渡すと、一棟に暮らしている人は半分くらいのようだ。1月の中ばなので、まだ玄関先に「しめ縄」を付けているお宅もあるし、何より玄関先の「雪かき」の状態ですぐに判別できる。
 なんとなく昭和30年代、40年代にタイムスリップしてしまったような気分になるが、これはここが、人がすべて去り、建物だけが残された廃墟なのではなく、そこで生活している人がいるからこその思いなのかも知れない。
 炭鉱は消え、人も減りはしたが、人が消えたのではないということが、ふと「嬉しい」と感じた。だがこれは旅人の、底の浅い感傷なのかも知れない。

共同浴場 かつての炭鉱住宅(1)  そのまま道を歩き続ける。
 木造の建物ばかりだけでなく、モルタルの二階建て、三階建ての建物も多い。老朽化した建物は必要に応じて新しい建物に建て直されているのだろうか。と言うことは、この住宅は今では市営住宅なんだろうか・・・そんなことを思いながら歩き続ける。
 坂道を上りきったところは畑のようだが、今は一面、白い風景。今回は地図はおろか、町のパンフレットすら持っていないので、この先歩き続けても何があるかは解らない。幹線道路と違って十分な除雪もされていないので、さすがの防水トレッキングブーツでも足先が冷たくなってくる。やっぱり防寒ブーツ(ウールなどで内張りがされていて暖かな、完全防水のブーツ。カナダのソレルというメーカーなどが有名)を入手すれば良かったかなぁ・・・。
 「ここらが頃合いかな?」。そう思って、再び来た道をまた引き返すことにした。

 雪かきをしていたおじさんが手を止めて、そんな私の様子を怪訝そうな顔をして見ていた。


かつての炭鉱住宅(2) かつての炭鉱住宅(3)  再び幹線道路まで戻る。
 幹線道路を歩き続けていると、商店街に辿り着いた。「神威」という地区。
 その商店街を歩いてみると、半分ぐらいは店を閉めていた。今日が休みなのか、それとも店をたたんでしまったのか・・・昨日と今日と明日が混在している町。今見ているこの商店街は、果たして昨日の風景なのか。それとも今日も明日も変わらずこの風景なのか・・・。

 白状してしまおう。実は「昨日、悲別で」のドラマを夢中になって見た覚えがない。
 たまに時間のあるときに、断片的に見たのみなのだ。だからストーリーもほとんど知らない。天宮良と石田えりの二人が主役だったこと、主題歌が「22歳の別れ」だったこと、そしてそれ以外には瞬間的な情景が記憶に残っているのみなのだ。
 だが不思議なことに、さっき歩きながら見た商店街や炭鉱住宅、それらのすべてがどれも一度ドラマの中で見たことがあるような、そんな既視感を覚えている。と言うことは、昨日の風景・・・?
 だがここまでの間見てきた建物の半分は、今では「木造平屋長屋風」ではなく、建て替えがされている。中には新興住宅街風の一角もあった。今日以降の風景も混在しているということなのだろう。考えてみれば当たり前の話。そこに人が生活している以上、スピードは別にして、町も変わらざるを得ないのだから・・・。
 ドラマのイメージと、炭鉱が消えた町という先入観から、つい寂しげな過去の町として見てしまうのだが、現実はそんな単純な話ではないということか。

 歩きながらそんなことを、バス停に辿り着くまで考えていた。


かつての炭鉱住宅(4) 神威の商店街  バス停の時刻表を見たら「あらら・・・」。もう一度時刻表を確認する。どうも私の確認不足だったようで、バスの便数が思いの外、多いのだ(「最終バスに乗り遅れたんだろう!」と期待した方、ゴメンナサイ。良い方に、「あらら」だったのです)。
 砂川〜歌志内間ばかりを気にしていたのだが、その区間を含んだ別系統も運行されている。これに最初から気付いていれば、タクシーに乗る必要も無かったし、「悲別ロマン座」なる観光名所(ドラマの中で主人公たちの溜まり場として使われた建物)なんぞにも、辿り着けたかも知れない。もっともそんな観光名所があると言うことは、この旅を終えた後になってから知ったのだが・・・。

 ほどなくバスが到着し、砂川に向けて走り出した。雪は再び本格的に降り出している。
 タクシーで来たルートとは異なり、途中、上砂川町をバスは通る。こちらの町は市街地と呼べるだけの商店街を抱えていた。
 この町の「上砂川駅」も「悲別駅」としてドラマの舞台となったそうだ。今でも駅舎には「悲別駅」の文字と、ホームには「かなしべつ」の駅名標が残されているらしい(この上砂川支線も平成6年5月に廃線となっている)。

 上砂川を過ぎた辺りで、本格的に空が暗くなって来た。砂川までは、後もう少し・・・。


 かつて炭鉱の町、歌志内。「昨日、悲別で」の舞台となった歌志内。そんな思い入れと、中途半端な感傷で、この町を訪れた。
 だが、ふと思う。歌志内は昨日で終わりの町ではなく、今日から明日への始まりの町なのかも知れない。昨日までは「悲しい別れの町」だったかも知れない。だが炭鉱後の町にも、そこで暮らす大勢の人がいる。そして未来を模索し続ける。明日の「嬉しい出会いの町」を目指して。

 これは旅人の、ほんの短い滞在時間の想像でしかない。真の未来は誰にも解らない。
 だが、何よりそう期待している方が、旅は楽しい。


「北海道旅日記」のメインメニューへ戻る

1999.6.16 Ver.5.0 Presented by Yamasan (Masayuki Yamada)