旅その21 果てしなき道、ひたすらの道(室蘭市 1998年9月)

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豊富町の位置  旅が終わりに近づいていた。
 10日ほどの予定で北海道北部を気ままに歩いていたが、それもそろそろ終わりの時期。
 この旅の終わりの感覚というのはいつも同じだ。名残惜しさと共に、なぜかホッとする感覚がつきまとう。

 利尻島からのフェリーが稚内に到着してすぐに、ホテルにチェックインした。背中の大型ザックをホテルに預かってもらって、身軽になった状態でサロベツ原野へ行こうと考えていたのだ。
 ホテルの名前はホテルサハリン(旅22に登場します)。旅の最後だから豪勢なホテルに泊まろうかとも考えたが、このホテルの名前を知ってからは「稚内ではここ!」と決めていたのだ。何だか国境を感じる名前じゃない?

 サロベツ原野に足を運ぶのは、今回の旅の期間中で二度目だ。
 北海道に来てから二日目。知人のC氏の運転する車で美瑛から稚内に向かう途中に立ち寄った。その時、あいにくの霧雨だったが、そして花はもう完全に終わっている時期ではあったのだが、その広大な風景に圧倒されてしまった。で、稚内に向かうフェリーの中で「今日はどこへ行こうか」と考えているうちに「またあの風景を見たい」と思ったのだ。


のどかな放牧風景  稚内からは列車で豊富まで向かう。
 鈍行列車なので、乗客はほとんどいない。南稚内の駅では乗客の大半が降りてしまい、残ったのは私を含めて数人だ。列車の運行本数が限られているので、どうしても車での移動が多くなってしまう。「こんな立派な資産が北海道のあちこちで消えていったのだな」と思うと、何やら侘びしい思いもしてくるのだが、これは旅人の無責任な感傷だろうか。
 そんなことを考えながら、ウトウト仕掛かるのをなんとか堪えている間に、豊富駅に到着した。

 豊富は温泉で有名な町だ。石油採掘中に偶然に沸きだした温泉らしい。泉質はかなり特徴的で、ドロッとした黒く濁ったお湯だ。臭いを嗅ぐと石油の臭いもする。
 実は前述のC氏と共に、一週間ほど前にこの温泉を訪れている。公共の入浴施設を利用したのだが、ここの湯は源泉に近い泉質らしく、異様なほどドロドロしている。洗面器などには油が層を成してこびりついているし、お湯にも厚い膜が張っている。油膜のために湯気が立たないほどだ。

 「ここの湯はね、皮膚病にいいんだよ。アトピーなんかには最高なんだ。湯治にくる人も多くてな」
 地元のおじさんが、そう教えてくれた。
 「このドロっとした油が効果あるんですかねぇ」と訊くと「なんでかは、わかんね。北大から学者が来て調べてったけど、正確な理由はわかんねんだと。効果はあるってぇのは学者のお墨付きだけどな」ということだ。
 確かに見渡すとアトピーの赤ん坊を湯に入れている父親がいる。赤ん坊は精一杯の鳴き声で抵抗を示している。効果はあるのだが、それだけ刺激も強いということでもあるのだろう。タオルなんて、一発で使いものにならなくなる。
 「この湯は飲むことも出来るから、飲んでみろ」と薦められて、C氏は意を決して口に含んでいたが、私はさすがに勇気が出なかった。あとでC氏に訊くと「うん、凄い味」と一言、続けて「あそこで"飲みません"と言うと、せっかくの地元の人とのコミュニケーションがねぇ・・・」。う〜ん、参りました・・・


 豊富駅には隣り合わせて観光案内所がある。ここにはレンタサイクルもある。
 「レンタサイクルでも借りようかなぁ・・・」。
 バスの便があればバスで行きたいと思っていたのだが、残念ながら今の時間帯はない。それで自転車を借りようかどうしようか迷ったのだが、正確な距離は解らないが、時刻表を見るとバスで15分の距離だ。普通に歩けば1時間やそこらでたどり着ける距離と言うことになる。そう言えば前回ここを車で通過したときは、ものの5分も走っていなかったのじゃないか・・・。風がかなり強く、それがサロベツ原野の方から吹いてくる西風だったことも躊躇する原因だった。
 結局、「よし、歩くぞ!今回最後の長距離歩きだ!」と意を決して歩き始めた。

 「30分も歩けば景色が変わる」。これが内地に住む人間の発想だ。だが北海道では当てはまらない。
 歩いても歩いても牧草地と放牧された牛の姿だけ。もちろん北海道には何度も来ているわけだし、北海道ならではの直線的な道路は見慣れている。こうした道を歩いたことも初めてではない。だが標識を発見して、ここからまだ「5〜6Kmはある」と知ったときは、すでにうんざりしていた。

 脇を走る車のスピードは、とても一般道を走る車のスピードとは思えない。遠くに見えていた車が見る間に近づいて、アッという間に通り過ぎて行くのを見る限りでは、軽く時速100Kmを越えているだろう。
 「そうだった。このスピードで走るから5分とか、10分なんだよな・・・って言うことは、1時間で辿り着けるわけないじゃん!」。気が付くのが遅い。
 うっかり北海道の道路事情を忘れていた。そしてバスもこの道路事情を考慮したダイヤで運行されている。
 それでも横を通り過ぎる車の何台かは、減速して私の方を覗き込んでいったりするので、そこで笑顔で手でも振れば、もしかすると乗せてくれるかも知れない。これは「ヒッチハイク」がテレビ番組ネタになった恩恵かも知れないが、北海道ではよく聞く話でもある(私の叔父もよく旅人を乗せていた)。
 でも、何だか少し意地になっている部分もある。へそ曲がりと言うべきか、天の邪鬼と言うべきか・・・だから笑顔を返すだけに止めていたのだが、もしかするとその笑顔は引きつっていたのかも知れない。結局、私へ関心を示してくれた車も、一度も停車することなく通り過ぎて行った。

果てしなきひたすらの道  黙々と歩く。まさしくこの「黙々」というのは、今の私のような状態だろう。だがそんな変化の無い風景にも、ようやく違ったものが見えて来た。
 遠くに「森のようなもの」が見える。眼鏡をホテルに置いてきてしまったので、遠くの景色がハッキリとは見えない(ちなみに私は近眼なのだが、日常生活は裸眼でこなしている。でも特別な時のために常に眼鏡は携帯しているのだ。本当はコンタクトにしたいのだが、根がズボラなことと、ドライアイ気味らしいので我慢している)のだが。
 「あの森の先がきっと、サロベツ湿原さ」。あまり根拠がない思い込みだが、他に目印らしいものもない。何よりそう思いこんだ方が精神的に楽になるではないか。
 「これで道に変化があれば、楽しいのにねぇ・・・」。独り言を言いながら歩き続けている。
 私は幅の広いかなり立派な歩道を歩いている。ここまで歩く間、一度も人と擦れ違っていない。もちろん、追い越されてもいない。つまりはほとんど歩く人のいない道に立派な歩道が付けられているのだ。もしかするとこの立派な歩道が出来てから、ここを歩いたのは私が最初だったりして・・・(そんなはずはないだろうけど)。
 何だか矛盾だらけの道路行政の一端を、また発見したような気分になっていた。


金色に染まるサロベツの原野 木道から売店、ビジターセンターを望む  歩き始めて約2時間。ようやくサロベツ湿原が見えてきた。いきなり「ガラーン」と開けた風景が視界に飛び込む。何だかあっけない幕切れ。到着してみれば、距離に比例した時間で到着というわけだ。歩いている内に、陽が傾き始めたので心配していたが、なんとか間に合った。

 まだ売店が営業中だったので、揚げジャガイモを注文し、缶入りのお茶を買う。豊富駅から歩き始めて、ここまでの間、自販機一つ無かったので、のどはカラカラ・・・。休憩も一度も取らずに歩き続けてきたのだ。
 「ちょっと小ぶりだから一個サービスしておいたから」と、売店のおばちゃん。う〜ん、嬉しいぞ。おまけにもうすぐ店を占める時間だったから、揚げ置きじゃなくて揚げたてのジャガイモだ。現金なもので、一遍に元気が出てくる。この勢いで湿原を歩こう。

 すでにビジターセンターは閉まっているが、大型観光バスもまだ何台か停車しているし、湿原内の木道を歩いている人も多い。
 帰りは歩くつもりはない。路線バスで豊富駅に戻るつもりだが、そのバスの時間まではまだ1時間ほどあるし、仮に乗り損なっても、いよいよになったらタクシーを拾うか、世間の情け(つまりはヒッチハイクね)に縋るつもりでいる。ここに辿り着くまでの、あの天邪鬼な意地は何だったのだろう(笑)


木道に照り返す夕日 見納めのごとく湿原風景  木道を歩き始めたら、いつの間にか人の数が少なくなっていた。観光バスの団体客がバスに戻ったのか。今見える木道上には、私一人しかいない。
 湿原の草木は今にも沈もうとしている陽の光を浴びて、黄金色に輝いている。振り返ると白い雲も真っ赤に染まっている。真っ赤な夕焼け。
 「来て良かったよ。ホントに・・・」
 花は咲いていない。ただひたすらに果てしない風景。鳥や動物の泣き声も今は聞こえない。
 草木も、木道も、そして私も、すべてが赤く染まっていた。黄金色から、赤へ。やがて赤から赤茶色へと、刻々と色を変えていく。
 もう一度つぶやく。「苦労した甲斐があったなぁ・・・果てしない道を、ひたすら歩いてきた甲斐があったよ」。
 でも、こうも思う。「誰もいないじゃん!・・・ホントに帰りのバスあるんだろうなぁ・・・それにしても、ちょっと寂し過ぎるぞ」
 辺りを見渡しても、建物はビジターセンターと売店があるだけ。あとはひたすら原野が広がっているのみなのだ。陽が完全に沈んでしまったら、月明かり以外に明かりすらなくなる(ま、正確には車の明かりはあるけどね)。現実に立ち返ってみると、急に心細くなって来た。
 木道にしゃがみ込んで夕陽を眺めていたのだが、再び立ち上がって歩き出すことにする。


湿原の彼方へ沈む夕陽(1) 湿原の彼方に沈む夕陽(2)  バス停でバスを待つ。まだバスは来ない。つい何度もバス停の時刻板を見てしまうのだが、時間になるまでバスが来るはずはない。
 いや本当にバスは来るのか、もしかしたら季節運行で見落としているのじゃないか(何度も経験あり)と心配で、気になって仕方がないのだ。
 バスを待っている間に、何台かの車が駐車場に停車し、また慌しく走り去って行く。まだ湿原の風景を見て取れる明るさがあるので、ちょっと一服がてら停車して行くのかも知れない。
 バスはまだ来ない。また時刻板に視線が行く。何度目かの確認をして、ホッとため息。
 何度もバスが通るので、そのたびに「臨時バスかも」と根拠のない期待をしたりするのだが、それらはすべて観光バス。バス停の私なんぞ、見向きもせずに走り去る(当たり前だけど・・・)。
 売店のおばさんたちも帰り支度をして、仲間同士で「じゃ、また明日ね」と挨拶を交わし散って行く。もちろん、車。
 「良かったら乗ってかない?」と、どれか一台ぐらい声を掛けてくれないかな・・・などと思っているのだが、こういうときに限って、そういうチャンスには巡り合わないのだ。

 やがて定刻ピッタリにバスが来た。さすが日本の公共交通機関。
 乗客は・・・誰もいない。私がたった一人の乗客。


 来るときには、どこまでも続く果てしない道に思えた道も、バスに乗ってしまうとほんの短い区間でしかない。ひたすらに歩いた道も、そのひたすらが「無駄なこと」と言わんばかりのスピードでバスは走る。

 あらゆるものを最後の最後まで赤く照らし出していた太陽も、ついにあきらめたかのように丘の向こうへ消えてしまい、豊富駅に到着した時には、すでに「夜」に変わっていた。
 そしてバスの新しい乗客は、最後まで現れなかった。


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1999.6.16 Ver.5.0 Presented by Yamasan (Masayuki Yamada)