夕張と言う町は、「知名度」と言う点では全国的にも名前の知られた町だと思います。でも「実際に訪れたことがある人」となるとどのくらいの割合になるでしょう。これは私の想像ですが、それほど多くないような気もします。
本文中にも書いたとおり、夕張はかつて炭坑の町でした。そしてそれは明治以降の日本の経済の発展を、陰で支えてきた町でもありました。
この炭鉱の町では、その石炭の採掘作業でのべ5000人もの犠牲者があったそうです。
この犠牲者の数は、つい最近(1997年10月)のTVニュースの特集で知った数字です。シュウパロ湖(大夕張ダム)近くの鹿島という集落が"新しいダムのために消える"というニュースでした。
かつてはこの鹿島地区には三菱大夕張炭鉱があり、この地区だけで2万人あまりの人が生活していたそうです。その人口も今では400人ほどに。その残った人たちも、平成9年度中には移転の予定だそうです。
10数年後にはこの地区もダムの底になります。
炭鉱の閉山と同時に夕張の人口は激減したそうです。現在は人口17,000人ほど。
かつて活気のある町であればあったほど、その寂しさは大きなものとなります。
しかし、そこに人が生活する限り、「次の時代」を模索して行かねばなりません。そして得られた結論が「観光の町へ」と言うことだったようです。
現在では、炭鉱時代の施設を効果的に利用した、観光の町としての新たな道を歩みだしたのが現在の夕張のようです。
その一つ一つはとても魅力ある施設です。そして官民一体となった「観光の町」への意気込みも強く感じます。
でも夕張の町を歩いて、正直なところ「寂しい印象」が感じられるのが事実です。これは消え去ったものに対する感傷なのかも知れませんが。
夕張と言う町の立地から言っても、大規模な施設を集中的にどんどん建設して行くことは難しいかも知れません。どうしても各観光名所が離れ離れになってしまいます。
でも「人がそこに住む限り、町も生きている」のですね。観光の町として素晴らしい町となることを、そして今後の夕張が、以前のように、いやそれ以上に発展することを期待しています。