アケボノソウ(曙草)/リンドウ科、センブリ属

 

 群大病院に行く用事があったので、その帰りに赤城山に一登りした。さすがに8月も最終日、頂上は寒いくらいで、人影もまばらであった。静かな覚満渕を行くと、その岸辺に一輪、アケボノソウが咲いていた。

 この花は合弁花ではあるけれど、切れ込みが深いので、離弁花風にみえる。その5弁に分かれた花弁の1枚づつに黄緑色の蜜線が丸くなって二個ある。たいていの花の蜜線はめしべの下部にあるので、これは非常に珍しい。

この斑点を明けの明星に見立てて、アケボノソウと名づけたと言われるが、明けの明星(金星)は一個なのでちょっと困る。この蜜線の傍らにおしべが5本、付き添っている。昆虫対策としてはうまい工夫だ。

ある本には、花弁の先に多数ある斑点を明け方の星に見立ててとあったが、明けの明星が目立つ頃は、もう他の星々は、この斑点のように、はっきりとは見えなくなっている。

覚満渕をかこむ静かな林は、群馬の私たちの年代にとっては忘れがたい映像となって記憶されている。太平洋戦争が終わった、その年の11月に、高崎市民オーケストラが誕生した。私が新制中学の1年になった1947年から、このオーケストラはマネジャーの丸山勝弘さんの努力、高崎高校の大先輩 井上房一郎さんの絶大な援助によってプロとなり、それから群馬県のあらゆる小中学校をまわる移動音楽教室が始まった。この努力は私たち群馬県人の音楽性の向上に計り知れない貢献をし、今に続いている。

当時の演奏会場は教室など粗末なものであったが、彼らの熱情はそのような会場の不利を吹き飛ばした。スッペの「軽騎兵序曲」、ビゼーのアルルの女から、「ファランドール」などが主な演目であった。毎回、演奏の前に楽器の解説から始まった。弦ではヴァイオリン、ビオラ、チェロと続くが、いつもコントラバスの番になると、今、東京に修理に出しているといいながら、次のときも修理が終わっていないと弁明する楽団の痛みが、子ども心にも通じた。

今は日本でもN響に次いで、二番目の伝統ある群馬交響楽団となり、海外公演でも非常に高い評価を得るまでになっていることは嬉しい。

  1955年、その足跡が今井 正監督により、「ここに泉あり」という映画になった。その中でコン・マス役の岡田英次さんと、ピアニスト役の岸 恵子さんの清らかなラブシーンがあったところが覚満渕である。

 

 

2005年8月31日  赤城山 覚満渕にて

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