クマザサ(笹)/イネ科、ササ属

 裏のゆるやかな道を10分も登ったところに小幡家の墓地がある。15世紀から続く墓石が立ち並ぶ。木々に混じって斜面にはクマザサが生い茂っている。
 クマザサは標高1000mあたりから密生するとものの本に書いてある。この辺では谷川連峰の東面、蓬峠のササ原はひろびろとしていて、実に気持ちのよいところ。そう、きつくないところだから、ぜひ訪ねてみるといい。
 榛名町の我が家のあたりは標高300mにも満たないところであるが、このクマザサは昔から、この写真のように生えている。先々代の傳八じいさんのいうことには、これは特別なクマザサであるということであったが、どう特別なのか、ついにその理由を聞きそびれてしまった。ちなみに小幡家の家紋には、七五三笹がある。
 クマザサは冬になると葉のまわりに白い隈取りができるので、隈笹となったという。また、熊が冬眠の前に木の実とともに、このササを大量に食べ、春になって目覚めると、雪の下にも枯れずに残っているこの葉を大量に食べる、また、これがあるところには熊がいるので熊笹と名づけたともいわれている。
 私と山に行った人はたいてい、クマザサの新芽を引き抜いて食べさせられている。ときには笹の葉に丸くなっている露をなめさせられたこともあろう。何か元気になる気持ちがするのだ。事実、クマザサには葉緑素はもちろん、多糖体、たとえばキシロオリゴ糖がたっぷり含まれていて、腸を整える働きをするし、また、その他の成分に抗菌作用や抗炎症作用があり、創造の神が私たちの体に備えてくださった自然治癒力を助ける働きをする。
 その中で富山の鱒すし、上州から上越にかけての粽、笹団子、そして笹茶はみな、先人が経験から作り出したたべもの、飲み物である。
 小学校のころの愛読書の一つ、漱石の、「坊っちゃん」に出てくるところだが、坊っちゃんが物理学校をでて四国の中学校に赴任した最初の晩、宿屋で見た夢の中で、清が越後の笹飴を薬だからといって笹の葉ごと、むしゃむしゃ食べているという描写も漱石が知っていてのことかと思う。



2005.01.
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