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クリ(栗)/ブナ科 クリ属 この辺で秋の味覚といえば柿と栗である。クリ、大言海によると黒偏に音と書いた字を、「クリ」と読むのだそうだが、これは「黒」と通じ、クリの樹皮が黒灰色、実が赭黒いところからクリと名づけたのかといっている。 日本での人間との付き合いは古く、あの三内丸山遺跡では大規模な栽培跡が見つかっている。その前の野生のクリを採って食べていた時代を考えると、どのくらい前になることか。 栗の材質は非常に硬く、木目が美しいので指物に使ったし、また、なかなか腐敗しないので鉄道の枕木には最適であった。今はコンクリート製に取って代わられ、その廃材を格好の庭つくりの材料としてホームセンター等で売っている。枕木といえば国民学校の4年生のころ、切り出したばかりの枕木用の重い栗の丸太を榛名山から学校まで12kmの道を男の子二人が組んで、山ほど担ぎ下ろす作業があった。戦中のこととはいえ、子どもがよくやったものである。 先日、東京から友人夫妻が訪ねてきたので、隣の嶋方洋子さんに頼み、クリ林に連れて行っていただいた。今年は豊作で笑んだイガからボタボタと実が落ちていた。拾いながらも、その音を頻繁に聞いた。彼はイガを剥く覚悟でいたらしく拍子抜けの態であった。イガ=総苞は熟すと先が4裂して実が落ちるのである。写真は、「利平」という種類のクリで、この辺では9月半ばに熟す。 花は梅雨期に咲くが、新枝の葉の脇から15センチほどの黄白色の雄花が何本もヒモのようになって垂れて、その付け根に緑色の雌花が2、3個小さくついている。やがて雄花は茶色に変色して落ちるが、雨に濡れて道に散っているさまは、濡れ落ち葉よりも哀れであろうか。 子どものころ秋になると山に入り、芝栗をよく採った。木に登って枝を揺さぶり、針だらけのイガを落とすのだが、間違って頭や腕に落ちたりすると大変なことになった。そのころは戦中戦後であったので、今と違い栗は貴重な食料であった。私の弟は戦中に栄養失調から亡くなってしまったが、今は亡き母は秋になって甘い山栗を食べるたびに、「ああ、食べさせたい。」といつまでも嘆いていた。山上憶良のようである。「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来しものを・・・」万葉集 巻五 八百二。 十三里半。九里(クリ)四里(ヨリ)うまい(半)とはよく考えたものだが、サツマイモとくらべるとカロチンは4倍、ビタミンB群も3倍ほど、カルシウム、鉄分が多く含まれるので貧血に効くし、血液の循環も助けるという。カリウムも多く含まれるので高血圧の予防にもよいという。そのほか昔は漆や銀杏にかぶれたとき、栗の葉をたっぷり入れたお風呂に入って直したものである。 「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」ヨハネの福音書 12章24節 ![]() 2004.09.
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