コムラサキシキブ/クマツヅラ科 ムラサキシキブ属
 昨年、従兄からいただいた苗が、ずいぶんと大きくなり、つややかな紫色の小さな実をつけている。まれにこの辺の山で見つかる小低木 ムラサキシキブ(径4ミリほどの美しい紫色の実をつけるので、紫式部にあやかり名づけたといわれる)より小さいので、このように命名された。小ぶりなだけではなく、枝が紫色を帯びるので識別できる。別名をコシキブという。これは小式部内侍のこと。彼女は和泉式部の娘。彼女の歌のあまりの巧みさを邪推した人に対し「大江山 生野の道は遠ければ まだふみも見ず 天の橋立て」という懸け詞をいれた機知に富んだ歌を詠んだことで有名。これは小倉百人一首に収められている。カルタ取りで、この札をお得意とする人は多い。

 小学校 6年の時、担任の新井先生が授業中、急に恋人との仲が危うくなっていると涙ぐみ話し出された。その日、クラスは男女が恋い慕うとは何かという話にいつのまにかなっていった。敗戦後、男女共学になったので、同じクラスの女子児童はともかく、まだまだ幼児期から抜けぬ多くの男子児童たちにはちょっと難しい問題ではあったが、ふだん、ふざける生徒も珍しく真剣に先生のことを心配し、話し合った。このように57年前の小学校では教師と生徒が、ときに教科書を離れて、心を通い合わせる時間がたっぷりあったのである。
 そこで先生が、「あらざらむ 此の世の外の 思い出に 今 一度の 逢う事もがな」の歌に託し彼女に手紙を送ったと真剣な顔で話されたことを思い出す。この歌は和泉式部が死を前にして、先に逝った夫 道貞を思いながら詠んだ歌である。幸い、その後まもなく、お二人はご結婚されたので、私たちは大いにはやし立てた。先生ご夫妻は生涯をむつまじくお過ごしになられた。

 そのほか、教会の庭には、クマツヅラ科の草本として、白い実をつけているオオシロシキブが一株。礼拝堂への石段の両側を一面に這うように飾っている赤と白のビジョザクラ(バーベナ)<写真>がある。

 「地には花が咲き乱れ、歌の季節がやってきた。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。」雅歌 2章12節


2004.08.
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