スベリヒユ/スベリヒユ科 スベリヒユ属
 私にとって一番初めの聖書は、文語訳であったが、まもなく口語訳聖書にとって変わり、1970年からは新改訳聖書を読んでいる。比較して読んでみて、この翻訳が一番、原本の心を伝えていると信ずるからである。
 旧新約聖書39巻は今からざっと3500年前から2000年前にわたり、約40人の人たちによって書かれたものであるが、その原本は残念ながら見つかっていない。もともと羊皮紙やパピルスに書かれたものであるから、保存性はよくなかった。しかし、古いものでは2200年前に書き写されたものも含め、今も何千と現存する写本(昔は印刷術がなかったので、書記生が細心の注意を払い、書き写したもの。かのグーテンベルクは聖書をもっと多くの人々に読んでもらいたいとの動機から活字を使った印刷機を発明し、1456年頃、故郷、マインツで初めて聖書を印刷した)を多くの学者たちが比較研究してきた結果、今、私たちが手にする聖書は、ほとんど原本に近いといってよい。ただ、原本に書かれているものは何かという研究は今もなお続いている。

 さて、口語訳聖書になって、ヨブ記 6章6節を読んだとき、「スベリヒユのしるは味があろうか。」とあるのをみて驚いた。このヨブのことばは、彼が遭遇している未曾有の苦難を見て、慰めに来た友人がヨブに向けた非難のことばに対して反論したもので、そんなことばは私とっては味がないとの意味をこめて語られたものである。
 私にとってスベリヒユは畑や庭のやっかいものであり、口にするとは思いもしなかったから驚いたのである。昨冬から榛名町は少雨で、庭の草木や芝生はかなりの打撃を受けたが、スベリヒユはお構いなしにはびこっている。一年草であるというが、どこから種がこぼれたのかと不思議なほどに、次から次へと芽が出てくる。この辺では食用ではなく、引き抜くものだ。図鑑によると茹でて和えものなどにして食べられ、名前も食べたときのぬるぬる感から来ていると言う。教会の庭に咲く、同じ仲間にはマツバボタン−スベリヒユ属、南アメリカ原産、また、マツバギク−マツバギク属、南アフリカ原産がある。

 その後、新改訳聖書を読むようになって、卵のしろみと訳されているのを知った。ちなみに、旧約聖書 ヨブ記 6章6節にあることば「ハラムート」をRSV(改正標準訳)や日本の口語訳聖書では、「スベリヒユ」と訳し、KJV(欽定訳)では卵の白身、JPS(ユダヤ教出版協会がマソレテの読みにより翻訳した旧約聖書)ではゼニアオイと訳しているが、その他のほとんどの英語の聖書、日本の新改訳聖書をはじめ、新共同訳聖書などでは卵(玉子)の白身と訳している。 忘れることの出来ない名尾耕作先生の畢生(ひっせい)の大作「へブル語大辞典」では、これを粘液のある植物、すべりひゆ、ぜにあおい、うしのしたくさ。または、卵の白身と記されているのが、いずれにしても、食をそそらないという共通点はあろう。


2004.08.
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