「いのちを捨てるべきです」といわれるとびっくりしますか? これは
ヨハネ特有の表現で、その福音書 10章にその意味がよく表されてい
ます。
ギリシャ人は人間を霊、いのち、肉体からなると理解していました
。「いのち」というギリシャ語には、「いのち」と共に、興味あること
に「持ち物」、「富」という意味も同時にありました。
また、「捨てる」という言葉には、一義的には自分の持っているもの
を下に置く、例えば自分の大切なものを、他の人のために差し出すとい
う意味や、また、畑に作物を植えるという意味もあり、これはヨハネの
福音書 12章24節を思い起こします。転じて捨てるという意味も出
て来た。
3章17節には、「その人に対して、憐れみの心を閉ざすような者に
」とありますが、これは思い遣る心がないことを言っているのでしょう
。
ベタニア村のラザロが亡くなったとき、イエスはその墓で涙を流され
ました。マリヤたちの嘆きを共有されたのです。ただ、罪ある人間は、
友の悲しみは分かち合えても、喜びにはとかく妬みがでやすいのが残念
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